なかや一博 ブログ

2月6日北陸新幹線開業記念試乗会

2月6日(金)北陸新幹線開業記念試乗会に参加しました。
アイボリー地に青と銅色のラインを配した12両編成のW7系は、午前11時41分定刻富山駅を滑るように発進すると、5分で上市川を通過滑川に入ります。この時点で時速260㌔と思われます。富山駅から僅か12分で黒部、宇奈月温泉駅に到着。やっぱり速い。時刻表で速いことは頭で理解していても、体感するのとは実感が違います。

富山駅を出て、黒部、宇奈月温泉駅、糸魚川駅で試乗会参加者が乗り、長野駅で停車後大宮駅着13時42分。大宮発14時22分、富山着16時22分。片道約2時間余りの快適な試乗会でした。
ただ、残念ながら当日は曇り空であり、雄大な立山連峰や富山湾の絶景を見ることは出来ませんでした。しかし、晴天の日には素晴らしい景色が楽しめると思います。
私の好きな一首に富山市名誉市民であり、文化勲章受章者の山田孝雄氏の「国巡り、山々見れば故郷の、越の立山 類稀なり」があります。
また、今後おそらく乗れないだろうグランクラスやグリーン車が公開され一時座席に座りリッチな気分に浸りました。それにしても、この日を迎えるには約半世紀の長い道のりでした。

『北陸に新幹線を』の言葉が始めて出たのは、昭和41年9月、金沢市で開催された佐藤首相の一日内閣の折、地元経済界からの要望でありました。この2年前、昭和39年10月1日東京オリンピック開幕に合わせ東海道新幹線が開業。これによって東京から大阪が日帰り圏となり全国の関心事になりました。特に、産業発展の基盤である、土地、労働、水資源を備えた北陸地方は交通基盤の立ち遅れによって開発が阻害されていました。
加えて、均衡ある国土の開発と災害時における東海道新幹線の代替輸送機関としての「北回り新幹線」の必要性を訴えました。
これを機に北陸地方の政財界から新幹線建設運動が燃え上がり、翌、昭和42年12月沿線の国会議員が中心になって[北回り新幹線建設促進議員連盟]を結成。また、沿線自治体関係者によって期成同盟会が発足しました。

その後、[北回り」から[北陸]と名称は変わったが、これが現在まで新幹線建設推進運動の母体となってきました。そして、当時の県内35市町村すべてに新幹線建設促進の看板が設置され、滑川市においてもJR滑川駅前に建てられました。
これが全国各地の新幹線建設運動に発展し全国新幹線鉄道整備法が策定、それに機に昭和47年10月に基本計画、翌、48年11月整備計画が決定しました。
これによって多くの人々は直ぐにも着工されるものと思い狂喜しました。しかし、発表からⅠヵ月後の同年12月政府の昭和49年度予算編成大綱で公共投資の抑制策が打ち出され、整備新幹線五線の凍結が閣議決定されたのです。
これは、折からの第1次オイルショツクが引き金でした。次いで追い打ちをかけるように、昭和51年8月末、当時の国鉄監査委員会が新幹線建設中止を提言してきました。当時、国鉄の累積赤字は3兆1600億円、長期負債6兆7800億円で破産寸前の状態でしたので当時の運輸省も着工凍結を続けることを発表しました。

しかし、新幹線関係者の期待は膨れ上がる一方で、関係自治体、国会議員、地方議員、経済団体は、再三政府、与党自民党に凍結解除、工事着工の陳情を繰り返しました。
その結果昭和52年4月7日、当時自民党政調会長だった河本敏夫氏が経団連で[今後の自民党の政策課題]と題し講演。その中で「北陸新幹線など整備新幹線五線の凍結解除に踏み切る」との考えを明らかにしました。追って5日後の閣議で「整備五線の件等を含み徹底した調査に着工する」ことを決定しついに3年4ヵ月ぶりに凍結が解除されたのです。

しかし喜びもつかの間、、第2次オイルショツクである。行財政改革を錦の御旗に掲げる当時の大蔵省や臨調メンバーの抵抗にあい再び闇の中。これが、概ね昭和の時代までの動きです。平成に入ってからは、簡略化して述べます。

平成に入り長野オリンピック開催が決定。これを受け高崎~長野間を長野新幹線として先行開業。しかし、他の路線は財源の確保が常に問題になり、時として、スーパー特急方式ミニ新幹線方式、フリーゲージ方式など様々な議論が交わされる中、北陸より遥かに遅れて運動を展開した、山形、秋田両新幹線はミニ方式として開業しました。
これに多少の焦りはあったと思いますが、当時の中沖知事はあくまでフル規格にこだわり続けました。その後、紆余曲折を経て①新幹線開業時には在来線は廃止、②建設費の3割は地元負担。これを着工の条件として国が示しました。

東海道、山陽、上越、東北[東京-盛岡]の建設費はすべて国費。それが、北海道、東北[盛岡―新青森]九州、長崎、北陸は地元負担。これ程不合理な話しはないと思います。その後交付税措置によって、多少の軽減が図られましたが、受け入れざるを得ない苦渋の決断だったと思います。それ故、中沖豊氏がミスター新幹線と呼ばれた人だったから感概ひとしおであったと思う。

いずれにしても敦賀までの工期が3年前倒しになったが北陸新幹線の最終目的地は大阪です。私の眼の黒い内は無理であろうが、一日も早い完成が望まれます。
それにしても、確かに東京方面は便利になりました。しかし、関西、中京、そして、新潟から秋田方面は逆に不便になったし、在来線も第三セクターあいの風鉄道に引き継がれたが運賃が少し値上がりしました。今後の検討課題であろう。

約半世紀に亘る先人、先達のご尽力、ご努力の足跡を懐古しながら敬意と感謝を申し上げ北陸新幹線が地域の発展に繋がることを祈念するものです。

◆北陸新幹線 大宮駅にて
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◆北陸新幹線 グランクラスにて
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(2015/02/06)

2月5日堀川中学校にて

2月5日(木)富山市立堀川中学校で「働く人に学ぶ」講座が開催されその講師を務めました。
対象は1年生320人。多様な職業に理解を深め、7月に行われる[14歳の挑戦]に向け、社会人の声を聞くことで職業観を育む機会にしょうと開かれたものです。
講師は地元で働く、医師、ガラス作家、アナウンサー、消防士、電車運転手など22人が務め、生徒は希望する職種を二つ選んで受講しました。
私は、配置薬業をテーマに講演し、事前に生徒から質問の出ていた点を中心に話をしました。

1 とやまのくすりの歴史
2 仕事の内容
3 勤務形態
4 必要な資格
5 配置業を選んだ動機
6 仕事上の喜びや悩み
7 将来職業に就くための中学生へのアドバイス

