なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2017年

「民謡、唄と踊りの祭典・歳末恒例・長岡すみ子の会」チャリティーショー

『十二月、ひと日ひと日が、消えてゆく』
誰の句か知りませんが、私の好きな句の一つです。本来12月の1日も、11月の1日も消えてゆくのは同じです。しかし、12月の1日は過ぎ去るのが早いような気がします。

さて、「民謡、唄と踊りの祭典・歳末恒例・長岡すみ子の会」チャリティーショーが12月10日(日)午後2時より、富山市婦中町ファボーレホールで400名以上の多数の来場者を迎え盛会裏に開催されました。チャリティーショーですから、前回の善意は、富山県文化振興課、公益財団法人日本民謡協会、公益財団法人スペシャルオリンピックス日本・富山に寄附されました。

最初に、長岡さんとは・40年来のお付き合いがあるという片山学園理事長、片山浄見氏の挨拶のあと、オープニングとして、伊勢木遣り・道中唄~伊勢音頭~正調伊勢音頭~合唱~合奏・踊り、筏井豊華城と華の会・梅津千恵子と千鳥の会の皆さんにより賑やかに幕を開けました。

引き続き、≪お国めぐり・その1≫で8曲・≪未来のかがやき≫ジュニアたちで4曲・≪お国めぐり・その2≫で8曲・次いで、本日のゲストコーナーとして、ジャズシンガー・早奈さんによる民謡とは違った趣のあるクラリネットの演奏を楽しんだ後、≪長岡すみ子コーナー≫として、①寿ぎ舞扇・踊り・千鳥の会・②布橋おんなみち・③新川古代神・踊り・華の会・④十勝馬唄・⑤酒造り祝い唄・踊り・華の会・千鳥の会ですみ子節を熱唱、会場を沸かせました。

最後に・出演者と会場が一体となって・富山いきいき音頭を合唱しフィナーレとなりました。
また、昨年のチャリティーショーを聞いて民謡の素晴らしさに感動した東京出身富山赴任の24歳の青年が民謡教室に入り、僅か1年余りで・帆柱起し祝い唄を唄ったり・三味線を弾いたりしているのには驚きました。本人の努力やセンスもあろうとは思いますが大したものです。いずれ東京に戻る時まで1曲でも多く覚えたいとのことでした。

また、国の経済産業省から富山市に出向している職員の方が長岡すみ子さんとの出逢いが縁で民謡を習い、みるみるうちに上達し出演しておられました。内科の医師がいたり、年齢も小学生から92歳と職業も年齢も性格も違う者が民謡が好きだ‼この1点で心が一つになる。素晴らしいことです。

特に、教室の生徒さんの中に中村姉妹がいて、姉の寿美澪さんは高校時代の平成23年越中おわら節全国大会で優勝。妹の寿美優さんは平成25年の越中おわら節全国大会で優勝。姉妹で優勝とは凄いことです。
また、妹の寿美優さんは本年9月石川県で開催された山中節全国大会でも優勝するなど立派な後継者の育成と民謡の普及に努力される中、地域社会への貢献活動も展開されている長岡すみ子さんには心より敬意を表したいと思います。

師走の中で、楽しいひと時を過ごせたことに感謝、感謝の半日でした。

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『世界に羽ばたく、薬都とやま大会』

11月24日(金}午後1時30分表題の大会が、主催{一社}富山県薬業連合会によってパレブラン高志会館、カルチャーホールで開催されました。
これは、従来富山県薬業業者大会として配置薬業を中心とした大会でしたが、昨年50回の節目を迎える中、平成27年の富山県の医薬品総生産額が過去最高の7,325億と初めて全国1位になったことなどから、表題のように改称し新たにスタートしたものです。
参考まで10年前は富山県の医薬品総生産額が2千6百億円、全国第8位でした。

当日は、第一部として、富山県知事より、薬事功労表彰として6名、{一社}富山県薬業連合会長表彰として同じく6名の方々が表彰の栄に浴されました。
次いで来賓祝辞のあと第二部として、

