なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2018年

「花しょうぶ」と「紫陽花」

紫は 水に映らず 花しょうぶ   虚子

滑川に行田公園がある。面積6,6ha、市中心部にあって 鬱蒼とした木立に囲まれ、昼なお暗いまさに自然が残っている貴重な公園である。また、平成の名水百選にも選ばれている行田の沢清水も湧水している。それもそのはず、出来るだけ人の手を加えないで残そうと今日まで努力して来たからであろう。
さて、ここは、かって京都祇園社の荘園の一部であり、祇園田と呼ばれていたのが、なまって行田となったと言う。

ここに88種、4万株の花しょうぶが、東、西、南の3ヶ所のしょうぶ園で咲き乱れる。
これは、昭和49年7月静岡県掛川市在住の斎藤通治さん{市内、加島町出身}が当時35種、1万5千株を市に寄贈移植されたものです。小雨に煙る中や雨上がりの「花しょうぶ」は格別の趣がある。ところで、「あやめ」と「かきつばた」と「花しょうぶ」の違いは?と問われると、よく解らない。公園内の案内板から抜粋すると

あやめ
 葉には中脈があるが目立たない。山野の草地に生える。(古名―はなあやめ)
かきつばた
 葉に中脈があるがはっきりしない。水湿地に生える。
花しょうぶ
 水辺の湿地に生える。江戸時代「の花しょうぶ」を観賞用に改良したもの。
しょうぶ
 平地の池や溝、小川に生える。(古名―あやめ)

また、花の大きさや外花被と内花被の形が違うと記されていますが、私はよくわからない。

紫陽花や 藪を小庭の 別座敷   芭蕉

紫陽花がユキノシタ科の観賞用落葉低木で原産地が日本と知ったのは10数年前である。土の性質を選ばず、どこにでも馴染み、湿気を吸い取ってくれる有り難い植物でもある。
上記の芭蕉の句は、紫陽花と人の織りなす季節のしっとりとした情感がしみじみ伝わってくる。平凡社の百科事典によると、海岸近くに自生していた額紫陽花を観賞用に育成することが始まったのは鎌倉時代であり、江戸時代に磨きがかかり中国に渡って庭園に植えられ、さらに、中国から英国、そして欧州各地に広がり、そこで品種改良がなされ、日本に帰ってくるようになったという。

私は、いつも思うのですが、紫陽花は道端に咲いていても、路地裏に咲いていても、藪庭に咲いていても、公園に咲いていても、座敷の床の間の一輪差しでも一服の絵になる不思議な花である。いずれにしても、「花しょうぶ」の後には「紫陽花」が咲き乱れる憩いの場、それが、行田公園です。私が、訪れたのは、「花しょうぶ」」祭りも終わった6月24日であったが、「花しょうぶ」は、盛りを過ぎていましたが「花しょうぶ」と「紫陽花」のコラボレーションは十分楽しめました。

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写真は、何れも6月24日撮影。



国際交流姉妹校

飛び習う 青田の上や 燕の子   麦水

6月11日{月}滑川高校と平成23年[2011}姉妹校の締結を結んだ大韓民国・仁川海洋科学高校3年生と2年生の一部63名及び權校長など教職員7名、計70名が本校に来校しました。
目的は、「生徒同士の交流活動を実施し、韓国の経済・文化・歴史学習を通して異文化の理解を図り、国際的視野を広める。」とあります。ご存知の通り本校には海洋科があることから姉妹校として締結された2011年から相互訪問が始まりました。
今回の日程は、6月7日仁川を出発し、海洋大学所有の約千トンの船で洋上実習を重ね約60時間かけて6月9日夕方富山新港着。宿泊は全て船中泊です。10日、立山アルペンルート、雪の大谷、室堂など散策。天気は良かったそうです。帰路100円ショップにてお買い物。これが、意外と人気があるそうです。

