なかや一博 ブログ

叙勲祝賀会

大いなる 叙勲の花は咲きにけり 更なる飛躍 米寿目指して

3月20日{火}午後6時富山第一ホテルで吉田昌雄さんが、昨年秋の叙勲で旭日単光章受章の栄に浴され、その祝賀会が開催されました。吉田さんは、医薬品配置販売業を通じて、地域の保健衛生への貢献とともに、関係団体の役員として業界の発展に尽力された功績は大きいものがあります。

現在{一社}富山県薬業連合会副会長や富山県医薬品配置協議会会長などの要職にあるほか、全国配置家庭薬協会配置部会長、富山県薬業配置部会連合会会長、同、北海道部会長、同、栃木県部会長、などを歴任し、その功績が認められたものと思います。
そんなことで、氏の祝賀会は、私も参加しましたが、すでに昨年12月13日{一社}富山県薬業連合会主催で、また、北海道部会によって本年1月17日開催されました。
しかし、その二度の祝賀会に出席出来なかった多くの薬業人から、もう一度開催の声が寄せられました。そこで、1月に入り本人を含め、世話をして頂ける人が集まりました。
その結果、氏が会長を務めている富山県医薬品配置協議会が中心となり、氏が副会長の滑川市薬業会と配置薬業千歳会に打診したところ、快く賛同を頂きました。

そして、発起人代表として協議会の顧問であり、氏とは長年の付き合いがあり、公私にわたりお世話になったことから、不肖私に強い要請があり引き受けました。
世話人会の話し合いで、今回の祝賀会の対象をできるだけ過去の祝賀会に出席していない人。出席者数は88名とした。それは、氏が受章された時は77歳。つまり、喜寿であります。これからも88歳、米寿まで、まずはご活躍を。そんな思いで88名としました。
結果は、案内状を出していない方も出席希望があり100名近い出席者となりました。
これも吉田さんの人徳の表れだと思います。

式は  {敬称略}
①開会のことば 発起人、滑川市薬業会会長、荒井義博
②発起人代表あいさつ 富山県医薬品配置協議会顧問、中屋一博
③来賓祝辞 富山県知事代理 県厚生部長 前田彰久
      富山県議会議長 稗苗清吉
      滑川市長代理 副市長 石川忠志
      {一社}富山県薬業連合会会長 中井敏郎
      {一社}全国配置薬協会会長 塩井保彦

引き続き、富山県医薬品配置協議会より記念品贈呈
次いで、吉田さんのお孫さん8名が壇上に上がり、吉田御夫婦に花束を贈呈。
さすがこの時お2人は目を細め、嬉しさいっぱいのお顔でした。
次いで、吉田さんから感極まった表情でお礼のことばがあり、河上宗勝{一社}全国配置薬協会配置部会長の発声で乾杯があり懇親会に入りました。

宴の途中で、アトラクションとして、津軽三味線が披露されました。
中締めの万歳は今家英明滑川商工会議所会頭が行い、閉会のことばは宮崎吉美発起人千歳会会長が述べ盛会裏に終了しました。
特に、印象に残ったのは、家族のテーブルに吉田さんの御両親の写真が置かれていました。
いかにも、吉田さんの人柄を示すものであります。草葉の陰からこの度の受章をきっと喜んでおられたと思います。

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(2018/03/21)

滑川高校卒業式

3月2日{金}午前10時より234名の卒業式が多数の来賓、保護者出席のもと挙行されました。本校は普通科1学年3クラス、商業科1学年1クラス、薬業科1学年1クラス、海洋科1学年1クラス、新川地区では最大の総合学科を擁する県立高校です。毎年卒業式に招かれて出席している1人ですが、今回特に感じたことを記します。

①石倉校長の式辞は、地球の成立ちから、氷河期の到来、恐竜の絶滅、ダービンの進化論哲学者、パスカルの「人間は考える葦である」などを引用し、強い者が生き残り、弱い者が絶滅するのではなく、環境の変化に柔軟に対応してきた者が生き残ってきた例を上げてこれからの人生を重ねあわせ,示唆に富んだ式辞でした。

②在校生から卒業生への送辞は、蛍の光を在校生全員で合唱する中、在校生代表が登壇し、3年生に対し部活や生徒会活動を通じて指導を受けた数々の想い出を語り、先輩が築いてきた本校のよき伝統を引き継ぐ決意と感謝の言葉でした。

③卒業生から在校生への答辞は、仰げば尊しを卒業生全員が合唱する中、卒業生代表が登壇し答辞が述べられました。内容は、3年間の想い出を一つ一つ丁寧にに述べ、在校生と教職員への皆さんへの感謝と御礼の言葉でした。そして、様々な想い出を胸に新たな人生を歩んでゆく力強い決意表明でした。

答辞は女子生徒で約20分と少し長かったですが、長さを感じさせない内容で、送辞、答辞、どちらも素晴らしい内容で感心して聞いていました。

最後に、卒業生は、平昌オリンピックがNHKで放映された時  流れたSEKAI NO OWARIの「サザンカ」の曲に送られて退場しました。卒業生を送る曲としては素敵な曲でした。それにしても、130年余りも前に作られた「蛍の光」と「仰げば尊し」の歌詞が素晴らしい。やはり、よきものは何時までも残さねばならないと思います。

参考まで
「蛍の光」 蛍の光 窓の雪・・・の歌詞は、古代中国の「晋」の学者車胤が{貧しくて灯油が買えないため、蛍を集めてその光で書を読み、同じく孫康が雪明かりで勉強した}という    故事からとったもので、一生懸命勉強することを{蛍雪の功}といった。
原曲はスコットランド民謡で、明治14年刊行の「小学唱歌集」に「蛍」の題名で発表されたが作者不詳である。スコットランド民謡を敢えて翻訳しないで、「徳性涵養」の教育方針から、道徳的な詩がはめこまれた。
{注}滑川高校校歌二題目に「思え車胤の青春の」とでてきます。

「仰げば尊し」 明治17年に日本で初めての音楽教材集「小学唱歌集{三}」に載っている。ところがこの歌の作者については、編集に関係した人たちの誰かだろうといわれているが、判っていない。外国の民謡らしいという説にも根拠がなく、もし日本人の曲であるとしたら当時としては非常に珍しい、西洋風の長音階である。
戦後の一時期、卒業式にこの歌が歌われることに教師側が抵抗を感じたことがあっが、//PTA/側が卒業式はこの歌でなければ承知しなかった。映画「二十四の瞳」でこの歌をテーマ曲に使い、多くの人々を感動させたのも、この歌に対する感傷性が大きかったせいではなかろうか
発行日平成4年1月31日 CBSソニーファミリークラブ「心のうた、日本のうた」より



(2018/03/02)

滑川高校同窓会入会式

春の苑 紅匂う桃の花 下照る道に 出で立つ乙女  大伴家持

3月1日{木}滑川高校3年生234名の同窓会入会式が卒業式の前日行われました。これは、本校の卒業生が卒業と同時に同窓会の一員になることを自覚し、誇りと自信を持ってこれからの人生を歩んでほしい。そんな願いも込められていると思います。

それを感じるのは、例えば、プロ野球ロッテ球団の石川投手が活躍しているニュースに接したりする時です。直近で言えば、平昌オリンピックスノーボード女子スロープスタイルとビッグエアの2種目に出場したのが本校出身の広野あさみさんです。でも、ほとんどの人は彼女の存在は知らなかったと思います。しかし、それを知った時、生徒諸君は歓喜したそうです。母校、同窓会、故郷とはそんな存在なんだろうと思います。目には見えないけれど、人それぞれの心の拠りどころとして、生き続づけるものです。

そして、私は、挨拶の中で平昌オリンピックのメダリスト達の話を紹介しました。

①羽生結弦選手
「私は、昨年11月9日    NHK杯公式練習での怪我がなく、順風満帆でオリンピックに出ていたら、今日の金メダルはなかったと思う。」つまり、怪我をしたことによってから多くのことを学び、人として一回り大きくなったとの意と思います。

②小平奈緒選手
与えられるものは有限。自分から求めるものは無限。メダルは私が戦ってきた証であり、皆さんに支えてもらった証。好きな言葉は求道者、情熱、真摯
つまり、色々な人からアドバイスや支援を受けても有限である。しかし、一つの道を極めようとする情熱や真摯な姿勢があれば無限である。そんな意味かも知れません。

③広野あさみ選手
オリンピック出発前、富山でインタビューに答えて、「一歩一歩階段を上がってきて、やっとたどり着いた。諦めなくてよかった。」そして、色紙に「1人でも1人じゃない。」と揮毫した。

また、選手のほとんどに共通した発言は①家族に感謝。②選手に感謝。③コーチ、監督に感謝。会社に感謝。④今日まで支えてくれた関係者と声援を送ってくださった国民の皆さんに感謝。など感謝、感謝の連続でした。

今回の平昌オリンピックが多くの国民に感動と勇気、元気を与えてくれたのはそれぞれの競技内容の素晴らしさや、女子スピードスケート500m競技で一位の小平奈緒選手と2位の韓国、李相花{イサンフアン}選手とが涙を流し健闘を讃え、抱き合うなど数々の感動のシーンがありました。

しかし、それ以上に感動したのは、選手達の口から発せられる他者への思いやりの心と感謝の気持ちの大切さを改めて教えてくれたことに国民が感動したのだと私は思います。

広野あさみ選手は帰国後、予選は通過出来なかったけど人生で貴重な経験だったし、手袋に「1人じゃない。」と書き込み滑ったことを話し、滑っている時は1人でも、決して1人じゃない。多くの人に支えられ、声援を頂いているからここで滑ることができた。だから決っして自分は1人じゃない。改めて思った。と述べておられます。

