なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2026年1月

第10回長岡すみ子の会

1月25日{日}午後4時から富山市のオーバードホール・中ホールで恒例の、民謡、唄と踊りの祭典・長岡すみ子チャリティーショーが開催された。
当日は、今冬最強・最長の寒波が日本列島を襲い、その第二波の襲来が25日と予想されていました。しかし、福井・石川・新潟各県の被害状況と比べれば、富山県は大きな被害はなかったと思います。

私は滑川から旧8号線と8号バイパスを利用しましたが綺麗に除雪され、片側2車線が確保された路面には雪はありませんでした。会場に着いたのは3時半頃でしたが、入場者入口にはすでに多くの人で溢れていました。しかしこの天候にも拘わらずこれだけの人を魅了するとは、さすが長岡さんだと思いました。

さて、今回は第10回記念として東京から尺八の名手佐藤公基さん、津軽三味線の第一人者である椿俊太郎さん、胡弓と唄の加賀山紋さん、琴・桂博子さん,博佳さん、踊り・筏井豊華翔と華の会など多彩なゲストを迎え盛大な民謡ショーでした。
実は長岡さんと私の妻とは滑川高校時代の同級生と言う縁もあり、日頃からお付き合いをしている仲です。

さて、第一部オープニングは、{新春を寿ぐ}として、正調高岡荷方節{唄・長岡すみ子 琴・桂博桂} さんさ時雨ー越前祝い唄ー隠岐祝い音頭{合唱} 
次いで②唄い次ぐジュニアたち。次代の民謡界を背負って立つジュニアの皆さん。
③民謡玉手箱として日頃の練習の成果を披露する教室の皆さん。
④長岡すみ子ゲストとともに。の中で、以前、北海道釧路市の民謡の方々が「越中おわら節」を習いに長岡さんを訪ね、指導を受けたことがご縁で今日まで交流が続いている釧路よりお越しの尺八の演奏者白澤謡翔さんの演奏で、「釧路川筏流し唄」を長岡さんが唄ったり、「春の海」を琴・桂博佳、尺八・佐藤公基さんの演奏にはうっとりしました。

また、「和楽器競演」では琴・三味線・尺八・篠笛・胡弓・太鼓による「朧月夜」「見上げてごらん夜の星を」そして「故郷」を長岡すみ子さんと会場の皆さんとが合唱しました。和楽器によるコラボレーションもなかなか良いものでした。最後に長岡さんの持ち歌、「山中雨情」「恋おわら」をしっとりと唄い上げ「南部俵積み唄」で締めました。
この3曲には、踊り・華の会が華を添えました。全25曲が会場に響き渡り、フィナーレは出演者全員で「とやまいきいき音頭」を合唱し万雷の拍手で幕を閉じました。

今回も6歳のジュニアから86歳の医師の方まで、幅広い年齢層の方々の出演でした。「好きこそ物の上手なれ」との言葉がありますが、どの唄い手の瞳も輝いているようでした。
だから見ている人、聞いている人に感動をあたえるのでしょう。本当に内容の濃いチャリティショーでした。

尚、今回の募金金額17万円余りはマダカスカルの子供たちへの慈善事業として壇上で、富山テレビの代表者に手渡されました。
2時間30分余りの充実した時を堪能し、会場を出た時は雪が散らついていましたが、何の支障もなく帰宅できました。

写真は熱唱する長岡すみ子さん。和楽器競演で「故郷」を唄う長岡さん。

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抱山社富山支部新年のつどい

詩を書かん 君墨を磨れ 今朝の春  漱石

1月12日魚津市ホテルグランミラージュ-天翔の間で抱山社富山支部{支部長・阿波加蒼岳氏}の「新年のつどい」が盛会裏に開催された。当日は今冬最強の寒波が日本列島襲来との予報が出ており、心配しましたが左程の影響もなく予定通り開催された。

まず、開宴前に「にいかわ学びの森」ゆかりのトロンボーン奏者、新山久志氏、ピアノ奏者、柏原友美氏によって、ウェルデイの「乾杯」からアンコールを含め、「上を向いて歩こう」「見上げてごらん夜の星」など馴染みのある5曲が素敵なトロンボーンによって、演奏され会場の雰囲気が盛り上がりました。