『先用後利』のシステムなど説明しながら、生きがいを感じる職業に就いてほしいと呼び掛けました。25人程二クラス、それぞれ45分、であったが将来この中から、1人でも配置薬業に従事する人が出てくることを夢見て話を終えました。

それにしても、堀川中学校の生徒諸君は何処で会っても挨拶はするし、元気の良い生徒諸君ばかりで、気持ち良く学校を離れることができました。

◆「働く人に学ぶ」講座講師 富山市立堀川中学校1年生
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(2015/02/05)

2度の祝賀会

1月は二度祝賀会に出席させていただきました。
はじめは1月17日(日)ホテルグランテラス富山で菊池徳男氏の旭日双光章の叙勲祝賀会。2回目は1月25日(日)秋田パ-クホテルで吉村登喜男氏の厚生労働大臣表彰祝賀会。

いずれも私にとって、人生や業界の先輩でありお二人とも、60年余の長きに亘り、配置薬業を通じそれぞれの県民の保健衛生向上に尽力された功績が認められての栄誉でした。

1月17日は不肖、私が万歳を、1月25日は祝辞を申し上げました。
一口に60年余の長きに亘り、と表現するのは簡単だが、現実にはなかなかそうはいきません。
やはり幾山河を乗り越え、今日を迎えられたのであり、正に、この道一筋であります。
このご両名に対し、改めて、そのご努力に敬意を表しお祝いを申し上げる次第です。

さて、叙勲や文化勲章、各種褒章、大臣表彰、自治体首長名の表彰など数多くありますが、それらは国家や地方、或いは、産業や科学、福祉など国民の生活を支える分野で貢献のあった方々にその功を讃え、更なる活躍を期待する意味でのものと思います。
近代日本の叙勲制度は1875年「勲章従軍記章制定の件」の公布によって開始され昭和21年5月3日閣議決定により一時停止となりましたが、その後、昭和38年7月12日閣議決定により、再開されました。

そして、昭和39年4月29日、戦後の第1回叙勲が発表されました。この時、滑川市名誉市民第1号の石坂豊一氏が勲一等瑞宝章受賞の栄に浴されています。
改めて滑川市民として大変誇りに思います。

<1月17日>
万歳三唱②

<1月25日>
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(2015/01/31)

2015年 本年もよろしくお願いします

2014年、平成26年はすでに地平線下に沈み、2015年、平成27年の幕が開き家庭が地域が職場が社会が動き出しました。
私のお正月三ヵ日は、昨年結婚した二男夫婦、三男夫婦これに長男夫婦、加えて昨年誕生した内孫、それに外孫等、実に賑やかなお正月でした。

1月7日薬業ビルにおいて、富山県薬業配置部会連合会 東北部会総会が開催されました。私は挨拶の中で、3月14日いよいよ北陸新幹線が開業します。この機会に「くすりの富山]をもっと発信すべきだと考えています。例えばJR富山駅前CICビル前に柳行季を背負った売薬さんと紙風船に戯れる子供の先人の像が設置してあります。その横に高さ10メ-トル位のポールを建てその上に六面体の紙風船の形をしたものをひし形にして設置。これが数分に一度回転します。これならば駅前に立った時一目瞭然に[くすりの富山]をPR出来ます。

これは同時に薬業ビルにもいえます。開業を祝う言葉と[くすりの富山]をアピールする懸垂幕を下げます。薬業ビルは新幹線から見たら絶好の広告塔でなのです。是非実現してほしいと思います。幸い昨年(一社)富山県薬業連合会会長に東亜薬品社長中井敏郎氏、(一社)全国配置薬協会会長に広貫堂会長塩井保彦氏がそれぞれ就任されました。この方々の配置薬振興にかける情熱と手腕に期待したいと思います。

1月8日は恒例の滑川薬神神社歳旦祭でした。久し振りに薬業人が相集い、今年の商売繁盛を祈願し業界の話題に花を咲かせたひと時でした。
さて、今年の干支は「乙羊]すなわち[きのと」の羊であります。この年は諸説があるが羊の下に「大」を書くと「美しい」という字であり、羊の翔・祥に縁をかり良き年と歳であるよう祈念したいと思います。
重ねて皆様にとっても幸多き一年でありますように。

本年もよろしくお願いします。

<滑川薬神神社歳旦祭にて玉串奉納>
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(2015/01/08)

今年もあとわずか

一日も、おろそかならず、古暦  高浜虚子

今年もあとわずかとなりました。振り返ってみると、自然災害も多発した年でした。多数の死者をだした広島の土砂災害、御嶽山の水蒸気噴火、幸い死者は出なかったが長野県北部地震による白馬村の家屋被害、それに台風も数多く列島を直撃したし、集中豪雨被害も全国で発生しました。

そして12月に入っての雪と寒さ。でも、明るい話題も多くありました。
テニスの錦織選手の活躍、ノルデックスキ- ジャンプのワ-ルドカップで実に42歳5カ月の年齢で優勝し、最高年齢者の記録を更新し、「レジェンド」という言葉を生んだ葛西紀明選手、ソチ冬期五輪で金メダルを獲得し、その後もグランプリ、ファイナルで日本人男子初の二連覇を果たした羽生選手など、スポ-ツ界の活躍の話題が本当に多くの人々に、感動、勇気、元気を与えてくれるものと改めて思いました。

また、ノーベル物理学賞に日本人3人が受賞しました。赤崎勇、天野浩、中村修二の各教授である。日常生活の中で幅広く使用されている青色発光ダイオードの研究、発明にこの方々の努力があったことを恥ずかしながら初めて知りました。それにしても、日本人はたいしたもんです。

もう一点感動したのは、ノーベル平和賞を史上最年少で受賞した17歳の少女、マララ、ユスフザイさんです。彼女はパキスタンで女子教育の権利を求め、イスラム過激派に銃撃されました。それに屈することなく、全ての子どもが教育を受けられる世界の実現を目指し活動をしています。マララさんの受賞演説のポイントは空っぽの教室、失われた子ども時代、これらを私達で終わりにしよう。私は教育を奪われた6600万人の少女の代弁者です。

『教育は人生に欠かせない。私達の未来は教室にありました。テロリストの思想や銃弾は勝てなかった。私達の声はより大きくなる一方だった。戦車を造るのは易しいのに、なぜ学校を建てるのは難しいのか。全ての子どもが学校に行くのを見届けるまで闘い続ける。』

これが17歳の少女の演説でした。そして、ノーベル賞の賞金で故郷に学校を建設する計画も明らかにし、共同記者会見で全ての子どもが教育を受ける目標を実現するため、将来母国パキスタンで「首相になりたい」と抱負を語りました。
なんと素晴らしい演説でしょうか。これに感動しない人はおそらくいないでしょう。
そう思うと日本は実に恵まれた国です。恵まれたことに慣れて来ると、それが当たり前と思うようになり、感謝の心より不平、不満ばかりがでてきます。多少の不満があっても、やっぱり日本はいい国です。

