なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2018年

椿絵名品展

一日も おろそかならず 古暦 (虚子)

食欲の秋、スポーツの秋、芸術の秋、そんな言葉はもう死語なのかもしれません。年中、グルメ三昧、年中、何らかのスポーツ記事が新聞紙面を賑わし、芸術もまたしかりです。

12月9日の閉会を目前にした4日、高岡市美術館で開催中の「椿絵名品展 ―つばき咲く―」を鑑賞しました。これは、あいおいニッセイ同和損害保険の所蔵品から、近世から現代までの日本画、洋画、工芸における椿絵の名品約80点が展示してありました。
特に、驚いたのは、日本美術史上に名を残した作家ばかりの作品でした。横山大観、尾形光琳、緒方乾山、酒井抱一、川合玉堂、富田渓仙、堂本印象、山口蓬春、前田青頓、村上華岳、中川一政、小倉遊亀、北大路魯山人、上村松篁、夏目漱石、小林古径、竹久夢二、小野竹喬、中島千波、安田靫彦、堅山南風、岸田劉生、福田平八郎、高山辰雄、大山忠作など、これ等の作家が一様に「椿」を描いていたとは驚きでした。彼等は、椿のどこに魅力を感じたのか?説明には次のように書いてありました。

椿の字には「春を告げる花という意味があり別名を耐冬花」とも言います。そして、雪を被った椿は「雪待ち椿」として古くは室町時代の絵巻にあらわれ、冬の寒さに耐えながら春の到来を待つ清新な姿は椿の花ならではのイメージです。
そして、椿は生命力の強い花木ですが、その花の散りぎわは潔いとともに、はかなさをも併せ持ちます。そのために、画家たちは椿に胸中の花を想い、命を慈しむ幽玄で神秘的な観想をいただいたといいます。それらが、多くの画家や夏目漱石までの心をひきつけたのと思います。我が家にも椿がありますので、これからは少しは見方が変わるかもしれません。

次いで、帰路「あいの風とやま鉄道」水橋駅前「世界一かわいい美術館」を訪ねました。これは、NPO法人「憩いの家」が運営し年間5回ほど企画展を開催しています。
今回は、「秋景展」として42点展示してありました。ここも高岡市美術館同様有名作家ばかりで、奥田元宗、安田靫彦、川合玉堂、速水御舟、小杉放庵、司馬江漢、小倉遊亀、山口蓬春、奥村土牛、橋本関雪、勝海舟、そして去る11月1日滑川市名誉市民に推戴された下田義寛氏の「朝霧」加えて特別出品として、太刀、備前長船兼光などであり、特に、画家の名前を聞いただけもうっとりする作品ばかりでした。これが、入場無料ですから驚きです。ただし、善意の募金箱が置いてありますが・・・。

さて、私は、美術について全くの素人で作品を論評する資格はありませんが、椿一つとっても色々な見方、思いによって作品の出来ばえが違うし、秋とて同様と思います。想像力を逞しく働かせ、心豊かになるのが芸術の世界だと思います。
もし、人類にとって音楽や芸術がなかったら、私たちの日常生活は?と思うと、人類が心豊かな生活を送る為にも必要不可欠な世界と思います。いづれにしても初冬の美術館巡り、心洗われるひと時でした。

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ねんりんピック富山2018

初雪の 高嶺を裂きて み空より 紅葉の中に 落つる大滝
            (昭和11年秋 称名滝にて 玉堂)

紅葉前線は北から南、山から里へ下り始め、丁度、称名滝付近も見頃を迎えた11月3日第31回全国健康福祉祭富山大会は「-夢つなぐ、長寿のかがやき富山から―」をテーマとして富山県総合運動公園陸上競技場で総合開会式が遥かに立山連峰を仰ぐ秋晴れの下、開催されました。

尚、第1回大会は昭和63年兵庫県で開催されました。
今回の、大会目標を
①「生涯現役社会」につながる高齢者が、いきいきと輝く大会
②「健康寿命」延伸への気運を高める大会
③「地域共生社会」を創る交流とふれあいが広がる大会
④自然、伝統、文化、産業、食など「富山県の魅力」あふれる大会
⑤「おもてなしの心」で「温かみ」のある大会

を掲げ、県内15市町村で過去最多の27種目で交流が深まる熱戦が繰り広げられました。参加資格は60歳以上ですが、他の大会と決定的に違うことは、目的にある通り、高齢者が中心であり「生涯にわたって、健やかで、心豊かに生活することができる、社会づくり」にあります。
その為、20近い交流会が企画されました。例えば、文化、交流大会では、囲碁、将棋、俳句、川柳、健康マージャン大会などもあるなど正にねんりんピックならではの種目です。