6月11日午前本校訪問。深層水の実習棟でのサクラマスの養殖などを見学。午後、市民交流プラザで昼食会。私は、同窓会長としてここから出席しました。最初に本校石倉校長挨拶。次に權校長挨拶。次いで、両校生徒代表挨拶。本校代表は韓国語で、仁川高校代表は韓国語で挨拶。両校とも立派な挨拶でしたが、本校の代表は韓国語ですから大したものです。
その後、両校の実習や活動内容などをプロジェクターを使いそれぞれ紹介した後に昼食、歓談に入りました。
通訳の方は現在富山県庁国際課にいる韓国の人でした。昨年の朴校長は定年で退職されていました。韓国では教職員の定年は62歳。退職は誕生日を基準日とし、2月と8月の2回あると言う。ここが日本と違うところであろう。
また、生徒が感動したのは、やはり雪の大谷であるという。韓国では、標高2千m以上の山はなく、雪そのものが珍しい中、6月にもかかわらず10mを越す雪の壁には驚いていたといいます。

私が始めて海外に行ったのは24歳の時、昭和46年{1971}第一回富山県青年の船の団員として、韓国、台湾、香港を訪問しました。見るもの、聞くもの、全てが新鮮で驚きと感動の連続でした。でも、海外へ行くなら、むしろ先進国より発展途上国へ行った方が良いのではないだろうか。何故なら、何不自由なく生活している日本がどれ程有り難いか。そして、日本の良さを認識する絶好の機会になるのではないでしょうか。

今、日本と韓国の関係は多少ギクシャクしている。しかし、21世紀は間違いなく彼らの時代である。2050年と言っても彼等はまだ50歳です。故に、この様な交流の積み重ねによって、日・韓両国の未来が希望の絆で結ばれると信じたい。その後、ほたるいかミュージアムを見学し記念写真を撮り、3時頃帰宅しました。彼等は、12日宇奈月・黒部峡谷へ行き、13日富山新港から仁川へ帰る日程と言う。いずれにしても、双方にとって内容はのある交流会でした。

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市民交流プラザで挨拶する本校石倉校長。左、權・仁川高校校長。記念写真ははまなす公園。



京都清水寺、貫主森清範猊下文化講演会

紫陽花や 藪を小庭の 別座敷    芭蕉

平年より2日、昨年より15日早く6月5日中国地方は梅雨入りしました。間もなく北陸地方も梅雨が訪れますが、しっとりと雨に濡れた「紫陽花」や「花しょうぶ」は何とも言えない「美」があります。
さて、6月3日恒例の京都清水寺貫主森清範猊下を講師にお迎えして、第23回市民文化講演会{主催・滑川音羽の会・会長中屋一博}が300名をこえる多数の来場者のもと、西地区コミュニティーセンターで開催されました。

今回が23回目、連続23回も同じ所へ講演に行くのは滑川だけだそうです。本当に有り難いことです。今回の演題は「色即ーしきすなわち―」最初に主催者会長の私が開会のご挨拶を申し上げ、次いで、大西英玄清水寺執事補の前講が約20分ほどありました。氏は清水寺中興の祖と言われ109歳まで長生きされた大西良慶和上のお孫さんです。

その後、森清範猊下のユーモア交えた講演でアッという間の1時間でした。会場を埋めた多くの方々から、とても良かった。来年も是非との声があちこちから寄せられました。
次いで、厚生連滑川病院に会場を移し、かって、厚生連滑川病院に勤務され、昨年厚生連理事長で退任された黒部市在住の荻野孝次氏が病院に感謝の思いを込め、森清範猊下に「孝」の一字の揮毫を依頼しておられたものを寄贈され、その除幕式が行われました。「孝」は了安、安正親子の伝説がある同病院中庭の「孝徳泉」からしたためられました。
この揮毫に際し音羽の会会長として、森清範猊下へ橋渡しをした一人として除幕式に立ち会いました。
南里院長は病院の宝として末永く残してゆきたいと述べられました。

