なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2019年11月

練士審査視察

継ぎ目なき 天一枚 江戸の秋

11月16日の東京は本当に曇一つない素晴らしい青空が、一日中広がっていました。何処かに、雲の欠片でもないかと探しましたがありませんでした。そんな秋晴れの下、16日と17日の二日間にわたり、明治神宮外苑にある全弓連中央道場と隣接する至誠館弓道場の2会場で「関東地区」練士臨時中央審査が行われました。

至誠館弓道場は、明治神宮鎮座50年を記念して昭和48年10月10日明治神宮武道館として柔道、剣道場として開館し、その後、弓道場が増築され今日に至っています。その隣接地の中央道場は平成12年5人立ち2会場と遠的場を併設した立派な道場です。
特に、近的射場{28m}の的場の後ろに遠的{60m}の的場があります。そして、この手前の近的の的場が電動式で約20分で90度可動し遠的場が現れるという素晴らしい道場です。

さて、今回の視察は、全弓連の監事、理事、評議員が11月10日と今回の2日間の3回の内、本人の都合に合わせ視察するものでした。
私の場合日帰りで16日午後1時より3時半頃まででした。16日、17日の2日間の受審者合計は約800名で内、女性は33%程でいずれもその多さに正直驚きました。神宮外苑の鬱蒼とした木立のの中、小鳥のさえずりだけが聞こえる静寂と緊張感漂う雰囲気は独特のものです。審査は行射と学科です。

私は、約800名程の受審者の内、僅か60名程、約2時間30分程の短い視察でしたが貴重な機会でした。そして弓道は高齢者でも親しめるスポーツである事を再確認する機会でもありました。

審査員の範士の先生方も早朝より、長時間本当にご苦労様でした。
夜9時過ぎ、時雨模様の滑川に安着しました。

写真は、全弓連中央道場と審査風景

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生涯学習カレッジ

くにめぐり 山々見れば ふるさとの 越の立山 たぐい希なり (山田孝雄)

11月7日{木}午後2時から4時まで富山駅前CiCビル5Fで富山県生涯学習カレッジ富山地区センター主催による・人生100年時代特別講座の中で、とやまの魅力ー引き継ぎたい富山の心と文化‐「先用後利の精神と売薬」と題し講演しました。
当日は受講者42名{男29人女13人}年代構成は50代1人、60代7人、70代22人、80代11人、不明1人でした。
それにしても、この年代で学ぼうとする意欲は大したものです。

学習とは自らの意志で学び、習うことです。教育とは誰かに教え育ててもらうことです。
幕末の儒学者・佐藤一斎の「言志四録」に「少にして学べば,壮にして為す。壮にして学べば老いて衰えず。老にして学べば死して朽ちず。」を引用して、受講者各位に敬意を表しました。

講演内容は、いつもの通り、富山売薬の起源から、明治維新後の洋薬礼賛、漢方排斥や売薬印紙税導入の嵐の中でも、売薬商人たちの手によって明治11年仲間達への融資と財産を保持する為「富山第123国立銀行{現北陸銀行}」を設立、更に26年売薬商人達の献金で「共立富山薬学校{現富山大学薬学部}」が開設された。
また、30年には「富山電灯会社{現北陸電力}を設立し、32年には大久保発電所を建設して北陸初の自力発電を図った。また、35年富山売薬信用組合{現富山信用金庫}を立ち上げたほか、売薬業に関わる業種{保険・出版・新聞・印刷・容器製造}などの会社設立にも力を注いだ。

今日、富山県経済の中心的役割を担っている北陸銀行や各地における信用金庫などを設立するなど、苦難を乗り越えたばかりか、新しい時代の流れに対応して富山県近代化への基礎を築き、それが今日もなお脈々と生き抜いているのであり、越中売薬は330年余りの歴史を有しますが、この間、幾度も明治時代のような存亡の危機に直面しました。
しかし、その度、先人達は一致団結して、知恵を働かせ、汗と涙で切り拓いてきたことを紹介しました。

講演会終了後、主催者より短冊に何か言葉を書いて欲しいと言われ次のように書きました。

高らかに 学びの道を 求めつつ 咲くは 豊かな心なりけり

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岡本仁氏叙勲祝賀会

初雪の 高嶺を裂きてみ空より 紅葉の中に 落つる大滝
(昭和11年秋 称名滝にて 川合玉堂)

紅葉前線が北から南へ、山から里へ下りてくる中、令和元年春の叙勲で、旭日双光章受章の栄に浴された岡本仁富山県弓道連盟会長の叙勲祝賀会が11月3日{日}午後5時より富山第一ホテルにおいて200名を超す多数の出席者のもと盛大に開催されました。
鍋田恭子さんの司会で始まり、最初に発起人として、{公財}中野秀也全日本弓道連盟前会長が岡本会長の弓道界での要職を紹介し、その功績を讃えた祝辞でした。
次いで、岡本会長が今年3月まで勤務していた新田八朗日本海ガス絆HⅮ株式会社取締役社長も発起人の一人として祝辞をを述べられ、特に新田氏が社長に就任した時、最初の人事で岡本会長を常務取締役に就任させその後、副社長、常勤相談役{平成31年3月退社}まで社長をよく補佐してくれたこと。そして、その信頼の厚さを話ながらお祝いの言葉とされました。

来賓祝辞は、中川忠昭県議会議長、県教育委員会から荒井克博氏から、それぞれの立場で祝辞がありました。
次いで、二人のお孫さんから岡本ご夫妻に花束贈呈があり、本人の挨拶がありました。50年の弓歴を振り返り、今日まで弓道を続けてこれた中で、県弓連や全弓連の運営にも携わり貴重な経験ができたのも県弓連や全国の弓友の皆様の温かいご指導と応援、また会社のご理解、加えて、家族の支えがあったからこそと、感謝の言葉がありました。
引き続き、今後とも弓道の発展に尽力する旨の決意がありました。次いで、柴田猛全日本弓道連盟元会長の乾杯で祝宴に入りました。入る早々、孫の岡本琉依ちゃん{8歳}のかわいい日本舞踊があり次いで、岡本会長の「巻藁謝礼」が披露されました。

和気あいあいに進んだ祝賀会も中締めとして不肖私が一発締めを行い、髙橋芳邦県弓連副会長の閉会の挨拶で2時間半にわたる祝賀会は盛会裏に閉じました。
実は、岡本会長の奥さんも弓道人で、結婚しても弓を続けておられ、子どもを弓道場へ連れてこられ練習をしておられる姿を度々拝見していました。岡本会長は年間約150日余り、県弓連や全弓連の行事で家を留守にしておられましたが、これを支えたのはやはり奥さんの理解です。
それは、奥さんが弓道人であったからこそと思います。内助の功に感謝、感謝と思います。

<岡本会長の略歴>
昭和22年4月1日生。富山大学工学部卒業。
昭和45年弓道を始める。平成5年3月県弓連理事長。平成23年3月・県弓連会長{現任}
平成27年5月 令和元年8月・{公財}全日本弓道連盟副会長、専務理事。平成18年5月・国際弓道連盟理事{現任}
平成26年1月 富山県武道協議会監事{現任}
平成27年9月 国際武道大学名誉客員教授{現任}
平成30年4月 富山大学体育会弓道部師範{現任}
       現在・弓道教士6段
昭和44年4月 日本海ガス株式会社入社
平成5年3月  日本海ガス株式会社常務取締役・専務取締役
平成19年3月 代表取締役副社長
平成24年3月 取締役・常勤相談役・平成31年3月退社。

写真は、花束贈呈・本人挨拶・巻藁謝礼

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