なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2022年

山中温泉

ハァー 忘れしゃんすな 山中道を 東ゃ松山 西ゃ薬師
ハァー 送りましょうか 送られましょうか せめて二夫の橋までも

ご存知、民謡の名曲「山中節」の一節である。この哀調を帯びた名曲のふるさと「山中温泉」に一晩久しぶりに宿泊した。従来は、北陸自動車のICに近い、片山津、粟津,山代等の温泉に宿泊し、山中温泉は地理的にどうしても遠方との思いがあった。
その中で今回「山中」を選んだのは、鶴仙{かくせん}渓谷の紅葉がまだ見頃との情報が入ったからである。

それにしても、「山中」は以外に近かった。従来の「加賀」ICが「加賀・山中」と標識が変更になっていた。不思議に思いながら下車するとそこからは立派なバイパス道路が「山中」へ向かって開通していた。なるほど、これならIC名を変更したのも理解できる。時雨模様の天候であったが順調にホテルに到着した。

翌日は幸いにも雨は上がっていた。山中温泉周辺には、見所が沢山ある。俳聖松尾芭蕉が奥の細道紀行の折、この地に1週間余り滞在したことによる「芭蕉の館」、女優・森光子に関する記念館,総湯などがあるが、時間の関係上今回は「鶴仙渓」遊歩道を「こおろぎ橋」から「黒岩橋」まで約1㎞を散策した。

雨上がりのため、落ち葉に足を掬われないよう、かつ、アップ・ダウンの激しい狭い遊歩道を、手すりにつかまり乍ら1時間余りをかけ散策した。渓谷というだけあって、私達が想像する渓谷よりも小さいし川幅も狭い。でも立派な渓谷でありV字峡である。そのV字の底を歩いている訳で、足元の落ち葉を踏みしめながら、対岸の景色が目に入る。

又、頭上を仰いでも、黄色、赤、緑、情報通りまだ紅葉は胸を張って、私の足を度々止めた。途中京都鴨川を連想させる「川床」の風情も一幅の趣を持って楽しんだ。限られた時間であったが晩秋のひと時を過ごした。
山中温泉――歴史は古く、今から約1300年前奈良時代の高僧行基が発見したと伝えられる。行基は丸太に薬師仏を刻んだ祠を造り、温泉のお守りとした。多くの人が「山中」を訪ね、その湯で病を癒したとされる。

鶴仙渓―――山中温泉にある渓谷。大聖寺川の中流にあり「こおろぎ橋」から「黒岩橋」に至るまでの約1㎞の区間を指す。
砂岩の浸食によって数多くの奇岩が見られる景勝地であり、南北に長い山中温泉の東側を並行し、温泉客の散策地として人気が高い。
鶴仙渓は明治時代の書家・日下部鳴鶴 が好んだ渓谷に由来していると言う。奇岩としては、烏帽子岩、蛙岩、弁慶岩等ある。
写真は、鶴仙渓、こおろぎ橋、川床。

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晩秋の称名滝

初雪の 高嶺を裂きてみ空より 紅葉の中に落つる 大滝 
昭和11年秋 川合玉堂

全国的に人気スポットの一つである、称名滝を11月7日{月}久しぶりに知人と訪ねた。当日は暦の上では立冬であったが、冬は名のみので、抜けるような青空に、雲一つない快晴であった。
標記の一首は、明治、大正、昭和の文人墨客の一人であり文化勲章受賞者の川合玉堂の歌である。

彼は、昭和11年11月4日当時の中新川郡滑川町曲渕の赤間徳寿氏{元・衆議院議員、初代滑川市長}宅に投宿、翌朝「時雨さす、加積の里に一夜寝て、今朝立山に仰ぐ初雪」と詠み、称名滝へ向かった。{歌碑は現在赤間邸中庭にある}、標記の歌碑は八郎坂へ向かう「ひりゅう橋」の袂にある。

それにしても、日本語は美しい。文部省唱歌に紅葉{もみじ}明治44年がある。
「秋の夕日に照る山もみじ、濃いも薄いも数ある中で、松を彩る楓や蔦は、山のふもとの裾模様」
正に一幅の風景を思い浮かべる。こんな美しい言葉を多国語ではどう表現するするのだろうか。やはり日本語に勝る繊細な美意識を表わす言語はないと思う。

