なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2017年

沖田川放水路竣工式

3月4日午前10時より表記竣工式が石井隆一県知事、宮腰光寛代議士を始め来賓、地権者、自治会、工事関係者等多数の出席のもと執り行われました。御存じの通り、早月川河口から上市川河口までの海岸線は約8KMです。

この間、富山湾に注ぎ込む川らしき川は、かつて中川だけでした。しかも河口手前の橋場で、沖田川、大町川、伝五郎川、四間町川等の小河川が合流します。この為、少し雨が降ると増水した中川に小河川の水が橋場で入り込めません。それ故、戦前より町部で水害が多発しました。そこで、県営田中川排水改良事業として昭和23年より昭和26年まで4年の歳月をかけ畑であつた所を掘削して人工的に造られたのが田中川です。

しかし、昭和40年代に入り高度経済成長とともに宅地開発が盛んに行われ、保水に重要な役割を果たしている田畑が消滅してゆきます。特に昭和44年8月の豪雨では、中川及び支川沖田川の河績不足により、滑川市街地において甚大な被害が発生したため抜本的な治水対策の必要が生じました。このため、下流市街地の洪水被害を防止する目的で市街地上流部において各支川を連結させ、洪水を全量カットして滑川漁港の西側に放水する放水路の整備が行われました。そして、中川上流宮窪地内において分水。これが「中川放水路」です。

昭和47年から約30年の歳月と約76億円の巨費を投じ平成13年度完成しました。
これによって下流域で浸水被害が著しく少なくなると考えられました。しかし、その後も続く宅地開発や沖田川流域の郊外に大型店の出店、大型駐車場の出現、また、近年ヒートアイランド現象の発生と局地的集中豪雨の多発、加えて沖田川は残流域が大きく流下能力が低いなどから、沖田川を河端地内JR北陸線{現あいの風鉄道}沖田踏切海側で分水し町内の道路下を暗渠として富山湾に注ぎます。これが「沖田川放水路」計画です。
これを、強力に推進する為関係団体が集まり、期成同盟会が結成され、県や国に対し要望、陳情を繰り返し行われました。

折しも、平成13年6月29日の豪雨で459棟の家屋が浸水被害に見舞われた。その結果、県では沖田川の下流域における治水の安全性を高める為、平成14年度から滑川市が整備する都市計画道路、加島町―下島線の地下に箱型の水路を設置し富山湾に直接洪水を放水する工事として始まりました。

そして、ここに15年余の歳月と約37億円の巨費を投じ竣工式を迎えたのです。これによって地域の洪水不安はかなり軽減されると思います。私自身も期成同盟会の活動に長年携わってきた一人として感慨無量な思いであり、喜びもひとしおであります。

尚、祝賀会では滑川中央保育園園児による、かわいい子供獅子舞が披露されました。
会場からは園児の演技を称える大きな拍手が鳴りやみませんでした。

DSC_0990 DSC_0991

DSC_0992 DSC_0993



滑川高校同窓会入会式及び卒業式

2月28日午前11時40分同校体育館で同窓会{会長、中屋一博}入会式が行われました。
これは、卒業式の前日に行われる恒例の行事であり卒業後本校の同窓生であることを自覚し誇りを持ってもらうことを目的の一つとして行われるものです。

誰にでも生まれ育った故郷があるように、誰にも、青春のひと時を過ごした学舎すなわち母校があります。
富山県人なら、抜けるような青空の中に輝く立山連峰を眺めた時、どことなく元気、勇気を感じると共に、人それぞれの心の拠りどころとして存在しているような気がします。

母校も同様です。卒業した後、母校の活躍が報じられると誰しも嬉しく思うし誇りに思います。
プロ野球ロッテ球団の石川投手もしかりです。WBC侍ジャパンのメンバーとして活躍したり、日本レスリング協会長の福田富昭氏の活躍を聞くと同窓生で有ることを誇りに思います。
青春のひと時を友と語り、数多くの出会いと想いでを与えてくれた母校。やはり母校の存在は生涯、心の拠りどころとして、生き続けるものです。