私は、これらを紹介し生徒諸君が明日から社会人としてスタートする人、また、進学する人、それぞれ歩む道は違えども、決して1人じゃない。家族、友人達、恩師など、多くの人が君たちの周りにいて声援を送っている。その中に母校があり同窓会があることを同窓会長として話をし、洋々たる前途に幸多きことを祈念し、話を終えました。

参考まで本校出身者でオリンピック出場は1969年{昭和44年}のメキシコオリンピックでのレスリングの堀内岩雄氏以来49年ぶりです。

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(2018/03/01)

滑川室内温水プール

裏庭に 膨らむ 今日の芽吹きかな

北陸地方を襲った寒波も峠を越し、我が家の裏庭の残雪の割れ目から、蕗の薹の蕾が顔を見せるなど、春の訪れを感じさせる季節となりました。 先日、ある市民の方と滑川温水プールについて話をする機会がありました。 その方、言わく、利用料金が安くならないか?であります。私は、はっきり言って反対しました。

現在の温水プールの利用料金は、 大人420円 高校生250円 4歳以上の子供120円

ちなみに他の施設はというと 市民交流プラザあいらぶ湯 大人620円 小人310円 タラソピア 大人850円 小中学生は毎月第四土、日のみ利用可で、小学生400円 中学生600円

各施設には、それぞれに回数券や高齢者の割引制度など独自の企画があります。さて、料金が安いか、高いかは、そもそも施設の目的も利用者の利用満足度も違う訳ですから、一概に金額だけでは論じられないと思います。 ただ、自らの健康は、自らが守る。当然のことと思います。病院は病気になって始めて行きます。しかし、人は健康を長く維持するために、医薬品や健康食品、或いは、トレーニングジムを利用したり、食生活で改善を図ったりします。様々な対応がありますが、やはり、それ相応の対価が必要です。 そこで、本市に現在の室内温水プールが建設された経緯について多少記しておきます。

平成4年頃から市内の水泳関係者を含め、2万人をこえる署名を添えて市、当局、市議会に「市営温水プールの建設」の陳情が行われた。昭和60年に滑川市総合体育館、平成3年武道館が建設されました。他市にあって本市に無いのは温水プール。そんな思いが陳情活動に繋がったと思われます。当時はバブル経済の真っ只中、全国各地の自治体が地域活性化の名のもと、競うようにハードな施設の建設ラッシュです。竹下首相のふるさと創生として、全国3300余の自治体にそれぞれ1億円を配ったのもこの時代です。国も地方も多少財政に余裕がありました。現在と比較すると実に羨ましい限りです。
しかし、本市は滑川中学校と早月中学校の2校の新築を計画しており、建設費は一過性であるが、問題は年間の維持管理費です。当時の試算では3500万円から4500万円程とされました。果たして本市の財政で毎年これだけの支出に耐ええるか?これが議論になりました。そんな時、全国各地で温水プールの運営に携わっているのが、公益財団法人・体力つくり指導協会{事業本部・東京都江東区大島1丁目2-1}でありました。

当時の理事長は日本レスリング協会の笹原正三氏であり、その人脈の中に現在滑川市名誉市民の福田富昭氏がおられ、そんな縁でこの協会に運営を委ねる話が持ち上がりました。 その結果、市内に温水プールがないことも考慮し、準市民プール的な存在とし、幅広く市民に利用できるように要望を付け、土地は無償貸与とし、建物は体力つくり指導協会が建設し、市は、その建設費の48%の補助と、運営管理補助金を出すこととした。

当時の資料を見ると
・竣工式、施設オープン平成6年7月6日
・建設費 総費用444,960千円 ・市の補助 213,580千円(約48%)
・市の運営管理補助金  年間13,440千円 ・利用料金 大人300円
・プール 25m×7コース、水深1,2m 室内温水プール
・子供から大人までの水泳教室も開催する

厚生連滑川病院も準市民病院的な施設として、市より補助金が出ています。温水プールのような建設、運営方法は近年では氷見市民病院があります。病院の建設費は氷見市が負担し、管理運営は金沢医科大学がおこない、温水プール同様に市が補助金を出すものです。 この様な経緯を考える時と、もし利用料金を下げると片方運営管理補助金の引き上げが求められる可能性も出てきます。それでなくとも平成6年から今日まで25年余この間補助金は全く同額です。
しかも、燃料の灯油が平成6年は1㍑約50円が平成29年には1㍑約90円と上昇しています。消費税も当時の3%から現在では8%になり、当然のことながら賃金も、また、各種の維持費も25年間の間でそれなりに上がっていると思います。
しかし、利用料金の300円が20年間続き現在の420円になったのは平成26年です。
別に、私は、協会の肩を持つわけではありませんが、これだけ長期間運営管理補助金や利用料金が据え置かれて来たのが不思議なくらいです。仮に、補助金が上がるとすれば、その差額分は当然のこと市民の税金が投入されるわけです。

いずれにしても、市直営のプールであったら運営管理費は協会への補助金の数倍になることを思うと、全体的に見て利用料金の420円は止むを得ないと思います。 反面、体力つくり指導協会の経営努力は相当なものと思います。
その為にも1人でも多くの市民がプールを利用することです。そして、市民の健康づくりに貢献する施設として、愛され、親しまれる温水プールとなるため、行政、市民、協会が連携してゆくことが大事であると思います。

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(2018/02/23)

手嶋龍一氏講演会

1月29日{月}滑川商工会議所新春講演会が同所で開催されました。
講師は、外交ジャーナリスト・作家手嶋龍一氏で、演題は「激動の2018年を読み解く」~緊迫する東アジア情勢と日米同盟~でした。
最初に氏の奥さんが、富山市呉羽出身であることやその、親戚が高橋正樹高岡市長であることなどを紹介し、富山県とは縁があり、講演依頼があると断れないなどユーモアを交え本題に入りました。

まず、朝鮮半島情勢における、日・米・韓と北朝鮮の動き。一触即発の米国と北朝鮮の中で、かってキューバ危機と言われたケネディ大統領とフルフチョフ・ソ連首相との心理的駆け引きの中で、ケネディ大統領の海上封鎖の決断。

2001,9,11テロからサダムフセイン大統領捕捉までの経緯やその後のテロリストの拡散とI,Sの現状。

また、最近のトランプ大統領の突然のTPPやパリ協定への復帰を示唆する突然の発言の真意。台湾海峡での不測の事態の回避など、氏のNHKワシントン支局在職や、長い米国滞在そして外交ジャーナリストとしての豊富な知識と情報などを織り交ぜての内容の濃い講演会でした。

時間の関係で質問が出来なかったのは残念でした。
講演を聞いて、私が質問したかったのは、米・中関係です。

私見ですが、習近平主席は昨年秋の人民代表者大会で5年後の任期以降も視野に入れた党人事を含め、毛沢東と並ぶ、いや、それ以上の地位と権力を手に入れたといわれています。
そして、彼の野望は彼の任期中に台湾を本土に帰属させる、もしくは、そのメドをつけることにあるのではないだろうか。これが実現すると毛沢東をこえて中国の歴史に名を残すことになるだろう。

そんな中、昨年11月トランプ大統領が訪中した。北京の故宮博物院では貸切で見学するなど予想外の大歓迎を受けました。そして、首脳会談も行われましたが、私が不思議に思うのは、従来、米国は必ずと言っても良いくらい
①人権問題を取り上げている。しかし、今回、その点には触れられた形跡はない。
②南シナ海での中国の覇権についても、ほとんど言及がない。米国と中国とは水面下で何らかの密約があったのではないか?

 例えば、中国は米国に対し、①と②加えて台湾問題は内政問題だからこれには触れるな。その代り、28兆円の経済援助や国連安保理に於ける北朝鮮への経済制裁決議には協力する。
こんな疑問を私は感じます。トランプ大統領は米国ファースト。米・中の貿易不均衡の是正に28兆円の手土産を訪中の成果として高らかに謳っています。この点を含め、何点か質問したかったのですが残念でした。

 いずれにしても有意義な講演会でした。

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(2018/01/30)

抱山社新年のつどい

1月8日12時より書道の抱山社富山支部{阿波加蒼岳支部長}の「新年のつどい」が魚津市のホテルグランミラージュで会員ら120名の多数の出席のもと、盛会裏に開催されました。
経澤青汀氏の司会で始まり、阿波加支部長が開会の言葉を述べる中、昨年12月まで2か年県書道連盟委員長の要職務め、無事退任できたのも皆様のご協力の賜物と感謝の言葉もありました。
尚、新委員長に就任されたのは、富山市在住、河合蘆洲氏であり、二代続いて滑川高校卒業生であることは私や同窓生にとっては嬉しい限りです。
次いで、抱山社の大平匡昭会長が年頭の言葉を述べ、「意気盛んに、色々なことにチャレンジし、自分の書を作るよう頑張って下さい」とご挨拶がありました。

このあと、昨年の創玄展や日展、毎日書道展、県展などの入賞者の紹介がありました。引き続き、来賓祝辞、乾杯のあと懇親会に移りました。
カラオケあり、各社中のかくし芸あり、大平会長の今年の干支「戌」の色紙のじゃんけん大会があるなど、終始和やかな雰囲気で進められました。最後に大平会長のお父さんである、故、大平山涛先生{朝日町、名誉町民、文化功労者}が好まれた「星影のワルツ」を全員で合唱し、閉会の言葉をもってお開きとなりました。

私は、幼稚園~小学生時代の数年間、大平山涛先生に教えていただいたご縁もあって、そんな立場でも器でもありませんが、現在、抱山社富山支部の顧問を務めています。
また、河合蘆洲氏には、平成25年10月、滑川高校創立100周年記念事業の一環として、校舎正面玄関左手にある校歌を記した記念碑に、揮毫していただいたのが河合蘆洲氏です。

