5月21日ー23日加積雪嶋神社{祭神・大山咋命}の春季例大祭宵祭に加島町2区と加島町3区の獅子舞が毎年交代で披露・奉納される。
今年は2区の番であった。早朝8時、神社に到着すると、神社入り口から
①前踊りが始まり、②ノッタノッタ演目で獅子頭を先頭に、幼児を胴幕の上に乗せて歓声と共に拝殿を駆け上がって鈴を鳴らす。
以後、③デンデコ、④キリコ、⑤カタナ、⑥マサカリ、⑦カサ、⑧ヤリ、⑨エグル、➉ダイカグラ、⑪タルと県内の獅子舞の中でも踊りの数は最多である。
ノッタノッタの踊りは県内でも珍しいと思う。
以後、拝殿前で前述の全踊りを披露・奉納し、再び前踊り、ノッタノッタで神社を後にする。
その後地元2区を皮切りに、氏子町内を一巡する中で、地元の田中小学校の昼食時に全校生徒が前庭に集まり、全演目を披露する。獅子舞は始めは獅子を誘い出し、男の子はカタナ、マサカリ,ヤリなどを持って獅子と闘いを繰り広げる。女の子は、キリコ,カサで獅子を幻惑する。男の子が獅子に酒を飲ませ刺し殺す場面で最高潮に達して終わる。
最後は、ノッタノッタの演目で退場する時には生徒から大きな歓声と拍手が沸き起こった。2区は女 {雌}獅子で優雅な舞い、3区は男 {雄}獅子で勇壮な舞いと言われる。踊り子は幼児から小学6年生までで,獅子頭や胴幕そして太鼓や笛などは大人が演ずる。
こうして神輿の露払いの役目を果たしつつ予定のコースを回り、夕刻神輿が神社に戻る前に獅子も神社に戻り、出発時と同様全種目を演じ一日を終える。幼児や同行の保護者には難儀な一日の行程だったと思う。
市内で獅子頭が保存されている所は、加島町2区、3区、蓑輪、寺家町であるが、蓑輪は昭和54年を最後に踊りは休止している。このほか擽原神社にも獅子頭のあったことが記録されているが、詳細は不明である。県内では、呉西の氷見、射水、高岡、砺波などは、各町内ごとに獅子舞があるくらいですが、これに比べると呉東は僅かです。
呉羽山を境に加賀百万石の影響の違いかと思う。僅かに百万石の影響を感じるのは、岩瀬と八尾の曳山祭りであろう。
尚、加島町の獅子の起源は明らかでないが、明治の初期能登通いの帆船が、能登ー射水ー滑川のルートによって伝えられたという。高岡市牧野の獅子に似ており、射水系の流れを汲むという。
いづれにしても、良き伝統は残して行かなければならない。僅か2週間余りの練習期間であるが、子供たちの絆、保護者を含めた連帯感の醸成など伝統行事の継承が果たしていることを忘れてはならないと思う。
また、地元の小学校で全生徒に披露するのも他市では見られないことである。ただ、少子化の影響は踊り子の減少に繋がり、今回は15名の参加で、一人何役もの掛け持ちであり今後の課題である。
私も幼稚園児の時から6年生までは踊り子として、ノッタノッタに胴幕の上で舞ったこと、社会人になってからは獅子頭を持ち、また胴幕に入り、口上を唱え70歳近くまで獅子舞に参加した思い出は忘れることはできない。
私から子へ孫へと引き継がれていく獅子舞。末永く残したいものです。
写真は、ノッタノッタで神社に入る。我が家の前で獅子頭を持つ息子。自宅前を通過する神輿。