また、今年特に感じたことは命の尊さです。東日本大震災から、4年近く経過しているにもかかわらず未だに行方不明者の捜索が行われているし、広島の土砂災害や、御嶽山災害でも行方不明者の最後の一人の捜索のために、何百人、何千人の人々が活動しています。
片や、子が親を、親が子を、女子高校生が同級生の女の子を殺害する、そんな事件も含め殺人事件が日常茶飯事発生しています。それがいとも簡単に人の命を奪う点です。命に対してのこの落差。その原因は何か?つくずく考えさせられます。

さて、12月13日は後輩の結婚パーティ、14日は身内の結婚式、15日は富山北部高校薬業課の{とやまのくすり}についての講義、16日は薬業研修センターで講義を行いました。なかでも、北部高校の生徒の年齢はまさにマララさんと同じ年。何不自由なく教育を受けれることができることの有難さと、平和の尊さも話させていただきました。
また、「とやまのくすり」と言えば何を連想するか?との私の質問に対し、女子生徒の一人が、エボラ出血熱の治療薬が富山で製造されている、と、答えました。その通り。

西アフリカで猛威を振るいすでに死者が7000人{12月16日現在}を超え、世界を恐怖に落とし入れているエボラ出血熱の治療薬として、富士フイルムグループの富山化学工業が開発したインフルエンザ薬「アビガン・一般名・ファビピラビル」が一躍注目を浴びています。事実、西アフリカで医療活動中にエボラ出血熱に感染した医療従事者に投与後に症状の改善が見られました。
また、安部首相はアジア太平洋経済協力会議首脳会議のワ―キングランチでエボラ出血熱対策を各国首脳にアピールし、「日本の製薬会社の薬は効果があると言われている。薬の提供により大きな貢献をしたい」と強調しました。
アビガンを念頭に置いた発言と言われています。{くすりのとやま}を標榜する富山県にとっても富山を世界に発信する良い機会でもあり、大きな話題の一つでもありました。

いずれにしても、今年も慌ただしく過ぎようとしています。

一年間公私に亘りお世話になった方々に感謝と御礼を申し上げ、新しい年が良き年で有ります様お祈りいたします。

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(2014/12/16)

東京~奈良へ(8月31日編)

平成26年8月31日(日)
早朝から、多くの文化的遺産を蔵している岩船寺、次いで、九体阿弥陀如来像(国宝))、藤原時代、九体阿弥陀堂(国宝)、藤原時代、三重塔国宝)、藤原時代、四天王像(国宝)藤原時代、など、多くの国宝、重文、を蔵している浄瑠璃寺を訪ねました。

深緑と静寂の中で九体阿弥陀如来像を眺めているとなにかしら癒されました。それにしても、一ヵ寺で幾つもの国宝に接することが出きるのに、富山県で国宝と言えば高岡の瑞龍寺ぐらいだから驚きます。その後奈良ホテルで少しリッチな昼食をした後、奈良~京都~富山そして滑川へ戻ってきました。

慌ただしい3泊4日でしたが、関東滑川高校同窓会皆さんとの再会や歴史を感じ、文化に触れる、飛鳥の魅力にたっぷり染まる充実した、ひとときでした。

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(飛鳥大仏)

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(浄瑠璃寺の阿弥陀如来堂(国宝))

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(九体阿弥陀如来像(国宝))

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(三重塔(国宝))

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(奈良ホテルにて)



(2014/09/14)

東京~奈良へ(8月30日編)

平成26年8月30日(土)
奈良明日香村で国宝高松塚古墳壁画修理作業室が8月23日~31日まで公開されました。事前に申し込み、甥の車に乗せてもらい早朝出かけました。
村内の修復施設で汚れからの修復が進む壁画も公開は12回目。今回は「飛鳥美人」で有名な西壁女子群像など、石室内の東西壁に描かれた男女の群像が勢ぞろいし、通路のガラス越しからの鑑賞だったが素晴らしいの一語に尽きるものでした。

この古墳は、7世紀末~8世紀始めに築造されたものだが、地元の人が墳丘の南斜面で作物貯蔵用の穴を掘ったところ凝灰岩の切石を発見、これがきっかけで、昭和47年3月から調査が行われ壁画発見となりました。発見も発明も、えてして偶然が伴うものです。

調査終了後密封されたが、その後の調査でカビ等が生えていることがわかり、石室を解体し、温度、湿度で管理された修理室が建設され、そこで、保管・修理がおこなわれています。さて、石室の内部には彩色壁画として四神の図があります。青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)、これに青龍、白虎の上部にそれぞれ日像、月像、又、天井に星宿が描かれています。そして、男子4人、女子4人、各1組の群像が東西両壁に2組ずつ計16人が描かれています。

どの像もすぐれた筆致で実に細かく描かれ、我が国の美術、絵画史上優れた作品でした。被葬者は不明であるが、極めて地位の高い人物であったことは想像出来ます。ただ、私自身、以外だったことは、そんなに大きな古墳でなかったことです。
高松塚古墳は、直径23メートル、高さ5メートルの円墳です。平成21年滑川市上梅沢地内で発掘された3世紀の古墳は直径17.5メートルの円墳(高さは削り取られているため不明)です。そんなに違わないと思うのは素人の考えでしょうか?

いつも不思議に思うことは、石室の材質は凝灰岩であることです。一番大きく、重いのは1,5トン。同質の凝灰岩は明日香村から30キロ程離れたニ上山(にじょうざん)から運んだと言われています。それも数十数個。
そう考えると、蘇我馬子の墓でないかといわれる「石舞台古墳」は玄室の長さ7,8メートル、幅約3,4メートル、高さ4,8メートル、、で 大小30数個の花崗岩が使われ、天井の石の重さは北側1個約64トン、南側1個約77トン 総重量約2300トンです。これを3キロ離れた所から運んだ、とガイドが説明していましたが、1300年前、現代のような土木技術もないことを考えるとにわかに信じられません。
そんな質問をすると、ガイドはコロを使いから始め、エジプトのピラミッドや大阪城の石垣の例を出して説明するが仲々理解できません。それにしても凄いの一言であります。

この日は、早朝から高松塚古墳壁画修理作業室、古墳、壁画館、鬼の雪隠、鬼の俎、石舞台古墳、県立万葉文化館、酒船石遺跡、亀形石造物、日本最初の寺596年創建の飛鳥大仏で有名な飛鳥寺、蘇我入鹿首塚、飛鳥資料館等を見学し内容の濃い一日でした。

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(高松塚古墳前にて)

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(飛鳥美人)

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(通路よりガラス越しの修理作業室)

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(石舞台古墳 *石の重さは77トン)