 筆一本 変幻自在に運びつつ 墨痕鮮やか 幽玄の世界

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(2018/01/09)

薬神神社歳旦祭

1月8日恒例の薬神神社歳旦祭が旦尾宮司のもと、配置薬業従事者、配置薬メーカー、行政などの関係者が集まり執り行われました。
当日は、多少肌寒いお天気でしたがむしろ凛とした雰囲気で、今年1年の商売繫盛、家内安全を祈願するには相応しいと私は思いました。
その後、社務所に移動して業界の情報交換や、それぞれの抱負や近況を語り散会しました。
ここで、薬神神社の縁起由来について記しておきます。

薬神神社{元、静岩社の再興社}
鎮座地  滑川市加島町2050{加積雪島神社境内}
祭 神  神農 大己貴命 少彦名命
宮 司  旦尾嘉孝 櫟原神社宮司兼務社
境内地  加積雪島神社境内地内に鎮座す。{前巾₃3,5間、奥行10間、35坪、玉垣で囲む

由緒沿革
本社は明治13年6月創建静岩社{明治12年11月滑川町売薬業者の勧請}は櫟原神社の末社として社殿の建立経緯は不詳で暫く旦尾神主邸内に鎮座され、明治40年10月保寿堂庭内に社殿建立し祭神の鎮座を上申したが、許可がなかったので御影の鎮座を仰ぎ薬師社として奉斎崇敬していた。
昭和30年10月全市の売薬業者及び市内製薬会社の奉賛金募財により昭和32年加積雪島神社境内地に社殿建立し、祭神大己貴命、少彦名命神農神を合祀し薬神神社とて業界信徒奉斎しているも、叙述の因縁あり一社創建でなく静岩社の再興社殿である。

社 殿  神殿 4尺×4尺×3尺{神明作り高棟小洞社殿}昭和31年10月8日建立
     コンクリート高造り基礎盤 
境内構築物 社標「薬神神社」揮毫 文学博士 山田孝雄
      寄進 昭和31年10月8日 願主 崇敬者一同
鳥 居 小型 寄進 昭和31年10月8日 願主 斎藤清兵衛 同ソノ
洗 心 寄進 昭和31年10月8日 願主 水橋吉助 外16名
神 灯 {木製高柱造り} 昭和31年10月8日建立 願主 崇敬者一同
薬神神社 奉賛会会長 水口誠一
{滑川市神社誌 滑川市神社氏子総代会編 昭和63年10月15日発行より抜粋}

追 記
山田孝雄{よしお}富山市出身 {1873~1958 85歳没}
国文学者 歴史学者 独学の人 東北帝国大学教授 昭和32年富山県出身者として初の文化勲章を受章、同年富山市名誉市民。
この山田氏に社標の「薬神神社」の揮毫を依頼したのは広貫堂の関係者で幅広い人脈を持っておられた蜷川政義さんといわれています。
また、社殿を風雪から守る為に覆いを建設したのが昭和63年、石灯篭2基を新調し玉垣等の修理をしたのは平成10年5月8日、次いで平成25年1月8日「先人の像」が建立されました。
まさに、滑川地区配置家庭薬協同組合の方々や多くの先人達の並々ならぬご尽力のお陰であることを忘れてはならないと思います。

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(2018/01/08)

謹賀新年

平成29年{2017}はすでに地平線下に没し、ここに、輝かしい平成30年{2018}の陽は昇りました。

今年の干支は「戊、戌」干支は本来「十干{五行思想に基づいた、木,、火、土、金、水}を更に、陰陽二極に分けた「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、葵」と「十二支」の{子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥}との組み合わせで60通りあります。
十二支は12種類の動物の名前が当てられいますが、これは庶民にも分かりやすいように後付けで動物の名前を当てたと言われ、「戌」はもともと「滅」と書いていたといわれています。
(「ほろぶ」という意味で、草木が枯れる状態、すべてのものが土の中に還っていくような状態を表しているという。「滅」の「サンズイ」と「火」を取って「戌」になったという。)

「戌」自体には「作物を刃物で刈り取り、一まとめに締めくくる」という意味があり、収穫、剪定がイメージされます。
一方、十干の「戌」は陰陽五行では「陽の土」に当てられていて、日本では「土の兄{つちのえ}ともいう。十干を順位づけに使った場合、「戌」は五番目に当たり、方位は中央、時刻は午前4時から午前6時までを「戊夜{ぼや}」という。「戊」の文字は「茂」に通じ植物の成長が絶頂期にあたることを意味しているという。

しかし、樹木が繫ると風通しや日当たりが悪くなって虫が湧いたりして、樹が傷み、枯れてしまうことがあります。そこで、思い切って剪定しなければならなくなるというのが「戌」の意味。当たるも八卦当たらぬも八卦というが、さて、今年の政治、経済、そして自身の一年はどんな一年であるだろうか?

元旦や、知らぬ月日は 美しく  汀女

処で、今年は明治維新から150年の節目の年です。「戊辰戦争」といわれるのもこの年慶應4年、明治元年、1868年が「戊の辰年」の干支に由来しています。
その、明治維新の扉を開けたのは、志を持ち、私情なき、国を思う勇気ある青年たちの行動でした。
そこで、幕末から明治にかけて活躍した人々の明治元年当時の年齢を上げてみました。(満と数えで誤差ある場合あり)
勝海舟46歳。岩倉具視44歳。西郷隆盛41歳。松平春嶽41歳。大久保利通39歳。木戸孝充36歳。
松平容保34歳。井上馨33歳。徳川慶喜32歳。板垣退助32歳。後藤象二郎31歳。山県有朋31歳。
伊藤博文28歳。陸奥宗光25歳。

加えて、志半ばで倒れた人物として、
坂本龍馬33歳.中岡慎太郎30歳。吉田松陰30歳。高杉晋作29歳。橋本左内26歳。久坂玄瑞25歳。

因みに、昭和16年12月8日第二次世界大戦開戦時、昭和天皇は40歳。明治天皇も明治元年は15歳であったことを思うと、当時の平均寿命を考えても驚かざるを得ない。中でも勝海舟は明治32年76歳 徳川慶喜は大正2年77歳 明治天皇は明治45年60歳で亡くなったが、江戸時代という極めて封建的な武家社会と明治という近代国家へ歩みだす中で文明開化の嵐と日清、日露両戦争を僅か半世紀の間に体験した彼らは、世の変遷をどの様に感じたであろうか?

いづれにしても、今年は全国各地で明治維新150年のイベントが企画されています。
NHK大河ドラマ「西郷どん」もその一つであろう。

最後に吉田松陰の言葉の一つを記しておきます。
夢なき者に理想なし。理想なき者に計画なし。計画なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。



(2018/01/01)

「民謡、唄と踊りの祭典・歳末恒例・長岡すみ子の会」チャリティーショー

『十二月、ひと日ひと日が、消えてゆく』
誰の句か知りませんが、私の好きな句の一つです。本来12月の1日も、11月の1日も消えてゆくのは同じです。しかし、12月の1日は過ぎ去るのが早いような気がします。

さて、「民謡、唄と踊りの祭典・歳末恒例・長岡すみ子の会」チャリティーショーが12月10日(日)午後2時より、富山市婦中町ファボーレホールで400名以上の多数の来場者を迎え盛会裏に開催されました。チャリティーショーですから、前回の善意は、富山県文化振興課、公益財団法人日本民謡協会、公益財団法人スペシャルオリンピックス日本・富山に寄附されました。

最初に、長岡さんとは・40年来のお付き合いがあるという片山学園理事長、片山浄見氏の挨拶のあと、オープニングとして、伊勢木遣り・道中唄~伊勢音頭~正調伊勢音頭~合唱~合奏・踊り、筏井豊華城と華の会・梅津千恵子と千鳥の会の皆さんにより賑やかに幕を開けました。

引き続き、≪お国めぐり・その1≫で8曲・≪未来のかがやき≫ジュニアたちで4曲・≪お国めぐり・その2≫で8曲・次いで、本日のゲストコーナーとして、ジャズシンガー・早奈さんによる民謡とは違った趣のあるクラリネットの演奏を楽しんだ後、≪長岡すみ子コーナー≫として、①寿ぎ舞扇・踊り・千鳥の会・②布橋おんなみち・③新川古代神・踊り・華の会・④十勝馬唄・⑤酒造り祝い唄・踊り・華の会・千鳥の会ですみ子節を熱唱、会場を沸かせました。

最後に・出演者と会場が一体となって・富山いきいき音頭を合唱しフィナーレとなりました。
また、昨年のチャリティーショーを聞いて民謡の素晴らしさに感動した東京出身富山赴任の24歳の青年が民謡教室に入り、僅か1年余りで・帆柱起し祝い唄を唄ったり・三味線を弾いたりしているのには驚きました。本人の努力やセンスもあろうとは思いますが大したものです。いずれ東京に戻る時まで1曲でも多く覚えたいとのことでした。

また、国の経済産業省から富山市に出向している職員の方が長岡すみ子さんとの出逢いが縁で民謡を習い、みるみるうちに上達し出演しておられました。内科の医師がいたり、年齢も小学生から92歳と職業も年齢も性格も違う者が民謡が好きだ‼この1点で心が一つになる。素晴らしいことです。

特に、教室の生徒さんの中に中村姉妹がいて、姉の寿美澪さんは高校時代の平成23年越中おわら節全国大会で優勝。妹の寿美優さんは平成25年の越中おわら節全国大会で優勝。姉妹で優勝とは凄いことです。
また、妹の寿美優さんは本年9月石川県で開催された山中節全国大会でも優勝するなど立派な後継者の育成と民謡の普及に努力される中、地域社会への貢献活動も展開されている長岡すみ子さんには心より敬意を表したいと思います。

