なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2018年1月

手嶋龍一氏講演会

1月29日{月}滑川商工会議所新春講演会が同所で開催されました。
講師は、外交ジャーナリスト・作家手嶋龍一氏で、演題は「激動の2018年を読み解く」~緊迫する東アジア情勢と日米同盟~でした。
最初に氏の奥さんが、富山市呉羽出身であることやその、親戚が高橋正樹高岡市長であることなどを紹介し、富山県とは縁があり、講演依頼があると断れないなどユーモアを交え本題に入りました。

まず、朝鮮半島情勢における、日・米・韓と北朝鮮の動き。一触即発の米国と北朝鮮の中で、かってキューバ危機と言われたケネディ大統領とフルフチョフ・ソ連首相との心理的駆け引きの中で、ケネディ大統領の海上封鎖の決断。

2001,9,11テロからサダムフセイン大統領捕捉までの経緯やその後のテロリストの拡散とI,Sの現状。

また、最近のトランプ大統領の突然のTPPやパリ協定への復帰を示唆する突然の発言の真意。台湾海峡での不測の事態の回避など、氏のNHKワシントン支局在職や、長い米国滞在そして外交ジャーナリストとしての豊富な知識と情報などを織り交ぜての内容の濃い講演会でした。

時間の関係で質問が出来なかったのは残念でした。
講演を聞いて、私が質問したかったのは、米・中関係です。

私見ですが、習近平主席は昨年秋の人民代表者大会で5年後の任期以降も視野に入れた党人事を含め、毛沢東と並ぶ、いや、それ以上の地位と権力を手に入れたといわれています。
そして、彼の野望は彼の任期中に台湾を本土に帰属させる、もしくは、そのメドをつけることにあるのではないだろうか。これが実現すると毛沢東をこえて中国の歴史に名を残すことになるだろう。

そんな中、昨年11月トランプ大統領が訪中した。北京の故宮博物院では貸切で見学するなど予想外の大歓迎を受けました。そして、首脳会談も行われましたが、私が不思議に思うのは、従来、米国は必ずと言っても良いくらい
①人権問題を取り上げている。しかし、今回、その点には触れられた形跡はない。
②南シナ海での中国の覇権についても、ほとんど言及がない。米国と中国とは水面下で何らかの密約があったのではないか?

 例えば、中国は米国に対し、①と②加えて台湾問題は内政問題だからこれには触れるな。その代り、28兆円の経済援助や国連安保理に於ける北朝鮮への経済制裁決議には協力する。
こんな疑問を私は感じます。トランプ大統領は米国ファースト。米・中の貿易不均衡の是正に28兆円の手土産を訪中の成果として高らかに謳っています。この点を含め、何点か質問したかったのですが残念でした。

 いずれにしても有意義な講演会でした。

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抱山社新年のつどい

1月8日12時より書道の抱山社富山支部{阿波加蒼岳支部長}の「新年のつどい」が魚津市のホテルグランミラージュで会員ら120名の多数の出席のもと、盛会裏に開催されました。
経澤青汀氏の司会で始まり、阿波加支部長が開会の言葉を述べる中、昨年12月まで2か年県書道連盟委員長の要職務め、無事退任できたのも皆様のご協力の賜物と感謝の言葉もありました。
尚、新委員長に就任されたのは、富山市在住、河合蘆洲氏であり、二代続いて滑川高校卒業生であることは私や同窓生にとっては嬉しい限りです。
次いで、抱山社の大平匡昭会長が年頭の言葉を述べ、「意気盛んに、色々なことにチャレンジし、自分の書を作るよう頑張って下さい」とご挨拶がありました。

このあと、昨年の創玄展や日展、毎日書道展、県展などの入賞者の紹介がありました。引き続き、来賓祝辞、乾杯のあと懇親会に移りました。
カラオケあり、各社中のかくし芸あり、大平会長の今年の干支「戌」の色紙のじゃんけん大会があるなど、終始和やかな雰囲気で進められました。最後に大平会長のお父さんである、故、大平山涛先生{朝日町、名誉町民、文化功労者}が好まれた「星影のワルツ」を全員で合唱し、閉会の言葉をもってお開きとなりました。

私は、幼稚園~小学生時代の数年間、大平山涛先生に教えていただいたご縁もあって、そんな立場でも器でもありませんが、現在、抱山社富山支部の顧問を務めています。
また、河合蘆洲氏には、平成25年10月、滑川高校創立100周年記念事業の一環として、校舎正面玄関左手にある校歌を記した記念碑に、揮毫していただいたのが河合蘆洲氏です。

 筆一本 変幻自在に運びつつ 墨痕鮮やか 幽玄の世界

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薬神神社歳旦祭

1月8日恒例の薬神神社歳旦祭が旦尾宮司のもと、配置薬業従事者、配置薬メーカー、行政などの関係者が集まり執り行われました。
当日は、多少肌寒いお天気でしたがむしろ凛とした雰囲気で、今年1年の商売繫盛、家内安全を祈願するには相応しいと私は思いました。
その後、社務所に移動して業界の情報交換や、それぞれの抱負や近況を語り散会しました。
ここで、薬神神社の縁起由来について記しておきます。

薬神神社{元、静岩社の再興社}
鎮座地  滑川市加島町2050{加積雪島神社境内}
祭 神  神農 大己貴命 少彦名命
宮 司  旦尾嘉孝 櫟原神社宮司兼務社
境内地  加積雪島神社境内地内に鎮座す。{前巾₃3,5間、奥行10間、35坪、玉垣で囲む

