なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2026年

春祈禱

越の春 遠く連なる銀嶺の 
        山肌澄みて あかず眺むる  宮子の詩

暦の上では立春を過ぎたとは言え、早春賦ではないが春は名のみの、2月11日午前8時30分よりわが家の年中行事の一つである「春祈禱」が行われた。

わが家の宗派は禅宗・曹洞宗であり当日の導師は滑川市追分・金屋山・海恵寺住職松井知良氏である。床の間に掲げられるお軸は、十六善神です。十六善神とは6世紀玄奘三蔵が天竺から持ち帰った全600巻の巨大な仏教経典を漢訳・集大成された「大般若経」とその読誦者を守護する16体の夜叉神を指します。
通常・中央に釈迦如来、左右に知恵を司る「文殊菩薩」慈悲を司る「普賢菩薩」を配した釈迦三尊と共に描かれ、日本では奈良時代から国土安穏や除災招福を願う目的で「大般若会」の掛軸本尊として,宗派を問わず広く信仰・伝来しています。

般若心経とは、大般若の膨大な教えを278文字に凝縮・要約したもので、空中に経本をパラパラと素早くめくり{転読}経題を唱えることで全巻を読んだ功徳を得るとされる。普通は神社・仏閣で祈願祈禱を受けますが、春祈禱は檀家を住職が直接訪問し祈禱しますので、言わば祈禱出張版です。読経後、家族一人一人に向かって転読し、肩に経本を充てて頂き除災招福を願いました。

最後に過去帳に記載されている故人の戒名を読み上げ先祖を供養し「春祈禱」を終えました。寺の住職が直接わが家を訪問されるのは年1回この機会だけです。{ 月命日等は別の人}現代の新築家屋では、仏壇や神棚もない家が殆どです。そんなことも相まって寺院と檀家或は門徒そして若年層との関係が希薄になりつつあることを考えれると、もう少し積極的に社会と関わる機会を持つべきでないかと思う。

写真は、十六善神の掛軸を前に読経する松井導師。空中に経典を翻し{転読}除災招福を願うわが家の家族。

260211084510921[1]

260211084420175[1]



立山山麓・「グリーンビュー立山」

幾たびも 雪の深さを 尋ねけり  子規

1月20日頃から降り出した雪は、長期滞在居座り寒波 {この様な言葉は気象用語にはない}となり、北海道から青森をはじめ日本列島の日本海側に第一波、第二波、第三波と続き、特に青森では平成以降最多の積雪となり市民生活に大きな被害が発生した。
5年前2021年1月8日の富山県での豪雪を思い出す。そんな中、「グリーンビュー立山」で友人たちと一泊二日の懇親会を開催した。

当日の天候を随分と気にしたが、行き帰り共交通には支障はなかった。しかし、付近には多くのスキー場があり、滑川と比較すれば矢張り積雪量は格段の違いがあった。
しかし、ホテルの部屋から眺める風景が絶景であり、最近、存続か廃線かで話題になっている地鉄電車が雪景色の中、鉄橋を渡る風景には、カメラには素人の私でも思わずシャッターを切りたくなる風景でした

また、部屋の外の木々に10数匹の野猿の一群が、木々の皮をはぎ何かを食べている姿は、雪深き山々に生息する日本猿の宿命とは言え、これと言って食べ物のない中で必死になって生きていこうとす姿と、パーティー会場での食べ残しによる食品ロスを考えたり、親子のサルが抱き合って寒さに耐えている姿と人間社会では親が子を子が親をいとも簡単に殺害する。動物の子育てから学ぶ事が沢山あることを再認識する機会でもあった。

また、浴場から外を眺めると再びサルの一団に出会ったり、カモシカまで通り過ぎてゆく。正に大自然が掌にあるような錯覚に陥るようであった。今回の宿泊は冬であったが四季折々大自然の景観が楽しめるところである。風呂のお湯は滑らかな湯触りで、特に美肌効果があり、湯上りは、肌がしっとりとしていることを実感でき、女性に嬉しい温泉という。
温泉で疲れを癒し入浴後は、楽しい懇親会で大いに盛り上がりました。お客は土曜・日曜ということもあり、多数のスキー客で賑わっていた。中には遠く秋田や岐阜の人もいた。遠方の人はスノーボが殆どであった。