師走の中で、楽しいひと時を過ごせたことに感謝、感謝の半日でした。

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(2017/12/11)

『世界に羽ばたく、薬都とやま大会』

11月24日(金}午後1時30分表題の大会が、主催{一社}富山県薬業連合会によってパレブラン高志会館、カルチャーホールで開催されました。
これは、従来富山県薬業業者大会として配置薬業を中心とした大会でしたが、昨年50回の節目を迎える中、平成27年の富山県の医薬品総生産額が過去最高の7,325億と初めて全国1位になったことなどから、表題のように改称し新たにスタートしたものです。
参考まで10年前は富山県の医薬品総生産額が2千6百億円、全国第8位でした。

当日は、第一部として、富山県知事より、薬事功労表彰として6名、{一社}富山県薬業連合会長表彰として同じく6名の方々が表彰の栄に浴されました。
次いで来賓祝辞のあと第二部として、

◆基調講演
『日本の医薬品産業の今後の方向について』
 厚生労働省、大臣官房審議官 森 和彦氏

◆パネルディスカッション 
「くすりの富山の目指すべき方向性について」 ―生産額日本一から、1兆円産業へ―
【パネリスト】
 内閣府食品安全委員会事務局 評価第一課長 吉田易範氏
 厚生労働省 医薬・生活衛生局総務課 薬事企画官 紀平哲也氏
 富山県薬事研究所長 高津聖志氏
 {一社}富山県薬業連合会長 中井敏郎氏
 コーディネーター {一社}富山県薬業連合会 専務理事 高田吉弘氏

によって行われました。
尚、当日公務の為欠席された、厚生労働省、保険局医療課、薬剤管理官、中山智紀氏からは富山県くすり政策課課長時代の思い出や提言がメッセージとして読み上げられました。
特に、森審議官は富山市出身、吉田、紀平両氏は国から県に出向され、くすり政策課長などを歴任される中、薬業の振興に尽力され今日の1兆円産業を視野に入るまで成長した産業に押し上げた功労者の方々です。
また、高津氏も富山大学薬学部卒業のご縁で薬事研究所長に招聘し着任以来10年、産、官、学、連携のもとさまざまな改革を行い、数々の成果を挙げられ、とやまの薬、の発展に寄与されています。

今回は①「薬都とやま」の現状 ②「薬都とやま」の強み ③「薬都とやま」の目指すところ。
をそれぞれの立場で提言や発言をされました。

配置薬業業者、配置薬メーカー、医薬品製造メーカー、製薬原料関係者など立場の違いはあるものの有意義な大会でした。要は「とやまの薬」が発展することは、それに付随する産業にも大きな影響があることです。
例えば、紙、段ボール、印刷、びん、チューブ業界や雇用の場の確保など、色んな産業に影響を与えます。
明治以降の富山県の近代化に薬業は大きな役割を果たしましたことを見ても理解出来ると思います。配置薬業に関しては、高騰する医療費、国策として推し進める「セルフメディケーション」のなかで配置薬業の役割など示唆に富む提言もありました。
また、高津所長の、伝統の継承と新事業の挑戦、つまり「継承と新たな創造」そして「くすりのことなら、富山へ」この言葉が特に印象に残った大会でありました。

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(2017/11/25)

長岡すみ子さんを囲んで

11月19日{日}我が家において、久し振りに民謡歌手 長岡すみ子さんをお招きし、町内の友人18名が参加して、民謡あり、雑談あり、わいわい、がやがや、3時間余り楽しいひと時を過ごしました。
実は、私の妻と彼女は滑川高校時代のクラスメイトであり、以前からお付き合いがあり、時々、我が家で民謡を聞かせてもらっています。

現在、彼女は民謡教室を数か所持っており多数の生徒さんがいて、その中から越中おわら節の全国大会で優勝したり、各種の全国大会でも優秀な成績を上げている方が何人もおられます。このように後継者の育成と民謡愛好者の底辺の拡大に日夜努力される中、チャリティーショーを開催したり、社会貢献にも大きく寄与されています。

私は配置薬業時代の出張先は、秋田県や宮城県など民謡の宝庫と言われる東北地方だったので、唄うのは音痴で駄目ですが、聞くのは楽しみの一つです。当日は、長岡さんの民謡との出逢い、40年余りの民謡活動、今後の抱負などから始まり、和気あいあいの後に第一部として、「新川古代神、こきりこ節、といちんさ、、麦屋節、山中節、秋田長持ち唄」で一部終了。
少々休憩後、第二部として「南部牛追い唄、ソーラン節、秋田大黒舞、新相馬節、真室川音頭、そして、最後に越中おわら節」アンコールに応えてもう2曲と民謡の醍醐味をたっぷりと味わった至福の時間でした。

民謡は「心のふるさと、その、土地の匂いがする」
やっぱり民謡は、いいですね!

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(2017/11/19)

琵琶演奏会

第54回錦秋流琵琶富山支部{会長 囲 峡水、後援会長 中屋一博}演奏会が10月7日{土}午後1時からJR富山駅前マリエ7F、オルビス、マリエでありました。
当日は金沢、福井支部の先生方にも友情出演を頂き、加えて、特別出演として、昨年度日本琵琶楽コンクールで優勝、文部科学大臣賞を受賞された、秋田東支部長、吉岡悠水先生をお迎えしての演奏会でした。

琵琶には素人の私ですが、さすが、全国大会での優勝者の演奏は姿勢、琵琶の持ち方,、抑揚ある語り口、迫力など、その違いなど一目瞭然わかる素晴らしい演奏でした。
毎年、秋、奈良国立博物館で、国宝正倉院展が開催されます。数年前私も鑑賞しましたが展示品の中に、聖武天皇愛用の螺鈿の琵琶がありました。シルクロード経由とは言え、飛鳥、天平の時代から日本に琵琶が楽器として存在していたことに驚きを禁じえません。

弦楽器は数多くありますが、「人の琴線に触れる」との言葉も琵琶から出たのではないかと思う。さて、その琵琶を含め、能、詩吟、漢詩など日本の伝統文化が私達の足元から去っていくような気がします。私達の努力不足もありますが、淋しいかぎりです。
ただ、琵琶の演奏曲目はどれも歴史的な故事にちなんだ物語です。親子や肉親の愛情や友人との絆など正に、孝、信、礼,忠、義・・・など今の社会で失われつつある大切なことを教えていると思います。

参考まで 琵琶教室は下記へ、一人でもご自由にお問い合わせください。
〒936-0025 滑川市柳原新町922  囲 峡水 TEL076-475-3158
〒936-0027 滑川市常盤町31    杉本紫水 TEL076-475-3568
〒933-0066 高岡市春日丘725-2  嶺 瑛水 TEL0766-24-1791
〒930-0235 富山市立山町榎19-4  高堂龍水 TEL076-463-2177

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(2017/10/08)

十五夜 十六夜 満月

10月4日{水}は十五夜 10月5日{木}は十六夜 10月6日{金}は満月でした。
4日、5日は曇一つない夜空に、うさぎが餅を付いているかのようなお月様がくっきりと浮かび上がっていました。しかし、6日の満月は残念ながら曇の中に隠れ、顔を出してくれませんでしたが、我が家では4日、ススキに月見団子を添えて月見の宴を催し、月より団子とばかり召し上がりました。

日本には四季があり、それぞれに風情があり、趣を醸し出して私たちの心を豊かにしてくれます。これに、元旦を含め、16回の祝日や、二十四節気、七十七候、加えて雑節などがあります。本来、悠久の時の流れに節などありません。しかし、人類は時の流れに節を付けました。例えば、1年を365日とか、1ヶ月を30日、或いは1日を24時間、1時間を60分などとしました。これによって人間は気分転換を図れるし、心を切り替えることもできます。

大晦日に飲む水も、元旦に飲む水も味は同じです。しかし、元旦に飲む水はどこか、清々しく感じます。同様に、二十四節気や、七十七候などを通じて農作業を行う目安としました。正に、時の流れに節を付けたことにより、生活に、人生にメリハリを付けたのです。これが、「人間は万物の霊長である」と言われる所以と思います。

処で、10月に入って、私の孫が保育園で習ってきたと思われる童謡「うさぎ、うさぎ、」を夕食時に口ずさんでいました。「うさぎ、うさぎ、何見て跳ねる、十五夜お月さん見て跳ねる」ご存知のこの歌いつ頃の歌か?妻や息子夫婦に聞きましたが解らないとのことでした。

当然ですが、実は明治25年小学校唱歌として発表されたものであり、なんと、125年も前です。また、5月5日子供の日には、やはり孫が「こいのぼり」屋根より高い、こいのぼり、大きい緋鯉はお父さん、小さい真鯉はこどもたち・・・・・昭和6年です。「お正月」、もういくつ寝ると、お正月、お正月には凧上げて、駒を回して遊びましょう・・・・・や、もしもし亀よ、亀さんよ、の「うさぎと亀」は明治34年です。

「金太郎」まさかりかついだ金太郎、熊にまたがりお馬の稽古・・・・・明治33年です。
「牛若丸」京の五条の橋の上、大の男の弁慶は・・・・・や「浦島太郎」、昔、昔そのむかし、助けた亀にのせられて、竜宮城にきてみれば・・・・・明治44年です。
つまり、現在でも保育園や幼稚園で歌っている童謡のほとんどが戦前のものです。数え上げたら切りがありません。しかし、戦後の童謡は「象さん、象さん」や「オモチャのチャチャチャ」など僅かです。