由緒沿革
本社は明治13年6月創建静岩社{明治12年11月滑川町売薬業者の勧請}は櫟原神社の末社として社殿の建立経緯は不詳で暫く旦尾神主邸内に鎮座され、明治40年10月保寿堂庭内に社殿建立し祭神の鎮座を上申したが、許可がなかったので御影の鎮座を仰ぎ薬師社として奉斎崇敬していた。
昭和30年10月全市の売薬業者及び市内製薬会社の奉賛金募財により昭和32年加積雪島神社境内地に社殿建立し、祭神大己貴命、少彦名命神農神を合祀し薬神神社とて業界信徒奉斎しているも、叙述の因縁あり一社創建でなく静岩社の再興社殿である。

社 殿  神殿 4尺×4尺×3尺{神明作り高棟小洞社殿}昭和31年10月8日建立
     コンクリート高造り基礎盤 
境内構築物 社標「薬神神社」揮毫 文学博士 山田孝雄
      寄進 昭和31年10月8日 願主 崇敬者一同
鳥 居 小型 寄進 昭和31年10月8日 願主 斎藤清兵衛 同ソノ
洗 心 寄進 昭和31年10月8日 願主 水橋吉助 外16名
神 灯 {木製高柱造り} 昭和31年10月8日建立 願主 崇敬者一同
薬神神社 奉賛会会長 水口誠一
{滑川市神社誌 滑川市神社氏子総代会編 昭和63年10月15日発行より抜粋}

追 記
山田孝雄{よしお}富山市出身 {1873~1958 85歳没}
国文学者 歴史学者 独学の人 東北帝国大学教授 昭和32年富山県出身者として初の文化勲章を受章、同年富山市名誉市民。
この山田氏に社標の「薬神神社」の揮毫を依頼したのは広貫堂の関係者で幅広い人脈を持っておられた蜷川政義さんといわれています。
また、社殿を風雪から守る為に覆いを建設したのが昭和63年、石灯篭2基を新調し玉垣等の修理をしたのは平成10年5月8日、次いで平成25年1月8日「先人の像」が建立されました。
まさに、滑川地区配置家庭薬協同組合の方々や多くの先人達の並々ならぬご尽力のお陰であることを忘れてはならないと思います。

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謹賀新年

平成29年{2017}はすでに地平線下に没し、ここに、輝かしい平成30年{2018}の陽は昇りました。

今年の干支は「戊、戌」干支は本来「十干{五行思想に基づいた、木,、火、土、金、水}を更に、陰陽二極に分けた「甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、葵」と「十二支」の{子、丑、寅、卯、辰、巳、午、未、申、酉、戌、亥}との組み合わせで60通りあります。
十二支は12種類の動物の名前が当てられいますが、これは庶民にも分かりやすいように後付けで動物の名前を当てたと言われ、「戌」はもともと「滅」と書いていたといわれています。
(「ほろぶ」という意味で、草木が枯れる状態、すべてのものが土の中に還っていくような状態を表しているという。「滅」の「サンズイ」と「火」を取って「戌」になったという。)

「戌」自体には「作物を刃物で刈り取り、一まとめに締めくくる」という意味があり、収穫、剪定がイメージされます。
一方、十干の「戌」は陰陽五行では「陽の土」に当てられていて、日本では「土の兄{つちのえ}ともいう。十干を順位づけに使った場合、「戌」は五番目に当たり、方位は中央、時刻は午前4時から午前6時までを「戊夜{ぼや}」という。「戊」の文字は「茂」に通じ植物の成長が絶頂期にあたることを意味しているという。

しかし、樹木が繫ると風通しや日当たりが悪くなって虫が湧いたりして、樹が傷み、枯れてしまうことがあります。そこで、思い切って剪定しなければならなくなるというのが「戌」の意味。当たるも八卦当たらぬも八卦というが、さて、今年の政治、経済、そして自身の一年はどんな一年であるだろうか?

元旦や、知らぬ月日は 美しく  汀女

処で、今年は明治維新から150年の節目の年です。「戊辰戦争」といわれるのもこの年慶應4年、明治元年、1868年が「戊の辰年」の干支に由来しています。
その、明治維新の扉を開けたのは、志を持ち、私情なき、国を思う勇気ある青年たちの行動でした。
そこで、幕末から明治にかけて活躍した人々の明治元年当時の年齢を上げてみました。(満と数えで誤差ある場合あり)
勝海舟46歳。岩倉具視44歳。西郷隆盛41歳。松平春嶽41歳。大久保利通39歳。木戸孝充36歳。
松平容保34歳。井上馨33歳。徳川慶喜32歳。板垣退助32歳。後藤象二郎31歳。山県有朋31歳。
伊藤博文28歳。陸奥宗光25歳。

加えて、志半ばで倒れた人物として、
坂本龍馬33歳.中岡慎太郎30歳。吉田松陰30歳。高杉晋作29歳。橋本左内26歳。久坂玄瑞25歳。

因みに、昭和16年12月8日第二次世界大戦開戦時、昭和天皇は40歳。明治天皇も明治元年は15歳であったことを思うと、当時の平均寿命を考えても驚かざるを得ない。中でも勝海舟は明治32年76歳 徳川慶喜は大正2年77歳 明治天皇は明治45年60歳で亡くなったが、江戸時代という極めて封建的な武家社会と明治という近代国家へ歩みだす中で文明開化の嵐と日清、日露両戦争を僅か半世紀の間に体験した彼らは、世の変遷をどの様に感じたであろうか?

いづれにしても、今年は全国各地で明治維新150年のイベントが企画されています。
NHK大河ドラマ「西郷どん」もその一つであろう。

最後に吉田松陰の言葉の一つを記しておきます。
夢なき者に理想なし。理想なき者に計画なし。計画なき者に成功なし。故に、夢なき者に成功なし。