郵便番号930ー1405・富山県中新川郡立山町千寿ケ原
       グリーンビュー立山・☎076-482-1716

写真は、雪景色の大浴場。部屋から眺めた10数匹のサルの一群。部屋から眺めた鉄橋を渡る地鉄電車。

260131151855457[1]

260201091418437[1]

260131151147077[1]



第10回長岡すみ子の会

1月25日{日}午後4時から富山市のオーバードホール・中ホールで恒例の、民謡、唄と踊りの祭典・長岡すみ子チャリティーショーが開催された。
当日は、今冬最強・最長の寒波が日本列島を襲い、その第二波の襲来が25日と予想されていました。しかし、福井・石川・新潟各県の被害状況と比べれば、富山県は大きな被害はなかったと思います。

私は滑川から旧8号線と8号バイパスを利用しましたが綺麗に除雪され、片側2車線が確保された路面には雪はありませんでした。会場に着いたのは3時半頃でしたが、入場者入口にはすでに多くの人で溢れていました。しかしこの天候にも拘わらずこれだけの人を魅了するとは、さすが長岡さんだと思いました。

さて、今回は第10回記念として東京から尺八の名手佐藤公基さん、津軽三味線の第一人者である椿俊太郎さん、胡弓と唄の加賀山紋さん、琴・桂博子さん,博佳さん、踊り・筏井豊華翔と華の会など多彩なゲストを迎え盛大な民謡ショーでした。
実は長岡さんと私の妻とは滑川高校時代の同級生と言う縁もあり、日頃からお付き合いをしている仲です。

さて、第一部オープニングは、{新春を寿ぐ}として、正調高岡荷方節{唄・長岡すみ子 琴・桂博桂} さんさ時雨ー越前祝い唄ー隠岐祝い音頭{合唱} 
次いで②唄い次ぐジュニアたち。次代の民謡界を背負って立つジュニアの皆さん。
③民謡玉手箱として日頃の練習の成果を披露する教室の皆さん。
④長岡すみ子ゲストとともに。の中で、以前、北海道釧路市の民謡の方々が「越中おわら節」を習いに長岡さんを訪ね、指導を受けたことがご縁で今日まで交流が続いている釧路よりお越しの尺八の演奏者白澤謡翔さんの演奏で、「釧路川筏流し唄」を長岡さんが唄ったり、「春の海」を琴・桂博佳、尺八・佐藤公基さんの演奏にはうっとりしました。

また、「和楽器競演」では琴・三味線・尺八・篠笛・胡弓・太鼓による「朧月夜」「見上げてごらん夜の星を」そして「故郷」を長岡すみ子さんと会場の皆さんとが合唱しました。和楽器によるコラボレーションもなかなか良いものでした。最後に長岡さんの持ち歌、「山中雨情」「恋おわら」をしっとりと唄い上げ「南部俵積み唄」で締めました。
この3曲には、踊り・華の会が華を添えました。全25曲が会場に響き渡り、フィナーレは出演者全員で「とやまいきいき音頭」を合唱し万雷の拍手で幕を閉じました。

今回も6歳のジュニアから86歳の医師の方まで、幅広い年齢層の方々の出演でした。「好きこそ物の上手なれ」との言葉がありますが、どの唄い手の瞳も輝いているようでした。
だから見ている人、聞いている人に感動をあたえるのでしょう。本当に内容の濃いチャリティショーでした。

尚、今回の募金金額17万円余りはマダカスカルの子供たちへの慈善事業として壇上で、富山テレビの代表者に手渡されました。
2時間30分余りの充実した時を堪能し、会場を出た時は雪が散らついていましたが、何の支障もなく帰宅できました。

