なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2014年

今年もあとわずか

一日も、おろそかならず、古暦  高浜虚子

今年もあとわずかとなりました。振り返ってみると、自然災害も多発した年でした。多数の死者をだした広島の土砂災害、御嶽山の水蒸気噴火、幸い死者は出なかったが長野県北部地震による白馬村の家屋被害、それに台風も数多く列島を直撃したし、集中豪雨被害も全国で発生しました。

そして12月に入っての雪と寒さ。でも、明るい話題も多くありました。
テニスの錦織選手の活躍、ノルデックスキ- ジャンプのワ-ルドカップで実に42歳5カ月の年齢で優勝し、最高年齢者の記録を更新し、「レジェンド」という言葉を生んだ葛西紀明選手、ソチ冬期五輪で金メダルを獲得し、その後もグランプリ、ファイナルで日本人男子初の二連覇を果たした羽生選手など、スポ-ツ界の活躍の話題が本当に多くの人々に、感動、勇気、元気を与えてくれるものと改めて思いました。

また、ノーベル物理学賞に日本人3人が受賞しました。赤崎勇、天野浩、中村修二の各教授である。日常生活の中で幅広く使用されている青色発光ダイオードの研究、発明にこの方々の努力があったことを恥ずかしながら初めて知りました。それにしても、日本人はたいしたもんです。

もう一点感動したのは、ノーベル平和賞を史上最年少で受賞した17歳の少女、マララ、ユスフザイさんです。彼女はパキスタンで女子教育の権利を求め、イスラム過激派に銃撃されました。それに屈することなく、全ての子どもが教育を受けられる世界の実現を目指し活動をしています。マララさんの受賞演説のポイントは空っぽの教室、失われた子ども時代、これらを私達で終わりにしよう。私は教育を奪われた6600万人の少女の代弁者です。

『教育は人生に欠かせない。私達の未来は教室にありました。テロリストの思想や銃弾は勝てなかった。私達の声はより大きくなる一方だった。戦車を造るのは易しいのに、なぜ学校を建てるのは難しいのか。全ての子どもが学校に行くのを見届けるまで闘い続ける。』

これが17歳の少女の演説でした。そして、ノーベル賞の賞金で故郷に学校を建設する計画も明らかにし、共同記者会見で全ての子どもが教育を受ける目標を実現するため、将来母国パキスタンで「首相になりたい」と抱負を語りました。
なんと素晴らしい演説でしょうか。これに感動しない人はおそらくいないでしょう。
そう思うと日本は実に恵まれた国です。恵まれたことに慣れて来ると、それが当たり前と思うようになり、感謝の心より不平、不満ばかりがでてきます。多少の不満があっても、やっぱり日本はいい国です。

また、今年特に感じたことは命の尊さです。東日本大震災から、4年近く経過しているにもかかわらず未だに行方不明者の捜索が行われているし、広島の土砂災害や、御嶽山災害でも行方不明者の最後の一人の捜索のために、何百人、何千人の人々が活動しています。
片や、子が親を、親が子を、女子高校生が同級生の女の子を殺害する、そんな事件も含め殺人事件が日常茶飯事発生しています。それがいとも簡単に人の命を奪う点です。命に対してのこの落差。その原因は何か?つくずく考えさせられます。

さて、12月13日は後輩の結婚パーティ、14日は身内の結婚式、15日は富山北部高校薬業課の{とやまのくすり}についての講義、16日は薬業研修センターで講義を行いました。なかでも、北部高校の生徒の年齢はまさにマララさんと同じ年。何不自由なく教育を受けれることができることの有難さと、平和の尊さも話させていただきました。
また、「とやまのくすり」と言えば何を連想するか?との私の質問に対し、女子生徒の一人が、エボラ出血熱の治療薬が富山で製造されている、と、答えました。その通り。