◆基調講演
『日本の医薬品産業の今後の方向について』
 厚生労働省、大臣官房審議官 森 和彦氏

◆パネルディスカッション 
「くすりの富山の目指すべき方向性について」 ―生産額日本一から、1兆円産業へ―
【パネリスト】
 内閣府食品安全委員会事務局 評価第一課長 吉田易範氏
 厚生労働省 医薬・生活衛生局総務課 薬事企画官 紀平哲也氏
 富山県薬事研究所長 高津聖志氏
 {一社}富山県薬業連合会長 中井敏郎氏
 コーディネーター {一社}富山県薬業連合会 専務理事 高田吉弘氏

によって行われました。
尚、当日公務の為欠席された、厚生労働省、保険局医療課、薬剤管理官、中山智紀氏からは富山県くすり政策課課長時代の思い出や提言がメッセージとして読み上げられました。
特に、森審議官は富山市出身、吉田、紀平両氏は国から県に出向され、くすり政策課長などを歴任される中、薬業の振興に尽力され今日の1兆円産業を視野に入るまで成長した産業に押し上げた功労者の方々です。
また、高津氏も富山大学薬学部卒業のご縁で薬事研究所長に招聘し着任以来10年、産、官、学、連携のもとさまざまな改革を行い、数々の成果を挙げられ、とやまの薬、の発展に寄与されています。

今回は①「薬都とやま」の現状 ②「薬都とやま」の強み ③「薬都とやま」の目指すところ。
をそれぞれの立場で提言や発言をされました。

配置薬業業者、配置薬メーカー、医薬品製造メーカー、製薬原料関係者など立場の違いはあるものの有意義な大会でした。要は「とやまの薬」が発展することは、それに付随する産業にも大きな影響があることです。
例えば、紙、段ボール、印刷、びん、チューブ業界や雇用の場の確保など、色んな産業に影響を与えます。
明治以降の富山県の近代化に薬業は大きな役割を果たしましたことを見ても理解出来ると思います。配置薬業に関しては、高騰する医療費、国策として推し進める「セルフメディケーション」のなかで配置薬業の役割など示唆に富む提言もありました。
また、高津所長の、伝統の継承と新事業の挑戦、つまり「継承と新たな創造」そして「くすりのことなら、富山へ」この言葉が特に印象に残った大会でありました。

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長岡すみ子さんを囲んで

11月19日{日}我が家において、久し振りに民謡歌手 長岡すみ子さんをお招きし、町内の友人18名が参加して、民謡あり、雑談あり、わいわい、がやがや、3時間余り楽しいひと時を過ごしました。
実は、私の妻と彼女は滑川高校時代のクラスメイトであり、以前からお付き合いがあり、時々、我が家で民謡を聞かせてもらっています。

現在、彼女は民謡教室を数か所持っており多数の生徒さんがいて、その中から越中おわら節の全国大会で優勝したり、各種の全国大会でも優秀な成績を上げている方が何人もおられます。このように後継者の育成と民謡愛好者の底辺の拡大に日夜努力される中、チャリティーショーを開催したり、社会貢献にも大きく寄与されています。

私は配置薬業時代の出張先は、秋田県や宮城県など民謡の宝庫と言われる東北地方だったので、唄うのは音痴で駄目ですが、聞くのは楽しみの一つです。当日は、長岡さんの民謡との出逢い、40年余りの民謡活動、今後の抱負などから始まり、和気あいあいの後に第一部として、「新川古代神、こきりこ節、といちんさ、、麦屋節、山中節、秋田長持ち唄」で一部終了。
少々休憩後、第二部として「南部牛追い唄、ソーラン節、秋田大黒舞、新相馬節、真室川音頭、そして、最後に越中おわら節」アンコールに応えてもう2曲と民謡の醍醐味をたっぷりと味わった至福の時間でした。

民謡は「心のふるさと、その、土地の匂いがする」
やっぱり民謡は、いいですね!

