なかや一博 ブログ

年別アーカイブ: 2020年

干支「丑」

コロナで明け コロナで暮れる一年間 家族の絆、再確認

令和2年1月半ば 日本で初めて新型コロナウイルス感染症者が確認され約1年、未だ収束の気配も見えず年末を迎えた。
1月世界中がこれ程混乱に陥るとは、正直私は想像もしなかった。

そんな中、12月に入り、今年の漢字一字は大方の予想通り「密」でした。
一文字のベスト10の内、上位5位までがいずれも新型コロナ関連だったのを見ても、いかに国民の関心が高かったかがわかる。
そして、12月14日、京都清水寺の新調なった「ヒノキ舞台」で恒例の森清範貫主によって揮毫されました。
その後、森貫主も「密」を予想していた。的中したのは阪神タイガースがリーグ優勝した03年の「虎」だけで、2度目と笑い、今年の一字「密」は、感染リスクが高まる「密閉」「密集」など負のイメージが広がった字だが、「親しい」などの意味もある。
森貫主は「コロナ禍だからこそ、心のつながりの大切さを知る大切な一字」と語っている。

その森貫主から、来年の干支「丑」の色紙が送られてきて、「牛歩千里」と揮毫してありました。
「うさぎ」と「かめ」の寓話では有りませんが、私にとって、新しい年、一年は、急がず、焦らず、一喜一憂せず、一歩一歩前進するそんな年にしたいと思っている。

写真は、森貫主の色紙と「密」を揮毫する森貫主{北日本新聞より}

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「はやぶさ2」

宇宙航空研究開発機構{JAXA}の探査機「はやぶさ2」が投下した小惑星「りゅうぐう」の石や砂が入っているとみられるカプセルが12月6日未明大気圏に突入し、オーストラリア南部ウーメラ近くの砂漠に計画通り着地し回収され、最終目的地、日本のJAXA相模原キャンパスに搬入された。
天体に関しては、素人の私のようなものでも驚くことが沢山ある。

①打ち上げから約6年間、2195日、52億4千キロ正に気の遠くなるような時間を飛行。
②りゅうぐうは、直径約900m
③初代はやぶさに続き、今回は2度も着地させた。
④遠く離れた宇宙いる「はやぶさ2」に精密な制御技術で着地点の誤差は僅か60㎝である。
⑤残りの燃料は半分以上あり、引き続き100億キロ先の直径30mと「りゅうぐう」より遥かに小さい小惑星探査に向けて11年の歳月をかけた旅に出た。その技術力。
⑥地球に帰還した着地点もほぼ計画通り。

正に、驚くことばかりであるが、専門家が見れば、もっと凄いことが沢山あるだろうと思う。私も、6日未明テレビに釘付けになって見ていたが、新聞記事によれば、「はやぶさ2」から分離されたカプセルは、秒速12キロの猛スピードで高度120キロの大気圏に突入。大気と激しく反応して火球のように発光する。
その光跡を地上にあるカメラで観測して飛行位置を特定し落下地点を推測するという。

それにしても、カプセルは3千度の高温や、着地の激しい衝撃にも耐える材質は?或はパラシュートは?など私には知りたいことが沢山ある。
また、宇宙飛行士野口聡一さんが滞在中の「国際宇宙ステーション」から探査機を見たとツイッターで投稿し「地球に向けて高度をグングン下げてくる光を約5分見つめました」としている。
JAXAの開発責任者が「私たちは、玉手箱を舞い下ろすことが出来た」と発言された。感無量だったと思う。これによって、太陽系の成り立ちや生命の起源に迫る情報が得られる可能性があるという。

ワクワクする様な話であり、実に楽しみである。日本の技術の高さを改めて世界に示した快挙である。反面、アリババやグーグルそしてファーウエイなどの分野の企業が日本では育っていないのではないだろうか。
いづれにしても、玉手箱から、未来に花咲く種子が沢山あることを願うばかりです。

