なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2023年

錦心流薩摩琵琶演奏会

おしなべて 物を思わぬ人にさえ 心をつくる 秋の初風  西行

第58回錦心流琵琶富山支部{支部長・杉本紫水 後援会長・中屋一博}秋季演奏会が前日の時雨模様から一転新雪輝く立山連峰が青空にくっきりと浮かび上がる好天気の10月22日{日}午後1時より、高岡市文化芸能館3階能舞台で開催された。

特に、今回は例年会場は富山でしたが、呉西の方々にも琵琶の魅力に少しでも理解を深めて頂ければとの思いで高岡で開催した。
お蔭様で80名余の鑑賞者があり盛会裏に終えることが出来た。それにしても能楽堂は素晴らしい会場である。
多分、宝生流能楽を始めとした加賀百万石の文化の影響を受け、このような立派な施設があるのだろうと思う。県内で能舞台があるのは富山市と高岡市の二箇所だけだ。

さて、薩摩琵琶の特徴は材質の胴は「桑」で撥{バチ}は「柘植」であり、しかも扇状の撥がかなり大きい。筑前琵琶は胴は桐であり「やわらかい点で女性らしい」に対し薩摩琵琶は、叩きつけるような弾奏のスタイルで、ダイナミックで情緒的で、楽器として計り知れない表現力を持っていると言われている。
これも薩摩武士の剣術は示現流、武士の魂を鼓舞する薩摩琵琶の取り合わせによって生まれているのであろう。「心の琴線に触れる」との言葉も琵琶の音色から発せられたものかも知れない。

毎年、奈良国立博物館で国宝正倉院展が開催される。以前、私も鑑賞したが展示品の中に聖武天皇愛用の螺鈿紫檀五弦琵琶があった。シルクロードを経由しペルシャから奈良時代には既に日本に楽器として存在していたことに驚きを禁じ得ない。
そんな琵琶を始めとし、能楽、詩吟,漢詩など「日本の良き伝統文化が私達の足元から消えていくような気がする。

今回の演奏曲目は「白虎隊」「青葉の笛」「西郷隆盛」「壇ノ浦」「巌流島」など、ほとんどが歴史的な故事に因んだものばかりある。その内容は親子や肉親などの愛情や友との絆など「孝,信、礼、忠,義」など、今の社会で失われつつある大切なことを教えていると思う。

ところで「不易流行」」という言葉がある。世の中が変わっても変えてはいけない事。変わらない事がある。片や、時代の流れの中で変えていかねばならない事もある。
今回の演奏会には、県内最高年齢90歳の現役奏者である吉崎楓水さんの出演である。吉崎さんのように、琵琶が好きだから。琵琶を愛しているから。との思いは、変えてはならないものであり、有沢結水さんの演目、おとぎ琵琶「ぶんぶく茶釜」には会場から笑いがこぼれるなど、これからの若年層の対象を含め、時代の流れに対応したものであろう。この二つが融合したのが今回の演奏会であった。
14名の出演者は日頃の練習の成果を遺憾なく発揮され、会場を埋めた聴衆を魅了した演奏会であった。

写真は、挨拶する私。演目「富士山」を合奏する杉本支部長と吉崎楓水さん。

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芸術の秋パート3

市美術展会場を後にし、少し遅い昼食後、市内瀬羽町にある国登録有形文化財//ぼんぼこさ{-旧宮崎酒造}や有隣庵{/同文化財旧・土肥家}で開催されている
「酒蔵アート㏌なめりかわ2023」へ向かった。10回目となる今回、2名の作家が初めて出品する中、近年会期中に訪れる人も約1800人と年々増えていることは喜ばしいことです。

今年は、彫刻・写真・陶芸・木工・裂織{さきおり}・造形・華・書・絵画・インスタレーションなど22の個人・団体の力作、大作が出品されていた。このような多彩なアートと歴史ある建造物のコラボレーションが楽しめるとともに、瀬羽町の歴史ある街並みの魅力を発信し賑わいづくりにも繋がっている。