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琵琶演奏会

第54回錦秋流琵琶富山支部{会長 囲 峡水、後援会長 中屋一博}演奏会が10月7日{土}午後1時からJR富山駅前マリエ7F、オルビス、マリエでありました。
当日は金沢、福井支部の先生方にも友情出演を頂き、加えて、特別出演として、昨年度日本琵琶楽コンクールで優勝、文部科学大臣賞を受賞された、秋田東支部長、吉岡悠水先生をお迎えしての演奏会でした。

琵琶には素人の私ですが、さすが、全国大会での優勝者の演奏は姿勢、琵琶の持ち方,、抑揚ある語り口、迫力など、その違いなど一目瞭然わかる素晴らしい演奏でした。
毎年、秋、奈良国立博物館で、国宝正倉院展が開催されます。数年前私も鑑賞しましたが展示品の中に、聖武天皇愛用の螺鈿の琵琶がありました。シルクロード経由とは言え、飛鳥、天平の時代から日本に琵琶が楽器として存在していたことに驚きを禁じえません。

弦楽器は数多くありますが、「人の琴線に触れる」との言葉も琵琶から出たのではないかと思う。さて、その琵琶を含め、能、詩吟、漢詩など日本の伝統文化が私達の足元から去っていくような気がします。私達の努力不足もありますが、淋しいかぎりです。
ただ、琵琶の演奏曲目はどれも歴史的な故事にちなんだ物語です。親子や肉親の愛情や友人との絆など正に、孝、信、礼,忠、義・・・など今の社会で失われつつある大切なことを教えていると思います。

参考まで 琵琶教室は下記へ、一人でもご自由にお問い合わせください。
〒936-0025 滑川市柳原新町922  囲 峡水 TEL076-475-3158
〒936-0027 滑川市常盤町31    杉本紫水 TEL076-475-3568
〒933-0066 高岡市春日丘725-2  嶺 瑛水 TEL0766-24-1791
〒930-0235 富山市立山町榎19-4  高堂龍水 TEL076-463-2177

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十五夜 十六夜 満月

10月4日{水}は十五夜 10月5日{木}は十六夜 10月6日{金}は満月でした。
4日、5日は曇一つない夜空に、うさぎが餅を付いているかのようなお月様がくっきりと浮かび上がっていました。しかし、6日の満月は残念ながら曇の中に隠れ、顔を出してくれませんでしたが、我が家では4日、ススキに月見団子を添えて月見の宴を催し、月より団子とばかり召し上がりました。

日本には四季があり、それぞれに風情があり、趣を醸し出して私たちの心を豊かにしてくれます。これに、元旦を含め、16回の祝日や、二十四節気、七十七候、加えて雑節などがあります。本来、悠久の時の流れに節などありません。しかし、人類は時の流れに節を付けました。例えば、1年を365日とか、1ヶ月を30日、或いは1日を24時間、1時間を60分などとしました。これによって人間は気分転換を図れるし、心を切り替えることもできます。

大晦日に飲む水も、元旦に飲む水も味は同じです。しかし、元旦に飲む水はどこか、清々しく感じます。同様に、二十四節気や、七十七候などを通じて農作業を行う目安としました。正に、時の流れに節を付けたことにより、生活に、人生にメリハリを付けたのです。これが、「人間は万物の霊長である」と言われる所以と思います。

処で、10月に入って、私の孫が保育園で習ってきたと思われる童謡「うさぎ、うさぎ、」を夕食時に口ずさんでいました。「うさぎ、うさぎ、何見て跳ねる、十五夜お月さん見て跳ねる」ご存知のこの歌いつ頃の歌か?妻や息子夫婦に聞きましたが解らないとのことでした。

当然ですが、実は明治25年小学校唱歌として発表されたものであり、なんと、125年も前です。また、5月5日子供の日には、やはり孫が「こいのぼり」屋根より高い、こいのぼり、大きい緋鯉はお父さん、小さい真鯉はこどもたち・・・・・昭和6年です。「お正月」、もういくつ寝ると、お正月、お正月には凧上げて、駒を回して遊びましょう・・・・・や、もしもし亀よ、亀さんよ、の「うさぎと亀」は明治34年です。

「金太郎」まさかりかついだ金太郎、熊にまたがりお馬の稽古・・・・・明治33年です。
「牛若丸」京の五条の橋の上、大の男の弁慶は・・・・・や「浦島太郎」、昔、昔そのむかし、助けた亀にのせられて、竜宮城にきてみれば・・・・・明治44年です。
つまり、現在でも保育園や幼稚園で歌っている童謡のほとんどが戦前のものです。数え上げたら切りがありません。しかし、戦後の童謡は「象さん、象さん」や「オモチャのチャチャチャ」など僅かです。

時々、戦前のものが、すべて悪のように言われることがありますが、決してそうでありません。
孫が口ずさむ歌の中からそう思いました。

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