さて、総合開会式の中で今回の参加選手の最高年齢者は93歳であることがアナウンスされると大きなどよめきが起きました。
午後、私も関係者の一人である弓道競技の開催地射水市のアイザック小杉文化ホールでの弓道開始式に出席しました。1チーム5名{男女混合}補欠、監督計7名の70チームの参加者。加えて大会役員や高校生などのボランティアなど700名を越す人々で溢れました。

岡本仁、県弓道連盟会長挨拶、夏野元志、射水市長挨拶、高橋久和市議会議長歓迎の挨拶、次に、特別表彰に移りました。
最初に、最高齢者賞{男女各1名}女性は千葉県の選手で93歳。男性は静岡市選手で87歳。実は総合開会式で全参加選手の中での最高齢者として紹介された方は弓道競技に参加した千葉県の方だったのです。とすれば、せめて総合開会式の折、弓道競技の参加者であるぐらいは紹介してほしかったです。
しかし、会場で93歳と87歳のお二人が紹介され、壇上に上がられた時は、大きな拍手で会場が包まれました。賞状と盾に加えて射水市から特別賞として、越の紅カニ{紅ズワイガニ}の大きなパネルが贈呈され本物は後日郵送されるとのことでした。しかし、これには会場は再び大きな拍手とどよめきがおきました。
次いで、高齢者賞として最高齢者受賞者を除く参加選手の高齢者{男女各3名}いづれも80代半ばの方々に賞状と盾。最後に、射水市が誕生した11月1日生まれの方が参加者の中に唯一人おられ、その方に白エビの大きなパネルが贈られ、本物は後日郵送するとのことでした。ねんりんピックゆえの風景でした。年齢に応じて楽しめるスポーツとしてゴルフがありますが、むしろ弓道がそれよりも上でないかと改めて思いました。

射水爆笑軍団の寸劇もあり、和気あいあいの開始式でした。
翌、4-5日交流大会は熱戦を繰り広げ的中数上位16チームが予選通過。トーナメントで決勝戦を行い、優勝、埼玉県、二位福岡県で大会は盛会裏に終えて幕を閉じました。残念ながら富山県チームは予選敗退。尚、93歳の女性の射は背筋を伸ばし、年齢を感じさせない立派な射でした。

それにしても、大会開催まで何度も打ち合わせをし、準備をし、大会期間中は早朝7時より夕方7時過ぎまで運営に携わられた岡本会長始め、県弓連の方々、高校生の方々、ボランティアで参加された多くの方々のご尽力なくして大会の成功はなかったと思います。
改めて各位のご尽力に敬意と感謝を申し上げます。
また、弓道関係者の一人として、何のお手伝いも出来なかったことに対して申し訳なく思っています。6日、私用で上京のため富山駅に行ったところ、ねんりんピック参加者でごった返していました。
私は、数人の人々にねんりんピック富山大会の感想をお聞きしましたが全員「富山に来て良かった」と言ってくれました。弓道参加者には聞けませんでしたが多分同様の感想だったと思います。いづれにしても大会の目的は概ね達成されたと思います。

写真は、総合開会式。アイザック小杉文化ホールでの開始式での岡本会長の挨拶。富山県選手。

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公益財団法人・体力つくり指導協会

継ぎ目なき  天一枚 秋の空

11月1日、抜けるような空の青さと 爽やかな秋風が吹き抜ける好季節の中、{公・財}体力つくり・指導協会創立50周年記念式典及び祝賀会が、ホテルニューオータニで盛大に開催されました。
さて、意外とこの協会の活動内容が知られていないような気がします。私も、正直最初は温水プールだけの運営に携わる協会かと思っていました。しかし、今回式典に出席してそうではないことを再認識しました。実は、この協会は多彩な活動を展開している団体です。

協会は「国民の健康増進と体力づくりを支え」として
{一}公益目的事業として
 ①高齢者体力つくり支援士の審査、認定。
 ②健康・体力つくりに関する体力測定の実践と検証。
 ③健康・体力つくり活動拠点の提供と支援。
 ④健康・体力つくりの啓発・広報。
 ⑤健康・体力つくりの講習等の実施。

{二}収益事業等
 ①健康・体力つくりに関する物品の販売。
 ②その他前号に定める事業に関する事業。

など、健康・福祉と実に幅広い分野で事業を展開しておられます。

その中にあって本市の温水プールは子供から高齢者まで積極的に健康・体力つくりを支援する事業の一つです。
平成6年7月6日オープンした滑川温水プールは建設費4億4449万6千円余りのうち、約48%、2億1358万円余りを市からの建設費補助金とした。そして、運営管理費補助金年間1344万4千円としこれは25年間今日まで変わりません。利用料金は平成26年、大人420円と改定されましたが、この間、消費税は3%―5%―8%と引き上げられ、来年から10%という。

