なかや一博 ブログ

日別アーカイブ: 2026年1月8日

令和8年薬神神社新年歳旦祭

旅へゆく 老父{ちち}を送ると担ぎ来て 
             重たし 父の柳行李は

1月8日{金}午前9時新年恒例の薬神神社新年歳旦祭{主催・薬神神社奉賛会}が、みぞれ交じりの肌寒い中、来賓に上京中の市長代理として柿澤副市長、市議会議長代理として水橋・産業・厚生・建設委員長、大門県議、杉田市商工会議所専務理事、雪嶋神社総代を始め、配置薬業従事者、製薬メーカー等々関係者約30名が出席し、厳粛な中にも滞りなく執り行われました。

最初に宮司の祝詞に次いで顧問の私、石政市薬業会長、中屋市薬業青年部長、薬業関係者、来賓など順次玉串奉奠を行い、商売繫盛、交通安全などを祈願した。次いで、会長の石倉雅俊氏が挨拶すべきでしたが、氏は昨年暮れ突然の急逝で不帰の人となられたため、顧問の私が挨拶しました。

年頭の言葉や業界の現状は簡単にして、やはり石倉雅俊氏の話が大半でした。氏は大学を卒業後、家業の売薬に従事し、薬業青年部に入りその後、青年部長や県青連役員などを歴任後50代の若さで営業地の鹿児島県医薬品配置協会会長に就任されました。当時47都道府県の会長の中では最年少でした。
期待通りの活躍後、今度は地元の業界の為にということで、薬神神社奉賛会の会長を引き受けてくれました。それらの功績が認められ昨年秋薬事功労者として厚生労働大臣表彰の栄に浴されました。そして今日、1月8日午後6時祝賀会が開催される事になっていました。それを思うと世の無常を感じざるを得ないし、氏もさぞかし無念だっただろうと思います。

兎に角酒は強いしゴルフも上手。などのエピソードを交えた話の中で氏の真骨頂が発揮されたのは、令和3年10月13日県内の日刊紙一面に不適切な製造の薬が老舗配置メーカーで製造され消費者家庭に配置されていることが大々的に報道され、業界に衝撃が走った。
直ちに業者はその製品の回収に取り掛かるが、業界は大混乱に陥った。その3か月後、令和4年1月11日薬業連合会主催の「薬都富山大会」が高志会館カルチャーホールで開催された折、終了直前発言を求め、不祥事を起こしたメーカーの会長が薬業連合会副会長である。

例年出席しておられたのに何故本日欠席されたのか。出席し陳謝と現時点での今後の対応を話されるべきでないか。お得意様から苦情を聞き陳謝しているのは我々配置員である。時として引き上げを求められることもある。消費者との信頼関係が崩壊したといっても過言でない。我々はメーカーを信じ、薬を仕入れているのである。そのメーカーの責任者が薬連の副会長である。なぜ欠席されたのか。などの質問には大きな拍手が起こった。

さすがの薬連会長も只今の発言の内容は、ご本人には、しっかりと伝えます。との返答で収まったがこの時ほど配置側の意見を代弁したことは無かった。200名を超す参加者の中での発言は中々勇気のいることである。この模様は当日夕方のテレビニュースや翌日の新聞などで大きく報道された。これ以後彼に配置側の立場の発言を期待された中での今回の死である。など彼を偲ぶ話をして、その後任を、(株)日参製薬保寿堂・社長・平田有悟氏に引き受けて戴いたことを話、彼にバトンを渡しました。

平田氏は自己紹介で高月出身や家は売薬であったこと、水野市長の父親とは友人であったことなどに加え、日参製薬の熊胆をさり気なくPRし、本市薬業会発展に努力する旨、力強い挨拶であった。次いで、柿澤副市長は父方も母方も売薬であり、幼い頃より売薬に親しみを持ち、薬の中で育ったこと。
また、第五次滑川市総合計画作成に当たり、魂を入れた将来ビジョンでなければいけない。それはを何かと考えた時、売薬精神にたどり着いた。売薬さんのお得意さんに接する時の笑顔。
①「笑顔いっぱい」幸せを考えた時、健康、イコール薬、それは矢張り売薬である。
②「幸せいっぱい」そんなことから「笑顔いっぱい・幸せいっぱい・光輝くなめりかわ」となったエピソードを交え、薬業に理解を示すご挨拶でした。

また、水橋・大門両来賓も業界発展に尽力する旨のご挨拶でした。
私は挨拶の中で社務所の中からの歳旦祭であったが、そのお陰で薬神神社と隣りの寺院と神仏同時に祈願ができたので今年は良き年となるであろうとも話ました。

いづれにしても石倉氏の死を悼み、氏の薬業にかけた志を引き継いでゆこうと話し散会しました。

写真は、玉串奉奠と薬神神社をバックに挨拶する私。平田有悟新会長の挨拶。

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