なかや一博 ブログ

日別アーカイブ: 2025年7月7日

春日大社国宝殿

7月6日{日}甥っ子の車で朝、奈良奥山有料ドライブウエーを走行し、山焼きで有名な若草山{標高342m、}山頂展望台から眼下の奈良市内を一望した。春日大社、興福寺、東大寺などを眺めながら、まほろば、大和の国の風景に暫し浸った。
その足で春日大社・国宝殿で10時開館、しかも当日が初日である「究極の国宝・大鎧展」現存する国宝「鎧」の半数が奈良・春日大社に終結!を鑑賞した。

パンプレットによれば、「日本の甲冑には、様々な様式がありますが、これらは金工、漆工、染織など複数の分野にまたがる工芸作品の集合体で、日本の工芸技術の高さを、そして美意識を表した総合芸術といえます。
その甲冑の中でも、主に平安時代後期から、南北朝時代にかけて作られた「大鎧」は最も格式が高いものです。春日大社には日本を代表する甲冑の国宝・赤糸威大鎧{梅鶯飾}と国宝・赤糸威大鎧{竹虎雀飾}があり、この二領の大鎧には金工技術の粋を極めた絢爛豪華な飾金物が施されています。

本展覧会では天下に名だたる大鎧の双璧として知らるている青森県櫛引八幡宮の赤糸威鎧{菊一文字の鎧兜}と春日大社の赤糸威大鎧{竹虎雀飾}が史上初めて並列展示されるとともに、現存する国宝の甲冑類の半数が一堂に集まります。」(パンプレットより)

私からすれば、本来、鎧兜は戦闘から身を守る為の武具である、馬上から、刀を振り回したり、弓矢を放つ為に、鎧の脇腹には工夫がしてあるとは言え、重さ15㎏以上の鎧兜を着用しての戦いである。鉄砲の出現によって刀は武器としての役割を終え、太平の世になって美術品の道を歩む。
しかし甲冑は平安時代から権威の象徴とともに、防具より美術的価値に重きを置いたように思う。

私は弓道を趣味とするが、弓も同様である。7尺余りの長大なものを持って馬上から矢を放つ。両手を手綱から離し、動く馬の上からである。的中率も当然落ちる。片や洋弓は違う。5尺余りで持ち運びにも便利で、機能的であり、しかも和弓より飛距離も的中率も遙かに高い。
しかし日本武士は重藤の弓の美を含め和弓にこだわり今日まで来た。私は甲冑も同じと思う。

武器としての機能よりも、美意識を含めた日本人特有の精神性に重きを置いたものでなかろうか。そう考えるとパンプレットにある、「複数の分野にまたがる工芸作品の集合体で、日本人の工芸技術の高さ、そして美意識をあらわした総合芸術」の意味が解るような気がする。

それにしても素晴らしいものばかりであった。外は30度を超す暑さ。やはりインバウンド、外国人と鹿で溢れていた。
奈良で昼食後、京都から富山へと向かった。車を提供してくれた甥っ子に感謝、感謝である。
2泊3日の慌ただしい日程であったが充実した日々であった。

写真は、若草山山頂。国宝・赤糸威大鎧{竹虎雀飾}春日大社蔵

250706083224660[2]

250706103539128[1]

250709085622122[1]



第58回関西滑川会

7月5日{土}第58回関西滑川会{会長・千先久矩氏}の総会・懇親会がホテルグランヴィア大阪で開催されました。当日は気温35度を超す猛暑にも拘らず約70名の参加を得て親睦を深めました。
総会では役員改選で千先氏が再選され挨拶。水野市長、古城近畿富山県人会長、大門県議,嶋谷滑川高校長、土肥東京滑川会長と私の6人が祝辞を述べました。

いつも思うことですが、挨拶も6人目となれば、前者の方と重なるような挨拶では問題だから私はカットして構わないと申し上げ辞退していますが、何でもよいから。とのことで、了解し、当日の天気にちなみ、気温について少し話しました。

日本で最高気温を観測したのは、昭和8年{1933}7月25日、山形市で40・8度である。この記録が破られたのは、平成19年{2007}8月16日、埼玉県熊谷市・岐阜県・多治見市の40・9度である。僅か0・1度のことだが実に74年ぶりであった。

しかし、この記録が破られたのは、平成25年{2013}8月12日、高知県四万十市で41度を記録する。6年で記録更新である。
しかし、この記録が破られるのは、平成30年{2018}7月21日、熊谷市と浜松市で41・1度を記録。まさに僅か0.1度であるが5年で更新である。これが国内での最高気温でそれから、今年はすでに7年目である。気を付けなければならない年かもしれない。国連のグテーレス事務総長は地球沸騰化と表現した。つまり確実に地球温暖化が進行していることを話した。

また、国内での最低気温は、明治35年{1902}1月25日北海道旭川市で-41度を記録した。実はこの日に、青森県八甲田山で青森連隊と弘前連隊の雪中行軍中210名の兵士の内、199名が凍死した日である。当時の旭川の人口は約14万人。当時の暖房は薪ストーブである。

現在の旭川市の人口は約32万人。暖房はエアコンで室外機から出る熱風。車の排ガス。工場から出る排煙等を考えると、旭川で-41度を観測することはもうないと思われる。最高気温と最低気温の寒暖の差は実に80・1度である。こんな国は世界にそうないと思う。

そして寒暖の差があるから脳が刺激され日本人は頭の良い民族である。と話しました。因みに、先進国といわれる国の首都の緯度を見ると、例えばサミット7か国、東京は北緯35度、ワシントン38度、ローマ41度、オタワ45度、パリ48度、ロンドン51度、ベルリン52度、これにモスクワは55度、である。つまりサミット参加国は東京より緯度は北である。1年中温暖な気候の所には先進国はないのである。こんな話を与えられた時間の中でしました。

懇親会は、竹原市議会議長の発生で乾杯し和やかな雰囲気でスタートし、余興として、役員の歓迎アトラクション、石田県人会副会長の歌謡ショー、県人会おわら教室の「越中おわら節」会員による「新川古代神」踊り、抽選会等多彩な企画で実に楽しいひと時でした。
宴もたけなわの中、青山市議会副議長と近堂副会長が関西滑川会と滑川市の発展を期しエールの交換が行われました。最後に全員で「ふるさと」を合唱し再会を楽しみにお開きとなりました。

尚、昨年同様「ふるさと」の歌詞の4番目に私の駄作が歌われたのには汗顔の至りでした。それにしても千先会長のアイデアと指導力には感心します。

私の駄作「ふるさと」の4番目の歌詞は次の通りです。

稲穂なびく かづみ野  清き流れ 早月
有磯の海に ほたるいか 忘れがたき ふるさと

写真は、挨拶する千先会長。私。ほたるいか網起こし。

250705110945550[1]

250705115043304[1]

250705134214201[1]

250709164320006[1]