なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2014年9月

東京~奈良へ(8月31日編)

平成26年8月31日(日)
早朝から、多くの文化的遺産を蔵している岩船寺、次いで、九体阿弥陀如来像(国宝))、藤原時代、九体阿弥陀堂(国宝)、藤原時代、三重塔国宝)、藤原時代、四天王像(国宝)藤原時代、など、多くの国宝、重文、を蔵している浄瑠璃寺を訪ねました。

深緑と静寂の中で九体阿弥陀如来像を眺めているとなにかしら癒されました。それにしても、一ヵ寺で幾つもの国宝に接することが出きるのに、富山県で国宝と言えば高岡の瑞龍寺ぐらいだから驚きます。その後奈良ホテルで少しリッチな昼食をした後、奈良~京都~富山そして滑川へ戻ってきました。

慌ただしい3泊4日でしたが、関東滑川高校同窓会皆さんとの再会や歴史を感じ、文化に触れる、飛鳥の魅力にたっぷり染まる充実した、ひとときでした。

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(飛鳥大仏)

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(浄瑠璃寺の阿弥陀如来堂(国宝))

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(九体阿弥陀如来像(国宝))

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(三重塔(国宝))

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(奈良ホテルにて)



東京~奈良へ(8月30日編)

平成26年8月30日(土)
奈良明日香村で国宝高松塚古墳壁画修理作業室が8月23日~31日まで公開されました。事前に申し込み、甥の車に乗せてもらい早朝出かけました。
村内の修復施設で汚れからの修復が進む壁画も公開は12回目。今回は「飛鳥美人」で有名な西壁女子群像など、石室内の東西壁に描かれた男女の群像が勢ぞろいし、通路のガラス越しからの鑑賞だったが素晴らしいの一語に尽きるものでした。

この古墳は、7世紀末~8世紀始めに築造されたものだが、地元の人が墳丘の南斜面で作物貯蔵用の穴を掘ったところ凝灰岩の切石を発見、これがきっかけで、昭和47年3月から調査が行われ壁画発見となりました。発見も発明も、えてして偶然が伴うものです。

調査終了後密封されたが、その後の調査でカビ等が生えていることがわかり、石室を解体し、温度、湿度で管理された修理室が建設され、そこで、保管・修理がおこなわれています。さて、石室の内部には彩色壁画として四神の図があります。青龍(東)、朱雀(南)、白虎(西)、玄武(北)、これに青龍、白虎の上部にそれぞれ日像、月像、又、天井に星宿が描かれています。そして、男子4人、女子4人、各1組の群像が東西両壁に2組ずつ計16人が描かれています。

どの像もすぐれた筆致で実に細かく描かれ、我が国の美術、絵画史上優れた作品でした。被葬者は不明であるが、極めて地位の高い人物であったことは想像出来ます。ただ、私自身、以外だったことは、そんなに大きな古墳でなかったことです。
高松塚古墳は、直径23メートル、高さ5メートルの円墳です。平成21年滑川市上梅沢地内で発掘された3世紀の古墳は直径17.5メートルの円墳(高さは削り取られているため不明)です。そんなに違わないと思うのは素人の考えでしょうか?

いつも不思議に思うことは、石室の材質は凝灰岩であることです。一番大きく、重いのは1,5トン。同質の凝灰岩は明日香村から30キロ程離れたニ上山(にじょうざん)から運んだと言われています。それも数十数個。
そう考えると、蘇我馬子の墓でないかといわれる「石舞台古墳」は玄室の長さ7,8メートル、幅約3,4メートル、高さ4,8メートル、、で 大小30数個の花崗岩が使われ、天井の石の重さは北側1個約64トン、南側1個約77トン 総重量約2300トンです。これを3キロ離れた所から運んだ、とガイドが説明していましたが、1300年前、現代のような土木技術もないことを考えるとにわかに信じられません。
そんな質問をすると、ガイドはコロを使いから始め、エジプトのピラミッドや大阪城の石垣の例を出して説明するが仲々理解できません。それにしても凄いの一言であります。

この日は、早朝から高松塚古墳壁画修理作業室、古墳、壁画館、鬼の雪隠、鬼の俎、石舞台古墳、県立万葉文化館、酒船石遺跡、亀形石造物、日本最初の寺596年創建の飛鳥大仏で有名な飛鳥寺、蘇我入鹿首塚、飛鳥資料館等を見学し内容の濃い一日でした。

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(高松塚古墳前にて)

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(飛鳥美人)

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(通路よりガラス越しの修理作業室)

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(石舞台古墳 *石の重さは77トン)



東京~奈良へ(8月29日編)

平成26年8月29日(金)
関東滑川高等学校同窓会総会(会長 小幡哲夫氏昭和30年3月卒)が明治記念館で行われました。
特別ゲストに福田富昭日本レスリング協会会長(昭和37年3月卒)と、女子レスリング、アテネ、北京、ロンドン、各オリンピック、金メダル三連覇、先般の世界レスリング選手権58㎏級で9度目の優勝した、伊調馨さんを迎え盛大に開催されました。

私は昨年の滑川高校創立100周年記念事業に際し、小幡会長始め会員各位の皆さんの物心両面に亘るご支援に感謝の言葉をのべる為に出席させていただきました。
誰にでも生まれ育つた故郷があるように、誰にでも母校があります。取り分け多感な青春の三年間を過ごした高校時代の思い出は、生涯忘れることの出来ないものです。

特に故郷を離れた人々にはより深いものであり、心の拠り所でもあると思います。
本校の同窓生は三万五千人に及び全国各地の各分野で活躍され、中でも福田さんのような方がおられることは、本校の名誉であり、誇りでもあります。
総会・懇親会も滞りなく終了し、夕方の新幹線で京都へ行き姉の家で泊りました。

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(関東滑川高校同窓会総会(明治記念館にて))

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(伊調馨さんと三個の金メダル)



東京~奈良へ(8月28日編)

先月末に東京~奈良へ3泊4日で行ってきました。最近何かと忙しかったのですが、少し落ち着いたので、旅行日記をまとめてみました。

平成26年8月28日(木)
久し振りに上京。厚生労働省を訪ねました。同省には12人の局長が居ます、その一人で医政局長は滑川市出身の二川一男氏がいます。多忙の中30分程局長室で懇談しました。

次いで、成田昌稔大臣官房審議官(医薬担当)(元富山県薬業振興課長)を訪ねました。審議官室には椎葉茂樹厚生科学課長(元、県厚生部長) 紀平哲也医薬食品局、総務課課長補佐(元 県くすり政策課長)宇野禎晃総務課広報室室長(元 県労働課長)が同行していただきました。いずれも久し振りの再会を喜びあう中、今後とも県の薬業振興にご尽力をお願いし厚生労働省を後にしました。

その隣が人事院であります。人事院公平局長が江畑賢治氏(元 県総務部長)です。アポも取らずに突然立ち寄ったにも関わらず、快く御会い頂き話が弾みました。
夜は富山県赤坂会館に宿泊し、文部科学省の若手官僚数人と痛飲、時間の立つのも忘れて話に花が咲きました。

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(二川一男厚生労働省医政局長(局長室にて))

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(江畑賢治人事院公平局長 元県総務部長(局長室にて))