なかや一博 ブログ

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関西滑川会、そして南紀の旅

7月12日(土)、関西滑川会(会長畑岸隆一氏 昭和40年度滑川高卒)の第47回総会と懇親会がホテル大阪ベイタワーで盛大に開催されました。東京滑川会と同様、滑川高校同窓会長として招待されました。

昨年滑川高校が創立100周年を迎え、その記念事業に際し畑岸会長を始め多くの会員の皆様から物心両面にわたるご支援に御礼を申し上げることが目的でした。
特に記念事業の中では6月の京都清水寺貫主 森清範氏、10月の女性宇宙飛行士 山崎直子さんのご講演は生徒諸君に大きな感動を与えました。
また、記念事業として建設された滑川高校歴史資料館は大正2年滑川町立実科高等女学校から始まる100年の歴史が一目瞭然として判る建物です。

総会では滑川市の歌に続き、滑川高校校歌を全員で斉唱するなど、畑岸会長の「関西滑川会と滑高同窓会は一体である」との言葉通りの雰囲気でした誰にも生まれ育った「ふるさと」があり、青春のひと時を過ごした「母校」があります。それは時として自らを鼓舞し、自らを励ましてくれる心の拠り所であろうと思います。

それにしてもいつも思うことがありますが、ふるさとを離れていても、ふるさとの発展を我々以上に願っておられる皆様方には頭が下がる思いでいっぱいです。

さて、総会・懇親会終了後、妻と天王寺で合流し、今話題のアベノハルカス300の展望台に行ってきました。エレベーターを一度乗り換えるのですが、16階から60階の展望台まで約60秒の速さで到着します。さすが300m日本一の高さから大阪平野をはじめとする広大な景色を一望し、疲れも一気に吹き飛びました。

翌13日(日)は車で奈良県十津川村にある吊橋塔では日本一長い谷瀬(たにぜ)の吊り橋を見学後、瀞峡(どろきょう)めぐりを楽しみました。これは熊野川の支流北山川の奥清流です。私が乗船したのは奈良県十津川村の団戸で対岸は三重県、右岸は和歌山県と、3県にまたがっていました。総延長31kmと言われていますが、私の乗船部分はその中心の下瀞と上瀞であり、まさに ~世界遺産熊野から秘境を巡る~ そんな感じでありました。その後、熊野本宮大社を参拝し、南紀勝浦に出て、紀の松島巡りに乗船し1泊しました。

翌14日(月)熊野速玉大社、那智大滝、熊野那智大社、那智山青岸渡寺(西国三十三所観音霊場の第一番札所)など、いわゆる熊野三山を巡り、串本の橋杭岩(はしくいいわ)に立ち寄りました。
ここは海の浸食により岩の固い部分だけが残り、あたかも橋の杭だけが立っているように見えることから、その名が付いたと言われる奇岩絶景の地でした。

以後、奈良駅まで車で移動し、JRに乗り換え京都経由で富山に着いたのは15日(火)午前0時12分でした。
慌ただしい旅でありましたが、車でないとなかなか行けないところばかりであり、内容の濃い、夫婦の休日でした。

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2年ぶりに中国へ

2年ぶりに中国を訪れました。今回の最大の目的は桂林(けいりん)-陽朔(ようさく)間、約60kmの漓江下りです。富山空港より上海まで約2時間40分。国内線に乗り継いで上海から桂林まで空路約2時間20分。やはり中国は広いですね。

秋になると町中にキンモクセイ(中国名で桂花)が咲き乱れることからその名が付いた桂林は名勝・奇景が多い中国でも有数の景勝地として知られています。特に掛け軸などに描かれている山水画の世界が眼前に広がっています。しかし6月は雨の多い時期であり、川が増水すると遊覧船はよく運休するとのことです。当日は前夜から少雨模様であり心配したものの予定通り出航しました。定員100人程度の遊覧船が5隻いずれも満席での出航ということでした。

私の隣はスペイン人のグループであり、他にも様々な国からの観光客が乗船しており、実に国際色豊かな船内でした。しかし、中国人の観光客はあまり見られませんでした。
漓江は好天の場合は清流ですが、雨が降ると中国独特の茶褐色の濁流になります。私が訪れた当日は小雨でした。しかし、霧雨の中に浮かぶ奇岩・奇景はまるで山水画のようで素晴らしかったです。いずれにしても4時間余りの漓江下りを充分に堪能しました。

最終日は上海のナイトクルーズで100万ドルの夜景を楽しみました。4泊5日、つかの間の休日でした。

我 奇 濁 山
亦 岩 流 水 漓
友 奇 岸 景 江
連 峰 洗 勝 下
欲 天 水 下
再 下 墨 漓
訪 望 鮮 江

(中屋一博の詩)

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京都清水寺貫主 森清範氏をお招きして

6月1日、西地区コミュニティセンターで「滑川音羽の会」主催による京都清水寺貫主(かんす)森清範氏をお迎えし『来縁をむすばん』を演題として、市民文化講演会が開催されました。