さて、最初に現れたのは称名川左岸の「悪城{あくしろ}の壁」は見ごたえがあった。次いで、川合玉堂の歌碑を見て、滝壷に向い、橋から眺める男性的で雄大な瀑布には毎度のことながら圧倒される。滝しぶきを浴びながら暫し見とれていた。
残念ながら落差500mのハンノキ滝は水枯れで落下していなかった。日光華厳の滝、那智の大滝など多くの滝を見てきているが、滝壷近くで眺める称名滝は圧巻である。紅葉は盛りを多少過ぎたとは言え、まだ見どころはあり、しかも青空にV字の渓谷に落下する大瀑布、緑の木々の中にまだまだ残る落葉樹の鮮やかな彩り。
当日は平日だったこともあり県外ナンバーの車も、観光客も以外に少なかった。以前、NHKの番組で冬の凍結したハンノキ滝を登攀した番組や、称名滝を登り称名峡谷を探検した番組が報道されたことがあったが、いろんな冒険家がいることに驚いたことがあった。昼食は近くの山菜専門店で舌鼓を打ち大満足の晩秋のひと時であった。

ここで称名滝とハンノキ滝について記す。
称名滝
立山にその源を発する称名川の流れが立山の大噴火による溶結凝灰岩をV字型に150mも深く侵蝕した称名廊下の末端から落下する大瀑布である。この滝は4段に分かれ、第一段は40m、第二段は58m、第三段は96m、第四段は126m、これが連続して一条の滝となり、最上部の爆流落差30mを含め、その全落差は350mを有している。
又、直径約60m、水深6mの滝壷に落下する水は凄まじい自然の力を誇示している。称名滝を含む称名峡谷は、自然景観に優れ、学術的価値も高く、又保護すべきものとして、国の名勝及び天然記念物に指定されている。

ハンノキ滝
雪解け水や雨の多い時だけ称名滝の右側に現れる滝。見られる時期が限られているため、幻の滝とも言われその為、正式に滝には認定されていない。落ち口は称名滝より高く、落差500mは季節によっては日本一と呼ばれる。

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「長岡すみ子の会」45周年

民謡歌手長岡すみ子さん主宰の「長岡すみ子の会」創立45周年記念公演会・民謡唄と踊りの祭典「和のこころ,唄いつがれて」が10月30日{日}午後1時より、黒部市国際センターコラーレで約600名の観衆のもと盛大に開催された。

実は、私の妻と長岡さんが滑川高校時代の同級生であることから、以前より親しくお付き合いをさせて頂いだき、今回も二人揃って招待を受け鑑賞して来ました。黒部市は長岡さんの出身地で、冒頭の挨拶で「いろいろな困難を全員が一丸となって乗り越えてきた。生まれ故郷での節目のステージであり感動しています。
又、民謡を先輩から私が、そして後輩へ引き継いでゆくのが使命」と話されました。多分、タイトルの「和のこころ,唄いつがれて」にはそんな思いが込められていたのだろうと思います。

出演者は約80人の大勢で、唄や演奏、華やかな踊りなど、舞台狭しと繰り広げられました。ゲストとして、長岡さんの師である民謡加賀山流家元・加賀山昭さん、娘の紋さん、また、「はぐれコキリコ」がヒットした歌手成世昌平さんが出演。さすがプロの歌声に感嘆。
全部で5部構成、小学生らのステージを皮切りに「民謡おはこ集」では2019年度、民謡民舞全国大会で優勝し内閣総理大臣賞を受賞した中村優さんが受賞曲「布施谷節」を歌い、会場内に美声が響き渡りその歌声に暫しウットリしました。まさに長岡さんが育てた立派な後継者だと思います。

