なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2019年

仁和寺

7月7日、1度行ってみたいと思っていた世界遺産、京都・御室仁和寺を訪ねました。
今回は、国宝・金堂、重文・観音堂、重文・経蔵が特別公開されていました。ご存知の通り仁和寺は初の門跡寺院{皇族や公家が出家して寺主となる寺}で幕末まで続き、以降、真言宗御室派総本山となりました。

第59代宇多天皇の仁和4年{888}に完成。後に寺号も元号から仁和寺となったという。
応仁の乱でほとんどが焼失。その際に、院家であった真光院が、本尊の阿弥陀三尊像をはじめ、経典や書物などを保護。
正保3年{1646}に伽藍の再建が完了するまで、本坊としての役割を担ったといわれています。
特に、国宝・金堂は慶長年間造営の御所の紫宸殿を移築したもので、現存最古の紫宸殿の遺構で、桃山時代の宮殿建築を伝える貴重な建物です。現在の御所紫宸殿は確か、幕末安政2年頃の建物です。

また、重文・観音堂は延長6年{928}頃に造営され、江戸時代初期{1640}頃再建された。
この建物は、重要な儀式が行われる修行の場で、通常は非公開です。約6年にわたる半解体修理がこのほど完了したことから、初公開されたものです。この他にも,御殿や五重塔や桜の季節には、樹高の低い「御室桜」がつくる風景は、江戸時代後期に刊行された京都のガイドブック「都名所図会」でも紹介され、都の庶民からも親しまれて来たという。
いづれにしても、見所満載充実した半日でした。

写真は、国宝・金堂前と重文・五重塔前にて

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第52回関西滑川会

7月6日{土}恒例の関西滑川会{会長・千先久矩氏}総会・懇親会が多数のご参加のもと盛会裏に開催されました。
当日は、令和特別記念として、昭和女子大学理事長・総長・坂東眞理子氏による「70歳のたしなみ」と題し講演会が総会に先立ち約1時間ありました。
坂東さんは立山町出身・雄山中学から富山中部高校へ、片やご主人は滑川出身で滑川中学から富山中部高校へ、たまたま二人は同級生、そして二人は東京大学へ進学、卒業後、同郷、同級生、そんな縁も一つの理由だったのか、二人はご結婚なさいました。そんなことから滑川市とも縁があり、また、私とも多少の縁があります。

平成19年昭和女子大学学長に就任の祝賀会が東京帝国ホテルで開催された時、私もお祝いの言葉を述べさせて頂きました。
著書「女性の品格」が330万部のベストセラーになった時も、滑川市に多額のご寄付も頂き、お礼の感謝状を持って学長室を訪問したこともありました。そんなことから何度か食事もともにしましたが、当日再会すると,何んで私がここにいるのか?一瞬驚いた表情でしたが、理由が分かると直ぐに笑顔になり会話が弾みました。

講演内容は、大変良いお話でした。既に「70歳のたしなみ」として出版されていますので書店でお求めください。
それにしても、現在は理事長と総長ですから大したもんです。講演会後、総会・懇親会と続きましたが1年ぶりの再会であり、故郷滑川の話や友人・知人の消息などが話題の中心でしたが、言葉の端端に、故郷の発展を願っておられることを、改めて感じました。

特に、感心したのは私事で恐縮ですが、2月17日私の叙勲祝賀会の様子をパネル等々で紹介するブースが設けてあったり、近畿富山県人会副会長・山本孝則さんが相撲甚句を唄われました。その歌詞を私の叙勲を祝う歌詞として唄って下さったり、多分、千先会長のご配慮と思いますが、その気配りに感激しました。
相撲甚句あり、民謡あり、神輿を担いで会場を練り歩くなど、アッと言う間の3時間でした。
最後に、関西滑川会と滑川市のエールを交換し別れを惜しみ散会しました。

写真は、講演する昭和女子大学・理事長・総長坂東眞理子氏と挨拶する私

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森政雄氏・お別れの会

故・森政雄氏を偲ぶ「お別れの会」が6月17日{月}午前11時より午後1時まで、富山市大手町ANAクラウンプラザホテルで開かれました。
氏は去る5月6日肺炎の為88歳でお亡くなりになりました。氏は昭和5年富山市生まれで、富山大学薬学部に進学し、前・富山県知事・中沖豊氏の父中沖太七郎教授の生理学教室で学び、昭和28年卒業。民間企業勤務の後、昭和44年6月富山市日俣にリードケミカル株式会社を創設。社名には化学をリードしていく、伸びていくという、氏の思いが込められているという。