今回特に私の目を引いたのは「裂織」である。
作者の野村順子さんは、10周年記念誌の中で、裂織とは、「経糸{たていと}と主に綿、麻糸、絹を使用して緯糸{よこいと}に古布、着物地を細く裂いたものを使用する織物で、裂織の技法を作品作りに展開して、自然の輝きに呼応する思いで。」と書いておられる。
今回の出品は「紅絹の景色」と題し、真っ赤な裂織が大河のように横に流れる大作であった。

又、手繰明子さんの「希望の結び」はポリエステル入り紙、インクに、自分の希望を書き、ぼんぼこさの中庭の藤棚の藤に結ぶもので
ある。私も一枚書いて結んだが一瞬、七夕の竹に吊るす短冊を思い出した。中々面白いアイデアである。
又、阿波加蒼岳氏{富山県美術連合会会長}の書「立山に 曇沸きあがり 稲の花」美恵子の句 と「酒瓶ラベル」も良よかった。氏は記念誌の中で、「日頃、目にする素敵な言葉、心を打つ言葉など書作品を通して,我々の生活の中に活かされ、感動を与え、心の豊かさにつながっていってもらえばと日々研鑽しています」と述べられている。
他にも素敵な作品が沢山ありましたが紙面の関係で残念ながら割愛させて頂きます。

以上、芸術の秋と勝手に称し友人と3か所巡ってきた。芸術には無縁の私だが、もし、この世に芸術といった分野がなかったら,我々はどんな生活を送っているだろうか。考えたことも,想像したこともない。が、ふとそう思う。しかし、実に味気ない生活であることは間違いない。

それにしても、芸術とは、逞しい創造力と豊かな発想力が必要なことを考えるとやはり私には無理かもしれない。だからこそこのような機会に触れることで、少しでも心が癒され、且つ、心豊かな人生を。と願うものです。

写真は、ぼんぼこさ全景。裂織「紅絹の景」。「希望の結び」「美恵子の句」「酒瓶ラベル千代鶴」

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芸術の秋パート2

東部小学校を後にして滑川市博物館へ向い、第70回滑川市美術展を鑑賞した。
美術展はその名の通り、絵画34点、彫刻・工芸21点、書30点、写真30点と文字通り市美術協会の年に一度の一大イベントである。それ故、それぞれの部門に市展大賞、市展賞、市展奨励賞などがあり、作家の創作意欲を鼓舞し、励みにし、この様な機会を通してレベルアップをしてゆくのだろう。どの作品も力作・大作ばかりであった。

今回、70回目の市展ということは、市制が施行された時が第一回である。色んな団体や会があるが70年も続いているのは、数少ないと思う。そこで第一回市美術展開催に際し、寄せられた当時の赤間市長の巻頭言を紹介する。

「人生短く、芸術長し」というが、芸術を作るのが人間であってみれば、人生そのものも 又、芸術であるともいえる。人の集団共同生活体である、わが滑川は 今や市として発足し、自己をみづからの手で創り上げつつある。これ永遠を目ざす自己造形の芸術にあらずして何ぞや。この時にあたり市民の有識者が相はかり、相むすび互いの作品を批判鑑賞することは洵に有意義というべきである。冀い願わくば 滑川市美術協会が市の行政・産業・経済・文化等 あらゆるものを芸術的に建設する先駆者たらんことを。
【昭和29年8月 滑川市長・赤間徳寿】

格調の高い巻頭言である。

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芸術の秋・パート1

時雨する 加積のさとに一夜寝て けさ立山に あふぐ初雪  玉堂

10月10日、知人と芸術の秋の一環として3か所巡った。最初は、東部小学校校長室である。
ここに川合玉堂が滑川で詠んだ一首が掛け軸として保管されている。本年富山県立水墨美術館で7月14日ー9月3日{前期・後期}まで川合玉堂展が開催された。
それを鑑賞した私の感想を7月末ブログで発信した。この時疑問に思ったことの一部が、今回東部小学校を訪ねたことで判明したので改めて記す。