時々、戦前のものが、すべて悪のように言われることがありますが、決してそうでありません。
孫が口ずさむ歌の中からそう思いました。

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(2017/10/07)

書道連盟展

滑川市書道連盟創立35周年を記念して、連盟展が9月2日{土}-9月10日{日}まで市博物館で開催されました。
会員、33名が1人2点出品し合計66点の力作、大作ばかりでありました。

不肖、私も顧問となっており、出品を依頼されました。実は、私は幼稚園児の時から、小学2年生まで約4年間、書家、大平山涛先生に教えて頂いていたご縁で、顧問の肩書きになった訳ですが、正直いって、わずか4年間ですから、まったくの素人といっても過言でありません。
しかも、力作、大作の中にあって一目療然素人とわかる作品であり、最初はお断りしましたが、何かの機会がないと書くことが出来ないので、恥を偲び再三の要請を受け了承し2点出品しました。

1点は唐の詩人、杜甫の「曲 江」の詩です。
「曲 江」
「朝 回 日 日 典 春 衣」 朝より回りて日日春衣を典し
「毎 日 江 頭 尽 酔 帰」 毎日江頭に酔いを尽くして帰る
「酒 債 尋 常 行 処 有」 酒債尋常行く処に有り
「人 生 七 十 古 来 稀」 人生七十古来稀なり

この「曲江」は私の現状の姿と重ね合わせると、ピッタリの言葉で有り選びました。これを書いていると、妻が「それではこれから先は?」との質問があり、「笑進笑明」を選びました。
誰の言葉かは知りませんが、多分、造語だと思います。意味は、字の通りと思いますが私の好きな言葉の一つです。

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(2017/09/10)

滑川高校秋季大運動会

9月6日{水}2017秋季大運動会が小雨の中、予定より1時間遅れの9時40分始まりました。
当日は天気予報通り、あいにくの小雨だったが11時過ぎから雨も上がり、その後、途中ちらついた時もありましたが、16の全種目を無事終えました。

私は、午前中のみ顔を出しましたが、水はけの良いグランドとは言え泥まみれになり、ぬかるみに足をとられながらも奮闘する選手に対しての大歓声と、保護者の声援の中、熱戦が繰り広げられました。
私にも、かってこんな時代があったのですが、やっぱりうらやましい。サミゥル・ウルマンの「青春」の詩は言葉としては理解出来るが、肉体の衰えは如何ともしがたい。

ただ、残念に思ったのは、かって私の時代に団は、天の四方をつかさどる四神として高松塚古墳の壁画に描かれた「朱雀」「青龍」「白虎」[玄武]に加え「黄鶴」と計5団でありました。それは、定時制があったからです。
しかし、少子化の中で、現在は、玄武と定時制が抜け3団になりました。でも、生徒数は720人、これを4団にしても1団180人。団として充分成り立つと思うのですが・・・。
また、団の意気込みを示す団の看板もいまはアニメ調となり四神の面影を探すのに苦労します。これも時代の流れかもしれません。いずれにしても、夏休みが終わり、練習量が少ない中、しかも、小雨の中健闘した生徒諸君を称えたいと思います。

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(2017/09/06)

平和、戦争、命の尊さ

8月は1年で平和、戦争、命の尊さを考える月間と思います。8月2日の富山空襲は午前0時36分―1時51分まで75分にわたり、米軍爆撃機B-29が富山上空に飛来し実に12888発の焼夷弾を投下しました。
爆撃平均中心点は富山城址東南の角{かっての時計塔付近}とされました。これにより、市街地は灰じんに帰しました。
罹災世帯2万5千。罹災人口11万人。死者、判明しているだけで2275人、実際は3000人を下らないと言われています。富山市街は、大和百貨店、海電ビル{現、電気ビル}、県庁、NHK富山放送局、昭和会館、興銀富山支店と、残った建物は僅か6カ所だけでした。
当日の爆撃地は、富山、長岡、水戸、八王子、それに川崎石油企業群と5カ所であった出撃したB-29は計858機。内、富山飛来は182機、焦土となりました。

現在、8月1日花火が打ち上げられています。これは、亡くなった人々への鎮魂、慰霊と戦災からの復興の祈りの花火です。これは、長岡も同様です。
また、戦後、軍人には軍人恩給が支給されるようになったし、村山政権当時原爆被爆者援護法が制定されました。しかし、なんの罪もない人々が家を焼かれ、命まで落とした人々には何の保障もありません。
割り切れない思いもします。いずれにしても、無抵抗の市民を無差別に大量殺りくする戦争は絶対やるべきででない。万物の霊長である人間の最も愚かな行為が戦争です。

8月6日、広島に原爆投下、死者十万人。8月9日、長崎に原爆投下、死者7万4千人。8月9日、ソ連軍、日ソ不可侵条約を一方的に破り満州に侵攻。8月10日、14日御前会議でポッダム宣言受諾を決定。
8月15日終戦。玉音放送で終戦を告げました。私から言わせると、終戦と言うよりは敗戦と言うべきでないか。しかし、打ちひしがれた国民感情に配慮したのか、それとも、昭和16年12月8日は開戦としたから、それに対し終戦としたか。私は、わかりません。
8月18日、ソ連軍、千島列島最北端、占守島{シュムシュ島}から千島列島南下、樺太侵攻。8月21日、樺太真岡に侵攻したソ連軍に対し、8人の女性電話交換手自決。8月30日、連合軍司令官ダグラス・マッカーサ元帥厚木基地に到着。9月2日、戦艦ミズリー号上で、日本全権、外相重光葵と大本営参謀総長梅津美治郎無条件降伏に調印。9月3日、連合軍のほとんどが9月3日を戦勝記念日としています。

8月15日、お盆、先祖との対話の時です。13日が迎え盆、16日送り盆です。
私たちは、一人の例外もなく父と母があることによって、この世に生を得た。その父と母にもそれぞれ両親がいます。それをさかのぼっていけばどうなるのか。10世代で1024人。20世代で104万8576人。30世代では10億7374万1824人。40世代さかのぼると、1兆95億1162万7776人。想像を絶せる数になります。
この祖先の命が一回も途切れず今日に生きているのが私の命です。この連鎖がどこかで断ち切れていれば、あるいは別の人に代わっていたら私はここに存在しません。そう思った時、今日自分が存在することは、正に奇跡であり、縁としか言いようがありません。
8月、それは、平和戦争、命の尊さを考える絶好の機会でした。



(2017/08/31)

滑川高校同窓会総会

恒例の滑川高校同窓会{会長・中屋一博}及び懇親会が8月10日{木}西地区コミニティーセンターで午後6時より150名近くの多数の参加のもと開催されました。
当日は心配した台風5号の通過後であり、まさに台風一過午前は青空が広がり、午後は曇り空と全く影響はありませんでした。

それにしても迷走を続けた台風5号は7月21日午前9時発生し8月9日午前3時消滅するまで実に19日余りという気象庁観測史上3位の長命台風となりました。台風にも長寿の名称がつくなどは驚きですが、その分日本列島を横断するのに時間がかかり各地で被害が発生しました。
しかし、台風の中心が富山県内を通過したにもかかわれず県内では被害はほとんどありませんでした。中心が通過した8日の県内の全ての観測地点で最大風速が10M以下でした。富山気象台でははっきりした理由はわからないとのことですが、いずれにしても被害が無いということは有難いことです。尚、台風の中心が県内を通過したのは2003年以来とのことです。

さて、誰にでも生まれ育った「ふるさと」があるように青春のひとときを数々の思い出と過ごした学び舎、すなわち母校があります。それは、人それぞれの心の拠りどころとして生きているものと思います。滑川高校同窓会も会員数も3万人を越す県下でも最大規模を誇る同窓会として発展し、各界、各層に有為な人材を輩出していることは誇りとするものです。

今回は役員改選期に当たり、不肖私が再度会長を務めることとなりました。室山副会長、高倉会計監査のお二人は退任されましたが長い間本当に御苦労様でした。心より感謝と御礼を申し上げます。後任に千先副会長、石坂会計監査、幹事1名を追加し他の役員はすべて留任となりました。
新役員を代表し私から、役員一丸になって,会の発展と同窓会の立場から学校の発展に支援努力することをお話し各位のご協力をお願いして総会を終えました。

引き続き、懇親会に移り滑川高校校歌がBGMで流れる中、学校職員紹介や会員のスピーイチなど和やかな雰囲気であちこちで談笑の輪ができました。
年齢も考えも学んだ科も違う者が同窓の二文字で心が通じ会う。それが、同窓会であり素晴らしいことと思います。
来年の再会を約し散会しました。

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(2017/08/11)

関西滑川会総会、司馬遼太郎記念館。

平成29年関西滑川会{会長、千先久矩氏}第50回総会・懇親会が7月8日{土}ホテル大阪ベイタワーで多数の参加のもと盛会裡に開催されました。
1年ぶりの再会ゆえ、和気あいあい、和やかな内にも、ふるさとの話しや友人、知人の消息など、話題は尽きることはありませんでした。
誰にも生まれ育ったふるさとがありその存在は人それぞれの心の拠りどころとして生きつずけているのであろうと思います。

それにしても、いつもふるさとに想いを馳せ、ふるさとの発展に陰に陽にご支援を頂いていることに、胸に熱くなるものを禁じ得ません。
今回は、50回と言う大きな節目の年でしたが、私は、挨拶の中で、歴代会長、畑岸隆一さん、篠原寛さん、斎藤国夫さん、柳原秀一さん、神保さん、川尻さん等の名前を上げ、その方を始めとして、多くの役員や関係者のご尽力で50年の歴史を築いてこられました。

