なかや一博 ブログ

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令和7年滑川高校同窓会総会

令和7年{2025}8月5日群馬県伊勢崎市で最高気温41,8度で国内最高記録を更新した。国内最高気温は7月30日に兵庫県丹波市と群馬県桐生市で41,2度観測し、記録を更新したばかりであった。8月5日には埼玉県鳩山町で41,4度も観測している。

昭和8年{1933}7月25日山形市で40,8度の記録を、平19年{2007}8月16日埼玉県熊谷市と岐阜県多治見市で40,9度で記録を更新した。僅か0,1度上昇するするのに実に74年を要した。
しかし、41度を記録したのは平成25年{2013}8月12日高知県四万十市で、0,1度上昇するのに6年しか要しなかった。ところが次の0,1度上昇したのは、平成30年{2018}7月23日熊谷市で41,1度と5年しか要していない。2年後、令和2年{2020}8月17日浜松市で同じく41,1度を観測し国内最高気温であった。

それが前述した通り5年ぶりに丹波市と桐生市で7月30日0,1度上昇し41,2度を観測した途端の6日後の8月5日鳩山町で41,4度、伊勢崎市で41,8度を観測した。0,1度どころか、僅か5日後に0,6度の上昇を観測する。間違いなく地球沸騰化である。
このため各地でダムの貯水率が低下し田畑の水不足が深刻化する。礪波市では市の給水車が田圃に水を入れる事態になった。そんな矢先、慈雨とも思える雨が降り出しホットしたのも束の間、各地で線状降水帯が発生し、特に九州地方では土砂崩れや、洪水が発生し甚大な被害が出た。小松左京の「日本列島沈没」を思い出す。

そんな中、8月10日滑川高校同窓会{会長・中屋一博}総会及び懇親会が西地区コミュニティーセンターで雨の中開催されました。
総会は毎年曜日に関係なく8月10日と定められており、会員は戦前の①水産高校 ②滑川高等女学校 ③滑川商業学校 ④滑川薬業学校 ⑤水橋商業学校 ⑥県立滑川中学校 昭和23年以降の ⑦新制滑川高等学校 ⑧定時制高校 ⑨県立水産高校 ➉県立海洋高校などの卒業生です。
これ程多様で多くの学校が統合し、それぞれの特色を生かして現在の滑川高校になっています。

卒業生は約3万7千人余りと、県下でも最大規模を誇る同窓会として発展し、各界各層に有為な人材を輩出し各分野で活躍しておられることは、私たちの誇りとするところです。
現在滑川高校同窓会には、関東滑川高校同窓会{会長・松村俊夫}があり隔年総会を開催されております。これに加え、2年前魚津地区と水橋地区{富山を含む}から地区担当世話人として数名幹事として就任して頂きました。

今回上市地区担当として2名幹事に入って頂きました。近い将来、この3地区がそれぞれ同窓会の支部として発展していくことを願っています。また、8月3日女子ゴルフの山下美夢有さんが、全英女子オープンでメジャー初優勝を遂げた彼女のコーチを務める父の山下勝臣さんが滑川出身と新聞が報じたことで、果たして本校同窓生かの確認も含め話題となりました。

また、嶋谷校長から学校の現況について報告がありました。総会終了、大門県議の乾杯の発生で和やかな雰囲気で懇親会に入りました。途中鳥取県で開催中のインターハイ会場から直接総会に駆け付けた川上教頭から、重量挙げ女子59㎏級で本校の大前絢菜選手が3位入賞の吉報の報告があり、会場は割れんばかりの大きな拍手に包まれました。
また、同窓生でもあり東京滑川会会長でもある土肥正明さんからもご挨拶がありました。

いづれにしても、年齢も考えも学んだ学科も違う者が「同窓」の二文字で心が通じ合う。不思議なことだがそれが同窓会だと思う。
誰にも生まれ育った「ふるさと」があるように多感な青春のひと時を数々の思い出と共に過ごした「学び舎」それが母校であります。何歳になっても、人それぞれの心の拠り所として、生き続けているものと思います。

懇親会では、久しぶりの再会を喜び合う姿があちこちで見受けられました。雨という足元の悪い中にも拘わらず80名の多数のご参加を得、最後に全員で校歌を斉唱し、母校の更なる発展を祈りました。千先まさえ副会長の万歳で名残を惜しみつつ散会となりました。

写真は挨拶する私。嶋谷校長。

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滑川の「ネブタ」流し

たたまれて いても涼しき 日傘かな   福居三治

7月30日兵庫県丹波市で気温41,2度を観測し、全国の観測史上1位の気温を更新した。
従来の記録は、平成30年{2018}7月23日、埼玉県熊谷市と令和2年{2020}8月17日の静岡県浜松市の41,1度であった。やはり確実に地球温暖化が進んでいるのであろう。

さて、この暑さが続く7月31日夕方、滑川の伝統行事であり、国の重要無形文化財である「ネブタ」流しが市内中川原海岸{和田の浜}で行われ、多数の見物客が炎を眺めながら無病息災を祈った。当日は、市内9団体が手作りした10基が並んだ。
「ネブタ」と言えば、竹や木を使って紙貼りや、武者人形、鬼、鳥獣などを作り、中に灯をともして屋台や車に乗せて練り歩く青森や弘前{ネプタと称す}を思い出す。

しかし、滑川の場合は、藁などを材料にして7-8mの円柱状に製作された大たいまつを「筏」に乗せて,火をつけて海に流し、眠気やけがれ、病気を「ネブタ」に託し、火と水で消し去ろうと言う願いが込められていると言う。6時30分合図とともに10基の「ネブタ」の頂上に次々と火が付けられ、海に入った住民が「ネブタ」を乗せた「筏」を沖へ流す壮観な行事である。沈む夕日と赤々と燃え上がる「ネブタ」.一幅の絵になる風景である。

それ故、プロ、アマ、私のような素人のカメラマンに加え、スマホを片手にシャッター音が響き渡る。滑川市教育委員会発行の「滑川の民俗」によれば、「かって神家町、加島町、高月町でもあった。
また、明治維新の頃までは、6月30日に行なわれていた。この他、7月31日には水遊びをしたり、女性が洗髪すると風邪をひかないとか、この日以降、昼寝をすることをとがめられたと言う伝承もあった」と記してある。
全国的にみるとこの行事は、東日本に多く滑川はその南限と言われている。

いづれにしても「ネブタ」の形態は違ってもその目的は、人々の身体についた汚れを流し身を清め、無病息災を祈願する「禊払い」であろう。

昨今の薄れゆく地域の絆を考える上でも、伝統行事として,次代に引き継がれていって欲しいものである。
写真は、「ネブタ」流し。

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