又、長岡さんは、本年7月9日北海道釧路市生涯学習センターで、主催・富山釧根文化交流民謡まつり実行委員会。釧路市、同教育委員会、釧路富山県人会、根室富山県人会、長岡すみ子の会などが共催し「富山・釧根文化交流民謡まつり」を開催し大好評を博しました。
このまつりの世話人の一人である釧路市の歯科医の方が「越中おはら節」に心を打たれ、数年前わざわざ釧路から長岡さんに習いに来られたのが、今回のまつりに繋がったエピソードも披露されました。今回は、釧路から多数来場され「釧路川筏井流し」が歌われました。又、幕あいに、黒部市「沓掛獅子舞い」が舞われました。滑川では見れない迫力のある獅子舞いでした。最後のコーナーは長岡すみ子の世界として、地元生地地区の「じばんば」を皮切りに朝日町の「大家庄田植え祝い唄」また長岡さんの父が好きだった「秋田おわら節」オリジナル曲「人生だからおもしろい」など「すみこ節」で7曲を謳いあげ、フィナーレは出演者全員で「とやまいきいき音頭」で締めくくった。

まさに、「民謡は心のふるさと」の言葉通り、民謡にたっぷり浸り、十二分に酔いしれた3時間40分であった。それにしても45年よく頑張って来られたと敬意を表したいと思います。富山県と縁の深い北海道との文化交流、県内では毎年チャリティーショーを開催し福祉の分野に寄付をし社会貢献活動を続けておられる「長岡すみ子の会」の45年、それは50年に向けての一通過点であり、更なる活躍を期待し長岡さんと別れを惜しみ会場をあとにした。

写真は、熱唱する長岡さん。ゲストの成世昌平さんと。民謡日本一の中村優さん。

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令和4年度 滑高文化部発表会・芸術鑑賞会 ―最高の笑顔をもう一度ー

10月27日{木}~28日{金}の2日間に亘り恒例の滑川高校生徒会主催による標記の催しが開催された。
これは生徒たちの一年間の課外授業の集大成としての発表会と年に一度、本物の芸術に触れる機会としての芸術鑑賞会である。芸術鑑賞会は音楽・演劇・日本伝統芸能を3年に一度の順で、一昨年は音楽、昨年は演劇、今年は日本伝統芸能で生徒諸君には3年間で一通りの鑑賞が出来るようになっている。

10月27日は芸術鑑賞会で、今年は「狂言」である。
三宅狂言会―和泉流の名家・三宅家.主宰である三宅右近を中心に、その子息である狂言会のプリンス右矩、近成、そして実力派として注目の高沢祐介と三宅家のお弟子達で構成された狂言会。
学校公演は影向舎と共に1985年から展開、現在では年間80ー100ステージを誇り実績、評判ともに業界随一。国内での活動はもとより海外実績も多く、その活動は多岐にわたっている。{パンフレットより}
        
私は都合で鑑賞出来なかったが、本場の芸能を生で鑑賞出来た生徒諸君には好評であったと言う。会場は黒部市国際文化センター「コラーレ」で、全生徒600名は15台のバスを連ねての移動である。本来なら、市内であるべきだが残念ながら本市にはその様な施設が無いから止むを得ないのであろう。

10月28日 文化部発表会
ステージ発表{全体鑑賞}と生徒諸君の企画展示とステージ発表{いづれも自由鑑賞}など多彩な内容である。全体鑑賞は体育館で音楽部・吹奏楽部・薬業科・海洋科の課外活動の成果発表である。音楽部は澄みきった歌声での合唱で、アンコールでは3年生2名も加わり、心を一つにした歌声だった。

吹奏楽部ーー迫力ある演奏でした。コロナ禍で練習も思う様に出来なかった、昨年、一昨年などと違い、日ごろの練習の成果を発表する機会があることはそれなりの目標を持つことが出来るし、練習にも力が入った事と思う。いづれにしても生徒諸君の真剣な眼差しが印象的だった。

薬業科の発表は、「お米の力を借りてみん米け」をテーマにして薬業科の生徒が研究・開発した、米ぬかから「ガンマ―・オリザノール」を抽出して「ヘアーオイル」を作るのである。今年は一昨年作った「日焼け止めクリーム」」を改良した新商品として作られた。この製造過程をスライドを使って紹介された。
尚、県の高校工業技術コンテストに昨年は「水に流さなくてもよい手洗い石鹸」で優秀賞、一昨年は「日焼け止めクリーム」で最優秀賞を受章している。来年1月のコンテストに向けて、現在準備中とのことです。来年のコンテストが楽しみです。