写真は熱唱する長岡すみ子さん。和楽器競演で「故郷」を唄う長岡さん。

DSCF8024

DSCF8031

DSCF8036



抱山社富山支部新年のつどい

詩を書かん 君墨を磨れ 今朝の春  漱石

1月12日魚津市ホテルグランミラージュ-天翔の間で抱山社富山支部{支部長・阿波加蒼岳氏}の「新年のつどい」が盛会裏に開催された。当日は今冬最強の寒波が日本列島襲来との予報が出ており、心配しましたが左程の影響もなく予定通り開催された。

まず、開宴前に「にいかわ学びの森」ゆかりのトロンボーン奏者、新山久志氏、ピアノ奏者、柏原友美氏によって、ウェルデイの「乾杯」からアンコールを含め、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星」など馴染みのある5曲が素敵なトロンボーンによって、演奏され会場の雰囲気が盛り上がりました。

その後、「新春のつどい」に入り、阿波加会長が挨拶に立ち、抱山社・会長大平匡昭氏から大雪警報等発令中などを考慮し止むを得ず欠席の連絡があった。しかし、今日のため大平会長より、父である大平山涛先生が平成19年{2007}9月9日、91歳でご逝去され、同年11月県立水墨美術館で開催された時、追悼「大平山涛展」に発行された図録が出席者に配布された経緯を説明後、阿波加支部長は、山涛先生は自身の作品について「自然に育まれた感性により、書のイメージを膨らませ、その心のふるさとを表現する時は、私はそれを意識していないが、身体の中に入って蓄積されたものが、無意識のうちに作品に現れるだろう」を引用し、私たちも先生が愛してこられた立山連峰や日本海を毎日眺めていますが、この感性を脈々と受け継ぎ、素晴らしい環境が知らず知らず身体にしみつき、意識しなくても作品に現れるような書を目指し頑張っていこうー。と話したあと、昨年の各種展覧会での入選、入賞者に祝意を述べ更なる精進を促された。

次いで来賓挨拶は、水野滑川市長、広田新川文化ホール館長、釣谷北日本新聞社新川支社長の後、不肖私が乾杯の音頭を取りました。当初固辞しましたが、私が幼稚園児から小学2年生まで,約4年間山涛先生に教わったこと。そのご縁がきっかけで、東京の中野の私邸を訪ねたこと。文化功労者受賞祝賀会に出席したり、ご逝去の折、朝日町での町民葬や東京でのお別れの会にも出席していたことなどから、会の顧問になってていることもあり指名されたものと思います。ただ、残念なことは小学生以降今日まで書を続けていたら、もう少しは上手な「字」を書けたのに・・・とつくづく思います。

1月12日は成人の日でもあり、まだお正月気分が残っている中での「つどい」でしたから会場は賑やかな雰囲気でした。
最後は鈴木孤雲氏の閉会の挨拶でお開きとなりました。

写真は、阿波加支部長・挨拶。来賓の水野市長。乾杯の私。

260112121950452[1]

260112122030742[1]

260112123017121[1]

260112124103770[1]



令和8年薬神神社新年歳旦祭

旅へゆく 老父{ちち}を送ると担ぎ来て 
             重たし 父の柳行李は

1月8日{金}午前9時新年恒例の薬神神社新年歳旦祭{主催・薬神神社奉賛会}が、みぞれ交じりの肌寒い中、来賓に上京中の市長代理として柿澤副市長、市議会議長代理として水橋・産業・厚生・建設委員長、大門県議、杉田市商工会議所専務理事、雪嶋神社総代を始め、配置薬業従事者、製薬メーカー等々関係者約30名が出席し、厳粛な中にも滞りなく執り行われました。

最初に宮司の祝詞に次いで顧問の私、石政市薬業会長、中屋市薬業青年部長、薬業関係者、来賓など順次玉串奉奠を行い、商売繫盛、交通安全などを祈願した。次いで、会長の石倉雅俊氏が挨拶すべきでしたが、氏は昨年暮れ突然の急逝で不帰の人となられたため、顧問の私が挨拶しました。