西アフリカで猛威を振るいすでに死者が7000人{12月16日現在}を超え、世界を恐怖に落とし入れているエボラ出血熱の治療薬として、富士フイルムグループの富山化学工業が開発したインフルエンザ薬「アビガン・一般名・ファビピラビル」が一躍注目を浴びています。事実、西アフリカで医療活動中にエボラ出血熱に感染した医療従事者に投与後に症状の改善が見られました。
また、安部首相はアジア太平洋経済協力会議首脳会議のワ―キングランチでエボラ出血熱対策を各国首脳にアピールし、「日本の製薬会社の薬は効果があると言われている。薬の提供により大きな貢献をしたい」と強調しました。
アビガンを念頭に置いた発言と言われています。{くすりのとやま}を標榜する富山県にとっても富山を世界に発信する良い機会でもあり、大きな話題の一つでもありました。

いずれにしても、今年も慌ただしく過ぎようとしています。

一年間公私に亘りお世話になった方々に感謝と御礼を申し上げ、新しい年が良き年で有ります様お祈りいたします。

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東京~奈良へ(8月31日編)

平成26年8月31日(日)
早朝から、多くの文化的遺産を蔵している岩船寺、次いで、九体阿弥陀如来像(国宝))、藤原時代、九体阿弥陀堂(国宝)、藤原時代、三重塔国宝)、藤原時代、四天王像(国宝)藤原時代、など、多くの国宝、重文、を蔵している浄瑠璃寺を訪ねました。

深緑と静寂の中で九体阿弥陀如来像を眺めているとなにかしら癒されました。それにしても、一ヵ寺で幾つもの国宝に接することが出きるのに、富山県で国宝と言えば高岡の瑞龍寺ぐらいだから驚きます。その後奈良ホテルで少しリッチな昼食をした後、奈良~京都~富山そして滑川へ戻ってきました。

慌ただしい3泊4日でしたが、関東滑川高校同窓会皆さんとの再会や歴史を感じ、文化に触れる、飛鳥の魅力にたっぷり染まる充実した、ひとときでした。

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(飛鳥大仏)

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(浄瑠璃寺の阿弥陀如来堂(国宝))

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(九体阿弥陀如来像(国宝))

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(三重塔(国宝))

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(奈良ホテルにて)



東京~奈良へ(8月30日編)

平成26年8月30日(土)
奈良明日香村で国宝高松塚古墳壁画修理作業室が8月23日~31日まで公開されました。事前に申し込み、甥の車に乗せてもらい早朝出かけました。
村内の修復施設で汚れからの修復が進む壁画も公開は12回目。今回は「飛鳥美人」で有名な西壁女子群像など、石室内の東西壁に描かれた男女の群像が勢ぞろいし、通路のガラス越しからの鑑賞だったが素晴らしいの一語に尽きるものでした。

この古墳は、7世紀末~8世紀始めに築造されたものだが、地元の人が墳丘の南斜面で作物貯蔵用の穴を掘ったところ凝灰岩の切石を発見、これがきっかけで、昭和47年3月から調査が行われ壁画発見となりました。発見も発明も、えてして偶然が伴うものです。

調査終了後密封されたが、その後の調査でカビ等が生えていることがわかり、石室を解体し、温度、湿度で管理された修理室が建設され、そこで、保管・修理がおこなわれています。さて、石室の内部には彩色壁画として四神の図があります。青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)、これに青龍、白虎の上部にそれぞれ日像、月像、又、天井に星宿が描かれています。そして、男子4人、女子4人、各1組の群像が東西両壁に2組ずつ計16人が描かれています。

どの像もすぐれた筆致で実に細かく描かれ、我が国の美術、絵画史上優れた作品でした。被葬者は不明であるが、極めて地位の高い人物であったことは想像出来ます。ただ、私自身、以外だったことは、そんなに大きな古墳でなかったことです。
高松塚古墳は、直径23メートル、高さ5メートルの円墳です。平成21年滑川市上梅沢地内で発掘された3世紀の古墳は直径17.5メートルの円墳(高さは削り取られているため不明)です。そんなに違わないと思うのは素人の考えでしょうか?

