なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2025年4月

素敵なグループ

春風や 闘志抱きて 丘に立つ  虚子

誰にも仲間やグループや同志やメンバーなどがいる。その一つのグループと毎年「ほたるいか」の時期に我が家に集まる。
今年は4月28日{月} 藤井富山市長、森前市長、中尾富山市名誉市民、米原県議、水野滑川市長等に加え、堂故参議院議員、上田衆議院議員も特別参加し、また、私の妻と同級生の民謡歌手長岡すみ子さんも出席し、美声を披露し、この会を盛り上げてくれました。

今回のテーマは、藤井市長が4月20日市長選挙を勝ち抜き2期目の当選を果たしたこと。
中尾先輩は、現在数え90歳いわゆる卒寿である。卒寿から99歳白寿を越え、上寿への激励と、堂故参議院議員の来るべき戦いの大願成就の3点でした。そんなことから冒頭の虚子の句を3氏の現在の心境と重ね合わせ掲げたものです。
最初に上田議員から3氏に対し、お祝いと激励の言葉の後、各氏からそれぞれ豊富が述べられ、米原県議の乾杯で懇談会に入りました。

話題はやはり今年のホタルイカ漁の漁獲量から始まりましたが、4月中旬頃まではまずまずであったが、以後不漁で当日も滑川漁港での水揚げは僅かで、どうにか参加者の分は確保出来ました。
また、政局の話しやら、NYタイムズの今年の行くべき52か所に富山市が選ばれたことによる効果や中尾先輩が卒寿まで元気で長命と長寿を維持されている秘訣など話は多岐にわたりましたが、中尾先輩に関しては、学生時代に大病を患ったことから、規則正しい生活や健康管理には十分注意しているとのこと。私には耳の痛い話でした。

また、森さんが差し入れたイタリアの「ドルチ・アル、クッキアイオ」と呼ばれるスプーンで食べるデザートについて解説。確かにこのティラミスは、美味かったです。店は富山市内だそうですが、シェフはミラノ生まれ、ローマ育ちで現在滑川に住んでいるそうです。
私は初耳でしたが、さすが水野市長はご存知でした。長岡すみ子さんは「秋田大黒舞」など3曲唄ってもらい、場も大いに盛り上がりました。

写真は、女房手つくりのほたるいかのお刺身「てつさ」真ん中がほたるいかの足。

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令和7年度入学式

珍しき 高麗{こま} 唐土{もろこし}の花よりも
            あかぬ色香は 桜なりけり 本居宣長

4月8日{火}午後2時・県立滑川高校{嶋谷克司校長}入学式が体育館で挙行された。それにしても、桜と入学式は何となく絵になる風景である。
校舎敷地内の桜も入学式を祝うかのように満開であった。

さて、希望に胸膨らませ、校門をくぐった生徒数は183名である。
本来、普通科2クラス80名.薬業科1クラス40名。商業科1クラス40名。海洋科1クラス40名。計200名が定数である。しかし、183名つまり定数割れである。県内の県立高校数39校の内、多数の高校が少子化問題に直面し本校同様である。それ故、高校再編が大きな問題として議論されている。

そんな中、入学式は、教員、保護者、来賓等関係者が着席している中、吹奏楽部が演奏する、スカイ・ブルー・ドリームの曲が流れ新入生が入場した。
入学式に相応しい曲である。その後、全員で国歌斉唱。残念ながら新入生は殆ど歌っていなかった。多少の緊張と、中学時代にも余り歌う機会がなかったからであろう。

次いで、校長より183名に入学許可を与え、続いて式辞である。内容は、9年の義務教育を終え、高校入試を乗り越え、滑高生の一員になったことへの歓迎と、今日まで支えてくれた人々への感謝の気持ちを忘れないこと、次いで本校の歴史と生徒目標「高きを求める情熱」生活信条「文武両道」に触れ、どんなことがあっても学校はサポートする。

そして、2点力説されました。
①自分を知り、可能性を信じ前へ進む。秘めた能力を発揮させるため、多角的に物事を考え、一歩踏み出す。行動する力。夢や目標をどこまでも高く。変化を恐れぬ。

②思いやり,優しさを持つことの大切さ。女優有村架純さんの言葉を引用し、「ありがとう」と言ったら、その数だけ人は優しくなれる。
「ごめんね」と言ったら、その数だけ人は賢くなれる。「さよなら」と言ったら その数だけ人は愛を知る。

など話、お祝いと激励の式辞でした。嶋谷校長は校長として初めて赴任されたのが本校で、それ故、式辞も初めてで、多少緊張もあったと思いますが、内容の良い式辞だったと思います。

祝電披露の後、新入生宣誓。
新入生代表は、伝統ある滑川高校に入り、誇りを感じる。学業と部活に励むこと。そして、両親や先生に対し、未熟な私たちだが、仲間たちと頑張ると力強く宣誓。