その後、「新春のつどい」に入り、阿波加会長が挨拶に立ち、抱山社・会長大平匡昭氏から大雪警報等発令中などを考慮し止むを得ず欠席の連絡があった。しかし、今日のため大平会長より、父である大平山涛先生が平成19年{2007}9月9日、91歳でご逝去され、同年11月県立水墨美術館で開催された時、追悼「大平山涛展」に発行された図録が出席者に配布された経緯を説明後、阿波加支部長は、山涛先生は自身の作品について「自然に育まれた感性により、書のイメージを膨らませ、その心のふるさとを表現する時は、私はそれを意識していないが、身体の中に入って蓄積されたものが、無意識のうちに作品に現れるだろう」を引用し、私たちも先生が愛してこられた立山連峰や日本海を毎日眺めていますが、この感性を脈々と受け継ぎ、素晴らしい環境が知らず知らず身体にしみつき、意識しなくても作品に現れるような書を目指し頑張っていこうー。と話したあと、昨年の各種展覧会での入選、入賞者に祝意を述べ更なる精進を促された。

次いで来賓挨拶は、水野滑川市長、広田新川文化ホール館長、釣谷北日本新聞社新川支社長の後、不肖私が乾杯の音頭を取りました。当初固辞しましたが、私が幼稚園児から小学2年生まで,約4年間山涛先生に教わったこと。そのご縁がきっかけで、東京の中野の私邸を訪ねたこと。文化功労者受賞祝賀会に出席したり、ご逝去の折、朝日町での町民葬や東京でのお別れの会にも出席していたことなどから、会の顧問になってていることもあり指名されたものと思います。ただ、残念なことは小学生以降今日まで書を続けていたら、もう少しは上手な「字」を書けたのに・・・とつくづく思います。

1月12日は成人の日でもあり、まだお正月気分が残っている中での「つどい」でしたから会場は賑やかな雰囲気でした。
最後は鈴木孤雲氏の閉会の挨拶でお開きとなりました。

写真は、阿波加支部長・挨拶。来賓の水野市長。乾杯の私。

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令和8年薬神神社新年歳旦祭

旅へゆく 老父{ちち}を送ると担ぎ来て 
             重たし 父の柳行李は

1月8日{金}午前9時新年恒例の薬神神社新年歳旦祭{主催・薬神神社奉賛会}が、みぞれ交じりの肌寒い中、来賓に上京中の市長代理として柿澤副市長、市議会議長代理として水橋・産業・厚生・建設委員長、大門県議、杉田市商工会議所専務理事、雪嶋神社総代を始め、配置薬業従事者、製薬メーカー等々関係者約30名が出席し、厳粛な中にも滞りなく執り行われました。

最初に宮司の祝詞に次いで顧問の私、石政市薬業会長、中屋市薬業青年部長、薬業関係者、来賓など順次玉串奉奠を行い、商売繫盛、交通安全などを祈願した。次いで、会長の石倉雅俊氏が挨拶すべきでしたが、氏は昨年暮れ突然の急逝で不帰の人となられたため、顧問の私が挨拶しました。

年頭の言葉や業界の現状は簡単にして、やはり石倉雅俊氏の話が大半でした。氏は大学を卒業後、家業の売薬に従事し、薬業青年部に入りその後、青年部長や県青連役員などを歴任後50代の若さで営業地の鹿児島県医薬品配置協会会長に就任されました。当時47都道府県の会長の中では最年少でした。
期待通りの活躍後、今度は地元の業界の為にということで、薬神神社奉賛会の会長を引き受けてくれました。それらの功績が認められ昨年秋薬事功労者として厚生労働大臣表彰の栄に浴されました。そして今日、1月8日午後6時祝賀会が開催される事になっていました。それを思うと世の無常を感じざるを得ないし、氏もさぞかし無念だっただろうと思います。

兎に角酒は強いしゴルフも上手。などのエピソードを交えた話の中で氏の真骨頂が発揮されたのは、令和3年10月13日県内の日刊紙一面に不適切な製造の薬が老舗配置メーカーで製造され消費者家庭に配置されていることが大々的に報道され、業界に衝撃が走った。
直ちに業者はその製品の回収に取り掛かるが、業界は大混乱に陥った。その3か月後、令和4年1月11日薬業連合会主催の「薬都富山大会」が高志会館カルチャーホールで開催された折、終了直前発言を求め、不祥事を起こしたメーカーの会長が薬業連合会副会長である。