年頭の言葉や業界の現状は簡単にして、やはり石倉雅俊氏の話が大半でした。氏は大学を卒業後、家業の売薬に従事し、薬業青年部に入りその後、青年部長や県青連役員などを歴任後50代の若さで営業地の鹿児島県医薬品配置協会会長に就任されました。当時47都道府県の会長の中では最年少でした。
期待通りの活躍後、今度は地元の業界の為にということで、薬神神社奉賛会の会長を引き受けてくれました。それらの功績が認められ昨年秋薬事功労者として厚生労働大臣表彰の栄に浴されました。そして今日、1月8日午後6時祝賀会が開催される事になっていました。それを思うと世の無常を感じざるを得ないし、氏もさぞかし無念だっただろうと思います。

兎に角酒は強いしゴルフも上手。などのエピソードを交えた話の中で氏の真骨頂が発揮されたのは、令和3年10月13日県内の日刊紙一面に不適切な製造の薬が老舗配置メーカーで製造され消費者家庭に配置されていることが大々的に報道され、業界に衝撃が走った。
直ちに業者はその製品の回収に取り掛かるが、業界は大混乱に陥った。その3か月後、令和4年1月11日薬業連合会主催の「薬都富山大会」が高志会館カルチャーホールで開催された折、終了直前発言を求め、不祥事を起こしたメーカーの会長が薬業連合会副会長である。

例年出席しておられたのに何故本日欠席されたのか。出席し陳謝と現時点での今後の対応を話されるべきでないか。お得意様から苦情を聞き陳謝しているのは我々配置員である。時として引き上げを求められることもある。消費者との信頼関係が崩壊したといっても過言でない。我々はメーカーを信じ、薬を仕入れているのである。そのメーカーの責任者が薬連の副会長である。なぜ欠席されたのか。などの質問には大きな拍手が起こった。

さすがの薬連会長も只今の発言の内容は、ご本人には、しっかりと伝えます。との返答で収まったがこの時ほど配置側の意見を代弁したことは無かった。200名を超す参加者の中での発言は中々勇気のいることである。この模様は当日夕方のテレビニュースや翌日の新聞などで大きく報道された。これ以後彼に配置側の立場の発言を期待された中での今回の死である。など彼を偲ぶ話をして、その後任を、(株)日参製薬保寿堂・社長・平田有悟氏に引き受けて戴いたことを話、彼にバトンを渡しました。

平田氏は自己紹介で高月出身や家は売薬であったこと、水野市長の父親とは友人であったことなどに加え、日参製薬の熊胆をさり気なくPRし、本市薬業会発展に努力する旨、力強い挨拶であった。次いで、柿澤副市長は父方も母方も売薬であり、幼い頃より売薬に親しみを持ち、薬の中で育ったこと。
また、第五次滑川市総合計画作成に当たり、魂を入れた将来ビジョンでなければいけない。それはを何かと考えた時、売薬精神にたどり着いた。売薬さんのお得意さんに接する時の笑顔。
①「笑顔いっぱい」幸せを考えた時、健康、イコール薬、それは矢張り売薬である。
②「幸せいっぱい」そんなことから「笑顔いっぱい・幸せいっぱい・光輝くなめりかわ」となったエピソードを交え、薬業に理解を示すご挨拶でした。

また、水橋・大門両来賓も業界発展に尽力する旨のご挨拶でした。
私は挨拶の中で社務所の中からの歳旦祭であったが、そのお陰で薬神神社と隣りの寺院と神仏同時に祈願ができたので今年は良き年となるであろうとも話ました。

いづれにしても石倉氏の死を悼み、氏の薬業にかけた志を引き継いでゆこうと話し散会しました。

写真は、玉串奉奠と薬神神社をバックに挨拶する私。平田有悟新会長の挨拶。

260108091817832[1]

260108090829238[1]

260108092513790[1]