そこで、生徒諸君に、「光陰矢の如し」次の詩を贈り、同窓会入会の歓迎の言葉としました、

「今の今を」
まばたきする間に 一日は散ってゆき
車窓の景色のように 一週間は飛んでゆき
後を振り向く間に 一か月は過ぎてゆき
海・山を見ている間に 一年は消えてゆくなり
一生だって短いもの 励もう励もう今の今を

翌日3月1日は241名の卒業式であった。入学時は1クラス40名、普通科3クラス120名、薬業科1クラス40名、商業科1クラス40名、海洋科1クラス40名、計、240名であったが卒業時は普通科が121名で総計241名となりました。
これは、1名転入者があったためだが、入学時の生徒全員が卒業式を迎えることは極めて珍しいことです。
澤井校長もこの点を式辞の中で強調され喜びを表現しておられました。

いずれにしても、卒業式をもって社会人となる人、進学する人、それぞれの道を歩み始めるわけですが、彼らの洋々たる前途に輝かしい未来があることを願い学校を後にしました。

DSCF3229 DSCF3234
<同窓会入会式でのあいさつ(左) 代表に記念品贈呈(右)>



分家静男氏叙勲祝賀会

元新湊市長、合併後の初代射水市長、分家静男氏の旭日小綬章受章祝賀会が2月19日{日}午前11時より、第一イン新湊、孔雀の間で200人を超す多数の出席者のもと、盛大に開催され、私も出席しました。

氏は、昭和57年4月より平成11年6月まで{5期、17年}新湊市議会議員を務め、平成6年5月―平成7年3月まで市議会議長の要職を務め、平成11年7月第13代新湊市長に就任。その後、平成17年11月初代射水市長に就任。平成21年11月まで務められ、その間射水市誕生と発展の礎を築かれました。例えば、新湊大橋の建設促進など数々の治績を残されました。

私は、氏より半年早い、昭和56年11月市議会議員選挙に立候補し初当選。この時氏はまだ議員ではありませんでしたが、新湊から連日駆け付け、物心両面に亘り,応援を頂き以後、今日までお付き合いをさせていただいています。
それ故、私自身の喜びもひとしおのものがありました。祝賀会は、発起人を代表して夏野元志射水市長の挨拶で始まり、祝辞は、石井隆一富山県知事、橘慶一郎復興副大臣衆議院議員、堂故茂参議院議員、次いで、花束の贈呈、本人の挨拶と続きました。

分家氏は「古里のために、頑張りたいいう思いと、多くの人の支えのお陰である。」との感謝の言葉でありました。四方正治県議会議員の乾杯で懇親会にはいりました。私の隣は尾山春枝新湊漁業協同組合組合長であり、久し振りの再会に話に花が咲きました。尾山さんは女性組合長として手腕を発揮し、全国の漁連の要職を歴任んされる等、私も
随分刺激をうけました。
また、新湊を舞台にした映画「人生の約束」の石橋冠監督と新湊出身落語家、立川志の輔さんからのビデオメッセージが寄せられました。竹内美津子市議会議長の万歳三唱、牧田射水商工会議所会頭の閉会の辞で幕を閉じました。

いずれにしても、あっと言う間の2時間でしたが、私にしてもお祝いの場であるとともに、懐かしい知人、友人との再会の機会でもありました。
当日は、青空の広がる素晴らしいお天気であり、氏の益々の活躍を祈念し握手をして会場を後にしました。



県立富山北部高校特別講演

1月25日{水}午前11時50分~午後12時40分まで50分に亘り特別講演を行いました。
演題は「富山のくすり」、受講者は くすりバイオ科、2年生40名であります。
これは、300年の歴史と伝統を有する配置薬業を含む富山のくすりの歴史と現状、そして未来を語り、理解を深める社会教育の一環であります。

例えば、アビガン錠で一躍名を轟かせた富山化学や、ジェネリックで躍進めざましい日医工、先用後利の商法で今日まで脈々と引き継がれてきた配置薬業など話しました。
厚生労働省医政局経済課が昨年3月31日、[薬事工業生産動態統計年報]の概要が公表されました。それによると平成26年の国内医薬品生産額は6兆5898億円で前年比3042億円{4,4%}の減。都道府県別医薬品生産額は、トップが埼玉県の6427億2100万円{7,8%減}2位が富山県の6162億5600万円{対前年比73億4000万円、1,2%増}3位が大阪の5102億3400万円{4,0%減}であります。

上位の県が軒並み対前年比減に対し、富山県だけが増であります。「くすりの富山」の面目躍如たるものです。それゆえ、今年の公表が楽しみです。
また、医療機関がこれほど発達し、ドラッグストアーなどが普及した今日でも、全国840万世帯{平成26年8月全国配置薬協会発表}に置き薬がなぜ配置してあるか?

