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善光寺ご開帳

遠くとも 一度は参れ善光寺 花溢るる 信濃路の春

残念ながら季節は春ではないし、善光寺には何度か訪れてはいた。しかし、今回は7年に一度のご開帳であり、しかも4月3日から6月29日まで88日間の開催で残り僅かである。
そこで、以前から長野在住の友人からお誘いを頂いていたので、今回22日の上京に合わせ、23日午後立ち寄り友人の家に一泊した。

東京駅から長野駅まで「はくたか」で約1時間速いものである。ホームに降り立つと県歌「信濃の国」が流れてくる。
明治33年発表された県歌であるが、全国の県歌の中では最も古い歌でなかろうか。それが今日まで色あせることなく歌い継がれてきていることは、いかに素晴らしい曲かがわかるし歌詞を紹介出来ないのが残念だが私の好きな歌の一つです。

迎えに来ていた友人の車で自宅へ。小休憩後近くの温泉でひと汗流し、夕食は友人夫婦と市内の小料理屋へ。友人の配慮で海なし県にもかかわらず、鮮度の良いお刺身と鍋料理に舌鼓を打ち、しばし痛飲、友好を深めた。
そこまでは良かったが、帰宅後2次会と称して深夜まで・・・あとはバッタンキューである。

さて、翌日24日朝食後善光寺へ行った。ご存知の通り7年に一度のご開帳は、ご本尊と同じ姿をした「前立本尊」を本堂で公開することである。
内陣の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸となってのびていて、更に白い「善の綱」となって回向柱に結ばれている。
絶対仏であるご本尊の御身代わりが最終的には、本堂前に立つ「回向柱」であろう。それ故、多くの人々が回向柱に片手を添えて願をかける。

私も単純な願いであるが「家内安全」「商売繁盛」を祈願した。この回向柱は、宝永4年{1707}現本堂が再建された際、松代藩が幕府から普請の監督を任され、それが縁で現在まで松代から寄進されていると言う。
それにしても、駐車場、仲見世通り,有料拝観場所どこも人、人、人。
人の波であり洪水である。加えて猛暑である。もはやコロナ禍以前の賑わいが戻って来ている様な気さえする。そんな訳で、本堂内、外陣からのお参りに留めましたが、その場にいた僧侶に善光寺の年間参拝者数を聞いたところコロナ禍以前は約700万人とのこと。
立山・黒部アルペンルートがコロナ禍以前で約90万人でありさすが善光寺である。

昼食は混雑を避けて、かつ旨い処へ。郊外の信濃新町地場産業開発センター経営の「道の駅GIBA」へ。さすがここの蕎麦は旨かった。
多少のお土産を調達し長野駅へ。友人に感謝し富山へ。久し振りの2泊3日の外泊であった。

参考まで「牛に引かれて 善光寺参り」の牛は何処から来たか。それは小諸市千曲川左岸の霊場「布引観音」から。角に布を引っ掛けた牛を追いかけて行ったら善光寺であった。以前聞いた話。真偽は?

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