いつも不思議に思うことは、石室の材質は凝灰岩であることです。一番大きく、重いのは1,5トン。同質の凝灰岩は明日香村から30キロ程離れたニ上山(にじょうざん)から運んだと言われています。それも数十数個。
そう考えると、蘇我馬子の墓でないかといわれる「石舞台古墳」は玄室の長さ7,8メートル、幅約3,4メートル、高さ4,8メートル、、で 大小30数個の花崗岩が使われ、天井の石の重さは北側1個約64トン、南側1個約77トン 総重量約2300トンです。これを3キロ離れた所から運んだ、とガイドが説明していましたが、1300年前、現代のような土木技術もないことを考えるとにわかに信じられません。
そんな質問をすると、ガイドはコロを使いから始め、エジプトのピラミッドや大阪城の石垣の例を出して説明するが仲々理解できません。それにしても凄いの一言であります。

この日は、早朝から高松塚古墳壁画修理作業室、古墳、壁画館、鬼の雪隠、鬼の俎、石舞台古墳、県立万葉文化館、酒船石遺跡、亀形石造物、日本最初の寺596年創建の飛鳥大仏で有名な飛鳥寺、蘇我入鹿首塚、飛鳥資料館等を見学し内容の濃い一日でした。

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(高松塚古墳前にて)

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(飛鳥美人)

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(通路よりガラス越しの修理作業室)

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(石舞台古墳 *石の重さは77トン)



東京~奈良へ(8月29日編)

平成26年8月29日(金)
関東滑川高等学校同窓会総会(会長 小幡哲夫氏昭和30年3月卒)が明治記念館で行われました。
特別ゲストに福田富昭日本レスリング協会会長(昭和37年3月卒)と、女子レスリング、アテネ、北京、ロンドン、各オリンピック、金メダル三連覇、先般の世界レスリング選手権58㎏級で9度目の優勝した、伊調馨さんを迎え盛大に開催されました。

私は昨年の滑川高校創立100周年記念事業に際し、小幡会長始め会員各位の皆さんの物心両面に亘るご支援に感謝の言葉をのべる為に出席させていただきました。
誰にでも生まれ育つた故郷があるように、誰にでも母校があります。取り分け多感な青春の三年間を過ごした高校時代の思い出は、生涯忘れることの出来ないものです。

特に故郷を離れた人々にはより深いものであり、心の拠り所でもあると思います。
本校の同窓生は三万五千人に及び全国各地の各分野で活躍され、中でも福田さんのような方がおられることは、本校の名誉であり、誇りでもあります。
総会・懇親会も滞りなく終了し、夕方の新幹線で京都へ行き姉の家で泊りました。

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(関東滑川高校同窓会総会(明治記念館にて))

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(伊調馨さんと三個の金メダル)



東京~奈良へ(8月28日編)

先月末に東京~奈良へ3泊4日で行ってきました。最近何かと忙しかったのですが、少し落ち着いたので、旅行日記をまとめてみました。

平成26年8月28日(木)
久し振りに上京。厚生労働省を訪ねました。同省には12人の局長が居ます、その一人で医政局長は滑川市出身の二川一男氏がいます。多忙の中30分程局長室で懇談しました。

次いで、成田昌稔大臣官房審議官(医薬担当)(元富山県薬業振興課長)を訪ねました。審議官室には椎葉茂樹厚生科学課長(元、県厚生部長) 紀平哲也医薬食品局、総務課課長補佐(元 県くすり政策課長)宇野禎晃総務課広報室室長(元 県労働課長)が同行していただきました。いずれも久し振りの再会を喜びあう中、今後とも県の薬業振興にご尽力をお願いし厚生労働省を後にしました。

その隣が人事院であります。人事院公平局長が江畑賢治氏(元 県総務部長)です。アポも取らずに突然立ち寄ったにも関わらず、快く御会い頂き話が弾みました。
夜は富山県赤坂会館に宿泊し、文部科学省の若手官僚数人と痛飲、時間の立つのも忘れて話に花が咲きました。

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(二川一男厚生労働省医政局長(局長室にて))

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(江畑賢治人事院公平局長 元県総務部長(局長室にて))