(2014/09/13)

東京~奈良へ(8月29日編)

平成26年8月29日(金)
関東滑川高等学校同窓会総会(会長 小幡哲夫氏昭和30年3月卒)が明治記念館で行われました。
特別ゲストに福田富昭日本レスリング協会会長(昭和37年3月卒)と、女子レスリング、アテネ、北京、ロンドン、各オリンピック、金メダル三連覇、先般の世界レスリング選手権58㎏級で9度目の優勝した、伊調馨さんを迎え盛大に開催されました。

私は昨年の滑川高校創立100周年記念事業に際し、小幡会長始め会員各位の皆さんの物心両面に亘るご支援に感謝の言葉をのべる為に出席させていただきました。
誰にでも生まれ育つた故郷があるように、誰にでも母校があります。取り分け多感な青春の三年間を過ごした高校時代の思い出は、生涯忘れることの出来ないものです。

特に故郷を離れた人々にはより深いものであり、心の拠り所でもあると思います。
本校の同窓生は三万五千人に及び全国各地の各分野で活躍され、中でも福田さんのような方がおられることは、本校の名誉であり、誇りでもあります。
総会・懇親会も滞りなく終了し、夕方の新幹線で京都へ行き姉の家で泊りました。

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(関東滑川高校同窓会総会(明治記念館にて))

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(伊調馨さんと三個の金メダル)



(2014/09/12)

東京~奈良へ(8月28日編)

先月末に東京~奈良へ3泊4日で行ってきました。最近何かと忙しかったのですが、少し落ち着いたので、旅行日記をまとめてみました。

平成26年8月28日(木)
久し振りに上京。厚生労働省を訪ねました。同省には12人の局長が居ます、その一人で医政局長は滑川市出身の二川一男氏がいます。多忙の中30分程局長室で懇談しました。

次いで、成田昌稔大臣官房審議官(医薬担当)(元富山県薬業振興課長)を訪ねました。審議官室には椎葉茂樹厚生科学課長(元、県厚生部長) 紀平哲也医薬食品局、総務課課長補佐(元 県くすり政策課長)宇野禎晃総務課広報室室長(元 県労働課長)が同行していただきました。いずれも久し振りの再会を喜びあう中、今後とも県の薬業振興にご尽力をお願いし厚生労働省を後にしました。

その隣が人事院であります。人事院公平局長が江畑賢治氏(元 県総務部長)です。アポも取らずに突然立ち寄ったにも関わらず、快く御会い頂き話が弾みました。
夜は富山県赤坂会館に宿泊し、文部科学省の若手官僚数人と痛飲、時間の立つのも忘れて話に花が咲きました。

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(二川一男厚生労働省医政局長(局長室にて))

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(江畑賢治人事院公平局長 元県総務部長(局長室にて))



(2014/09/11)

関西滑川会、そして南紀の旅

7月12日(土)、関西滑川会(会長畑岸隆一氏 昭和40年度滑川高卒)の第47回総会と懇親会がホテル大阪ベイタワーで盛大に開催されました。東京滑川会と同様、滑川高校同窓会長として招待されました。

昨年滑川高校が創立100周年を迎え、その記念事業に際し畑岸会長を始め多くの会員の皆様から物心両面にわたるご支援に御礼を申し上げることが目的でした。
特に記念事業の中では6月の京都清水寺貫主 森清範氏、10月の女性宇宙飛行士 山崎直子さんのご講演は生徒諸君に大きな感動を与えました。
また、記念事業として建設された滑川高校歴史資料館は大正2年滑川町立実科高等女学校から始まる100年の歴史が一目瞭然として判る建物です。

総会では滑川市の歌に続き、滑川高校校歌を全員で斉唱するなど、畑岸会長の「関西滑川会と滑高同窓会は一体である」との言葉通りの雰囲気でした誰にも生まれ育った「ふるさと」があり、青春のひと時を過ごした「母校」があります。それは時として自らを鼓舞し、自らを励ましてくれる心の拠り所であろうと思います。

それにしてもいつも思うことがありますが、ふるさとを離れていても、ふるさとの発展を我々以上に願っておられる皆様方には頭が下がる思いでいっぱいです。

さて、総会・懇親会終了後、妻と天王寺で合流し、今話題のアベノハルカス300の展望台に行ってきました。エレベーターを一度乗り換えるのですが、16階から60階の展望台まで約60秒の速さで到着します。さすが300m日本一の高さから大阪平野をはじめとする広大な景色を一望し、疲れも一気に吹き飛びました。

翌13日(日)は車で奈良県十津川村にある吊橋塔では日本一長い谷瀬(たにぜ)の吊り橋を見学後、瀞峡(どろきょう)めぐりを楽しみました。これは熊野川の支流北山川の奥清流です。私が乗船したのは奈良県十津川村の団戸で対岸は三重県、右岸は和歌山県と、3県にまたがっていました。総延長31kmと言われていますが、私の乗船部分はその中心の下瀞と上瀞であり、まさに ~世界遺産熊野から秘境を巡る~ そんな感じでありました。その後、熊野本宮大社を参拝し、南紀勝浦に出て、紀の松島巡りに乗船し1泊しました。

翌14日(月)熊野速玉大社、那智大滝、熊野那智大社、那智山青岸渡寺(西国三十三所観音霊場の第一番札所)など、いわゆる熊野三山を巡り、串本の橋杭岩(はしくいいわ)に立ち寄りました。
ここは海の浸食により岩の固い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えることから、その名が付いたと言われる奇岩絶景の地でした。

以後、奈良駅まで車で移動し、JRに乗り換え京都経由で富山に着いたのは15日(火)午前0時12分でした。
慌ただしい旅でありましたが、車でないとなかなか行けないところばかりであり、内容の濃い、夫婦の休日でした。

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(2014/07/28)

2年ぶりに中国へ

2年ぶりに中国を訪れました。今回の最大の目的は桂林(けいりん)-陽朔(ようさく)間、約60kmの漓江下りです。富山空港より上海まで約2時間40分。国内線に乗り継いで上海から桂林まで空路約2時間20分。やはり中国は広いですね。

秋になると町中にキンモクセイ(中国名で桂花)が咲き乱れることからその名が付いた桂林は名勝・奇景が多い中国でも有数の景勝地として知られています。特に掛け軸などに描かれている山水画の世界が眼前に広がっています。しかし6月は雨の多い時期であり、川が増水すると遊覧船はよく運休するとのことです。当日は前夜から少雨模様であり心配したものの予定通り出航しました。定員100人程度の遊覧船が5隻いずれも満席での出航ということでした。