次いで、同病院中庭に場所を移して、毎年のことながら、了安の供養塔で森清範猊下と大西執事補によって読経があげられました。

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写真は、左より講演会の冒頭挨拶する中屋。講演中の森清範猊下。

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「孝」の除幕式、左より南里泰弘厚生連滑川病院長。寄贈された荻野孝次氏。森清範猊下。中屋。



錦心流琵琶演奏会

山々も 若葉がせめし 雨上がり

5月末に降った雨のおかげで、山々の青葉、若葉の緑が色鮮やかで、,麓から中腹に攻めて行くような勢いを感じます。そんな中、6月2日、錦心流琵琶{後援会長、中屋一博}演奏会が国登録文化財、旧宮崎酒造で開催されました。

先般ご紹介しましたが市内には現在11件19棟{基}の国登録文化財がありますが、その中でも最もイベント会場として活用されているのが、旧宮崎酒造です。さて、素人の私が説明するのもおこまがしいのですが、琵琶には、薩摩琵琶、筑前琵琶、平家琵琶、雅楽琵琶、など弦は4本ですが5弦琵琶もあるそうです。また、琵琶の楽器の材質も桑や桐であったり、バチの大きさやバチさばきにも、流派によって違いがあるそうです。

当日の演奏曲目は①西郷隆盛②敦盛③耳なし芳一④坂崎出羽守⑤ひめゆりの塔の5曲でした。
いずれも歴史的事実に基づいての物語を琵琶の音色で語るものですが、曲目は、どちらかと言えば悲しい内容が多いように思います。
これを、哀調を帯びた琵琶の音色で語る訳ですから、やはり現代の若者には今一なのかもしれません。しかし、物語の内容は、愛とは、情とは、人の道とは何か、まさに戦後の日本人が失ったものを問いかけるものばかりです。
これは、日本の良き伝統芸能の一つであり、後世に伝えてゆくべきものと思います。

今回も、演目の間に詩吟が数曲披露され、花を添えて頂きました。特に、今回の来場者数は80余名と多数でありました。演奏した者はもとより会員一同、勇気、元気を貰いました。
本当にありがとうございました。

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第61回東京滑川会総会・懇親会

5月26日{土}午前11時30分より大手町サンケイプラザ3階ホールで盛会裏に開催されました。特に、今回は総会に先立ち「滑川の歴史的建造物について」と題し、山形大学教授の永井康雄氏の講演がありました。
氏は私が在職中、度々来滑し本市の歴史的建造物を文科省の補助を得て調査しておられましたので、言わば、旧知の間柄です。氏のご尽力などによって、現在市内に旧宮崎酒造店舗兼主屋や養照寺本堂、城戸家住宅主屋など11件19棟{基}の文化財建造物が国登録文化財となっています。

こうした文化財建造物は、所有者の理解により守り伝えられている貴重な郷土の遺産であり、滑川の歴史・文化を伝えると共にイベントなどの会場としても活用されています。それらをパワーポイントを使い解説されました。意外だったのは参加者が余りご存知でなかったことです。

しかし、故郷を再認識する良き機会だったと思います。総会終了後、懇親会に入り、恒例の新川古代神や越中おわら節などが披露される中、会場のあちこちで再会を喜び合う姿や滑川の話に花を咲かせる風景が見られました。
誰にも心の拠り所として故郷が生きていることを改めて実感しました。

尚、前会長・であり、本会の発展に多大なご貢献をされた山田郁子さんが3月末89歳でご逝去されました。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

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(写真は講演の永井教授、新川古代神踊り)

さて、その後、東京を離れ、高崎で群馬県副知事、荻沢滋氏と再会し痛飲しました。氏は元、富山県総務部長に総務省より出向され、その後本省に戻り、昨年7月より現職であります。
豊富なな行政経験と氏の人柄からして、必ずや活躍されるものと思います。高崎発21時04分発はくたか号で富山に帰りました。思い出に残る2日間でした。

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(写真は群馬県副知事、荻沢滋氏)