前講として、清水寺執事補大西英玄氏の講話が約20分。引き続き森清範氏が約1時間ご講演されました。大西英玄氏は元清水寺貫主で109歳の大往生された大西良慶和上のお孫さんであります。
講演会は回を重ね19回となりました。いつ聞いても感動する内容であり、会場を埋め尽くした市民の皆様も同様であったと思います。いずれにしても盛況裏に終えることができました。

実は清水寺と滑川市のご縁は故石倉宗一氏(浜四ツ屋元市議会議長)が森貫主に直接お会いになって滑川へ招へいしたのが最初であり、平成8年でありました。また、来滑される中、滑川の民話にある「孝徳泉」の話が元々滑川と音羽の滝、つまり清水寺とのご縁であることも話題になり、以後毎年お越しになって今年が19回目となった訳です。

その後、石倉さんがお亡くなりになり清水寺とご縁が切れるのではないかと心配し、私自身も森清範氏に直接お手紙を書き、引き続き滑川へお越しいただくことをお願いしました。その結果、ご本人より長文のお手紙を頂き、その要請を快諾されました。
その際、何か会を作ったらどうかとお話しされたのが、当時滑川信用金庫理事長であった桧谷陽也氏であり、会の名称を「滑川音羽の会」に決定しました。そして会長には桧谷氏に就任していただきました。
「音羽」とは清水寺が建立されている地域が音羽山であり、その清水(しょうず)が音羽の滝であるところから名称もそこに由来しています。桧谷氏がお亡くなりになったあとは私が引き継いで会長を務めさせていただいております。

市民文化講演終了後、民話にもでてくる了安(りょうあん)のお墓がある厚生連滑川病院中庭に赴き、森貫主自ら読経をささげられました。このお墓のそばから湧き出ているのが「孝徳泉」と呼ばれる泉であります。いつかの機会にこの民話のお話も紹介したいと思います。

翌日は市内高塚公民館に大西良慶和上の扁額があり、町内の方のお許しを得て拝見しました。扁額には『公向私背』と揮毫されてあります。森貫主も感慨深く眺めておられました。なぜ高塚公民館にあるのかは不明とのことです。
その後、滑川高校へ立ち寄り、昨年創立100周年記念として講演と併せ一文字「輝」を揮毫していただいた横120cm、縦130cmの大きな表装された額を眺め、しばし校長室で談笑したのち、我が家においでになりました。
森貫主は97歳となる私の母との対面をいつも楽しみにしているとのことであり、和気あいあいの昼食会となりました。それにしてもいつも教えられることばかりであり、あっという間の2時間半の我が家の滞在でした。

<写真解説>
 森清範氏を囲んで母ユキ共々

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東京滑川会総会・懇親会に出席しました。

5月17日(土)東京京王プラザホテルで開催された「東京滑川会総会・懇親会」に出席しました。
どの市町村でも関東や関西にふるさと会があります。滑川出身者の方々にも東京滑川会と関西滑川会があります。加えて関東滑川高校同窓会もあります。
いずれも故郷や母校の発展を願いつつ親睦を兼ねて結成されたものです。

今回は滑川高校同窓会長としてお招きをいただき出席しました。
昨年、滑川高校が創立100周年を迎え東京滑川会の方々から記念事業に対し、物心両面にわたるご支援に御礼を申し上げることもあったからです。

それにしても皆さんの故郷や母校に寄せる情熱には頭が下がる思いです。
来春には北陸新幹線(東京-金沢間)が開通し、富山と東京は約2時間で結ばれます。誰にとっても「故郷」や「母校」は心の拠り所であり、時として自らを鼓舞してくれる存在です。
それゆえ、それぞれの人の心に生き続けているのだと思います。

ちなみに東京滑川会の初代会長は官選最後の富山市長や参議院議員等を務め、滑川市の名誉市民第1号の石坂豊一氏であります。懇親を深め、滑川会の更なる発展を願いを会場を後にしました。

写真は滑川市の名誉市民第2号であり、東京都の名誉都民の山田禎一先生と滑川名誉市民第3号であり、日本レスリング協会長福田富昭氏(滑川高校卒)を囲んで。。

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石原良純さんとの絆

戦いが済んで、日が暮れて、あれからもう1か月近くが経過しました。 後始末にも多少の目途がついてきました。
それにしても多くの方々のご支援のお蔭があったことに改めて感謝と御礼を申し上げます。
そんな折、3月2日、石原良純さんが黒部市で開催されたイベントの帰りに小生宅に立ち寄ってくれました。私にも、また97歳の母を含めた家族に対して労いの言葉をかけてくれたことにはとても感激しました。
幕末の志士 高杉晋作は「真の友人か、否かは、本当に困っている時と亡くなった時にわかる」という言葉があります。 現在の状況の中でわざわざ自宅まで立ち寄ってくれたことに友情と絆の固さを感ぜずにはいられなかったです。上京の折にはぜひ事務所へおいでください。という言葉にも正直嬉しかったです。
3月3日は桃の節句でした。孫の活発な姿と笑顔を見ながら、私も元気をもらっています。
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