歓迎のことば 在校生代表
期待や不安があるかもしれないが、2-3年生、そして先生を頼って下さい。より良い学校生活を送れるよう、サポートし盛り上げてゆきます。
と先輩らしい、温かい言葉を新入生に語りかけていました。

次に、川上教頭から校歌の紹介がありました。昨年も記しましたが、
1題目は、朝日に美しく輝く立山連峰に抱かれて、百年の歴史と伝統を誇るこの滑川高校で熱き夢を語り合おう。
2題目は、蛍を袋に集めて、その光で書を読み勉強をしたと言われる中国の学者、「車胤」の若き日の苦難を思い、かけがえのない青春の一日一日を大切に過ごしてほしいという願いが込められている。

滑川高校校歌 作詞・北園克衛 作曲・岡部昌 昭和25年制定。

一 朝日に匂う 太刀の峰       二 有磯の海に 風荒れて
  雲井遥かに  青春の         思え車胤の 青春の
  赤き血に沸{たぎる}我等の日      波のごと迅{はやし}我等の日
  加積の郷{さと}の 学び舎に      雄々しく潔{きよ}く 血と愛に
  栄えある歴史 うけ継ぎて       鍛えん時を 惜しみつつ
  祖国をにない 集える我等       理想に燃えて 集える我等

これが、私も好きな滑川高校の校歌である。特に2題目の「車胤」云々は卒業式に欠かせない名歌、「蛍の光」つまり蛍雪の功を短い歌詞にして校歌にしたことである。
作詞の北園克衛氏は{1902-1978}三重県出身で当時有名な詩人であった。この方と滑川高校教諭で同じ詩人仲間であった高島順吾氏の紹介で作詞された。

嶋谷校長始め転入教職員には、初めて聞く校歌であるが、その意味することを考える機会であったし、一日も早くこの校歌に親しんで貰いたいと思う。

閉式の辞。学級担任紹介で生徒は退場しましたが、その時の演奏曲目は「渡り鳥」でしたが、ちょっと違和感があった。入退場の2曲の曲名は私は分からず、式後お聞きしました。
新入生の希望に胸を膨らませ、輝くような瞳を見ると矢張り若いことは素晴らしいと思う。青春とは単に年齢だけで判断すべきでない。当然である。
しかし、後期高齢者となった私からすれば矢張り羨ましい限りである。いづれにしても、彼らが滑川高校生として、多くの素晴らしい思い出を作り、楽しい学校生活を送って貰いたいと念じ学校を後にした。

写真は、学校正面玄関。式辞を述べる嶋谷校長。

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「仲間たち」

いついっせいに 桜咲きたる 花びらの 一つ一つに 光ありつつ

5-6分咲きと思っていたら つい2日程で「染井吉野」はほぼ満開である。「枝垂れ桜」はもう少しであるが、それにしても近頃の寒暖の差が激しい天候不順の割には満開宣言は平年並みである。

さて、ひさしぶりに「仲間たち」と痛飲した。仲間と一口に言っても、同級生、サークル、職場、隣近所など様々である。今回の仲間たちは、年齢も、職業も、趣味も、性格も違う者同士だが、どこか気が合う。そんな7人の仲間たちである。
それ故、7人も集まると話題も多岐にわたり、わいわいガヤガヤ賑やかなもので、中々話が纏まらない。それでいて纏まる時は纏まる。不思議な仲間である。そんな仲間が4月4日集まった。

午後7時定刻に全員集合し、グラスを傾けようとした時、誰かが、今日は中屋さんの一日遅れの誕生日です、と,話した為、期せずして私の78歳の誕生日を祝う乾杯となった。その後、和やかな中にも、賑やかに話に花が咲いた。

9時半頃そろそろお開きかと思っていたところ、突然私に対しての、バースデイケーキが出され、バースデイソングの中、ローソクの灯を消すように促され一息で消しました、川柳の「誕生日 ローソク消して 立ちくらみ」を思い出しましたが、今のところそんな川柳は私には無縁でした。それにしても男ばかりの集いに、この様な気配り。正直驚きました。
ただ感謝しかありません。よく、誕生日やお正月を迎えると、人は1歳年を取る。取るは即ち1歳若返ることだという。

しかし、私は、年を取る事は砂時計と一緒で、砂時計は時計をひっくり返して、落ちてくる砂が重なり時を刻む。私は誕生日から次の誕生日までの1年間に新たな思い出、出会い、感動を作る時間であり、それが今日の私を築いてきた。だから、年を取ることは苦痛でなく、誕生日は次の誕生日までの1年間に新たな楽しい思い出を作るスタートの日である。と話しました。

そんなことでついつい長居し、散会したのが10時半を過ぎていました。冒頭の1首は誰の詩か知りませんが、仲間たちの瞳は、桜の花びらの一つ一つのように、光かがやいているようでした。

写真は、ほぼ満開に近い我が家の染井吉野と奥の枝垂れ桜{4月5日現在}。 7人の仲間たち。バースデーケーキ。

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