なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2025年

経済産業省・総務省・文科省友人

官邸の後、経産省に藤木俊光経済産業政策局長、そのあと総務省に新田一郎審議官を訪ねた。藤木氏は富山県商工労働部長、新田氏は富山県経営管理部長などを務められた方で、その時からの知人です。お二人共、橘・佐藤氏同様国会開会中にもかかわらず時間を割いて頂き感謝です。

それにしても、局長や審議官ともなると個室が与えられ、10人程の会議ができるテーブルが配置してあり、応接セットがあり、専属の秘書がいるなど課長とは雲泥の差です。しかも感心したのは、約束した時間の2時間程前に秘書の方から私のケータイに会議が10分ずれたため、そのようにお越しください。との電話があることです。
私の感覚でいえば10分程度なら、私が行った時その旨話されれば良いと思うのだが、さすがと感心しました。お二人とは与党過半数割れした国会運営などの話しにも及びました。

写真は、官邸での反省から座って撮りました。藤木局長。新田審議官。

250218122718704[1]

250219113416615[1]

文科省友人との懇談会
18日夕、文科省友人と懇談会を行いました。これは平成16年から滑川市が文科省の25歳前後の研修生を2週間から3週間ほど、昨年まで21年間受け入れていました。しかし、新型コロナで3年間、東日本大震災で1年派遣が中止になりましたが、今日まで引き継がれ計17名を受け入れました。

それが15年ほど前「文科省ナカヤ会」を作ったから私が上京の折、集まろうとなり、年に1-2回懇談会を開いています。
平成16年初めて受け入れた1期生は現在文科省より山梨県教育長に出向している人や、スポーツ庁の課長或は各都道府県の教育委員会の管理職として出向している人、パリへ赴任している人など多彩な顔ぶれの集まりです。
それ故、全員が揃うことはむずかしいですが、常時8人前後集まり当日は国会開会中で答弁書作成準備などで突然の欠席者が出ましたが、和気あいあいの集いでした。

しかし、この青年たちが明日の文部行政を背負っていくことを思うと、頼もしくもあり、心もとない様に感じたりもする。人生のささやかな先輩として「官僚としての矜持を忘るるなかれ」かって遣隋使や遣唐使は、命がけで荒海を渡り隋や唐の律令制度や仏教や新たな文化を吸収し、「国つくり」に務めた彼等の「志」に思いを馳、公務員になった時の初心を忘れてはならない。と激励しました。

各人の近況を語り合いながら話しに花を咲かせました。また、各省庁にもこのような制度があるが、この様に一堂に会する機会があるのは多分この会だけだろう。とのことでした。名残を惜しみつつ再会を約し散会しました。

写真は、メンバーとの懇談会

250218211801935[1]



総理官邸

皇居三の丸尚蔵館鑑賞の後、総理官邸に内閣官房副長官・衆議院議員橘慶一郎氏と同じく佐藤文俊氏をそれぞれの部屋へ訪ねました。副長官は衆参両院から各1名、事務方から1名計3名です。佐藤氏は、昭和50年代中沖知事当時に自治省から富山県財政課長に出向されて、最後は総務省事務次官を務められた方で、私とは総務省時代からの付き合いです。

3人の副長官のうち2名が富山県関係者と聞いただけで、なんとなく心強く、嬉しく感じます。昨年の石破政権誕生と共に就任されたのですが、橘氏は、就任後、石破首相の南米ペルー、最近の訪米でのトランプ大統領との会談に同行されるなど多忙を極めておられます。しかも国会開会中です。そんな中、面会の時間を割いて頂いたのにはただただ恐縮、感謝しかありません。

以前官房副長官は、安倍政権の野上浩太郎氏、小泉政権の長勢甚遠氏と事務方で大門出身の二橋正弘氏の時も訪問しましたが、与党過半数割れの政権運営ですから苦労もひとしをのものがあろうと思います。
しかし、日本国の政治の中枢にいることを実感し、政治家冥利に尽きると思うし、必ず重責を全うされることと思います。

それにしても、官邸のセキュリティーは日本一厳しいと改めて感じました。議員会館入館時には、金属探知機が反応しなかったネクタイピンが、官邸の探知機では反応するのである。さすがです。最後に国会で新年度の政府予算案が通過すれば、ゆっくり話の機会を持とうと別れました。

又、橘、佐藤両氏の背の高いのには驚きました。帰宅後写真を見て大人と子供の様な姿には啞然としました.両氏共180㎝以上はあると思います。

250218161006051[1]

250218163200610[1]



「瑞祥のかたち」

降りつもる 深雪に耐えて色あせぬ
       松ぞ雄々しき 人もかくあれ (昭和天皇・昭和21年歌会始め)

2月18日、今冬2度目の寒波襲来の天気予報が出ている朝、一面銀世界の滑川を後にし、全弓連理事会出席のため上京した。さすが日本は狭いといっても広い。東京は快晴である。

