なかや一博 ブログ

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滑川市名誉市民

滑川市名誉市民・故山田禎一先生は去る1月23日満93歳でご逝去になり、1月29日東京青山葬儀場で葬儀が行われ、滑川市に於けるお別れの会が2月24日午後1時30分から滑川市農村環境改善センター多目的ホールで約300人が出席し厳粛な中、執り行われました。
当日は多目的ホールステージ上に、立山連峰を菊であしらい、チューリップなどで富山平野を表す真ん中に、温和な先生の大きな遺影が置かれていました。
その下に、滑川市名誉市民称号記、右に、東京都名誉都民称号記、左に調布市名誉市民称号記が置かれていました。お別れの会次第は下記の通りでした。

①開式 ②黙とう ③お別れのことば ④代表献花 ⑤参会者献花 ⑥弔電披露
⑦謝辞 ⑧閉会

約1時間ほどで終わりましたが 簡単に先生の略歴をご紹介いたします。
大正14年 11月25日、中新川郡北加積村野町{現、滑川市野町}に生まれ
昭和23年 金沢大学医学部卒業
昭和30年 金沢大学医学部精神科助教授に就任
昭和32年 東京都調布市に山田病院を開設
昭和40年 東京都稲城市に稲城台病院開設
昭和44年 神奈川県箱根町に仙石原病院開設
昭和47年 国内初の精神障害者授産施設「創造印刷」
     及び「精神医学神経学古典刊行会{現、創造出版}」を開設{ともに調布市}
平成元年 滑川市に県第一号の介護老人保健施設「なごみ苑」を開設。
平成8年 滑川市に「富山医療福祉専門学校」を開設
平成12年 滑川市に生活支援ハウス「なじみ」を開設
平成21年 滑川市に「やなぎはら保育園」開設

特に、先生は「教育と医療をないがしろにして栄えた国家や民族はない」との信念と郷土滑川を愛する強い思いのもと、平成に入り前述した施設を相次いで滑川市に開設され本市の福祉・医療・教育の発展に尽力された功績で平成21年石坂豊一先生に次いで、滑川市名誉市民に推挙されました。
その後、調布市名誉市民、東京都名誉都民にも推挙され、その祝賀会が京王プラザホテルで開催され私も出席した一人ですが、親しくお付き合いをさせていただいていた関係上、多くの想い出が脳裏を去来しました。

先生の生まれ育った野町の地でお別れの会が行なわれたことで、故人も喜んでおられることと思います。最後に、遺族を代表して、娘さんの山田多佳子さんが先生が亡くなった日は1月23日 つまり、ワン・ツー・スリー。ホップ・ステップ・ジャンプ。故人の性格通り前向きに旅立ったの言葉が印象的でした。



文化講演会

2月10日午後4時より、滑川市民交流プラザにおいて、祝日に日の丸を掲げる会{会長・本田繫氏}の第3回講演会が開催されました。
ご存知の通り「日の丸」を国旗、「君が代」を国歌とすることに賛否両論がありました。
特に、教育現場では激しい反対論展開され、とりわけ「君が代」の歌詞が取り上げられました。しかし、平成11年8月13日の規定により日本政府は公式に日本国の国旗は「日章旗」{日の丸}であり、国歌は「君が代」であると指定しました。

私は、世界中どの国にも国旗、国歌はあり、国民は愛国心を持つことが望ましいと思います。その意識を高めることにも繋がる「国旗、」や「国歌」は必要なことと思います。
しかも、今の「国旗」や「国歌」に政治的、宗教的な背景を感じる人は殆どいないと思います。スポーツの世界でも、オリンピックや世界選手権などの表彰台で日の丸や君が代のシーンが流れたとき、多くの日本人は感動します。
また、優勝者が日の丸を背にして会場内を走り回る姿を見ても、政治や宗教を感じる人はいないと思います。素直に勝利を喜ぶ姿に、勝者が日本国の代表であることを示すものとして「日の丸」使用しているだけです。
その意味からしても祝日に日の丸を掲げることに何の抵抗もありません。
しかし、時々忘れたりしますが・・・・・