海洋科の発表は、「おいしーら富山おでん」ーサンぺイ活性化プロジェクトーと題し富山の低利用魚であるサンぺイ{1㎏未満のシイラ}を使った缶詰製作プロジェクトとして発表された。これは富山県民は余り口にしないシイラを活用して、シイラをすり身にしておでんの具材の一つとして缶詰を作ったのである。その製造過程をスライドを使って紹介された。その発想力の豊かさに感心する。
以前、サバ缶やカニ缶も製造したが全て売り切れで在庫はないと言う。私も是非一度食べてみたいと思う。

会場の体育館には保護者の出席や9月の体育大会で生徒が作った各団の名称である縦・横約5m位の「白虎」「青龍」「朱雀」が掲げられ会場の雰囲気を盛り上げていた。
又、商業科は10月29日付け北日本新聞22面でも大きく報道された通り、商業科の模擬株式会社「滑商」が、黒部市の小桜精肉店の協力を得て、黒部名水ポークを使った肉まんを考案した。28日校内で150個限定で販売したところ生徒らが列をつくってあっという間に完売したという。残念ながら私の口には入らなかった。肉まんは直経約10㎝と大きめ、通常の肉まんと差別化を図るため皮をピンク色にし具材を多めにしてボリューム感を出したという。
29日から北陸自動車道有磯海サービスエリア上り線{滑川市栗山}のフードコートで販売開始され、黒部市内の道の駅などでも順次販売する予定という。社長の野口彩花さん{3年}は北日本新聞のインタビューに「県外の人にも旅のお供として味わってほしい」と話している。

それにしても、普通科には発表の機会はないが、生徒は音楽部や吹奏楽部の部員で活躍し、職業科の生徒は職業科でなければ出来ない課外活動を発表し、しかも生徒諸君の生き生きとした姿に、高校時代の青春を謳歌していることを実感した。
学生時代を懐かしく思うとともに、やはり若いとは、うらやましい限りである。

写真は、会場に掲げられた「白虎」「青龍」「朱雀」。音楽部・吹奏楽部の発表。

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谷内正太郎氏特別講演会

「激震が走る国際秩序と日本の進路」
予断を許さない国際情勢を読み解く・・・ロシアのウクライナ侵攻!日米中関係!

の演題で、10月21日{金}西地区コミュニティセンターで午後2時から開催されました。
氏の豊富な経験から内容は多岐にわたり予定時間を15分オーバーする1時間45分に及ぶ内容の濃いものでした。当日はコロナ感染防止対策として定員100人と限定されていましたが、もったいないような講師でした。
この講師は今家英明商工会議所会頭の尽力で実現したとのことでした。

講演内容は多岐にわたり{当日配布資料より}
1、最近の国際情勢 
 ①分断、対立、混迷
 ②グローバリゼーションの後退 
 ③利己的ナショナリズムの噴出
 ④グローバル・ガバナンスの劣化

2、国際社会の課題
{1}米中対立
 ①中国の台頭
 ②米国の国力、国際的地位の相対的低下
 ③覇権争い
{2}パンデミック
 ①自国対応優先
 ②民主主義か権威主義か
{3}グリーン、デジタル、経済安全保障
{4}中東からインド太平洋へ
{5}ロシアのウクライナ侵攻

3,ウクライナの教訓
{1}パワーポリティックスの実現
{2}戦後国際秩序の挑戦
{3} 防衛力のあり方{自助努力と同盟体制}
{4} 国連の限界
{5}「核」への対処
{6}情報・宣伝戦、ハイブリット戦

4 日本の進路
 {1} 湾岸戦争{1991,1}から約30年
 {2} 国際社会での日本の立ち位置
 {3}何をなすべきか?
 {4}日本の外交・安保政策の基本
 {5}防衛力の強化

これに基づいて講演されましたが、詳細に記すには限界がありますので、会場での私の質問と回答の概略を記します。
Q、ロシアはウクライナの4州を一方的に併合し、世界的に孤立している。かって日本は昭和7年満州国を承認した。当時の国際連盟などから不承認となり、孤立化する中、昭和8年国際連盟を脱退した。ロシアの国連脱退は?
A、ないと思う。国連に入っていることでのメリットが大きい。