さて、今回も皇居三の丸尚蔵館の企画展「吉祥のかたち」を鑑賞した。
尚蔵館には約2万点の作品が収蔵されており、その殆どが名品ばかりで、年数回企画展として公開されている。今回は1月4日―3月2日まで表題の企画展で、「新しい年の到来を喜び、人生の節目に幸福を願う気持ちは、古くからさまざまな造形に残されてきました。
中でも古代中国において不老不死の仙人が住むと考えられた蓬莱山は日本でも吉祥図として描かれ、長寿を象徴する鶴と亀が添えられた縁起物としても表されました。

やがて理想郷としての蓬莱山への憧れは、霊峰富士の姿に重ねられました。又、鳳凰は、優れた天子が世に現れる兆しとして古代中国で尊ばれた伝説の鳥です。
古くより鳳凰は高貴さの象徴として絵画や工芸に取り込まれ、皇室ゆかりの品々には数多く登場します。{瑞祥のかたち・図録より抜粋}
今回46点展示してありましたが、3点ご紹介します。

①日出処・日本 {234,3×448、6} 横山大観 {1868–1958}作
昭和15年に開催された「紀元二千六百年奉祝芸術展覧会」の出品作品です。
初代神武天皇の即位から2600年を記念する一大事業として企画された同展に出品するため、渾身の力をこめて製作したものです。生涯に二千点近い富士山の絵を描いたとされる大観ですが、その中でも最大級の作品で、出品後,大観本人の希望により昭和天皇へ献上されたものです。
本作は朝陽輝く霊峰の堂々たる姿を描いたものです。大観には富士山を描く際のこだわりがあり、江戸時代の大噴火でできた宝永山は決して描きませんでした。大観にとって日本の国土を象徴する富士山は、最も理想化された姿・形でこそ描かれる必要があったからです。

②国宝・動植綵絵・老松白鳳図 {141,8×79,7} 若冲{1716–1800}
松にとまった一羽の真っ白な鳳凰を描き、片足をあげて翼を広げたポーズで、うねるように流動する飾り羽などが、画面にダイナミックな動きを与え、細かく重ねられた羽毛の白い線が、神々しさを加えています。明治22年相国寺から献上。

③宝船「長崎丸」高さ・90・幅・100 奥行・59 台・木・蒔絵一点 江崎栄造 {1878ー-1965}
大正5年11月に大正天皇が福岡県下を行幸の折、長崎県から献上された鼈甲細工の宝船「長崎丸」。日輪に鶴が描かれた帆に風をはらみ、大海原を進むこの宝船には、農産物や水産加工物など、長崎県の重要な物産27種が積載されています。
作者の江崎栄造{1887–1965}は宝永6年から続いた鼈甲細工の製造販売業の老舗の6代目で皇室への献上品も複数手がけました。

①②③の解説はいづれも図録より抜粋

いづれにしても、二万点にも及ぶ名品が東京大空襲の難からも逃れ、今日まで保管されて来たことに驚きます。

CIMG5977

CIMG5975

CIMG5978



抱山社富山支部新年のつどい

1月13日午後12時より、魚津市ホテル・グランミラージュで標記のつどいが開催されました。
昨年は能登半島地震で、それ以前はコロナのため実に5年ぶりの開催となりました。

開会に先立ちて、能登半島地震と9月の豪雨災害からの復旧復興を願い「愛、希望, 絆、祈りを込めて」―学びの森から音楽をお届け―と題し、ピアノ・柏原友美さん、トロンボーン・新山久志さんによる
①早春賦
②G線上のマリア
③川の流れのように

の3曲をトロンボーンの柔らかい音色に乗せて演奏されると会場から大きな拍手とともに、アンコールの声がかかり、希望を持って前に進むことを願い、「上を向いて歩こう」を演奏されました。従来の新年のつどいにはなかった企画であり、新鮮さを感じました。

その後、経沢菁汀さんの司会で会が始まり、阿波加蒼岳支部長は、来賓の出席者に謝意を表したあと年頭の挨拶があり、今年は抱山社展は60回を迎えるが、新年のつどいはそれより前から行われており、歴史ある「つどい」である事を述べられる中、抱山社会長の大平匡昭さんがやむを得ぬ事情により欠席され、皆様によろしくとの伝言を伝えられました。

また、毎年8月県民会館で行われていた毎日書道展は諸般の事情で昨年が最後の34回となった事。しかし、情報等は、今まで通り北日本新聞には掲載されることなどが話されました。そして、創玄展「60年の歩み」の記念誌から「創玄書道会のすがた」を引用して、「書は芸術であるからには高度の技法が要求されるのは当然であるが、まずその書の品格が高尚でなければならない。
品格とは一人間全体としての価値の高さを言うのです。人間としての深さ、高さ、大きさを希っているのです。」と述べ、抱山社会員も、もっともっと研鑽し、創玄書道会の姿に近づくよう努力しょうと呼びかけられました。

来賓挨拶は、水野滑川市長、上田滑川市教育長がそれぞれの立場で、乾杯は岩田新川文化ホール館長が行い、和やかな雰囲気で懇親会に入りました。
尚、魚津市長は体調不調のため欠席でした。また、懇親会の中で昨年一年間の各書展での入賞者の紹介とそれぞれひと言コメントがありました。