さて、講演会ですが第一部は 
講師:筒井和人氏
テーマ:「これからの東アジアの安全保障」―大陸勢力中国の米海洋戦略への挑戦―

講演内容は
①戦略環境のパラダイムシフト ②我が国の戦略の在り方 ③中国の戦略の一貫性
④孫氏「謀を伐つ」 ⑤台湾 ⑥北朝鮮問題 ⑦韓国 ⑧沖縄 ⑨ロシア 
⑩歴史戦から「民主戦」へ ⑪米戦略転換の遅れ ⑫ペンス演説 ⑬米INF破棄
⑭マティス更迭 ⑮日米戦略転換の時 ⑯神話の継続 ⑰歴史の分水嶺 ⑱普遍的価値 
⑲戦略の空洞化 ⑳少子化 ㉑日本の特異性 ㉒平成とは ㉓戦略再構築の時 
㉔憲法は米抑止力の函数 ㉕現代の大艦巨砲主義 ㉖公平性回復 ㉗行き過ぎた「戦後レジーム」
㉘東京大改革 ㉙日本の春 ㉚日本の民主主義・リベラルとは?

30項目に分けて詳細に説明。結論から言えば、自国の安全や防衛は自らが守る気概を持つことの重要性を論じられたと思います。

<井筒和人氏の略歴>
 昭和32年生まれ 立山町出身 富山中部高校 東京大学出身
 防衛省官房審議官{防衛白書担当} 防衛省技術研究本部・副本部長 現在、民間企業に就職

講演会・ 第二部
講師:葛城奈海氏
テーマ:「国と自然を守るということ」

講演内容は
学生時代は自衛隊にはアレルギーがあったが、合気道を通じて、自分の身体は自分の努力によってまず守る。今日の平和な日本は、日夜、我が国の安全と防衛に身命を賭して尽力している自衛隊が存在するからこそであり、平和は決して、天から降ってくるものでも、地から湧き上がるものではない事を理解した。
そこで、自身も、3年間のうち50日の訓練を得て、予備自衛官補になり、現在は予備三等陸曹であることを紹介されました。

また、尖閣諸島周辺には漁船で15回渡りレポート。漂流物の除去や、ヤギによる生物多様性への影響調査活動などの体験を話されました。又、民主党政権下で発生した海上保安庁の船に中国漁船が体当りした事件や、国有化した後の中国公船の領海侵入の常態化に対する日本政府の対応を批判。
これを、インドネシアやパラオでは、領海内における中国漁船の不法操業の拿捕や爆破、あるいは、違法操業船の追跡、発砲、中国人を拘束するなどいずれも毅然と対応している例を挙げ、我が国の弱腰外交を批判。

以前、稲田防衛大臣の時、マティス米国防長官{当時}が来日の折「米国は安保条約5条によって、日本を守る」と発言。この時、稲田大臣は安堵と喜びの表情を見せたが、そもそも、自国で身体を張って守る気もないのに、同盟国といえども、何故血を流すのか?と彼女は平和ボケした日本人に警鐘を鳴らされました。「自らの健康は自らが守る」いわゆる、セルフメディケーションと同様まず、自助努力の必要性を論じられました。

講演会終了後、彼女に、彼女が指摘する平和ボケの日本になった原因は何か?それを解決する処方箋は?しばし、議論をしましたが、複合的な要素で今日に至り、複合的な処方箋が必要との認識で一致しました。その、複合の内容は機会をみて書きたいと思います。

<葛城奈海氏の略歴>
 東京大学農学部出身、ジャーナリスト、俳優 予備三等陸曹 防人と歩む会会長など

写真は、講演会の様子と控え室にてお二人と共に

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