そのご尽力に衷心より敬意と感謝を申し上げました。「井戸水を飲むときは、井戸を掘った人の恩を忘れてはならない」との諺があります。千先会長を中心に関西滑川会の更なる発展を願い散会しました。
 
7月7日、東大阪市の司馬遼太郎記念館を訪れました。
一昨年も訪れましたが、今回は、司馬遼太郎の代表作「竜馬がゆく」と「坂の上の雲」の自筆の原稿計47枚が発見され、同記念館で一部が7月1日から8月31日まで、特別展示で公開されていることにより、訪れたものです。
特に存在しないとみられていた原稿で「竜馬がゆく」の自筆原稿が確認されたのは初めてという。幕末の志士、坂本竜馬の生涯を描いた「竜馬がゆく」は昭和
37年―昭和41年産経新聞夕刊に連載され、いわゆる、竜馬を世に送り出したのは、この作品であるといつても過言ではないといわれています。
さて、竜馬が暗殺されるラストシーンは「天が、この国の歴史の混乱を収拾するためにこの若者を地上にくだし、その使命がおわったとき、惜しげもなく天へ召しかえした」これが、この作品の最後の文章です。

次に、「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている。」から始まる「坂の上の雲」は昭和43年―昭和47年産経新聞夕刊に連載され、明治維新から日露戦争までの日本の近代化を描いたものです。この作品の自筆原稿の一部が欠けた状態で日本近代文学館に寄贈されています。今回、冒頭の章や「坂の上の雲」の3パターンの題字を書いた色紙も展示されていました。

竜馬が絶命する場面や「坂の上の雲」の初回の「まことに小さな国が・・・・」という書き出しは司馬さん特有の筆跡で書かれ、特注の原稿用紙に書かれた文章には、数多くの推敲の跡や、編集担当記者らによる修正の跡が残っています。新聞報道によれば、同記念館の上村館長は「代表作の肝に当たる部分が現存して良かったです。特に「竜馬がゆく」で主人公の最期を描く部分の推敲跡からは、筆者の竜馬への強い思いがうかがえる。と話しておられます。私は、上手くは表現出来ないが、その通りと思います。

いずれにしても、行って良かった二日間でした。

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(2017/07/09)

仁川海洋科学高校との交流

6月12日{月}滑川高校と姉妹校にある大韓民国・仁川海洋科学高校3年生男子40名が本校に来校しました。
目的は 国際交流・姉妹校「仁川海洋科学高校」への訪問、及び生徒同士の交流活動の実施、韓国の経済・文化・歴史学習を通して、異文化の理解を図り、国際的視野を広めることとあります。
御存じの通り滑川高校には海洋科があることから、姉妹校として締結され2013年6月、仁川海洋科学高校が始めて滑川高校を訪れたのが第1回となり、以後、今日まで相互訪問が続いています。
日程は6月7日、仁川出発、海洋大学所有の約1000トンの船で途中、洋上実習を重ね60時間をかけ、6月9日夕方富山新港着
6月10日、宇奈月温泉、トロッコ電車で黒部峡谷へ
6月11日、立山アルペンルート・雪の大谷、室堂を散策、帰路100円ショツピングにてお買い物
6月12日、新湊大橋経由、午前8時50分滑川高校到着

国際交流会、昼食、その後、私は同窓会長として出席しました。
石倉滑川高校校長、朴進洪{パクチンホン}校長挨拶、次いで両校生徒代表挨拶。これは、滑川高校生徒は韓国語で、仁川海洋科学高校生徒は日本語で挨拶しました。多少たどたどしさはありましたが両方共立派な挨拶でした。

その後、両校の実習や活動内容などプロジェクターを使い、それぞれ紹介したあと歓談に入りました。私は、通訳を交え朴校長と少し話をしました。
韓国には、海洋・水産関係の高校は11校、同・大学は3校、仁川海洋科学高校は男子校生徒数。650名。入学式は3月。卒業式は2月、教員の定年は62歳、退職は誕生日を基準日とし2月と8月の2回あると言います。これは日本と違うところです。

また、生徒が感動したのはやはり雪の大谷でしょう。韓国では、標高2000m以上の山はなく、雪を見るのが珍しい中、6月にもかかわらず、沢山の雪があるのには驚いていました。
私も、始めて海外に行ったのは25歳で、昭和46年{1971}第1回富山県青年の船団員として、韓国、台湾、香港を訪問しました。
見るもの、聞くもの、すべて新鮮な驚きと感動を持ったものです。日頃は何不自由なく生活していることが、どれ程有難いかを含め、日本の良さを改めて認識する機会でもありました。

今、日本と韓国の関係は多少ギクシャクしています。しかし、21世紀は間違いなく彼らの時代です。2050年と言っても彼らはまだ50歳。
このような交流の積み重ねによって、日、韓両国の未来が希望の絆で結ばれてゆくことを信じたいと思います。最後に全員で記念写真を撮り午後3時頃会場をあとにしました。

彼らは、その後、海王丸を見学し富山新港着。すべて船中泊であり、翌13日富山新港を離れ、洋上実習を行い、6月16日韓国・仁川到着だそうです。双方にとって内容の濃い充実した交流会だったと思います。

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<滑川高校 石倉校長の挨拶>



(2017/06/13)

清水寺・森貫主・講演会

6月4日{日}午後3時30分より、京都・清水寺貫主・森清範氏をお迎えしての市民文化講演会{主催・滑川音羽の会・会長中屋一博}が西地区コミュ二ティーホールで開催されました。厚生連滑川病院中庭にある孝徳泉と清水寺のご縁も含め、故石倉宗一さんの提唱で始まった講演会も今回で22回目となりました。

森貫主さんによれば、22回も連続して続いているのは全国でも滑川だけだそうです。「井戸水を飲む時は、井戸を掘った人の恩を忘れてはならない」との諺があります。
先人の御恩と清水寺・森貫主さんの御理解には感謝の気持ちでいっぱいです。 

当日は、約300人の聴衆で会場が埋まりました。最初に私の挨拶のあと前講として清水寺・執事補大西英玄氏のお話。次いで森貫主さんの講演に移りました。
さすが毎年、漢字一文字を揮毫しておられるだけに、漢字の表音と表意文字の違いの解説や、言葉は言霊と言う通り魂があり力がある、漢字も同様であることをユーモアを交えお話になりアッという間の1時間でした。
お二人の有意義な話しのあと、帰りの際、多くの方々から感動したとの感想や来年も是非開催してほしいとの要望も受けました。主催者としては安堵しました。

講演会終了後、厚生連滑川病院中庭で南里院長始め関係者多数出席のもと、清水寺音羽の滝の霊水を石碑にかけ、森貫主の読経のもと、了安、安正親子の供養をしました。
ここに、2年前20回の節目に当たり森貫主さんがお詠みになった詩を掲載します。

孝徳の 縁に引かれ 二十年{ふたとせ}の 慈水を汲みて 弥 栄えませ
(平成27年6月7日)

いずれにしても、森貫主さんには末長く滑川にお越し頂くよう、これからも努力してゆきたいと思います。

挨拶  英玄

貫主  考徳



(2017/06/04)

琵琶演奏会

6月3日{土}午後1時30分より国登録有形文化財、旧宮崎酒造{ぼんぼこさ}滑川市瀬羽町で錦心流琵琶全国一水会富山支部主催{後援会長・中屋一博}で琵琶演奏会が開催されました。

今回の曲目は、敦盛・井伊大老・湖水乗切・羅生門・新撰組の5曲に加え、賛助出演として詩吟3曲が披露されました。
いずれも、歴史的な故事に関わる内容であり、かつて戦前の教科書に掲載されていた歴史物語です。

琵琶の演奏曲目の殆どは肉親の情や人として為すべきことなど、戦後教育の中で失われた、人として大切なものは何か?を教えているものばかりと思います。戦前のものは全て悪でなく、文部省唱歌や叙情歌と共に良きものとして残し継承してゆくべき日本の伝統文化に琵琶や能などがあると思います。

哀調を帯びた調べの中に、平敦盛と熊谷直実の話の「敦盛」など傾聴に値する一時でした。

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(2017/06/03)

第60回東京滑川会総会・懇親会

5月27日{土}午前11時30分より大手町サンケイプラザで第60回東京滑川会総会・懇親会が開催されました。
これは、東京周辺にお住まいの滑川出身者の方々が、年に一度集う機会であり、約100名の参加で、どうしても、故郷が話題であり、話は尽きませんでした。
それにしても、「ふるさとは、遠くにありて思うもの」との言葉がありますが、今や新幹線で2時間余りで結ばれる時代であり、「ふるさとは近くにあっても思うもの」かも知れません。
そして、いつも滑川の発展を願い、心から応援している人々がおられることは本当に有難いことです。

終了後、大宮駅前東天紅で、かってヨーロッパ特別指導者視察団として行った人達と久し振りにお会いし、歓談しました。

その後大宮発20時22分富山着22時08分で帰宅。4泊5日で多少疲れましたが、充実した5日間でした。

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(2017/05/28)

東京にて(厚労省~総務省~総理官邸~文科省)

5月25日夜、宿泊先の富山県赤坂会館でかつて厚労省から富山県に出向していた方々や、厚労省の富山県関係者の方々で日頃から親しくしている方々との懇親会「厚労省ナカヤ会」を開催しました。これは時々私が上京した時、開催していたものです。
今回は滑川にご縁があり祖父が売薬であった厚労省事務次官の二川氏を始め、私を含めた11名の出席で和やかに交流を深めました。

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5月26日は総務省を訪問しました。午前・総務省・佐藤総務事務次官を訪ねました。最近の地方の財政状況や地方創生などざっくばらんに話し、あっと言う間の30分でした。その後、省内の知人数人と懇談し、有意義な時間を過ごしました。