私は、幼稚園時代、小学生時代数年間本会の創始者である大平山濤先生に書を教えて頂いたご縁で、そんな器でもありませんが抱山社富山支部の顧問を努めています。
また、阿波加支部長は、滑川市書道連盟や県書道連盟の支部長も務められ、富山県美術連盟前会長でもありました。滑川高校同窓生である関係から、一昨年滑川高校創立110周年記念誌の題字も揮毫して貰いました。

写真は、柏原さんのピアノと新山さんのトロンボーン演奏。阿波加支部長挨拶。

CIMG5964

CIMG5968



水橋薬業会講演

1月8日午後2時より、富山市水橋会館で水橋薬業会{会長・菊地徳男}と富山市北商工会薬業部会{会長・森田清秋}の合同役員会が開催された。そして、3時から私に講演依頼があり出席した。

2時開会。最初に出席者全員が会場に設営された祭壇の前に整列し、祭壇に掲げられた神農像の掛け軸に向かって、2礼2拍手1礼で商売繫盛を祈願しました。
次いで、全員の記念写真を撮影したあと、菊池会長が神農像の掛け軸の由来や水橋の先人が樺太売薬を開拓した事などを含め挨拶。
次いで、来賓の押田富山市議が挨拶に立ち、父が売薬をしていた当時の思い出話や、現在自宅には常備薬を含め薬がないことの不便さから、置き薬の必要性を話されました。

また、この機会を通し市政報告会を行い、水橋出身の唯一の議員として薬業はもとより水橋発展の為尽力する旨を話し、今年4月の市議選への支援をお願いされました。これを受け,菊地会長からも出席者に対し支援の要請がありました。
次いで、私にも指名がありましたが、後程講演があるので、簡単にしましたが、押田市議には滑川高校同窓会副会長を努めて頂いていることから私からも支援をお願いしました。

その後、菊地会長から業界の現状などと合わせ、当日の議事が2時間50分終了し、3時から私の話しに入りました。
実は、講演依頼を受けた時、テーマと講演時間をお聞きしましたが、何んでもいい。これ程やりずらいことはない。そこで、当日講演内容を、「政治」「薬業」「雑感」の3っと時間を40分、50分、60分の3通りのくじを代表に引いてもらい、その結果、「雑感アラカルト」と50分となりました。

雑感ですから、最初に地震の歴史や異常気象、高齢社会。衆議院選挙後の政治状況。これに薬業界の諸問題等を話しました。
特に力説したのが、富士フイルムホールディングスkkについてです。実はこの会社の代表取締役社長CEOは富山市出身で1959年生まれの後藤禎一氏です。2021年から現職です。富士フイルムは2000年以降、カメラのデジタル化に伴い、本業だった写真フイルム事業は急速に縮小したが培ってきた技術を発展させ、事業構造の転換に成功。

現在は「ヘルスケア」「エレクトロニクス」「ビジネスイノベーション」「イメージング」の四っの事業領域でグローバル展開し、世界272社、従業員7万2千を擁している。2008年この傘下に入ったのが富山化学である。

このヘルスケア領域の中核企業となり、新薬メーカーとして長年感染症治療薬の研究と取り組んできたその知見と品質管理のノウハウを生かし、力を注いでいるのが、バイオ医薬品開発・製造受託事業だ。現在、富山第二工場では、600億円をかけ拠点整備事業を進めている。国内での大規模製造拠点は初めてである。後藤社長は「プロジェクトを成功させねばならない。パンデミック時には、ワクチン製造を優先的に行う施設となる。

日本を含むアジアの人々の健康に貢献していきたい」と語っておられる。この方が富山市出身である。社会の変化を敏感に捉え、先を見据え対応する。本業のフイルム事業からフイルムで培ってきた技術を発展させ構造転換に成功した好例であり、これと対照的なのはコダック社である。私はこの様な話をして、配置業界も300年の歴史と伝統、先用後利の精神だけではこの先発展を続けることは困難でなかろうか。

薬業界も一度後藤社長を招き、講演会を開催してはどうか。学ぶべき点が数多くあると思うが・・・・こんな話をしました。話し終えて感じたことは、やはり1時間程度であったらテーマを一つに絞って話したほうが良かったと思う。
1時間程度の中で、あれもこれもと欲張って話すと、どれも中途半端になるように思った。これが反省点であり、多少迷惑をお掛けしたような気がした。

それにしても、神農祭や歳旦祭も地域によってお供え物も違うことも分かった。
かって売薬さんの家では、1月8日には床の間に神農像の掛け軸を掲げ、その下に懸場帳を置き、お鏡を添え商売繫盛を祈願したものです。我が家ではまだ続いていますが、そんな風景も消えつつあることは淋しい限りです。

写真は、会場に設けられた祭壇。記念写真.講演風景。

CIMG5949

CIMG5951

CIMG5959