写真は、大気圏に突入し落下するカプセル テレビ画像より

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国際宇宙ステーション

宇宙航空研究開発機構{JAXA}の野口聡一飛行士が搭乗する米スペースXの新型宇宙船クルードラゴンが約27時間半に及ぶ旅を終え11月17日未明、無事国際宇宙ステーションにドッキングした。
野口さんは、ステーションに半年間滞在中、私には難しくてよくわからないが、人工多能性幹細胞{IPS細胞}から立体的な肝臓作製を試みる世界初の実験に挑むという。
それにしても、凄いと思うのは、民間事業であること。日本では北海道で何回も民間が打ち上げに挑戦するが失敗の連続でありさすが米国である。

さて、この国際宇宙ステーションが11月21日午後5時33分~39分南西の方角から日本上空を通過するとテレビが報道した。
しかも、富山県上空である。私は、上市川河口付近でその時を待った。
幸い西の方に少し雲があったが、それ以外は月と僅かな星が光る中、発表通りの時刻に南西の方角から肉眼でもはっきりと見える輝きを放ち現れた。
約6分の天体ショーであった。凡人故に感心するのは、発表の時刻もコースも実に正確なことである。コンピューター「富岳」の凄さに驚くが、科学の進歩にも驚かざるを得ない。

また、JAXAは11月20日宇宙飛行士の若田光一さんが2022年頃、古川聡さんが2023年頃それぞれ、国際宇宙ステーションに長期滞在すると発表した。
若田さんは1996年、米スペースシャトルで初飛行。2000年、2009年、2013年の打ち上げなどで宇宙に滞在したほかステーションの船長も務めたベテランである。
その若田さんにお会いしたのが東京帝国ホテルで、ある人の結婚式に出席した時です。
その折、若田さんに滑川での講演を依頼した。周囲には、若田さんは殆ど日本に居ないのだから無理だろうと言われた。しかし、東京丸ノ内のJAXAへ数回訪問した結果、2005年8月21日実現した。

当日は、市内2校ある滑川、早月両中学校の生徒約千名を対象に滑川市民大ホールで「国際宇宙ステーション建設に参加して」と題し90分講演して頂き多くの生徒が感動した。
質問コーナーでは、食事は?トイレは?など誰もが聞きたいような素朴な質問が多く出て興味深かった。
また、講演で特に印象に残ったのは、「宇宙飛行士はいつも危険と隣り合わせ。2003年には「コロンビア号」が帰還途中空中分解し大切な7人の命を失った。それでも宇宙に行くのは、得られるものがリスク以上のものだから」や「宇宙で研究することは人類の財産になる。

例えば、カーナビ、天気予報などは、宇宙の技術があって成り立つこと」そして、最後に「目標を持ち、いろんなことに挑戦して欲しい。
今、努力したことは必ず役に立つ」と中学生に語り掛けられた姿は今も鮮明に覚えている。

写真は、当日のパンフレット。講演中の若田さん。酒を酌み交わす若田さんとともに。

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長岡すみ子の会・民謡・唄と踊りの祭典・日本海紀行

11月8日{日}午後1時より富山市婦中ふれあい会館で、民謡歌手、長岡すみ子の会主催による標記の祭典が開かれました。この様な祭典は、今回が8年目ですが実質は43回目。再来年は45回目の節目となり、その長さに驚きました。

また、今回の開催に際し、検温、手指消毒は勿論、会場内のソーシャルディスタンスや「三密」などの対策に細心の注意が払われていました。
出演者は民謡教室の生徒さん達の練習の成果の発表の機会でもありますが、ゲストとして、北海道釧路おわら同好会{会員30名」会長・豊橋眞成氏の越中おわら節が唄と踊りで披露されました。氏は釧路駅前で歯科医院を経営する歯科医とのことでした。長岡さんの人脈の太さを感じます。

また、踊りは「華の会」、と尺八は福井から平林火山氏、琴演奏は桂博子さん、特に、尺八と琴のコラボレーションは懐かしのメロディーとして、蘇州夜曲、北上夜曲、青い山脈、鈴懸けの小径,古城など演奏がありましたが、とても良かったです。
出演者の年齢も小学生から80歳代までと幅広く、かつ唄あり、踊りありと多彩な内容でした。

中でも今回は、長岡さんの教室の生徒さんである中村澪さん、優さん姉妹です。
妹の優さんが10月東京で行われた国内最高峰の民謡大会「日本民謡協会杯コンクール」で「布施谷節」を歌い優勝されました。
姉の澪さんも、昨年同大会で同曲を歌い、準優勝に輝いています。姉妹にとって忘れられない大切な曲です。

