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県立工業課程高校同窓会協議会

10月3日表題の令和7年度秋季定例会及び研修会が桜井高校で開催された。
最初に宮本光明協議会会長の挨拶。柳田桜井高校同窓会長、藤田同校校長が挨拶。次いで15周年事業の収支報告などいづれも承認されました。引き続き同高生徒の測量実習を視察した。

やはり時代の流れで、ドローンが使用されていた。
場所を移し、YKKAP技術館を視察しました。YKKと言えばファスナーと吉田忠雄、そして「善の巡環」という言葉を思い出しますが、実はYKKを日本一のアルミサッシメーカーに導いたのが、正直私も知らなかったが忠雄氏の兄・久政氏であった。
パンフレットによれば「建材事業」が生まれたのは、ファスナー事業が急成長する真只中の昭和34年{1959}過去の経験からアルミ建具の製造に思い至った久政は、事業化を提案するが、当時の役員会は「ファスナーに専念すべきだ」と言う声が大勢をを占めていた。

最後は「建材はこれから必ず伸びる」という久政の熱意に押された忠雄が、建材事業への進出を英断。信念を貫き通した久政は、若き精鋭たちと共に建材事業を軌道に乗せ,YKKを日本一のアルミサッシメーカーへと導いた」とある。
こんなことから、昨年秋オープンしたこの技術館を新築でなく建材事業誕生の契機となったアルミ押出機が設置されたその建物を改修したのがこの技術館であった。正に建材部門の始まりから今日までの歴史館である。

コンセプトは、
①建材事業の始まりを「創業」
②アルミサッシと断熱技術の進化を「発展」
③窓事業・カーテンウオール・海外展開を「改革」
④地球環境への新たな取り組みを「挑戦」

4つの時代をエリアで紹介し、最後にYKKAP先人ホールがあり、そこに建材事業生みの親、吉田久政とそれを支えた若き技術者達の功績とともに映像と展示で紹介されていました。昭和42年{1967}久政は自らが名付け親となった「ハイサッシ」の大ヒットを見届けることなく62歳の若さで惜しまれつつ他界した。

その時,故人を偲んで社員から贈られた頌徳の記が刻まれた久政氏の銅像が立っている。NHKのプロジェクトXで取り上げて欲しいものである。今日までの成功した実業家達の伝記物等を読むとやはり「温室に大木なし」である。

久政氏もしかり。小学校を卒業すると15歳にしてゴム長靴の行商から人生が始まった。ものづくり県、産業県を標榜する本県には、吉田忠雄・久政や安田善次郎・浅野総一郎・大谷重工業創始者・大谷米太郎等多くの起業家を輩出して来た。少子化の流れの中で高校再編が議論されている。溢れんばかりの起業家精神を教育の中で生かして欲しいものである。

写真は、
①桜井高校生徒のドローンも使った測量実習。
②技術館パンフレット。
③YKK精神「善之巡環」。
④建材事業誕生の契機となったアルミ押出機の前で。 
④記念写真

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