昭和11年秋、玉堂は黒部峡谷や称名滝をスケッチ旅行している。この旅の途上、中新川郡浜和積村曲渕{現・滑川市曲渕}初代滑川市長赤間徳寿邸に一夜投宿する。翌朝赤間邸を出発する時詠んだのが、標記の一首である。学校には、市教育委員会を通し事前に連絡して頂いたお陰で約束の11時に松田校長の出迎えを受け校長室に入った。

既に、軸は壁に掛けられており、まずその大きさに驚く。縦横約1m余の紙に墨書きしてあり、これが軸装してあるのだからそれ以上の大きさであり、共箱も約1,3m位はある。
この共箱には、玉堂自筆で、赤間邸に宿泊したことや一首詠んだこと、歌碑が建立され、掛け軸に至る経緯が記され,その文を松田校長より頂き説明を受けたが残念ながら私のパソコンでは出てこない昔の漢字があった。しかし概ね理解できた。

合わせて平成18年4月市美術協会発行の記念誌の中に、玉堂に関する記事があった。「川合玉堂と赤間家」と題し、青山外二氏が次のように書いている.「大正・昭和にかけての日本画家・村島酉一{富山市}赤間徳寿氏の教え子である」とあることから、村島と玉堂とが何らかの関係があり、その縁で赤間氏に繋がったと思われる。また、共箱に「赤間君に伴はれて、黒部の秋を探る途次、浜加積の君の邸に投す」と書かれている。黒部から赤間氏が同行したことがわかる。

歌は、昭和11年秋であり、共箱の日付は、昭和15年春半ばとあることから、この3年余の間に赤間氏から、玉堂氏に対し、歌の題箋を含めての要望への返答が記されている。その結果、題箋は「立山初雪之歌」となっている。また、掛け軸は、赤間家から地元の浜加積小学校に寄贈された。しかし昭和42年9月29日、早月加積小学校が火災で全焼。これを機に浜加積小学校と統合し、現在の東部小学校が昭和43年9月1日、開校し掛け軸も引き継がれた。

残念なことはこれ等のことが「川合玉堂展」では触れられていなかったことと、滑川市民が滑川で宿泊し一首詠んだこと、そしてその掛け軸が東部小学校に保管されていること等が記憶の中から忘れされようとしていることである。
是非とも後世に伝えていくべき事でないだろうか。松田校長に見送りを受け玄関に出た時は激しい雨であった。翌日は晴天で、あたかも玉堂が赤間邸に投宿した日の天候と同じ様な気がした。

正に、玉堂が共箱に自筆で経緯を記してあったからこそ、また其の内容を文章として残しておいてくれたからこそ、私達はそれらを事実として知ることができるのである。記憶は曖昧であり、いつか消えていく。
しかし、記録は末永く残り後世の我々に歴史的事実であることを教えてくれる。記録の大切さを改めて思った。
共箱の蓋に書いてあった文章を記す。
難しい字はかたかなにしてありご了承ください。

立山初雪之歌
余曽て赤間君に伴はれて黒部の秋を探る途次浜加積の君か邸に投す其夜時雨れて朝立山連峰初雪の輝くを見る其の壮観偶偶余に此歌を作らしむ後日君これを石に刻みて邸内に建てむとせらる余固く固辞するも君の初志翻へすによしなく遂に工成りて池畔老杉の間に永久の記念を留むるに至る甚だ光栄を感すると共に慚愧に堪えさるものあり君更に其原本に装コウを施して幅と成し題箋を需{もと}めらる余益々恐懼措く能はさるもまた否むによし無く茲に函面に題し併て其由識す
昭和十五年春中ガン  玉堂

