なかや一博 ブログ

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仁川海洋科学高校との交流

6月12日{月}滑川高校と姉妹校にある大韓民国・仁川海洋科学高校3年生男子40名が本校に来校しました。
目的は 国際交流・姉妹校「仁川海洋科学高校」への訪問、及び生徒同士の交流活動の実施、韓国の経済・文化・歴史学習を通して、異文化の理解を図り、国際的視野を広めることとあります。
御存じの通り滑川高校には海洋科があることから、姉妹校として締結され2013年6月、仁川海洋科学高校が始めて滑川高校を訪れたのが第1回となり、以後、今日まで相互訪問が続いています。
日程は6月7日、仁川出発、海洋大学所有の約1000トンの船で途中、洋上実習を重ね60時間をかけ、6月9日夕方富山新港着
6月10日、宇奈月温泉、トロッコ電車で黒部峡谷へ
6月11日、立山アルペンルート・雪の大谷、室堂を散策、帰路100円ショツピングにてお買い物
6月12日、新湊大橋経由、午前8時50分滑川高校到着

国際交流会、昼食、その後、私は同窓会長として出席しました。
石倉滑川高校校長、朴進洪{パクチンホン}校長挨拶、次いで両校生徒代表挨拶。これは、滑川高校生徒は韓国語で、仁川海洋科学高校生徒は日本語で挨拶しました。多少たどたどしさはありましたが両方共立派な挨拶でした。

その後、両校の実習や活動内容などプロジェクターを使い、それぞれ紹介したあと歓談に入りました。私は、通訳を交え朴校長と少し話をしました。
韓国には、海洋・水産関係の高校は11校、同・大学は3校、仁川海洋科学高校は男子校生徒数。650名。入学式は3月。卒業式は2月、教員の定年は62歳、退職は誕生日を基準日とし2月と8月の2回あると言います。これは日本と違うところです。

また、生徒が感動したのはやはり雪の大谷でしょう。韓国では、標高2000m以上の山はなく、雪を見るのが珍しい中、6月にもかかわらず、沢山の雪があるのには驚いていました。
私も、始めて海外に行ったのは25歳で、昭和46年{1971}第1回富山県青年の船団員として、韓国、台湾、香港を訪問しました。
見るもの、聞くもの、すべて新鮮な驚きと感動を持ったものです。日頃は何不自由なく生活していることが、どれ程有難いかを含め、日本の良さを改めて認識する機会でもありました。

今、日本と韓国の関係は多少ギクシャクしています。しかし、21世紀は間違いなく彼らの時代です。2050年と言っても彼らはまだ50歳。
このような交流の積み重ねによって、日、韓両国の未来が希望の絆で結ばれてゆくことを信じたいと思います。最後に全員で記念写真を撮り午後3時頃会場をあとにしました。

彼らは、その後、海王丸を見学し富山新港着。すべて船中泊であり、翌13日富山新港を離れ、洋上実習を行い、6月16日韓国・仁川到着だそうです。双方にとって内容の濃い充実した交流会だったと思います。

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<滑川高校 石倉校長の挨拶>



清水寺・森貫主・講演会

6月4日{日}午後3時30分より、京都・清水寺貫主・森清範氏をお迎えしての市民文化講演会{主催・滑川音羽の会・会長中屋一博}が西地区コミュ二ティーホールで開催されました。厚生連滑川病院中庭にある孝徳泉と清水寺のご縁も含め、故石倉宗一さんの提唱で始まった講演会も今回で22回目となりました。

森貫主さんによれば、22回も連続して続いているのは全国でも滑川だけだそうです。「井戸水を飲む時は、井戸を掘った人の恩を忘れてはならない」との諺があります。
先人の御恩と清水寺・森貫主さんの御理解には感謝の気持ちでいっぱいです。 

当日は、約300人の聴衆で会場が埋まりました。最初に私の挨拶のあと前講として清水寺・執事補大西英玄氏のお話。次いで森貫主さんの講演に移りました。
さすが毎年、漢字一文字を揮毫しておられるだけに、漢字の表音と表意文字の違いの解説や、言葉は言霊と言う通り魂があり力がある、漢字も同様であることをユーモアを交えお話になりアッという間の1時間でした。
お二人の有意義な話しのあと、帰りの際、多くの方々から感動したとの感想や来年も是非開催してほしいとの要望も受けました。主催者としては安堵しました。

講演会終了後、厚生連滑川病院中庭で南里院長始め関係者多数出席のもと、清水寺音羽の滝の霊水を石碑にかけ、森貫主の読経のもと、了安、安正親子の供養をしました。
ここに、2年前20回の節目に当たり森貫主さんがお詠みになった詩を掲載します。