燃料の灯油も平成6年には1ℓ50円が今日では90円前後。賃金も含め諸経費も当然上がっているし協会の経営努力は相当なものと思う。そのような中で、市内で唯一の準市民プールとして、今年も、ジュニア・オリンピックCPで中二の男の子が全国9位に入りました。
まさに、子供から高齢者までの健康・体力つくりに大きな役割を果たしている施設と思います。

式典で、私と共に、祝辞を述べられた埼玉県鴻巣市長原口和久氏も市内数か所の公園の管理も含め市民の健康増進と体力つくりに協会と連携を図り各種の政策を推進していることを紹介されました。また、当日の出席者や表彰状及び感謝状を授与された方々の顔ぶれをみても、温水プールのみの運営ではないことが分かりました。
やはり、滑川温水プールは市内唯一のプールとして、健康寿命の重要性も叫ばれる今日、子供から高齢者までの健康増進と体力つくりに大きな役割を果たしている施設であることを再認識する機会でもありました。市が直営で運営管理したことを考えると、今後ともこの施設を維持、発展させていく為にはこれからも利用率のアップを含め行政、市民、協会がより連携をしなければならないと思いました。

写真は、祝辞を述べる私と、左、原口鴻巣市長と右、小室協会理事長

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幕末維新の激動と福井

10月29日{月}幕末明治福井150年博の①福井県立歴史博物館「幕末維新の激動と福井」②福井市立郷土歴史博物館「皇室と越前松平家の名宝」展を鑑賞しました。
特に、①では初公開の花押付原本で全国唯一と言われる坂本竜馬が村田氏寿に宛てた書簡や、やはり竜馬から中根雪江宛の書簡など、竜馬と福井の関係を示す資料が数多く展示してありました。
また、由利公正筆「議事之体大意」や、橋本左内書簡、小曾根乾堂書幅など初公開の物が多数ある中、横井小楠筆の「国是十二条」井伊家文書のうち「安政大獄処罰案」の中に左内処罰の付札「何より一等重キ方」と記したものなど大変珍しいものも多数展示してありました。

また、坂本竜馬や橋本左内の複製紋服ですが、その着用体験と写真撮影コーナーもあり、私も竜馬になった気分で一枚写しました。
②は福井国体の開催と明治維新の150年を記念して「皇室と越前松平家の名宝」を鑑賞しました。パンフレットによれば、日本が近代へと新たな国の歩みを進めた明治時代、皇室も新たな歩みを始めました。明治維新において大きな功績を残した旧福井藩主松平春嶽{1828-1890}は麝香間祇候として明治天皇に近侍し、華族の重鎮として皇室を支えました。
また春嶽の実子慶民{1882-1948}は大正・昭和天皇に仕え、最後の宮内大臣、宮内府長官を務め、昭和天皇の全国巡幸にも従いました。

{パンフより}
このように皇室との関わりを持つ中で、煌めく明治美術の名宝が松平家に伝わって来たものが公開されたされたのです。
それにしても、越前にも松平春嶽をはじめとして、橋本左内、梅田雲浜、由利公正、熊本から招聘した横井小楠など多彩な人物がそれぞれの立場で活躍しています。
とかく、明治維新は薩摩、長州を中心とした倒幕派と会津などの佐幕派という対立構図で語られるが越前藩のような立場も維新に大きな貢献をしていることがわかります。
それに比べれば、去る10月6日富山市立郷土博物館で「幕末動乱と富山藩」を見ましたが、残念ながら歴史上特筆すべき活躍した人物は、富山藩や加賀藩には余りいないのではないでしょうか。
記録によれば、新政府は慶応4年4月富山藩に対し、加賀藩とともに越後方面に出兵を命じ、これを受け、4個小隊443名、大砲八門によって編成された富山藩隊は、越後に向けて進発、越後各地を転戦し、旧幕府方の奥羽越列藩同盟軍とも戦闘を交えています。

いづれにしても全国各地で開催されている明治維新から150年のイベントも終ろうとしています。

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京都、清水寺、国立京都迎賓館など

10月11日{木}―12日{金}にかけて①清水寺、②重要文化財角屋{すみや}もてなしの文化美術館、③重要文化財・旧三井家下鴨別邸、④国立京都迎賓館などを旅行しました。主催・滑川音羽の会{会長・中屋一博}
今回の参加者18名。この旅のメインは清水寺の塔頭「滋心院」の本堂で3月2日―18日。10月5日―15日に普段は非公開の秘仏「大随求菩薩」{だいずいぐぼさつ}が222年ぶりに一般公開されるのに合わせて実施したものです。