創業から平成28年まで社長を、以後、今日まで会長を務めておられました。特に、皮膚に貼り付けて薬の有効成分を体内に浸透させる「経皮吸収」の消炎鎮痛剤を国内に定着させるとともに、海外展開も推し進め、近年では平成18年「ロキソニンパップ」の製造販売承認を取得するなど、同社を屈指の新薬メーカーに育てられました。

また、平成16年より10年間富山県薬業連合会会長として、県薬業界全体の発展に意を注ぎ、「富山の医薬品を1兆円産業に」を掲げ「薬都とやま」の礎を築かれました。
氏の同級生に、日医工の創業者、故、田村四郎氏や1年先輩には長年県薬剤師会会長を務められた石坂久夫氏或いは、県職員として、その後、県薬業連合会専務理事として薬業界発展に尽力された清水昭治氏など、昭和1桁の年代には、有為な人材が数多くおられます。会場には同社の50年の歩みや、故人の横顔を紹介する展示コーナーもありました。

氏の座右の銘は「吾道臺以貫之」わがみち、いっをもって、これをつらぬく、と、ありました。氏は平成25年旭日双光章叙勲の栄に浴され、平成28年森記念秋水美術館を開館しておられます。

私も、生前お世話になった一人として、在りし日の故人を偲び、献花してきました。

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清水寺・貫主森 清範先生、文化講演会

濃く 淡く 若葉の奥も 若葉かな

6月2日{日}午後3時半より西地区コミュニティーセンターで森・貫主をお迎えしての市民文化講演会{主催・音羽の会会長・中屋一博}が開催されました。
今回で24回目。いつも申し上げますが、24回も連続して、途切れることなく続いているのは滑川市だけであり本当に有難いことです。

今回は、清水寺学芸員・坂井輝久氏が民話「孝徳泉」について調査の為、来滑し、了安、安正、親子が背負っていたと言う行基菩薩御彫刻「阿弥陀尊像」が何故、廣際寺{田中町5-1}に現在でも本尊として奉られているのか?などお寺を訪ねられ、宮永龍一ご住職より「廣際寺縁起」や昭和61年滑川市教育委員会発行の「滑川の昔ばなし」。大正2年発行の「滑川町誌」。
平成14年開山550年記念法要時の資料等々の説明を受けられたあと、質疑応答が行われました。それにしても、清水寺には専属の学芸員がおられるとは驚きです。

さて、講演に入り、最初に清水寺、執事補大西英玄さんから約20分程前講があり、次いで森貫主より「気こそ、力なり」と題し気力の気、気分の気などの例を出しながらの話や、元号「令和」の由来や国宝・本堂屋根の檜皮ふきを改修中の話などユーモアを交え1時間を超えるご講演がありました。会場を埋めた300名を超す多くの方々から、とても良かった。来年も是非との声があちこちから寄せられました。

次いで、厚生連滑川病院中庭に場所を移して、毎年のことながら、了安の供養塔前で森貫主と大西執事補により読経があげられました。この様な機会を通じて清水寺と本市とのご縁が一人でも多くの方々に理解して頂ければ幸いと思います。

写真は、廣際寺に安置されている「行基菩薩ご彫刻、阿弥陀菩薩尊像」。
ご講演の森、貫主。挨拶する私。厚生連滑川病院中庭での読経。

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琵琶演奏会

塵にまみれし街路樹に いと麗しき 小雨降りけり

5月、連日の暑さの中、5月31日久し振りに雨が降りました。
さて、6月1日{土}午後1時30分より、錦心流琵琶一水会富山支部{後援会・会長中屋一博}の演奏会が国登録文化財・旧宮崎酒造で開催されました。当日の演奏曲目は、本能寺、新選組、耳なし芳一、白虎隊、巴御前、屋島の誉れの6曲に加え、詩吟の皆さんの賛助出演もあり、内容のある演奏会でした。

琵琶は古代ペルシャの楽器バルバットが起源と言われ、7世紀に日本に伝わりました。以前、奈良で国宝正倉院展を見学しましたが、聖武天皇愛用の螺鈿を散りばめた琵琶が展示してありました。
琵琶の魅力は「音色。魂に訴えかけるような響き」だと思います。また、平家物語の伴奏として使われていたことでも分かるように、鎮魂の楽器として知られています。
それ故、現代の若者にはいまいちなのかもしれません。しかし、日本の良き伝統芸能の一つとして、後世に残してゆくべきものと思います。

写真は、挨拶する私と演奏する富山支部会長の杉本 操さん。

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