孝徳の 縁に引かれ 二十年{ふたとせ}の 慈水を汲みて 弥 栄えませ
(平成27年6月7日)

いずれにしても、森貫主さんには末長く滑川にお越し頂くよう、これからも努力してゆきたいと思います。

挨拶  英玄

貫主  考徳



琵琶演奏会

6月3日{土}午後1時30分より国登録有形文化財、旧宮崎酒造{ぼんぼこさ}滑川市瀬羽町で錦心流琵琶全国一水会富山支部主催{後援会長・中屋一博}で琵琶演奏会が開催されました。

今回の曲目は、敦盛・井伊大老・湖水乗切・羅生門・新撰組の5曲に加え、賛助出演として詩吟3曲が披露されました。
いずれも、歴史的な故事に関わる内容であり、かつて戦前の教科書に掲載されていた歴史物語です。

琵琶の演奏曲目の殆どは肉親の情や人として為すべきことなど、戦後教育の中で失われた、人として大切なものは何か?を教えているものばかりと思います。戦前のものは全て悪でなく、文部省唱歌や叙情歌と共に良きものとして残し継承してゆくべき日本の伝統文化に琵琶や能などがあると思います。

哀調を帯びた調べの中に、平敦盛と熊谷直実の話の「敦盛」など傾聴に値する一時でした。

琵琶



第60回東京滑川会総会・懇親会

5月27日{土}午前11時30分より大手町サンケイプラザで第60回東京滑川会総会・懇親会が開催されました。
これは、東京周辺にお住まいの滑川出身者の方々が、年に一度集う機会であり、約100名の参加で、どうしても、故郷が話題であり、話は尽きませんでした。
それにしても、「ふるさとは、遠くにありて思うもの」との言葉がありますが、今や新幹線で2時間余りで結ばれる時代であり、「ふるさとは近くにあっても思うもの」かも知れません。
そして、いつも滑川の発展を願い、心から応援している人々がおられることは本当に有難いことです。

終了後、大宮駅前東天紅で、かってヨーロッパ特別指導者視察団として行った人達と久し振りにお会いし、歓談しました。

その後大宮発20時22分富山着22時08分で帰宅。4泊5日で多少疲れましたが、充実した5日間でした。

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東京にて(厚労省~総務省~総理官邸~文科省)

5月25日夜、宿泊先の富山県赤坂会館でかつて厚労省から富山県に出向していた方々や、厚労省の富山県関係者の方々で日頃から親しくしている方々との懇親会「厚労省ナカヤ会」を開催しました。これは時々私が上京した時、開催していたものです。
今回は滑川にご縁があり祖父が売薬であった厚労省事務次官の二川氏を始め、私を含めた11名の出席で和やかに交流を深めました。

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5月26日は総務省を訪問しました。午前・総務省・佐藤総務事務次官を訪ねました。最近の地方の財政状況や地方創生などざっくばらんに話し、あっと言う間の30分でした。その後、省内の知人数人と懇談し、有意義な時間を過ごしました。

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次いで内閣官房副長官を訪問。
昼食は参議院議員・野上浩太郎秘書、野村氏と参議院院内食堂で会食しました。その足で総理官邸内、内閣官房副長官室の野上副長官を表敬。以前,長勢官房副長官時代も訪問しましたが、ここに居ると、日本の政治の中心がここに有り、ここで政治を動かしていることを実感することができます。若くしてこの地位に着かれた氏の一層の活躍を期待するものです。
しばし政治談議に花咲かせ部屋を出ました。
出たところで、次の番を待っていた方から突然声をかけられました。見ると、10数年前、経済産業省から富山県商工労働部長に着任されていた藤木俊光氏でした。まさかここでお会いするとは・・お互い驚きながら再会を約束し別れました。氏は現在経済産業省・省エネルギー・新エネルギー部長としてご活躍中です。

野上さん

第10回文科省ナカヤ会懇親会
厚労省同様、文科省にも私の友人が居ます。これは私が現職の時、文科省のキャリアと言われる25歳前後の若手職員を市が3週間研修生として受け入れたことが始まりです。これ等の方々と私が上京した折、卓を囲み、盃の友情を交わしているのが「文科省ナカヤ会」です。
これも今回で10回を数えました。今回私を含め10名の出席であったが、この中から某県の生涯学習課長や某県の教育次長などが誕生していることは嬉しい限りです。
私が彼らに対し言うことは、かつて遣隋使や遣唐使と言われた人達は命を懸けて荒海を渡り、仏教や律令制度や異国の様々な文化などを日本に持ち帰った話や幕末・私利私欲を捨て国事に奔走した志士を例に出し激励しました。

いずれにしても、わいわい、がやがや言いながら楽しいひと時を夜遅くまで過ごした。

文科省