川合玉堂、赤間徳寿両氏の略歴
<川合玉堂>
 明治6年―昭和32年、愛知県一宮市生まれ。
 昭和15年66歳で文化勲章受賞。
 近代日本画壇の巨匠

<赤間徳寿>
 昭和17年9月~昭和21年4月 衆議院議員。
 昭和28年11月滑川町長。
 昭和29年3月~昭和33年8月 市制施行により初代滑川市長。

写真は、立山初雪之歌の掛け軸。共箱の蓋と記された文章。

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{一社}滑川青年会議所創立50周年

名月を 取ってくれろと 鳴く子かな  一茶

残暑未だ厳しいとは言え、朝夕の冷え込みが一段と進み10月3日の北日本新聞は、「室堂一帯の紅葉が見頃を迎え、雷鳥沢では、2日ナナカマドの赤とミエカエデの黄、ハイマツの緑が山肌を染め、青空に映えている」と報じている。
確実に秋の足音を感じる季節となりました。

さて、10月1日{日}一社滑川青年会議所創立50周年記念式典及び記念祝賀会が盛大に開催されました。
式典は市民大ホールで、現役会員、シニア会員、県内各JC会員、等約200名が出席し節目を祝いました。式典は50年を回顧する映像が2台のスクリーンに写し出されましたが、今は亡き懐かしい方々の姿を見るとやはり50年の歳月を感じました。

西山剛理事長が「これからも、滑川JCとして地域にに根ざした活動を展開し、さらなる発展に邁進する」と力強く挨拶。上田英俊衆議院議員、麻生将豊日本青年会議所会頭等より祝辞がありました。尚、麻生会頭は麻生太郎元総理大臣の息子さんです。
会頭が滑川のように小さなJCの式典に出席されるのは珍しいことです。

さて、JCとは満20歳から満40歳までの青年たちが、自治体や他団体から金銭的支援を受けず、原則、会の運営は会員の会費収入で活動をしている団体です。活動内容は今では、すっかり定着した「わんぱく相撲ほたるいか場所」「文化講演会」等の開催や「ねぶた流し」への参加や各種事業を活発に展開しています。

私はシニア会員の一人として出席しましたが、卒業して36年。現役のメンバーほとんど知らないのにはやはり年齢を感じざるを得なかった。私は、30歳で入会し、40歳まで10年間在籍しましたが、最後は、富山ブロック協議会北方領土問題特別委員会委員長でした。私の職業は売薬であり、私以外のメンバーは市内で事業を展開する若手経営者です。

よく、県外で事業をする売薬さんがJCに入って、どんなプラスがあるのか。と聞かれました。特に、県外に出張することが多い為、月一回の例会にも中々出席が難しい。そんなハンディもあったが、JCは全国にあり、出張先の秋田県大館、宮城県塩釜、仙台、北海道、深川、留萌、滝川の各JCの例会に出席した。このようにJCに入ったお陰で、異業種交流ができたことは、何よりの財産になった。

また、JCの綱領に「志を同じゅうする者相集い力を合わせ青年としての英知と勇気と情熱をもって明るい豊かな社会を築き上げよう」この言葉に感動した。正直言って、薬業青年部をはじめ業界の様々な会合にでても、このような言葉は無縁でした。
それ故新鮮な驚きを覚えた。私の心の中の何処かに、この言葉と一致した思いがあったから、25歳の時、第一回富山県青年の船に参加したのかも知れません。

そして、JCの「綱領唱和」は薬業青年部の中に取り入れ、文章をかえた形で「配置薬業綱領」として青年部の全国大会で採用した。或は、会や組織の運営についても多くを学んだ10年間であった。結果的にその行動の延長に政治の世界があったと思う。現在現役メンバーが17名と県下では最小のJCですが「小さくともきらりと光る」そんなJCを目指し、60年、70年と引き継いでほしいものです。

懇親会は、会場を新装なった「メリカ」に移し、新田八朗知事も出席され、長岡すみ子民謡シヨーが雰囲気を盛り上げ盛会裏に終了した。
写真は、式典での西山理事長挨拶、麻生会頭祝辞。祝賀会での新田知事祝辞。鏡割り。

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