なかや一博 ブログ

日別アーカイブ: 2022年7月1日

司馬遼太郎記念館

一点の 偽りもなく 青田あり  山口誓子

7月1日 国民作家と言われ 多くの日本人に愛された作家司馬遼太郎記念館を東大阪市に久し振りに訪ねた。今回の企画展は「色紙と自筆原稿でみる司馬遼太郎が考えたこと」であった。その中に河井継之助を題材にした「峠」の自筆原稿もあり,司馬特有の筆跡で書かれ、特注の原稿用紙に書かれた文章には、数多くの推敲や修正が赤や黒ペンで加えられた跡が残っていた。

実は、この「峠」役所広司主演で映画化されたが、新型コロナの影響を受け、3度公開延期となり、今年6月17日やっと公開上映された。
私も映画館に足を運び鑑賞してきた。今、手元に「峠」前編、後編がある。
これを改めて開くと、初版が昭和43年10月10日とあり、私が購入したのは昭和50年7月20日34版のものである。昭和43年から僅か7年間で34版まで増刷されているのだから、当時から人気作家の人気作品だったのだろう。購入したのはもう47年も前であり、定価一冊800円であった。

「峠」の帯封に司馬遼太郎は「燃える情熱と、行動力・・・・一介の武士から長岡藩筆頭家老に栄進、壮大な野心と抱負を藩の運命にかけて、幕末、維新の混乱期に挑んだ英傑河井継之助の生涯」と書き、書き終わったあとがきに「私はこの「峠」において、侍とはなにかということを考えてみたかった。その典型を越後長岡藩非門閥家老河井継之助にもとめたことは書き終わってからも間違っていなかったとひそかに自負している」と書いている。
余程の自信作と思ったのか、あるいは余程満足感に浸っていたのだろうか。

小説では、彼の生涯を書いているが映画では、慶応3年{1867}大政奉還以後、河井継之助の死まで約1年間を描き、戊辰戦争勃発後、小藩越後長岡藩家老河井継之助は東軍、西軍、どちらにも属さない武装中立を目指す。
戦うことが当たり前となっていた武士の時代。民の暮らしを守るため戦争を避けようとした。だが和平を願って臨んだ小千谷会談は,軍監岩村精一郎の頑固な対応に依って決裂した。

継之助は徳川譜代の大名として義を貫き、西軍と砲火を交えるという決断を下す。しかし、3か月に及ぶ激戦の結果、長岡のまちは悉く焼き尽くされ、藩士たちは苦難の「八十里越」を経て会津へ向かう。弾丸を受け負傷し高熱にうなされた継之助も辻篭で悪路に揺れながらこの道を通り、「八十里、腰抜け武士の越す峠」と自嘲の句を詠んだという。

そして塩沢村{現・只見町}の医師・矢沢宗益の家で最後を迎える。継之助は棺と骨箱を作らせ、自分を火葬するための火を起こさせたという。8月16日午後8時頃幕末の風雲を走り続けた継之助は、真っ赤な炎とともに天に昇ったという。享年42歳。
後日、彼の死を知った西郷隆盛や山県有朋、勝海舟もその死を惜しんだという。その西郷も明治10年9月24日西南戦争に敗れ、城山で自刃した時、別府晋介が介錯したという。河井と西郷二人の性格も死に方も違うが、どこか重なっているような気がする。

さて、私が司馬作品に出会ったのは、「竜馬がゆく」である。以来多数の作品を乱読したが、どの作品も読み進むと、本を手から離せない状態で、前へ前へとのめり込んでいくような感じであった。歯切れの良い、小気味の良い文体がそうさせたのであろう。司馬作品の「竜馬がゆく」の坂本竜馬や「花神」の大村益次郎、「坂の上の雲」の秋山好古、真之兄弟、そして、「峠」河井継之助など、埋もれていた歴史上の人物が司馬作品によって現代に蘇ったといっても過言でないと思う。「まことに小さな国が、開花期を迎えようとしている・・・

のぼってゆく一朶の白い雲が輝いているとすれば、それのみをみつめて坂をのぼってゆくであろう」坂の上の雲の冒頭の言葉である。又、竜馬が暗殺されたシーンを「天が、この国の歴史の混乱を収拾するために、この若者を地上に下し、その使命が終わった時、惜しげもなく天へ召しかえした」これがこの作品の最後の文章であり、いつ読んでも心踊る言葉である。

司馬遼太郎が亡くなったのが1996年2月12日。記念館はその5年後、2001年11月1日東大阪市の自宅の敷地内に安藤忠雄氏設計の記念館を建設して一体化された。1階のフロアーは高さ11mの壁面いっぱいに書棚がとりつけられ、資料、自書、翻訳など2万冊もの蔵書がイメージ展示してある。又、自宅の玄関、廊下、書斎、書庫などの書棚に約6万冊の蔵書があるという。正に図書館である。
この多くの資料の中から、珠玉の一滴一滴を取り出し、光り輝き、躍動する文章にしてゆく。それが司馬作品の魅力なのだろう。中庭から眺めた司馬さんのサンルーム、その奥の書斎。十分満足した2時間余りであった。

私には、司馬遼太郎の死を「天は、未だその使命が終わらぬのに、無情にも、惜しげもなく天に召しかえした」そのように思う。
写真は、司馬遼太郎自筆の表札。記念館前にて。映画「峠」パンプレット

CIMG4893

CIMG4898

CIMG4933