5月23日上京の折、東京丸の内にあるこの美術館を訪ねた。
三菱の創業者である岩崎彌太郎の弟である岩崎彌之助{1851–1887}が廃藩置県や廃仏毀釈で美術品が海外を含め散逸することを憂慮し収集し、その子、小彌太{1879-1945}に引き継がれ、親子二代によって創設・拡充され国宝7件、重要文化財84件、約6500件の東洋美術品、約20万冊の古典籍を収集し収蔵した。
明治25年東京駿河台の岩崎彌之助邸内に美術館を創設。次いで、小彌太が高輪邸に文庫を開始し、活動が継続されました。
1940年{昭和15}財団法人静嘉堂を設立。小彌太没後の1946年{昭和21}、その遺言によって、国宝,重要文化財を中心とする美術品が孝子夫人から財団に寄贈されました。
1992年{平成4}静嘉堂創立100周年を記念し、静嘉堂文庫美術館を新設。2021年{令和3}6月まで、世田谷区岡本の地で展覧会が開催されていましたが、創設130周年の2022年{令和4}10月岩崎彌之助が美術館建設を願っていた東京丸の内の地で、重要文化財の明治生命館1階で展示活動が始まりました。静嘉堂の名称は中国の古典「詩経」の大雅、既酔編から採った彌之助の堂号で、祖先の霊前への供物が美しく整うという意味です。{パンフレットより}
美術館所蔵の中で特に有名なのは国宝、「曜変天目」といわれる一腕です。私の見た感じでは直軽約10㎝程、高さ約7-8㎝程度の小さな茶碗でした。
パンフレットによれば、静嘉堂の「曜変天目」は「稲葉天目」とも言われる。健窯 南宋時代{12ー13世紀} 建窯の黑釉茶碗で、斑紋の周囲に青色を主とする光彩があらわれたものをいう。完全な形で現存するものは、世界で京都大徳寺塔中龍光院。大阪の藤田美術館と静嘉堂の3点のみである。本作は、光彩が全体に鮮やかに現われた一腕。江戸時代3代将軍家光が春日局に下賜したと言われる。
それが春日局の孫・稲葉正則に譲られ、淀藩主稲葉家に伝わったため「稲葉天目」とも言われる。1918年{大正7}稲葉家から親戚の小野家に渡り、1934年{昭和9}岩崎小彌太所有となった。」世界に3点しかないのが、全て日本にある。つまり本家の中国にもないということです。
私のような素人でも、神秘的な輝きを持ち釉薬に浮ぶ虹色の光彩による謎めいた美しさには暫し見とれた。それ故、今日まで多くの人々を魅了し続けるのであろう。
写真は、展示してあった「曜変天目」茶碗。