なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2015年7月

7月12日、談山(たんざん)神社へ

7月12日(日)早朝甥っ子の運転で奈良県桜井市の談山(たんざん)神社(ご祭神、藤原鎌足公)へ。神社由緒によれば、飛鳥法興寺で行われた蹴鞠会において出会った中大兄皇子(後の天智天皇)と中臣鎌子(後の藤原鎌足)が藤の花の盛りの頃、当社本殿裏山で極秘の談合をされました。『多武峰縁起』によれば、「中大兄皇子、中臣鎌足連に言って曰く。鞍作 蘇我入鹿 の暴逆をいかにせん、願わくば奇策を陳べよと。中臣連、皇子を蒋(ひき)いて、城東の倉橋山の峰に登り藤花の下に揆乱反正の謀り談ず」と記されています。

この談合により、皇極天皇4年(645年)飛鳥板蓋宮で蘇我入鹿を討ち、中央統一国家及び文治政治の完成という歴史的偉業を成し遂げられました。多武峰はその後、談峰、談い山・談所の森と呼ばれるようになり「大化改新談合の地」の伝承が残りました。現在の社号の「談合神社」もここからきています。

天智天皇8年(669年)10月、鎌足公の病が重いと知った天皇は、自ら病床を見舞い後日、大織冠内大臣という人臣の最高位を授けられ、藤原の姓を与えました。藤原氏はここから始まります。鎌足公の死後お墓は摂津の国安威山(現在の高槻市)に造られましたが、白鳳7年(678年)唐より帰国した長男、定慧和尚が、鎌足公の遺骨の一部を多武峰山頂に改葬し十三重塔と講堂を建立して明楽寺と称しました。さらに、大化元年(701年)方三丈の神殿を建て鎌足公の御神像を安置しました。これが、談山神社の始まりです。
以上が神社由緒のあらましですが、私達は、時々(談合)と言う言葉を耳にします。
しかし、それはこれに由来するとは正直知りませんでした。

多分、歴史上最初の談合の最たる事件であろうと思います。参考まで、辞書によれば「談=かたる。談話。談笑。相談。」、「合う=集まって一つになる。」
又、室町時代・享禄5年(1532年)再建された十三重塔(重要文化財)は十三重塔としては世界唯一の木造建築で実に見応えのある素晴らしい塔でした。次に、同じく桜井市内にある聖林寺を訪ねました。
寺の創建は古く、奈良時代・和銅5年(712年)談山明楽寺の別院として藤原鎌足の息子定慧が建てたとされています。特に、国宝十一面観音菩薩が有名で天平時代(760年代)の作と言われ、均整のとれた仏身、豊満な顔立ち、量感ある上半身、微妙な変化を見せる指先等、ミロのビィーナスとも比較される仏像彫刻の優作でした。それにしても、無財の七施の一つに眼施があります。正に、観音菩薩を含め、仏様の眼差しを見ていると、どこか、心が癒される思いがいたします。中々見ることが出来ない所を駆け足でしたが充実した半日でした。

CIMG3352  CIMG3349
<談合したといわれる所と世界唯一の木造十三重塔(重要文化財)談山神社>



第48回関西滑川会総会に出席して

7月11日(土)大阪弁天町のホテル大阪ベイタワーで51名参加のもと、盛会に開催されました。私は滑川高校同窓会長として澤井校長とともに出席しました。
総会において、2期4年会長を務められた畑岸隆一氏が退任され、新たに千先久矩氏が就任されました。畑岸氏の労に感謝し、千先氏のご活躍に期待するものです。
それにしても、誰にも生まれ育った故郷があり、人それぞれ、心の拠り所として生きているものと思います。「故郷は遠くにありて想うもの」との言葉がありますが、いつも故郷のことを気にかけ、故郷の発展を願っている方々がおられることは、本当に嬉しく有難いことです。そんな思いの結集が総会であり、懇親会であったと思います。

かつて、戦前の滑川町は人口2万人ほどの小さな町でした。そこに、県立高校が3校ありました。滑川女学校、滑川商業学校、滑川水産学校、これに、町立薬業学校です。
近隣の市町村と比較しても、これだけ多くの学校があったとは驚きであり、先人の教育にかけた情熱が伝わってくるように思われます。
しかし、現在は滑川高校1校だけになりました。私は、挨拶の中で、関西滑川会の構成は必ずしも滑川高校卒業者とは限らないけれども、故郷を離れた人々には、市内で唯1校の滑川高校が皆さんの母校と思い、これからも変わらぬご支援をお願いしました。

さて、当日、早朝富山を出て総会前にあべのハルカス美術館で開催されている『昔も今も、こんぴらさん 金毘羅宮のたからもの』と題し、全国各地から奉納された物の中から逸品が展示されていました。特に圧巻だったのは、円山応挙の雅松丹頂図、芦丹頂図、遊虎図東面、北面右、北面左、西面。竹林七賢人図、東面、北面等の襖それに、伊藤若冲の花丸図の襖や 油絵の高橋由一の作品8点もすばらしかったです。

総会終了後、天王寺で神戸在住のある青年に会いました。彼は同志社大学を出て京都銀行に10年勤務。昨年3月退職。父の配置薬業に従事するため4月、新規薬業従事者講習に神戸から富山へやってきた時が出会いでありました。久し振りに会って薬業の感想を聞いてみたところ、以外にも第一声がこれ程面白い仕事は無い。彼曰く銀行員では味わう事の出来ない、人と人との触れ合いのなかから生まれる人間の情を感じる素晴らしい職業だと、いきいきと語ってくれました。
業界には難問が山積しています。幕末の志士、高杉晋作の辞世の歌は「おもしろき、事もなき世を、おもしろく、棲みなすものは、心なりけり」と言われています。
つまり、心の持ちようによってはいかようにも変える事ができる。ということと思います
久し振りに、前向きな話しに花が咲き、爽やかな気持ちで別れ、この夜は京都の姉の家で一泊しました。

CIMG3332
<第48回関西滑川会総会にて 挨拶する私>