配置箱を置く時は、無料で次回訪問時に服用分の代金だけ頂く、いわゆる先用後利の商法や一軒一軒訪問し顧客との信頼と絆を深め、ヘルスコンサルタントとして的確な医薬品の服用方法や健康に関する情報の提供や、自らの健康は自らが守る、セルフメディケ―ションの啓蒙の推進など、国民の保健衛生向上に大きな役割を働きをしてきたから3〇〇年も続いてきたこと。また、売薬さんの資金と努力によって明治以降の富山の金融や電力や各種産業の振興など近代化に寄与してきたこと。{現在の北陸銀行や北陸電力も元々は売薬さんが起こした企業。}

また、超高齢社会、高騰する医療費の中で、登録販売者の資格を有する配置販売業者が地域医療の中で果たす役割は大きなものがあり、社会が、国民が、消費者が「置き薬」を必要としている限り、この職種はまだまだ大丈夫。一人でもこの業に。を結びとしました。

参考まで。平成27年末全国の配置従事者数17621人。富山県内827人。

DSC_0386DSC_0396



売薬さんのブロンズ像

元旦や 必ず来るぞ 大晦日
平成28年はすでに地平線下に没し、新しい年平成29年の幕が明けました。
しかし、光陰矢の如し。毎年元旦は必ず来ますし、大晦日も必ず来ます。1日3分論24時間の内、3分の1の8時間は寝ています。そう思うと1年も120日余りは寝ていることになります。人生も同じです。1日1日をどう生きるか?70歳古稀を迎えたこの年になると尚更そう思います。

さて、そんな中1月11日午前11時より富山駅前CICビル1階物産店「ととやま」内にある配置薬などを販売する「くすりコーナー」の一角に、富山のくすり、のシンボルである売薬さんのブロンズ像が設置され、その除幕式が行われました。
この像は、昭和63年{1988}4月、当時の郵政省の郵トピア構想モデル都市の指定を受け記念事業の一環として富山市制100周年を祝うと併せて平成元年{1989}JR富山駅南口に設置された郵便ポストの上に置かれたものです。高さ約60cm、胴回り約65㎝。柳行季を背負い懸場帳を持つ姿で、作者は日展会員、高岡市羽広の田畑功氏です。しかし、新幹線開業に伴い、ポストが撤去される為、富山県薬業連合会が富山南郵便局から譲り受け、薬業連合会で保管することになりました。

このことが、平成27年2月1日付け北日本新聞「姿消す、売薬さんポスト」と題し,大きく報道されました。内容は、薬都富山を象徴するスポットで、かわいい像は観光客からも人気がある。富山をPRするのにぴったりの像。新幹線も開業して観光客が増えるのに何とか残すことは出来ないものか。など残念がる駅利用者の声を掲載したものでした。。
次いで、業界紙でも取り上げられたことから、薬業連合会が中心となり、県、市、関係機関と従来の富山駅南口を含め、協議、折衝を行った結果、富山県いきいき物産KKのご了解も得てこの場所に決定したものです。
従来、CICビル5階に配置薬など販売する「くすりコーナー」がありましたが、昨年4月新幹線開業に合わせこのビルが、リニユア―ルオープンしたのを機に5階から1階に移設されました。この時点でもCICビルは年間28万人の入館者がありましたから、その後、新幹線開業効果も考えると、それ以上の入館者数と思われます。

いずれにしても、この新しい場所が「富山のくすり」の更なる発展に繋がるスポットとして、多くの人々に親しまれ、しいては富山県のPRに役立ってほしいと念ずるものです。
その為にも、「富山のくすり」の関係者の方々は是非一度この場所を訪ね、県、内外の方々にPRしてほしいと思います。

DSCF3158
<除幕式>

DSCF3164
<富山のくすり屋さんのブロンズ像>