Q、北方領土について
安倍・プーチン時代は20数回も会談を重ね、ひよっとすると返還もあるかと淡い期待を持った。しかし、今の日・ロの関係は最悪である。
私の勝手な考えだが、この際プーチン大統領はウクライナ戦争で失脚し、国内では内乱状態の時に奪取するようでないと無理でないか
A、安倍さんは人間の信頼関係で打開しようと思っていたと思うが、晩年は、プーチン大統領はその様な人間でないことが分かって来ていたと思う。
中々難しい問題だが、外交とはいつ、どの様なことが起きるか分からない。今後とも粘り強く外交努力を続けるしかない。

Q、韓国について
前回の大統領選挙で僅差で敗れた李在明氏は韓国最大野党「共に民主党」の党首であり、去る10月7日党会議で日本は「韓国を武力で支配した国」である以上「歴史について真摯に反省、謝罪すべき」又、日米韓の合同軍事演習は「日本の軍事大国化を支える」と主張し中止を求めている。この人が次期大統領選挙で勝利する可能性があると言われている。この国をどう思うか。
A、李氏の発言は理解できない発言であきれている。無視してもよいと思うが、国内では一定の反日グループがいるのも事実。しかし、今の伊大統領は日本との関係を修復しようと努力しているし隣国である。日韓友好に双方が努力しなければならない。

Q、中国について
中国は第20回党大会で、習近平氏は領土・主権は一切譲歩せず、祖国統一を実現させるとし、そのため武力の行使は排除しない。と述べている
中国は今回のロシアのウクライナ侵攻を何故苦戦しているか。NATO加盟国でもないウクライナを何故米国やEUが支援しているのかなどから、多くの教訓を分析していると思う。
私は、武力での台湾侵攻はあると思う。台湾有事は日本有事でもある。日米安保条約では尖閣諸島は防衛の対象となっていると米国は言うが、果たしてどうか。米国国民から見れば、世界地図でどこにあるのかも分からず、しかも無人島である。そんな島の防衛に米国民は血を流すだろうか。そして、わが国民はウクライナのように政府と国民は一体になれるだろうか。私は残念ながら疑問に思う。
A、中国の外交戦略は息の長いもので、当面は情報・宣伝戦・ハイブリット戦や内乱状態を引き起こすなどはするだろうが、直ちに武力行使はないと思う。

Q、移民・難民の受け入れについて
現在、我が国には例えば100万人{もっと多いが}以上の外国人がいるが、日本に3年住めば、祖国から家族や友人・知人に日本へくることを勧めるという。現在、我が国の合計特殊出生率は1.3であるが、外国人の移住が進めばこの率が3になるという。数学者によれば、100年後には1千万人。200年後には1億人になるという。その時、日本人の数は,想像するだけでゾッとする。私は、移民受け入れに反対する者ではないがルールが必要でないか。
A、在日外国人の中でも,反日感情を持って帰国する人もいるから、必ずしもそうなるとは限らないがその懸念はある。やはり国として何らかのルールは必要と思う。

以上が概略である。
又、谷内氏は、外交と防衛は車の両輪で経済力はエンジンである。ウクライナは8か月も戦いを続けている。
日本はこれほどの長期間果して戦い続けれるだろうか。その為にも、強靭で持続可能な経済力を持つことが経戦能力に繋がる。と共に,血を流しても領土・主権を守る覚悟が問われる。
そして、日本人は自分が武器を持たなければ相手は攻めてこないと思っている。しかし、今回のロシアのウクライナ侵攻で、はっきりと分かったことは国際法を全く無視し、核を持っている国が持っていない国に堂々と侵攻してくること。
国連が機能していないいないことが現実であることがよく分かったことである。同感である。有事のことは有事で議論しても遅い。平時の時にこそ議論すべきと思う。

谷内正太郎氏のプロフィール                                   
1944年生まれ、富山県出身。1969年3月東京大学大学院法学政治学研究科修士課程終了。同年4月外務省入省。数々の役職を経て、99年より条約局長。その後、総合外交政策局長、内閣官房副長官補をて2005年より外務事務次官。08年外務省退職後、09年から政府代表、外務省顧問、内閣官房参与を務めた後、14年から19年9月まで初代国家安全保障局長兼内閣特別顧問{国家安全保障担当}として外交・安全保障分野で政権を支えた。20年4月に富士通フュ-チャ―スタディーズ・センター理事長に就任。
写真は、控室での私と講演中の谷内正太郎氏。

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