また、姉の澪さんは、2010年魚津市で開かれたNHKのど自慢で同曲を歌いチャンピオンになったり、妹の優さんは2013年「越中おわら節」全国大会で、翌年「麦屋節」全国大会で、それぞれ一般の部で優勝。
昨年は民謡民舞全国大会で内閣総理大臣賞を受賞するなど、今や民謡界の実力姉妹として全国で注目を集めているそうです。

それにしても、優勝曲などが富山県の民謡であることが嬉しいです。姉、澪さんは「秋田小原節」を妹、澪さんは日本一になった「布施谷節」を、二人で「江差追分」と「越中おわら節」を熱唱されました。さすがプロ級の歌声にうっとりしました。

実は、この姉妹、長岡さんと共に数年前、私の家で歌ってもらったことがあります。
帰り際に、二人にこの時の話をしたところ、ちゃんと覚えていて、また遊びに来たいと言ってくれました。

いづれにしても、コロナ禍で練習も十分できない中、多くの困難を乗り越え、祭典を成功裡に導かれた関係者のご苦労に敬意を表し、長岡さんの後継者育成の努力が着々と実っていることを知人の一人として嬉しく思いました。

写真は、祭典のパンプレット。江差追分を歌う左、姉、澪さんと右、妹、優さん。

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称名滝

富山県の人気スポットの一つである称名滝を晩秋の11月6日{金}知人と訪ねた。

それにしても日本語は美しい。
文部省唱歌に紅葉{もみじ・明治44年}作詞・高野辰之・作曲・岡野貞一がある。

「秋の夕日に 照る山もみじ 濃いも薄いも 数ある中で
               松を色どる 楓や蔦は 山のふもとの裾模様」

正に、一幅の絵を連想する。こんな美しい言葉を、他国語ではどう表現するするのだろうか。
やはり、日本語に勝る美意識を表す言語はないと思う。

さて、当日は薄曇りであったが最初に現れたのは、称名川左岸の色彩豊かな巨大な断崖「悪城{あくしろ}の壁」が盛りを少し過ぎてはいたが紅葉に染まっていた。10万年にわたり、水が岩を削ってできた絶壁は、高さ約500m、長さ約2㎞。せり立つ灰色の岩肌に、赤色や黄色の木々が彩りを添えていた。駐車場より徒歩約12分程で八郎坂へ向かう「ひりゅう橋」がある。
その袂に、私の前回のブログで書いた川合玉堂の歌碑がある。

「初雪の、高嶺を裂きてみ空より,もみぢの中に落つる大滝」(昭和11年晩秋)

実は、この前日彼は当時の中新川郡浜和積村曲淵{現,滑川市曲渕}赤間徳寿[元・衆議院議員、初代・滑川市長}宅に投宿し、翌朝「時雨さす 加積の里に一夜寝て 今朝立山に仰ぐ初雪」と詠み、称名滝へ向かったという。{歌碑は赤間邸の中庭にあり}

さて、滝壷の橋から眺める男性的で雄大な瀑布の称名滝と女性的なハンノキ滝の左右のV字型がまた良かった。紅葉は終わりに近づいていたが、滝しぶきを浴びながら暫し見とれていた。平日だったこともあり県外ナンバーの車は殆ど見なかったし、観光客も思ったよりも少なかった。
昼食は近くの山菜料理専門店で舌鼓みを打ち、帰路上市町の曹洞宗の名刹眼目山立山寺に立ち寄り、立山寺第42世住職・戸田光隆方丈としばし歓談し帰宅した。

「称名滝」
立山連峰を源流とする滝で、4段の落差からなる。
上から1段目70m・2段目58m・3段目96m・4段目126m、計350mは日本一の落差。
滝壷で標高1065m、直径約60m水深約6m。国の天然記念物に指定されている。

特に、雪解け水の多い春には水量が増えて迫力満点である。
ハンノキ滝――雪解け水や雨の多い時だけ称名滝の右側に現れる滝。見られる時期が限られている為、幻の滝とも言われその為、正式に滝には認定されていないという。
落ち口は称名滝より高く、落差500mは季節によっては日本一と呼ばれる。

写真は、玉堂の歌碑と称名滝とハンノキ滝

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