私の隣はスペイン人のグループであり、他にも様々な国からの観光客が乗船しており、実に国際色豊かな船内でした。しかし、中国人の観光客はあまり見られませんでした。
漓江は好天の場合は清流ですが、雨が降ると中国独特の茶褐色の濁流になります。私が訪れた当日は小雨でした。しかし、霧雨の中に浮かぶ奇岩・奇景はまるで山水画のようで素晴らしかったです。いずれにしても4時間余りの漓江下りを充分に堪能しました。

最終日は上海のナイトクルーズで100万ドルの夜景を楽しみました。4泊5日、つかの間の休日でした。

我 奇 濁 山
亦 岩 流 水 漓
友 奇 岸 景 江
連 峰 洗 勝 下
欲 天 水 下
再 下 墨 漓
訪 望 鮮 江

(中屋一博の詩)

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(2014/06/21)

京都清水寺貫主 森清範氏をお招きして

6月1日、西地区コミュニティセンターで「滑川音羽の会」主催による京都清水寺貫主(かんす)森清範氏をお迎えし『来縁をむすばん』を演題として、市民文化講演会が開催されました。

前講として、清水寺執事補大西英玄氏の講話が約20分。引き続き森清範氏が約1時間ご講演されました。大西英玄氏は元清水寺貫主で109歳の大往生された大西良慶和上のお孫さんであります。
講演会は回を重ね19回となりました。いつ聞いても感動する内容であり、会場を埋め尽くした市民の皆様も同様であったと思います。いずれにしても盛況裏に終えることができました。

実は清水寺と滑川市のご縁は故石倉宗一氏(浜四ツ屋元市議会議長)が森貫主に直接お会いになって滑川へ招へいしたのが最初であり、平成8年でありました。また、来滑される中、滑川の民話にある「孝徳泉」の話が元々滑川と音羽の滝、つまり清水寺とのご縁であることも話題になり、以後毎年お越しになって今年が19回目となった訳です。

その後、石倉さんがお亡くなりになり清水寺とご縁が切れるのではないかと心配し、私自身も森清範氏に直接お手紙を書き、引き続き滑川へお越しいただくことをお願いしました。その結果、ご本人より長文のお手紙を頂き、その要請を快諾されました。
その際、何か会を作ったらどうかとお話しされたのが、当時滑川信用金庫理事長であった桧谷陽也氏であり、会の名称を「滑川音羽の会」に決定しました。そして会長には桧谷氏に就任していただきました。
「音羽」とは清水寺が建立されている地域が音羽山であり、その清水(しょうず)が音羽の滝であるところから名称もそこに由来しています。桧谷氏がお亡くなりになったあとは私が引き継いで会長を務めさせていただいております。

市民文化講演終了後、民話にもでてくる了安(りょうあん)のお墓がある厚生連滑川病院中庭に赴き、森貫主自ら読経をささげられました。このお墓のそばから湧き出ているのが「孝徳泉」と呼ばれる泉であります。いつかの機会にこの民話のお話も紹介したいと思います。

翌日は市内高塚公民館に大西良慶和上の扁額があり、町内の方のお許しを得て拝見しました。扁額には『公向私背』と揮毫されてあります。森貫主も感慨深く眺めておられました。なぜ高塚公民館にあるのかは不明とのことです。
その後、滑川高校へ立ち寄り、昨年創立100周年記念として講演と併せ一文字「輝」を揮毫していただいた横120cm、縦130cmの大きな表装された額を眺め、しばし校長室で談笑したのち、我が家においでになりました。
森貫主は97歳となる私の母との対面をいつも楽しみにしているとのことであり、和気あいあいの昼食会となりました。それにしてもいつも教えられることばかりであり、あっという間の2時間半の我が家の滞在でした。

<写真解説>
 森清範氏を囲んで母ユキ共々

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(2014/06/10)

東京滑川会総会・懇親会に出席しました。

5月17日(土)東京京王プラザホテルで開催された「東京滑川会総会・懇親会」に出席しました。
どの市町村でも関東や関西にふるさと会があります。滑川出身者の方々にも東京滑川会と関西滑川会があります。加えて関東滑川高校同窓会もあります。
いずれも故郷や母校の発展を願いつつ親睦を兼ねて結成されたものです。

今回は滑川高校同窓会長としてお招きをいただき出席しました。
昨年、滑川高校が創立100周年を迎え東京滑川会の方々から記念事業に対し、物心両面にわたるご支援に御礼を申し上げることもあったからです。

それにしても皆さんの故郷や母校に寄せる情熱には頭が下がる思いです。
来春には北陸新幹線(東京-金沢間)が開通し、富山と東京は約2時間で結ばれます。誰にとっても「故郷」や「母校」は心の拠り所であり、時として自らを鼓舞してくれる存在です。
それゆえ、それぞれの人の心に生き続けているのだと思います。

ちなみに東京滑川会の初代会長は官選最後の富山市長や参議院議員等を務め、滑川市の名誉市民第1号の石坂豊一氏であります。懇親を深め、滑川会の更なる発展を願いを会場を後にしました。

写真は滑川市の名誉市民第2号であり、東京都の名誉都民の山田禎一先生と滑川名誉市民第3号であり、日本レスリング協会長福田富昭氏(滑川高校卒)を囲んで。。

IMG_7108 - ピー



(2014/05/23)

石原良純さんとの絆

戦いが済んで、日が暮れて、あれからもう1か月近くが経過しました。 後始末にも多少の目途がついてきました。
それにしても多くの方々のご支援のお蔭があったことに改めて感謝と御礼を申し上げます。
そんな折、3月2日、石原良純さんが黒部市で開催されたイベントの帰りに小生宅に立ち寄ってくれました。私にも、また97歳の母を含めた家族に対して労いの言葉をかけてくれたことにはとても感激しました。
幕末の志士 高杉晋作は「真の友人か、否かは、本当に困っている時と亡くなった時にわかる」という言葉があります。 現在の状況の中でわざわざ自宅まで立ち寄ってくれたことに友情と絆の固さを感ぜずにはいられなかったです。上京の折にはぜひ事務所へおいでください。という言葉にも正直嬉しかったです。
3月3日は桃の節句でした。孫の活発な姿と笑顔を見ながら、私も元気をもらっています。
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(2014/03/04)

建国記念の日

今日は「建国記念の日」。国民の祝日に関する法律において、建国記念の日の趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定しています。穏やかな1日でありましたが、今日も引き続き、挨拶回りをさせていただきました。

挨拶回りをしていると、力になれず申し訳なかったと頭を下げられる方もいらっしゃり、大変恐縮いたしました。しばらくはご支援いただいた方へのご挨拶と身辺整理の日々が続きそうです。

今は選挙結果を真摯に受け止めて、一市民として今後の市政の発展を見守っていきたいと思います。



(2014/02/11)

