なかや一博 ブログ

日別アーカイブ: 2025年12月14日

眼で見る加島町二区今昔

私たちの住んでいる郷土の秀麗な山河は、今も昔もそのままです。
しかし、そこに住んでいる人は 生まれ育った親や子や孫でも移り行くし 縁あって一時そこに住んだ人たちなど、多くの人々の生活の営みの中から私の住んでいる加島町二区の歴史が築かれてきた。

そう考えると私たちは歴史の中に生まれ、その流れの中で成長すると共に、常に新しい歴史を形成してきました。私たちの先人は幕末・弘化5年{1845}山王町周辺に居を構えていましたが,浪害のため現在地に移り住みました。{角川日本地名大辞典。滑川町誌}
明治に入り生活も多少落ち着き住民の連帯感の醸成も含め獅子舞を導入したものと思います。以来今日まで獅子舞が150年以上連綿と継承されてきた。その獅子舞と町内を氏子とする加積雪嶋神社、加えて町民の母校である田中小学校を心の縦線として、そして町内各種の行事を心の横線として織りなす心が、町内の連帯感と絆を育んできた。

しかし、今日社会環境は大きく変貌し、あるものは著しく変質しながら伝えられたり、その由来も分からなくなりつつあるのもある。先般市立博物館で昭和34年の滑川市の住宅地図を手にした。当然私の住む加島町二区に目を転じると66年前の懐かしい人々の名が目に入ってきた。あの人に獅子舞を教えて貰った。この人とは将棋を指した。この方とは草野球を楽しんだ。この人には随分お世話になった。或は既に亡くなった方や、転居した人など、住宅地図を眺めていると数々の思い出が脳裏を去来した。

その時、私たちの祖先や先人はどんな生活をし、どのようにして町内を形成されたのか。私たちは、多忙な日常生活にかまけて振り返ることは希です。そこで昭和34年{1954}から令和6年{2024}までの住宅地図10冊から見る住民の変遷と伝統芸能である獅子舞や加積雪嶋神社と田中小学校などを中心に、住宅地図や写真と新聞記事等から、今日の豊かな町内を築いてきた先人の営為の跡を回顧する機会になればと思い表題の小冊子の発行を企画しました。

さて、昭和40年代までは、どの町内においても「共助」という考えが成り立っていた。それによって自然に連帯感や絆が育まれていた。しかし、高度経済成長期に入ると、町内会や地域の行事より勤務先や個人の事情に重点が置かれ、町内会の行事への参加が少なくなってきた。それも時代の流れであり止むを得ないことであろう。
しかし、それによって確実に連帯感や絆は希薄になった。

そんな中、高齢化社会における一人暮らしの増加や地域での見守り隊の発足など、もはや「公助」だけでは全てに対応出来ない時代になってきた。私は、「温故知新」この言葉が好きだ。獅子舞は何故150年以上も連綿と引き継がれてきているのか。「自助」「共助」「公助」とはどんな意味なのか。
今日までこの町内を築き上げてきた先人の足跡の一端を辿る中で、獅子舞と加積雪嶋神社と田中小学校を中心に書いた訳です。
地域の歴史の中から何を学び、どう生かすか。自問自答しながらこの拙い一冊が地域社会の連帯感の醸成や絆が更に深まることを願い自費出版しました。

写真は、町内の航空写真。獅子舞や田中小学校などを含めた「眼で見る加島町二区今昔」

DSCF7984

DSCF7980

DSCF7978

DSCF7976