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滑川高校卒業証書授与式

春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど・・・早春賦

3月2日、前日の同窓会入会式の天候とは、打って変わって風雨の強い中、午前10時より体育館において、卒業生、在校生代表1名、保護者、来賓が出席し卒業証書授与式{卒業式}が挙行された。当日は、コロナ禍の為、在校生は各教室からのリモート参加でした。

また、昨年歌われた国歌「君が代」「蛍の光」「仰げば尊し」「校歌」はテープで流されましたが、やはり「蛍の光」や「仰げば尊し」は卒業式には欠くことの出来ない曲と私は思う。そして、全員の合唱で卒業式の雰囲気が一層盛り上げてくれるのですが、コロナ禍を考えると今回は止むを得ないと思う。来年は是非生徒の歌声を聞きたいものです。

①在校生代表から卒業生への送辞
代表が部活動や生徒会活動を通して指導を受けた数々の思い出を語り、先輩の築いてきた本校の良き伝統を引き継ぐ決意と感謝の言葉でした。

②卒業生代表から在校生への答辞
3年間の思い出をを一つ一つ丁寧に述べて、在校生、教職員、家族への感謝とお礼の言葉でした。特に、コロナ禍で運動会や文化祭或は各種大会など殆どの行事が中止なった。
それ故、日頃の練習の成果を発揮する機会失ったことの無念さ。その時、親身になって相談に乗ってくれた教職員への感謝など、涙ながらに語っていた姿が印象的だった。
また、在校生には、滑川高校をより発展させてくれるようにとの強い思いと、3年間で培った経験を糧に新たな人生を歩んでいく力強い挨拶でした。

③柳原校長は昨年4月始業式が終わり3年生になった途端コロナ禍で休校になり、殆どの行事が中止になったが、それに代わる行事を生徒が知恵を出し、企画し努力し成功裏に導き,普段味合うことの出来ない思い出を創り出したことへの賛辞と生徒の前途に幸多き事を願う言葉でした。

最後は、生徒会で決めたグループ「嵐」の「カイト」{英語で凧}の曲が流れる中、盛大な拍手に送られて会場を後にし、式を終えました。

いつもこの様な式に出席するたびに思うことは、50数年前、私の卒業当時と、その後の時の流れに思いをはせ自らの年齢を顧みた時、無為に時を過ごして来たことに内心忸怩たる思いをする。若さとは、青春とはやはり羨ましいし、素晴らしい。何故なら2050年、日本は、世界はどんな世の中になっているだろうか。その時、私はこの世にいない。しかし、彼らはまだ50歳前である。そんな事を考えながら学校を後にした。

写真は、柳原校長より卒業証書を受け取る卒業生代表

参考まで、以前も話ましたが、「蛍の光」と「仰げば尊し」の由来を記します。

「一」「蛍の光」
 蛍の光窓の雪・・・・の歌詞は古代中国「晋」の学者車胤が貧しくて油が買えないため、蛍を集めてその光で書を読み、同じく孫康が雪明かりで勉強したという故事からとったもので、勉強しょうと思えばどんな環境でもできることを意味し「蛍雪の功」の言葉もそこから生まれた言葉であろう。原曲はスコットランド民謡で、明治14年刊行の「小学唱歌集」に蛍の題名で発表された。作者不詳である。スコットランド民謡を敢えて翻訳しないで「徳性涵養」の教育方針から、道徳的な詩がはめ込まれたという。滑川高校校歌二題目に「思え車胤の青春の・・・」とある。

「二」「仰げば尊し」
明治17年に日本で初めての音楽教材集「小学唱歌集」{三}」に載っている。ところがこの歌の作者については、編集に関係した人たちの誰かだろうと言われているが、判っていない。外国の民謡らしいという説にも根拠がなく、もし日本人の曲であるとしたら当時としては非常に珍しい西洋風の長音階である。戦後の一時期、卒業式にこの歌が歌われることに教師側が抵抗を感じたことがあったが,PTA側が卒業式はこの歌でなければ承知しなかった。映画「二十四の瞳」でこの歌をテーマ曲に使い、多くの人々を感動させたのも、この歌に対する感傷性が大きかったせいではなかろうか
{注}「蛍の光」と「仰げば尊し」は平成4年1月発行、CBSソニーファミリークラブ「心のうた、日本のうた」より
但し、10年ほど前アメリカの曲であることが判明したという。中屋記

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