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次いで内閣官房副長官を訪問。
昼食は参議院議員・野上浩太郎秘書、野村氏と参議院院内食堂で会食しました。その足で総理官邸内、内閣官房副長官室の野上副長官を表敬。以前,長勢官房副長官時代も訪問しましたが、ここに居ると、日本の政治の中心がここに有り、ここで政治を動かしていることを実感することができます。若くしてこの地位に着かれた氏の一層の活躍を期待するものです。
しばし政治談議に花咲かせ部屋を出ました。
出たところで、次の番を待っていた方から突然声をかけられました。見ると、10数年前、経済産業省から富山県商工労働部長に着任されていた藤木俊光氏でした。まさかここでお会いするとは・・お互い驚きながら再会を約束し別れました。氏は現在経済産業省・省エネルギー・新エネルギー部長としてご活躍中です。

野上さん

第10回文科省ナカヤ会懇親会
厚労省同様、文科省にも私の友人が居ます。これは私が現職の時、文科省のキャリアと言われる25歳前後の若手職員を市が3週間研修生として受け入れたことが始まりです。これ等の方々と私が上京した折、卓を囲み、盃の友情を交わしているのが「文科省ナカヤ会」です。
これも今回で10回を数えました。今回私を含め10名の出席であったが、この中から某県の生涯学習課長や某県の教育次長などが誕生していることは嬉しい限りです。
私が彼らに対し言うことは、かつて遣隋使や遣唐使と言われた人達は命を懸けて荒海を渡り、仏教や律令制度や異国の様々な文化などを日本に持ち帰った話や幕末・私利私欲を捨て国事に奔走した志士を例に出し激励しました。

いずれにしても、わいわい、がやがや言いながら楽しいひと時を夜遅くまで過ごした。

文科省



(2017/05/27)

秋田から東京へ(坂本竜馬展~茶の湯展)

5月25日{木}秋田発9時12分こまち14号上野着12時58分。ここで東京国立博物館平成館で開催されている『茶の湯』展を見学しました。

実は、お茶に関して私は全くの素人ですが、昨年テレビの鑑定番組で注目を集めた「曜変天目茶碗」の国宝が展示されていることから興味をもったものです。この曜変天目茶椀は茶碗の中に宇宙が広がるような神秘的な姿が古くより人々を魅了してきました。そして、この茶碗が完全な形で現存するのは、世界に3点とされ、いずれも日本に伝わっており国宝に指定されています。

この内、今回の特別展に「曜変天目」稲葉天目、中国、建窯,南宋時代12-13世紀(東京・静嘉堂文庫美術館所蔵)と、油滴天目・中国・建窯・南宋時代・12-13世紀(大阪市立東洋陶磁美術館所蔵)の国宝2点を始め、重要文化財や重要美術品に指定された天目茶碗など数多く出品されていました。
特に、今回は室町時代の足利将軍家のコレクション「東山御物」に始まり村田珠光によって生まれ、千利休が大成させたと言われる「わび茶」の美術。江戸時代、古典の復興に大きな役割を果たした茶人の小堀遠州や松江藩主、松平不昧にまつわる道具など、それぞれの時代を象徴する名品がずらりと展示されていました。
また、明治初期・廃仏毀釈の嵐の中、京都、清水寺から流失した「清水寺縁起・巻上」絵・土佐光信筆・室町時代・{1517}重要文化財指定・東京国立博物館所蔵}も展示してあり本物の迫力に圧倒されました。
いずれも、素人の私ではありましたが、見応えのある「茶の湯」特別展でした。

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ついで、江戸東京博物館で開催中の竜馬没後150年特別展を見学しました。
いまさら坂本竜馬に関して説明する必要もないが、今回の目玉は竜馬暗殺の部屋の床の間に掛けられていた重要文化財・血染めの掛け軸・梅椿図・国立京都博物館所蔵や竜馬が暗殺された際に携えていた愛刀「吉行」などが展示してあり、暗殺当時の生々しい状況を想像させられました。

また、竜馬の自由奔走な生きざまや、家族への愛情溢れる直筆の手紙など、時の立つのを忘れ見学しました。昨年、東大阪の司馬遼太郎記念館見学と併せ、竜馬など多くの志士達が活躍した激動の幕末と言う時代にしばし想いをはせました。

竜馬展  CIMG3655



(2017/05/25)

秋田県医薬品配置協会総会

5月24日{水}午前10時第7回{一社}秋田県医薬品配置協会総会出席の為23日{火}滑川を出発しました。
それにしても、富山から秋田や青森方面へは実に不便になりました。

北陸新幹線開業前は大阪―青森、函館間の寝台特急「日本海」が2本、或いは、大阪―青森間の特急「白鳥」がありました。午前10時からの会合では寝台特急を利用すれば、富山発午後10時半頃、秋田着午前5時過ぎ。秋田から富山へはこの逆で多少強行日程だが宿泊しなくてもよかったのです。しかし、今では富山発午前6時19分かがやき、大宮で秋田新幹線に乗り換えても秋田着12時30分です。それ故、結果的に秋田で2泊することになりました。

23日は滑川発午前6時38分{あいの風鉄道}泊着7時12分、泊発7時15分えちごトキめき鉄道}直江津着8時24分、ここからがJRです。直江津発9時20分新潟着く11時27分、新潟発12時33分特急いなほ秋田着16時04分。
実に10時間余りの長旅です。到着後、知人と駅前で秋田の地酒でしばし歓談。

24日午前10時総会開会。
私は来賓として挨拶。午後、業界の現況と題し1時間ほど話をし、質疑応答を交わしました。

配置薬



(2017/05/24)

日本海開き

滑川高校海洋科恒例の日本海開きが5月1日午後1時より滑川市高月海岸で行われました。これは、かっての水産高校時代の1951年から始まり、それが海洋高校、そして現在の滑川高校へと引き継がれてきている伝統行事の一つで、1~3年生120名の生徒が参加しました。

当日の天候は、どんよりとした曇り空で、水温は例年より3度ほど低い12,5度と少し寒そうな感じでしたが、まずは、海岸で学年ごとに円陣を組み気合を入れて、ピストルや太鼓などの合図で一斉に飛び込み、25m先の消波ブロックまで泳いだり、水を掛け合ったりしていました。

これは、冷たい海の中に入って泳ぎ、チャレンジ精神を鍛えることを目的の一つとしています。私も、2年生のスタートのピストルに合わせ、太鼓を打ち鳴らし、生徒を鼓舞しました。
青春、やっぱりいいですね。

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(2017/05/01)

お花見

咲きみちて、こぼるる花も、なかりけり。 虚子

3月は別れの季節。4月は出会いの季節。取り分け、百花繚乱、、草花との出会いが良い。特に、桜です。
8日{土}我が家の裏庭に樹齢20年程の染井吉野と枝垂れ桜が各1本あります。その中で、染井吉野がほぼ満開になり、友人10数名と共に花見と称し小宴会を催しました。

古事記に出てくる、女神、木花之佐久夜毘売{このはなのさくやひめ}の木花{このはな}は桜を指していると言われています。古来から愛された花で有り、古今集でも紀友則の歌に「久方の光のどけき春の日に、しづ心なく花の散るらむ。」を始め、多くの名歌が生まれています。

しかし、万葉集4516首の内、梅は119首{当時は白梅で,紅梅は平安以降}桜は37首{山桜}と意外に少ないです。多分、梅は屋敷内に植えられているのに対し、桜は山桜が主であったから、歌に詠まれる機会も少なかったのではないかと思います。

[うらうらと、のどけき春の心より、にほい出でたる、山桜花]賀茂真淵
「敷島の,大和心を人とわば、朝日ににほう、山桜花」  本居宣長
など、江戸時代までは、やはり山桜に関する歌が多いように思います。また、染井吉野は「オオシマサクラ」と「エドヒガンサクラ」との交配で、幕末、江戸染井の地で誕生したいずれにしても、桜の花びらが、散リ惜しみせず散ることから武士の象徴となり、日本人の生き方、死に方と深くかかわってきたのでしょう。

忠臣蔵の浅野内匠頭の辞世の歌は、「風さそふ、花よりもなほ、我はまた、春の名残をいかにとやせん」であり、三島由紀夫の辞世は「散るといふ、世にも人にもさきがけて、散るこそ花と、吹く小夜嵐」とあります。

しかし、花見となればこんな理屈ぽいことを語るより、やはり花より団子です。
友人との花見は、「さまざまなこと、思いだす、桜かな」芭焦 この句のように様々なことを話題として楽しいひと時を過ごしました。

翌9日は、町内会の花見もありました。午前中は町内の川掃除。正午より反省会を兼ねて西地区公民館で花見でした。丁度向いが田中小学校であり、その前庭に満開の桜が数本。まさに桜花爛漫、窓越の観桜会でした。

私は昭和40年代に青森県弘前城の桜祭りに何度も行きました。その頃は4月末―5月初旬のいわゆるゴールデンウイークの時期でした。しかし、今年を含め最近は1週間以上早くなっているといいます。やはり、地球温暖化の影響でしょうか。
さて、翌10日。滑川高校の入学式でした。卒業式には涙を流している生徒もいたが、さすが入学式にはそんな姿はなく、240名の新入生は新たな出会いに夢と希望に満ち溢れていました。いずれにしても充実した3日間でした。

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<染井吉野と枝垂れ桜>



(2017/04/10)

滑川高校薬業科特別講演

3月13日{月}午前9時50分~10時40分まで薬業科生徒1年生と2年生生徒を対象に「富山のくすり」と題し講演しました。
これは1月25日北部高校に次いでのものです。私自身滑川高校出身であり、同窓会長も務めている者として、つい力がはいりました。本題に入る前に、WBC,侍ジャパン、ワールドベースボール、クラシックで活躍中のロッテ球団石川歩投手の話をした時、生徒諸君の瞳が輝いていました。彼は、本校出身者であり様々な分野で同窓生が活躍している報に接すると誰もが嬉しく思うし、誇りにも思います。それが、母校の存在であると思います。

