たたまれて いても涼しき 日傘かな
誰の句か知りませんが、たたまれている日傘を見ただけでも一服の涼を感ずる位の連日の猛暑である。
さて、8月10日{土}午後6時恒例の滑川高校同窓会{会長・中屋一博}の総会及び懇親会が約70名の参加を得て、西地区コミュニティセンターで開催されました。
総会は毎年曜日に関係なく、8月10日と定められています。同窓生は約3万7千人と県下最大規模を誇る同窓会として発展し、各界、各層に有為な人材を多数輩出し、各分野で活躍しておられることは私達の誇りとするものです。
今年の総会は役員改選の年でしたが、不肖私が再選されました。ただ今回は新たに富山{水橋}、,滑川、魚津担当の副会長を設けたことと,幹事も若手を多く起用し組織の強化を図りました。将来これに上市が加われば更に良いかと思います。
いつも思うことですが、誰にでも生まれ育った「ふるさと」があるように、誰にでも青春の一時を過ごした母校があります。特に今回思ったのは、たまたま総会当日はパリ五輪の開催中で、連日、日本選手ののメダルラッシュに湧いていました。
その中で日本選手が金メダルを取り表彰台に上がり、国歌が流れ、国旗が掲揚され選手が金メダルを高らかに持ち上げるシーンや日の丸を背にして会場を回ったり、ガッツポーズの姿を見ると、どこか胸が熱くなる。
日頃、君が代や日の丸に関心のない人でも、あの映像をテレビで見るとどこかジーンとくる。これが日本人なんだろうと思う。富山県人が帰省した時、立山連峰の雄姿を見て自身が富山県人である事を自覚するという。
パリ五輪には滑川高校出身つまり同窓生である村上英士郎さんがウエイトリフティング競技で出場し、総会会場はその話題で大いに盛り上がった。母校の存在も前述同様、日頃滑川高校の存在を全く意識していない人でも何かの機会に母校の名が出るとやはり意識する。母校とはその様な存在だが、人それぞれの心の中で生き続けているのであろう。
さて、その村上選手{平成25年度卒、29歳}は本校出身者として夏季五輪にレスリング競技で出場し,昭和39年東京五輪で銅メダルに輝いた堀内岩雄氏が唱和43年メキシコ五輪に出場以来ですから、実に56年ぶりの快挙です。しかも富山県でもウエイトリフティング競技での五輪出場は初めてです。特に彼の102㎏超級クラスは日本人でも出場は難しく3年ぶりです。
ウエイトリフティング競技は、日本時間8月11日{日}午前3時30分より開始され、西地区公民館で、「拳魂」と村上選手がバーベルを持ち上げる姿を描いたTシャツを着た滑川高校ウエイトリフティング部部員に、保護者、OB、OGなど関係者約70名が集まり、手作りの「うちわ」やステック・バルーンを打ち鳴らし大型モニターで観戦、応援するという。
私も前夜の懇親会で多少疲れもありましたが、同窓会長として観戦し精一杯の応援をしました。
結果はスナッチ180K、ジャーク220Kトータル400Kで12人中10位でした。
しかし、五輪に出場するだけでも大変なことに加え、両足首を痛め万全でない中での成績で、しかも五輪で10位ですから立派なものです。午前3時半にも拘わらず、多数集まった人々から村上選手の勇姿に盛大な拍手が送られました。
後に続く後輩たちにも、大きな励みになったと思います。事実8月12日付、北日本新聞で、先の全国総体女子76K級を制した本校3年の眞田明花李さんが「世界で戦う姿を見せてもらったので、自分も高い目標を目指したい」との意気込みが掲載された。部員のみならず学校全体が活気つき、我々にも、元気、勇気を与えてくれた。いづれ帰国後、学校での報告会が楽しみである。
写真は、総会で挨拶する私。西地区公民館のモニター画面で、スナッチ220Kを成功した村上選手。「拳魂」と村上選手のイラストされたTシャツ。閉会式での村上選手{北日本新聞より}