挨拶回り、そして事務所の後片づけ

今日は好天に恵まれました。敗戦のショックは癒えませんが、現実をしっかりと受け止めなければなりません。

そんな中、朝から私の自宅へ、そして電話で、多くの支持者の方から労いや励ましの言葉をかけていただきました。事務所では連日連夜の選挙活動で疲れているはずの後援会や町内の方々が駆けつけてくださり、片づけ作業のお手伝いをしていただきました。

私はこのような素晴らしい支持者の方に支えられていたことを改めて目の当たりにして、ただただ頭が下がる思いでした。

私と家内はご町内を中心にお礼とお詫びのご挨拶に回りました。ここでも温かいお言葉をかけていただきました。体を心配してくださる方もおられました。一緒に泣いてくださる方もおられました。
皆様のご期待に応えることができなかったのは痛恨の極みであり、私の不徳の致すところであります。

改めてご支援・ご協力いただいた多くの皆様に感謝と御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。



(2014/02/10)

申し訳ございませんでした

選挙結果がでました。たくさんの皆様にご支援いただいたにもかかわらず、このような結果になったことはすべて私の不徳の致すところであります。申し訳ございませんでした。

この3ヶ月間、共に戦ってきたスタッフの皆様、本当にありがとうございました。皆様には感謝の言葉しかありません。
そして「なかや一博」に票を投じていただいた皆様、本当にありがとうございました。



(2014/02/09)

街宣活動最終日

積雪20cm前後。今朝は一面白銀の世界となりました。しかも小雪が散らつくお天気でした。しかし、選挙戦も最終日。朝の挨拶活動は厳しい寒さの中であったが、スタッフ一同精一杯やらせていただきました。

その後、事務所前で8時の第一声。後援会事務所の引き続いての選挙事務所としてご迷惑をおかけした町内の皆様に対し、御礼とお願いのご挨拶をして、午前中は町部を中心に街頭から最後のお願いをしました。

夕方からは5会場で個人演説会を開催しました。この悪天候にもかかわらず、各会場とも多数の皆様にご来場いただきました。本当にありがとうございました。

事務所に戻ってから関係者全員で総括を行い、最後のガンバローを三唱し、散会となりました。
この3カ月、多くの方々に支えらたおかげで戦うことができたことに感謝いたします。

滑川を正常な方向へ。34000市民全員の幸せのために。

人事は尽くしました。あとは天命を待つのみ。投票箱の蓋が締まる最後の最後までなかや一博にご支援をいただきますようよろしくお願いします。



(2014/02/08)

総決起大会は大盛況のうちに終了しました

今朝も厳しい寒さの中、パスタ交差点で早朝の挨拶活動をしました。わざわざ車の窓を開けて激励してくださる方や手を振って応えてくださる方がたくさんいらっしゃいました。

午後からは高塚公民館曲渕公民館で個人演説会を開催しました。急な決定と昼食後のお休みの時間にもかかわらず、両会場ともに多数のお集まりいただきました。

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そして、夜は総決起大会でした。昼間は晴天でしたが、夜になるとさすがに寒さが一段と厳しくなりましたが、出にくい時間にもかかわらず、たくさんの方にご来場いただきました。

また、弁士の方々から力強い激励をいただきました。会場は熱気に包まれ、最高潮に達しました。
私が経験した中で一番の総決起大会だったと思います。

この勢いをそのままに投票箱が締まるその瞬間まで戦い抜きたいと思います。
最後まで力強いご支援をよろしくお願いします。

個人演説会の御案内

◆ 2月8日(土) ①19時 JAアルプス山加積ふれあいセンター ②19時20分 柴公民館 ③19時40分 堀江公民館 ④20時 下梅沢公民館 ⑤20時20分 教信寺

いよいよ明日は最終日です。なかや一博の決意を直接お聞きいただきたいと思います。お誘い合わせの上、多数のご来場をお待ちしております。

中屋氏 総決起大会=260207 037 (2)中屋氏 総決起大会=260207 047 (2)

 



(2014/02/07)

盛り上がってきました

今日は町部を中心に街宣活動を行いました。町部の空洞化は深刻です。滑川の高齢化率は26.3%。しかし、町部(西地区と東地区)は33%、もはや3人に1人が65歳以上であります。
高齢化が進み、一人暮らしの家も増えました。空き地、空き家、空き店舗も増えました。この4年間で町部の活性化対策は皆無でありました。この現状に歯止めをかけなくてはいけません。町部で生まれ、町部で育った私が責任を持ってやります!!

今夜は4会場で個人演説会を開催しました。寒い中、またお忙しい時間にも関わらずたくさんの方々のお集まりいただきました。本当にありがとうございました。

個人演説会終了後、事務所に戻り明日の総決起大会に関する最終打ち合わせを行いました。深夜にも関わらず役員の皆さんが一生懸命知恵を絞り、意見交換をしました。
いよいよ終盤です。事務所内は盛り上がってきました。このムードを明日の総決起大会につなげていきたいと思います。

『なかや一博 総決起大会』のご案内
【時 間】 19時より
【場 所】 市民大ホール

お忙しいとは存じますが、たくさんのご来場をお待ちしております!

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(2014/02/06)

ここからが本当の勝負です

今夜は早月加積地区5会場で個人演説会を開催しました!その中のひとつ四ツ屋は私の実父が生まれ育った町であります。いわば第2のふるさとであります。大雪にもかかわらず、たくさんの方にご来場いただきました。本当にありがとうございます。

<なかや一博の決意>
「福祉日本一の街づくり」
地域の連帯感を強める組織作りに私が率先して市民の中に飛び込み説明します。

「財は有限、欲は無限」
緊急度と重要度を考慮して計画的に事業を遂行することが大切です。

「土曜教育活動の充実と英会話教室の推進」
文科省が土曜教育推進費20億円を計上しています。これを活用して、義務教育9年間を終えた生徒が自由に英会話を話すことができる街づくりを目指します。

選挙戦も明日から後半戦。最後まで精一杯頑張りたいと思います。皆様からのご支援を何卒よろしくお願いします。

個人演説会の御案内
◆ 2月6日(木)
①19時 下大浦公民館 ②19時20分 大崎野公民館 ③19時40分 横道公民館 ④20時 上島公民館

◆2月7日(金)
①19時 市民大ホール「総決起大会」

◆ 2月8日(土)
①19時 JAアルプス山加積ふれあいセンター ②19時20分 柴公民館 ③19時40分 堀江公民館 ④20時 下梅沢公民館 ⑤20時 教信寺

なかや一博の決意を直接お聞きいただきたいと思います。お誘い合わせの上、多数のご来場をお待ちしております。

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(2014/02/05)

荒天の3日目

暦の上では今日が「立春」。しかし、~春は名のみの風の寒さや~という早春賦の歌詞の通りの天候でした。
それにしても今朝、冷え込みが厳しい中での街頭挨拶。スタッフは寒さの中、雪が舞う中、一生懸命手を振ってくれました。早朝から深夜まで協力してくれるスタッフにはただただ感謝です。
時折、クラクションを鳴らし、車の中から手をあげてくれる市民の方もいらっしゃいました。