当日は、清水寺・執事補大西英玄さんから説明を受けました。それによると、大随求菩薩は江戸時代の1728年{享保13年}に作られ、高さ約1.1mの木造の仏像。全身を金泥などで塗られ、頭に豪華な宝冠をのせ、8本の腕に蛇や剣などを持つ。全国の巡回展などで公開されたことはあったが、本堂では1796年{寛政8年}以来のこと。
また、今回は、通常は立ち入れない本堂内陣まで進み、厨子内に安置された姿を拝むことが出来ました。これは、日本最古の仏教巡礼路「西国三十三か所」が、今年草創1300年となるのを記念し、特別拝観が決まったものです。この菩薩像は国内で確認されている木造としては、清水寺と高台寺の高さ約20㎝の2体と軸に描かれた1幅位で極めて珍しいものだそうです。
それにしても仏様のお顔はどの顔も穏やかで癒されますね。
私は、少し欲張りで2度拝みました。尚、清水寺では、秘仏、千手観音像は33年に1度の御開帳と定められています。しかし、この大随求菩薩は特に規定はなく、森清範貫主の腹一つです。の説明には大笑いでした。

夕食は、前回は清水寺に近い日本画家、竹内栖鳳画伯の旧宅{SODU}でしたが、今回は、その近くの「アカガネ・リゾート京都東山」で森清範貫主、大西英玄執事補を迎え、和やかに、楽しい夕食会でした。会場は富山ではなかなか味わえない素敵なところであり、少々リッチな気分になりました。

以下、②③④について、簡単に紹介しておきます。
②角屋は島原開設当初から連綿と建物・家督とを維持しづけ、江戸期の饗宴、もてなしの文化の場である揚屋建築の唯一の遺構として昭和27年{1952}に国重要文化財に指定されました。揚屋とは、江戸時代の書物の中で、客を「もてなすを業とする也」と定義されているところによると、現在の料理屋・料亭にあたるものと考えられます。饗宴のための施設ということから大座敷に面した広庭に必ずお茶席を配するとともに、庫裏と同規模の台所を備えていることを重要な特徴としています。「花街」と「遊廓」の違い。
「花街」は歌や舞を伴う遊宴の町であり、一方、「遊廓」は歌や舞もなく、宴会もない。歓楽の町である。角屋を含めた島原の町は、和歌・俳諧等の文芸活動が盛んで、ことに江戸中期には島原俳壇が形成されるほどの活動を呈したという。故に、角屋は「花街」に属します。
「揚屋」と「置屋」の違い。
揚屋は太夫や芸妓を抱えず、置屋から太夫、芸妓を派遣してもらってお客様に遊宴をしていただくところです。揚屋は料理を作っていましたので現在の料亭、料理屋にあたります。ただし、揚屋は江戸時代のみで、明治以降、お茶屋業を兼務する置屋では宴会業務も行うようになりました。角屋は遊廓でも置屋でもなく、揚屋でした。幕末、各藩の京都藩邸の藩士や新選組隊士、或いは勤王の志士達など多彩な人物が利用し賑わい、その、足跡も残っていました。また、「もてなしを業とする也」の通り、各部屋の造りや内装がそれぞれ違い,まさに、贅の限りを尽くし、一部屋一部屋が美術館の趣を持った建物でした。一見の価値があると思います。
公開は、3月15日―7月18日  9月15日―12月15日まで

③重要文化財・旧三井家下鴨別邸、
下鴨神社の南に位置し、三井家11家の共有の別邸として三井家総領家第10代三井八郎右ェ門高棟{たかみね}によって建築されました。この地には明治42年{1909}に三井家の祖霊社である顕名霊社{あきなれいしゃ}が遷座され、その参拝の際の休憩所とするため、大正14年{1925}に建築されたのが、現在の旧邸です。建築に関しては、木屋町三条上がるにあった三井家の木屋町別邸が主屋として移築されました。
昭和24年{1949}には国に譲渡され、昭和26年{1951}以降、京都家庭裁判所の所長官舎として平成19年まで使用されました。近代京都で初期に建設された主屋を中心として、大正期までに整えられた大規模別邸の屋敷構えが良好に保存されており、高い歴史的価値を有していることから平成23年に要要文化財]に指定されました。尚、三井家初代三井高利は「現金売、賭け値なし」をモットーに呉服商越後屋を開業し、今日の三井財閥を築いた元祖です。

④国立京都迎賓館
日本の歴史、文化を象徴する都市、京都で海外からの賓客を心をこめてお迎えし、日本への理解と友好を深めていただくことを目的に平成17年{2005}4月に開館しました国の迎賓館です。日本建築の長い伝統と美しさを現代の建築技術と融合させる「現代和風」の創造を目指して設計されました。
東京にある迎賓館赤坂離宮とともに国、公賓などの賓客の接遇の場としての役割を果たしています。京都御所敷地内にあり、一度は見学して見るべき施設と思います。

写真は、清水寺森清範貫主と大西英玄執事補、大随求菩薩、角屋玄関前、旧三井下鴨別邸

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