さて、本題に入り「富山のくすり」取り分け家庭約配置販売業を中心に話しました。
元禄3年{1690}江戸城大広間{帝鑑の間}に控えていた、第2代富山藩主前田正甫公は居合わせた三春藩主秋田河内守輝季公の突然の腹痛に出くわし、懐中の薬聾から丸薬[反魂丹]を取り出し服ませたところたちどころに平癒し、それを目の当たりにした諸国大名が、その妙薬の霊験あらたかなる効用に目をみはり、各藩の領内で置き薬が始まったと言う「江戸城腹痛事件」の一説から話し、その商法が、用を先に、利を後にするという「先用後利」つまり、預けた薬のうち、使用した分の代金だけを後から請求する画期的な商法を説明しました。

当時、医療が普及していない時代にあって、いつ、どんな病気にかかり、どんな薬を使用することになるかわからない状況の中で、数種類もの薬を購入、備蓄することは、当時の多くの民衆に経済的に不可能な話。
そうした中で、先用後利の売薬商法は地域の人々にすれば理想的なものとなり、同時に売薬行商人にとっても継続的な取引と信頼関係の醸成に結びつくことになったこと。
又、文化13年{1816}半官半民で「反魂丹役所」が設置され官民一体となって売薬行商人の教育の徹底と薬の品質確保向上に取り組み今日に至る伝統の礎を築いたこと。

明和3年{1766}富山西3番町に開かれた「小西塾」は当時の日本3大寺小屋と言われるほどの大規模なものとされ、富山売薬が飛躍的に進展した文化年間{1804-17}には急速に寺小屋の数が増加したとされました。当時の寺小屋の学習内容を北陸三県で比較した場合、読み、書き、については大きな差異はないものの、算については、富山9割弱に対し、石川、福井が5割前後といった記録があると言われています。
特に算では、算術や珠算をはじめ、高度な和算として知られる関流算法が取り入れられるなどしたことは、商売上必要にせまられてのことと思われます。文献によれば文久年間(1861-63)には富山藩だけで売薬行商人数が2200人を数え、年間売上高は20万両に上がり,藩財政の一翼を担っていました。

しかし、明治に入って、売薬業はそれまでの東洋医学から西洋医学への転換を求められた。特に、営業税は3倍余りの増税となり、明治16年{1883}には、「売薬印紙税」として薬に10%もの消費税が付加された・デフレのなかの重税でした。このような苦境の、中で売薬行商人たちは次々に新しい事業を興していきました。
明治9年,洋薬を取り入れた製剤会社広貫堂設立。{各地域でもそれぞれ設立。}11年、仲間たちへの融資と財産を保持する為、「富山第百ニ十三国立銀行{現北陸銀行}を設立{各地でもそれぞれ設立。さらに26年には商人たちの献金で「共立富山薬学校」が開設されました。

また、30年には「富山電灯会社{現北陸電力}}を設立し、32年には大久保発電所を建設して北陸初の自力発電を図ります。小口融資を求める仲間たちの為に、35年「富山売薬信用組合{富山信用金庫}」も生まれました。{各地で相次ぎ設立}このほか、売薬業にかかわる業種{鉄道、保険、出版、新聞、印刷、容器製造など}の会社設立にも力を注ぎました。
正に、今日、富山県経済の中心的役割を担っている北陸銀行や、各地における信用金庫、北陸電力など、富山県近代化への基盤を築いたのは売薬商人たちであり、それが今日もなお脈々と生き続いている流れの中に滑川高校や北部高校に薬業科があることを話しました、
そして、平成27年{2017}の医薬品生産額が暫定値であるが、富山県が7356億円と全国1位となり2位の埼玉県の6417億円に1千億円以上の差をつけ、初めて日本一になる可能性がでてきたことも話しました。

最後に、今日これほど医学が発達し、医療機関が整備され、薬局、ドラックストアーなどが普及していても、何故、配置販売業が存在するのか?
それは、「先用後利」の商法はもとより、消費者との信頼関係、それぞれの家庭のヘルス・コンサルタントとして、薬に対しての情報の提供や健康相談な、自己治療すなわちセルフ・メデケーションの役割を果たし、社会が必要とする職種であること。
それ故、300年もの長きにわたり国民生活の中に定着していることを力説し、一人でも配置販売業に従事される事を求め話を終えました。

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<滑川高校薬業科特別講演にて>



(2017/03/14)

沖田川放水路竣工式

3月4日午前10時より表記竣工式が石井隆一県知事、宮腰光寛代議士を始め来賓、地権者、自治会、工事関係者等多数の出席のもと執り行われました。御存じの通り、早月川河口から上市川河口までの海岸線は約8KMです。

この間、富山湾に注ぎ込む川らしき川は、かつて中川だけでした。しかも河口手前の橋場で、沖田川、大町川、伝五郎川、四間町川等の小河川が合流します。この為、少し雨が降ると増水した中川に小河川の水が橋場で入り込めません。それ故、戦前より町部で水害が多発しました。そこで、県営田中川排水改良事業として昭和23年より昭和26年まで4年の歳月をかけ畑であつた所を掘削して人工的に造られたのが田中川です。

しかし、昭和40年代に入り高度経済成長とともに宅地開発が盛んに行われ、保水に重要な役割を果たしている田畑が消滅してゆきます。特に昭和44年8月の豪雨では、中川及び支川沖田川の河績不足により、滑川市街地において甚大な被害が発生したため抜本的な治水対策の必要が生じました。このため、下流市街地の洪水被害を防止する目的で市街地上流部において各支川を連結させ、洪水を全量カットして滑川漁港の西側に放水する放水路の整備が行われました。そして、中川上流宮窪地内において分水。これが「中川放水路」です。

昭和47年から約30年の歳月と約76億円の巨費を投じ平成13年度完成しました。
これによって下流域で浸水被害が著しく少なくなると考えられました。しかし、その後も続く宅地開発や沖田川流域の郊外に大型店の出店、大型駐車場の出現、また、近年ヒートアイランド現象の発生と局地的集中豪雨の多発、加えて沖田川は残流域が大きく流下能力が低いなどから、沖田川を河端地内JR北陸線{現あいの風鉄道}沖田踏切海側で分水し町内の道路下を暗渠として富山湾に注ぎます。これが「沖田川放水路」計画です。
これを、強力に推進する為関係団体が集まり、期成同盟会が結成され、県や国に対し要望、陳情を繰り返し行われました。

折しも、平成13年6月29日の豪雨で459棟の家屋が浸水被害に見舞われた。その結果、県では沖田川の下流域における治水の安全性を高める為、平成14年度から滑川市が整備する都市計画道路、加島町―下島線の地下に箱型の水路を設置し富山湾に直接洪水を放水する工事として始まりました。

そして、ここに15年余の歳月と約37億円の巨費を投じ竣工式を迎えたのです。これによって地域の洪水不安はかなり軽減されると思います。私自身も期成同盟会の活動に長年携わってきた一人として感慨無量な思いであり、喜びもひとしおであります。

尚、祝賀会では滑川中央保育園園児による、かわいい子供獅子舞が披露されました。
会場からは園児の演技を称える大きな拍手が鳴りやみませんでした。

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(2017/03/05)

滑川高校同窓会入会式及び卒業式

2月28日午前11時40分同校体育館で同窓会{会長、中屋一博}入会式が行われました。
これは、卒業式の前日に行われる恒例の行事であり卒業後本校の同窓生であることを自覚し誇りを持ってもらうことを目的の一つとして行われるものです。

誰にでも生まれ育った故郷があるように、誰にも、青春のひと時を過ごした学舎すなわち母校があります。
富山県人なら、抜けるような青空の中に輝く立山連峰を眺めた時、どことなく元気、勇気を感じると共に、人それぞれの心の拠りどころとして存在しているような気がします。

母校も同様です。卒業した後、母校の活躍が報じられると誰しも嬉しく思うし誇りに思います。
プロ野球ロッテ球団の石川投手もしかりです。WBC侍ジャパンのメンバーとして活躍したり、日本レスリング協会長の福田富昭氏の活躍を聞くと同窓生で有ることを誇りに思います。
青春のひと時を友と語り、数多くの出会いと想いでを与えてくれた母校。やはり母校の存在は生涯、心の拠りどころとして、生き続けるものです。

そこで、生徒諸君に、「光陰矢の如し」次の詩を贈り、同窓会入会の歓迎の言葉としました、

「今の今を」
まばたきする間に 一日は散ってゆき
車窓の景色のように 一週間は飛んでゆき
後を振り向く間に 一か月は過ぎてゆき
海・山を見ている間に 一年は消えてゆくなり
一生だって短いもの 励もう励もう今の今を

翌日3月1日は241名の卒業式であった。入学時は1クラス40名、普通科3クラス120名、薬業科1クラス40名、商業科1クラス40名、海洋科1クラス40名、計、240名であったが卒業時は普通科が121名で総計241名となりました。
これは、1名転入者があったためだが、入学時の生徒全員が卒業式を迎えることは極めて珍しいことです。
澤井校長もこの点を式辞の中で強調され喜びを表現しておられました。

いずれにしても、卒業式をもって社会人となる人、進学する人、それぞれの道を歩み始めるわけですが、彼らの洋々たる前途に輝かしい未来があることを願い学校を後にしました。

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<同窓会入会式でのあいさつ(左) 代表に記念品贈呈(右)>



(2017/03/01)
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