例年出席しておられたのに何故本日欠席されたのか。出席し陳謝と現時点での今後の対応を話されるべきでないか。お得意様から苦情を聞き陳謝しているのは我々配置員である。時として引き上げを求められることもある。消費者との信頼関係が崩壊したといっても過言でない。我々はメーカーを信じ、薬を仕入れているのである。そのメーカーの責任者が薬連の副会長である。なぜ欠席されたのか。などの質問には大きな拍手が起こった。

さすがの薬連会長も只今の発言の内容は、ご本人には、しっかりと伝えます。との返答で収まったがこの時ほど配置側の意見を代弁したことは無かった。200名を超す参加者の中での発言は中々勇気のいることである。この模様は当日夕方のテレビニュースや翌日の新聞などで大きく報道された。これ以後彼に配置側の立場の発言を期待された中での今回の死である。など彼を偲ぶ話をして、その後任を、(株)日参製薬保寿堂・社長・平田有悟氏に引き受けて戴いたことを話、彼にバトンを渡しました。

平田氏は自己紹介で高月出身や家は売薬であったこと、水野市長の父親とは友人であったことなどに加え、日参製薬の熊胆をさり気なくPRし、本市薬業会発展に努力する旨、力強い挨拶であった。次いで、柿澤副市長は父方も母方も売薬であり、幼い頃より売薬に親しみを持ち、薬の中で育ったこと。
また、第五次滑川市総合計画作成に当たり、魂を入れた将来ビジョンでなければいけない。それはを何かと考えた時、売薬精神にたどり着いた。売薬さんのお得意さんに接する時の笑顔。
①「笑顔いっぱい」幸せを考えた時、健康、イコール薬、それは矢張り売薬である。
②「幸せいっぱい」そんなことから「笑顔いっぱい・幸せいっぱい・光輝くなめりかわ」となったエピソードを交え、薬業に理解を示すご挨拶でした。

また、水橋・大門両来賓も業界発展に尽力する旨のご挨拶でした。
私は挨拶の中で社務所の中からの歳旦祭であったが、そのお陰で薬神神社と隣りの寺院と神仏同時に祈願ができたので今年は良き年となるであろうとも話ました。

いづれにしても石倉氏の死を悼み、氏の薬業にかけた志を引き継いでゆこうと話し散会しました。

写真は、玉串奉奠と薬神神社をバックに挨拶する私。平田有悟新会長の挨拶。

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令和8年滑川市武道稽古始め

新年は 我が身の意気を 新たにす   安岡正篤

1月4日{日}午前8時30分より「滑川市武道稽古始め」が市総合体育館で弓道・剣道・柔道・空手道、4道の関係者が一堂に会し盛会理に開催された。
当日は2日に降った新雪があちこちに残り、多少肌寒い中ではあったが、凛とした天気の中で、むしろ「稽古始め」に相応しいと私は思った。

さて、この大会は、4道持ち回りで運営され今回は弓道会が担当した。それ故、司会は石坂孝文市弓道会副会長の手によって進行された。
先ず、最初に4道を代表して山岸光隆市弓道会長が挨拶。
「四武道に共通していることとして、いかなる時も平常心の心を大きく育てる「心」。技を磨く「技」。身体を鍛える「体」つまり「心技体」。についての話。渾身の力と心を込めた勝負を行っても敗れた時の悔しさなどの経験が、のちの大きな成果に繋がる事などを語り、富山県内の武道界でも昨年は弓道ではインターハイでの優勝者を始め、各道に於いても優秀な成績を残された。

それも皆さんが、このあと、各道場で開かれる稽古始めがその第一歩である事を述べ激励と挨拶が述べられた。次に水野市長を含め、3人の来賓から激励の言葉がありました。
次いで、来賓紹介のあと弓道の演舞が披露された。4年に1度くる弓道の演舞は従来は、巻き藁礼射でありましたが、今回初めて4ッ矢行射が山岸会長の解説で披露されました。これは本番同様距離28m、的の大きさ36㎝の為、体育館内アリーナに特設の仮設射場がセットされました。