その後、企業訪問や街宣活動を行い精力的に市内を回りました。今夜も5会場で個人演説会を開催しました。
荒天の中、さらには出にくい時間にもかかわらず、各会場とも多数の方にご来場いただきました。本当にありがとうございました。

<なかや一博の決意>
農業・商業・工業の分野にエキスパートの職員を配置し、各部門の生産額・消費額・出荷額をそれぞれ5%増加させます。

①農業のエキスパートは生産者です。滑川産の美味しい農作物をいかに「ブランド化」するかが課題であります。しからば、ブランド化すためのノウハウを持った職員を招へいし、流通に乗せるまでの戦略を強化します。

②商業や観光のエキスパートは商業経営者です。もう一度滑川へ行ってみたい。またあのお店のほたるいか料理が食べたい。と思われる仕掛けづくりが課題です。「おもてなし」を含めた商業・観光戦略に長けた職員を招へいし、滑川産農作物の付加価値を高めます。

③最後に工業です。東大阪にある小さい町工場から国際宇宙ステーションの部品が作られています。ジャンボジェット機の部品の3割を製造しています。ナンバーワンではないけど、オンリーワンの企業が必要です。「ものづくりのまち滑川」を目指すのであれば、融資制度や起業家支援制度などを熟知した職員を招へいし、下請け企業からの脱却を図るための対策を考える必要があります。

そしてこれらのエキスパート職員から滑川市の職員へノウハウが引き継がれ、これが職員の能力向上、そして滑川市の発展につながるように循環していきたいと考えています

個人演説会では時間が限られており、ゆっくりお伝えすることができなかったので、改めて記載しました。

あと4日悔いのないよう頑張るだけです。

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(2014/02/04)

選挙戦2日目が終了しました

2日目が終了しました。早朝から企業訪問、街頭立ち、街宣活動、昼食時の企業訪問、そして夜は5会場で個人演説会を開催し、精力的な一日でした。

<なかや一博の決意>

①高齢者・障害者福祉の日本一を目指します。
5年前、滑川市は子育て環境が全国1位に輝きました。福祉見回り隊を設立し福祉と防災を兼ねた組織を確立します。ハードはお金があれば作れます。福祉はお金では解決できない問題です。私が市民の中に飛び込んで福祉の充実を図ります。

②新規企業の誘致、既存企業の拡張を図り、雇用の創出と税収を確保をします。
新幹線の開業に合わせ、滑川の好立地や住みやすさをアピールし、これまでの人脈をフル活用して企業の誘致と拡張をトップセールスで行います。これにより雇用が創出され、税収も増加し、元気な滑川が生まれます。

③土曜日教育を推進し、英会話教育を充実させます。
私の夢。土曜日教育活動の中に英会話を組み込み、義務教育(9年間)を終えた生徒が英会話を自由に使いこなせる街を作りたいです。滑川を訪問した外国人の通訳を中学生が担当している街なんて素敵ですよね。

いずれにしても「財は有限!欲は無限」であります。市の財源も各家庭の財布と同じです。限られた財源をいかに優先順位をつけて、計画的に事業を推進するかが大事です。
すぐにできます!無料にします!という無責任な発言はしません!

あと5日間全力投球しかありません!皆様になかや一博の熱い思いが伝わるように頑張ります。

個人演説会の御案内
◆ 2月4日(火)
①19時 荒俣公民館 ②19時20分 北野公民館 ③19時40分 中野島公民館 ④20時 野町公民館 ⑤20時 七口公民館

◆2月5日(水)
①19時 栗山公民館 ②19時20分 中村アメニティセンター ③19時40分 追分会館 ④20時 四ツ屋公民館

◆ 2月6日(木)
①19時 下大浦公民館 ②19時20分 大崎野公民館 ③19時40分 横道公民館 ④20時 上島公民館

◆2月7日(金)
①19時 市民大ホール「総決起大会」

◆ 2月8日(土)
①19時 JAアルプス山加積ふれあいセンター ②19時20分 柴公民館 ③19時40分 堀江公民館 ④20時 下梅沢公民館 ⑤20時 教信寺

なかや一博の決意を直接お聞きいただきたいと思います。お誘い合わせの上、多数のご来場をお待ちしております。

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(2014/02/03)

選挙戦がスタートしました

いよいよ今日は告示でした。8時から地元加積雪嶋神社で必勝祈願が行われました。厳粛な中にも滞りなく終了しました。隣接の薬神々社も参拝しました。

引き続き9時30分から出陣式となりました。市議会議員選挙に5回、市長選4回、計9回目の出陣式でありますが、やはり身の引き締まる思いでありました。それにしても早朝からあれほどたくさんの方々にご来場いただき、期待を背負っていると思うと「勝たねばならない」と改めて思いました。

その後、街宣車に同乗し、市内を一巡しましたが、このようなことがあるから住宅や道路事情も理解・把握できる良い機会でありました。

明日も頑張ります!!

個人演説会の御案内

◆2月3日(月)
①19時 中川原公民館 ②19時20分 吾妻町会館 ③19時40分 神明町会館 ④20時 晒屋公民館 ⑤20時 下島公民館

◆ 2月4日(火)
①19時 荒俣公民館 ②19時20分 北野公民館 ③19時40分 中野島公民館 ④20時 野町公民館 ⑤20時 七口公民館

◆2月5日(水)
①19時 栗山公民館 ②19時20分 中村アメニティセンター ③19時40分 追分会館 ④20時 四ツ屋公民館

◆ 2月6日(木)
①19時 下大浦公民館 ②19時20分 大崎野公民館 ③19時40分 横道公民館 ④20時 上島公民館

◆2月7日(金)
①19時 市民大ホール「総決起大会」

◆ 2月8日(土)
①19時 JAアルプス山加積ふれあいセンター ②19時20分 柴公民館 ③19時40分 堀江公民館 ④20時 下梅沢公民館 ⑤20時 教信寺

なかや一博の決意を直接お聞きいただきたいと思います。お誘い合わせの上、多数のご来場をお待ちしております。

中屋氏 出陣式=2600202 021中屋氏 街宣活動=2600202 002

 



(2014/02/02)

いよいよです

後援会活動も今日が最後の1日でした。11月4日の立候補声明以来、約3カ月。後援会や役員会の開催、事務所開き、励ます会や語る会の開催など、回を重ねる度に支援の輪が広がっていきました。
実際、この3ヶ月間市内を回り、市民の皆様ひとりひとりと直接会話を交わすごとに期待の大きさを実感として感じるようになりました。
3ヶ月間は短いようで長かったし、またその逆でもあったような気がします。そして、いよいよ明日は告示です。2日前から薬業関係者も続々と帰省し、事務所も活気に満ちてきました。

今夜は最後の全体役員会が開かれ、出陣式の入念な打ち合わせや1週間のスケジュール等が確認されました。私も一言あいさつさせていただきました。
そして最後は婦人部長の斎藤淳子さんが「頑張ろう!」を三唱し、心をひとつにして役員会は閉会となりました。
朝早くから夜遅くまでお手伝いいただいているスタッフの皆様!本当にありがとうございます。あと1週間です。精一杯頑張りますので、最後までご支援をお願いします。

4年前に挫折した反省と教訓から得た経験をエネルギーに代えて、滑川発展のために燃焼いたします。そして、高齢者・障害者福祉の日本一を目指します!

