なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2014年6月

2年ぶりに中国へ

2年ぶりに中国を訪れました。今回の最大の目的は桂林(けいりん)-陽朔(ようさく)間、約60kmの漓江下りです。富山空港より上海まで約2時間40分。国内線に乗り継いで上海から桂林まで空路約2時間20分。やはり中国は広いですね。

秋になると町中にキンモクセイ(中国名で桂花)が咲き乱れることからその名が付いた桂林は名勝・奇景が多い中国でも有数の景勝地として知られています。特に掛け軸などに描かれている山水画の世界が眼前に広がっています。しかし6月は雨の多い時期であり、川が増水すると遊覧船はよく運休するとのことです。当日は前夜から少雨模様であり心配したものの予定通り出航しました。定員100人程度の遊覧船が5隻いずれも満席での出航ということでした。

私の隣はスペイン人のグループであり、他にも様々な国からの観光客が乗船しており、実に国際色豊かな船内でした。しかし、中国人の観光客はあまり見られませんでした。
漓江は好天の場合は清流ですが、雨が降ると中国独特の茶褐色の濁流になります。私が訪れた当日は小雨でした。しかし、霧雨の中に浮かぶ奇岩・奇景はまるで山水画のようで素晴らしかったです。いずれにしても4時間余りの漓江下りを充分に堪能しました。

最終日は上海のナイトクルーズで100万ドルの夜景を楽しみました。4泊5日、つかの間の休日でした。

我 奇 濁 山
亦 岩 流 水 漓
友 奇 岸 景 江
連 峰 洗 勝 下
欲 天 水 下
再 下 墨 漓
訪 望 鮮 江

(中屋一博の詩)

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京都清水寺貫主 森清範氏をお招きして

6月1日、西地区コミュニティセンターで「滑川音羽の会」主催による京都清水寺貫主(かんす)森清範氏をお迎えし『来縁をむすばん』を演題として、市民文化講演会が開催されました。

前講として、清水寺執事補大西英玄氏の講話が約20分。引き続き森清範氏が約1時間ご講演されました。大西英玄氏は元清水寺貫主で109歳の大往生された大西良慶和上のお孫さんであります。
講演会は回を重ね19回となりました。いつ聞いても感動する内容であり、会場を埋め尽くした市民の皆様も同様であったと思います。いずれにしても盛況裏に終えることができました。

実は清水寺と滑川市のご縁は故石倉宗一氏(浜四ツ屋元市議会議長)が森貫主に直接お会いになって滑川へ招へいしたのが最初であり、平成8年でありました。また、来滑される中、滑川の民話にある「孝徳泉」の話が元々滑川と音羽の滝、つまり清水寺とのご縁であることも話題になり、以後毎年お越しになって今年が19回目となった訳です。

その後、石倉さんがお亡くなりになり清水寺とご縁が切れるのではないかと心配し、私自身も森清範氏に直接お手紙を書き、引き続き滑川へお越しいただくことをお願いしました。その結果、ご本人より長文のお手紙を頂き、その要請を快諾されました。
その際、何か会を作ったらどうかとお話しされたのが、当時滑川信用金庫理事長であった桧谷陽也氏であり、会の名称を「滑川音羽の会」に決定しました。そして会長には桧谷氏に就任していただきました。
「音羽」とは清水寺が建立されている地域が音羽山であり、その清水(しょうず)が音羽の滝であるところから名称もそこに由来しています。桧谷氏がお亡くなりになったあとは私が引き継いで会長を務めさせていただいております。

市民文化講演終了後、民話にもでてくる了安(りょうあん)のお墓がある厚生連滑川病院中庭に赴き、森貫主自ら読経をささげられました。このお墓のそばから湧き出ているのが「孝徳泉」と呼ばれる泉であります。いつかの機会にこの民話のお話も紹介したいと思います。

翌日は市内高塚公民館に大西良慶和上の扁額があり、町内の方のお許しを得て拝見しました。扁額には『公向私背』と揮毫されてあります。森貫主も感慨深く眺めておられました。なぜ高塚公民館にあるのかは不明とのことです。
その後、滑川高校へ立ち寄り、昨年創立100周年記念として講演と併せ一文字「輝」を揮毫していただいた横120cm、縦130cmの大きな表装された額を眺め、しばし校長室で談笑したのち、我が家においでになりました。
森貫主は97歳となる私の母との対面をいつも楽しみにしているとのことであり、和気あいあいの昼食会となりました。それにしてもいつも教えられることばかりであり、あっという間の2時間半の我が家の滞在でした。

<写真解説>
 森清範氏を囲んで母ユキ共々

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