この行射は3人{伊東浩介4段・山形窓子3段・平井颯梧3段}が一人4本を持ち的中率を競うものです。この結果3人とも4射3中合計3人で12射9中とまずまずの成績でした。
しかし、会場からは的中ごとに大きな拍手と歓声が上がりました。これによって弓道の持つ魅力の一端でもご理解頂けたら、私を含め、弓道関係者にとっても弓道のPRを含め良い機会であったと思います。

演舞終了後、各団体はそれぞれの会場に分かれ「稽古始め」が行われました。弓道は体育館内の市営弓道場「澄心館」で高校生・一般計45名が参加し行われました。山岸会長の挨拶後、私は、演舞は従来の「巻き藁礼射」から「四ッ矢行射」に切り替えた決断を称え、アリーナでの練習を一度もしないぶっつけ本番にも拘わらず、射も的中数も立派であったと賞賛の言葉を申し上げました。

また日頃行われない正月ならではの、賑やかな風景が展開された射割り、白扇落とし、風船割りなどで、的中するたびに歓声が上がりました。
特に昨年までは「射割り」の板{12㎝×12㎝}や白扇に高橋芳邦前会長が弓道に関する言葉を揮毫しておられましたが、残念ながらお亡くなりになったことから、それを心配していましたが、会員の島津さんが立派にその跡を継ぎ今回「白扇」などに「無心」「澄心」「不動心」「至誠」「常在」等素敵な言葉を揮毫してくれ立派な後継者が出てきていることに高橋さんも喜んでおられると思う事など話し、最後に「一年の計は元旦にあり」即ち「新年は 我が身の意気を新たにす」それぞれが目標を設定し努力・精進し良き年であるよう祈念し挨拶としました。

その後山岸会長の一手{2本}礼射の後参加者全員が一手を引き、余興を楽しみ新年を祝い心を新たにしました

写真は、四ツ矢行射。アリーナの仮設的場。4道代表で挨拶する山岸弓道会長。

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大岩山・日石寺初詣

目でさたも 中くらいかな おらが春   一茶

1月1日午前1時、大岩山・日石寺{上市町・大岩163}初詣として参拝した。
日石寺では、元旦は午前1時・午前11時・午後2時の3回護摩祈禱が行われる。わが家から車で約30分と近距離でもあり、ここ20数年日石寺への初詣は恒例となっている。今回は午前1時に参拝しましたが、みぞれ交じりで、肌寒く例年より参拝者は少なく感じられました。

さて、日石寺は真言密教の大本山として知られ、神亀2年{725}行基菩薩が大岩川の岩に不動明王を刻んだことが起源と伝えられ、昨年は開基1300年祭も盛大に行われました。高さ3・46mの本尊・不動明王像は四体が凝固岩に手彫りで彫り出され、中部地方の最高傑作として高い評価を受けており国指定重要文化財となっている。

ただ、残念なことに昭和42年7月23日風呂のボイラーの加熱で入母屋作りの覆いなどが焼失した。当日消防の放水によって摩崖仏に水がかかるとひび割れを起こすことから、関係者が必死になって摩崖仏に放水しないように、身体を張って阻止した話はよく聞きました。
その後、信者の方々や篤志家の支援によって立派に再建された。全国の摩崖仏は露天であるため風化が激しいが、日石寺の摩崖仏は室町時代以前から覆いで覆われていたために、不動明王像の勇姿が今日まで伝えられている。これは全国的に見て珍しいという。

また、境内には6本滝があり、1月20日の大寒には、滝に打たれる寒修行が行われることでも有名である。三重塔もあるが、江戸時代に着工されたが、途中工事が中断され今日に至り未完の塔と言われている。いつ頃まで工事が行われていたのか.前述の火災で資料が焼失したため不明という。家内安全・交通安全等を祈願し護摩祈禱を受けたお札を購入し帰宅した。

その後2時過ぎから4時まで宮委員を務めている地元の加積雪嶋神社へ行き、宮当番として出席し、4時帰宅した。

参考まで・・・摩崖仏とは、石仏の一種で自然の岩壁や露岩、或は転石に造立された仏や不動明王の総称。不動明王とは、密教の信仰対象で、大日如来の化身とされる仏教の尊像。五大明王の一つで、仏法を守護し、人々の災いや迷いから救ってくれる仏。不動明王の姿は、煩悩にまみれた救いがたい者こそ救うため、また仏道の妨げになる邪な心を断つため勇ましいいで立ちをしている。

写真は、日石寺本堂前。本堂にて護摩祈禱。

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