さぁ、あと7日!!ふるさと滑川のためになかや一博は誠実で嘘のない政治を市民の皆様と協働で作り上げたいと思います!更なるご支援を賜りますようお願い申し上げます。

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(2014/02/01)

語る会最終日

今夜の語る会は魚躬公民館菰原公民館で開催しました。今夜をもって語る会は終了です。1月に入ってからの語る会でありましたが、多数の方にご参加いただきました。本当にありがとうございました。

直接お話をさせていただくことで、私の市政に対する考えが多少なりとも伝えることができたのではないかと思います。また、各会場で熱心に質疑をいただきました。皆様からの貴重なご意見を市政に反映できるように、しっかりと自分の訴えを伝えたいと思います。

4年前、一度は挫折したその反省、教訓から得た貴重な経験を滑川市の更なる発展へのエネルギーとして燃焼する決意を新たにしました。

いずれにしても告示まであと1日!悔いのない日々を過ごしたいと思います。

滑川市のために身を粉にして頑張りますので、一層のご支援をよろしくお願いします。

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(2014/01/31)

語る会を追加開催いたします

今日も朝から市内を回らせていただきました。市民の皆様の関心も高まってきたような気がします。告示が迫ってきていることや各メディアでも取り上げられていることも要因でしょう。
頑張られ!」、「応援しとるよ!」と激励の言葉や握り返す手から力強い反応がヒシヒシと伝えわってきます。

5年前に「子育て環境」が全国1位に輝きました。今度は「福祉の充実した町」として全国1位を目指します。
市民の皆様と一人でも多くお話させていただくためなら私はどこへでも駆けつけます。

残された時間は3人とも同じです。悔いのないように精一杯頑張ります。

<お知らせ>
なかや一博と語る会」の追加開催が決定しました。
 1月31日(金) ①19時~ 魚躬公民館  ②19時40分~ 菰原公民館

菰原公民館での語る会が追加になりました。
お忙しい時間帯とは存じますが、ぜひご参加くださいますようお願いいたします。



(2014/01/30)

残り10日余り。やるしかない!

今夜は安田公民館で語る会を開催しました。毎回のことですが寒い中、そしてお忙しい時間帯にも関わらず多数のご参加をいただき、本当にありがとうございました。

公開討論会以降、私に政策に対して共感していただける方が増えたと実感しています。
財は有限、欲は無限」であります。市民の皆様のご要望を幅広くくみ取ることは当然でありますが、そこに優先順位をつけて、計画的に、そして出来る限り平等に執行するのが「組織としての機能」であり、「行政の責任」であると思います。

この4年間、いち市民として市政を見つめ直した結果、「福祉」と「教育」の充実を図ることが優先課題であると感じましたし、市民の皆様からも多くの声をいただきました。

残り10日余り。気合が入ります。どれだけ頑張っても10日余りです。朝早くから夜遅くまでお手伝いをしてくださるスタッフの方々には頭が下がります。沿道で、語る会で、激励してくださる市民の皆様のご期待に応えられるように最後の最後まで頑張ります。

とにかくやるしかない!!

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<お知らせ>
なかや一博と語る会」の追加開催が決定しました。
 1月31日(金) 19時~ 魚躬公民館

お忙しい時間帯とは存じますが、ぜひご参加くださいますようお願いいたします。



(2014/01/29)

公開討論会の余韻

一昨日の公開討論会の余韻がまだ続いている感じの1日でした。行く先々でこの話題で持ち切りでありました。
寒い中、会場に足を運んでいただいた方やケーブルテレビでの中継、そして再放送をご覧になっていた方がたくさんいらっしゃったことを改めて実感しました。

今日も市内を回っていて嬉しかったのは「日本一の福祉の町を目指して頑張って!」、「土曜教育の推進賛成!英会話教育もいいね!」と具体的な政策をおっしゃっていただいたことです。
他の候補者との政策の違いに気づいていただけた証拠でありますし、討論会が市民の皆様にとっても政治に関心を持っていただくよい機会であったということです。

しかしながら、昨日も申し上げましたが、それぞれの陣営が自画自賛していることでしょう。3候補者が精一杯の討論会でした。結果は有権者に判断を委ねざるを得ません。

「人事を尽くして天命を待つ!」

そんな思いで明日からまた頑張りたいと思います。

<お知らせ>
なかや一博と語る会」の追加開催が決定しました。
1月29日(水) 19時~ 安田公民館
1月31日(金) 19時~ 魚躬公民館

お忙しい時間帯とは存じますが、ぜひご参加くださいますようお願いいたします。



(2014/01/28)

企業訪問にて

快晴。その分冷え込みが厳しいです。それにしても今日の立山連峰は美しかったです。あの絶景はふるさと滑川の誇りであります。

さて、久しぶりに企業訪問をさせていただきました。早朝のラジオ体操が終わった直後であります。社員の方々の顔がいきいきとしていました。元気のある企業はやはりこんな感じなのかと思いました。

私の政策のひとつに新規企業の誘致既存企業の拡張があります。滑川に元気な企業が増えることは雇用の拡大税収の増加につながります。これがまた元気な滑川を作るのであります。
企業誘致にはいろいろな要素がありますが、やはり「人脈」が大事です。トップセールスとこれまでの人脈をフル活用し、元気な滑川を築きたいと思います。

短い時間ですが、社員の皆さんの前でごあいさつをさせていただいた後、役員室で小休息していたら、昨日の討論会の話題となりました。社長からは私に対して好意的な感想を述べておられました。ありがたいことです。

たぶん、3陣営それぞれが自陣を自画自賛していることと思います。

討論会を通して、市民の冷静な判断が求められると思います。また、賢明なる市民の皆様が多いことを信じたいと思います。

さぁ、明日からまた気合いを入れて頑張ります!!

<お知らせ>
なかや一博と語る会」の追加開催が決定しました。
1月29日(水) 19時~ 安田公民館

お忙しい時間帯とは存じますが、ぜひご参加くださいますようお願いいたします。



(2014/01/27)
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