なかや一博 ブログ

月別アーカイブ: 2023年8月

滑川市武道大会

こおろぎや あかつき近き 声の張り  内田百間

暦の上では処暑を過ぎ、8月も末になると朝夕はどことなく涼しさを感じ、どこからともなく虫の声が聞こえてくる。
暑い中にも季節の移り変わりを感じる8月27日{日}、第56回滑川市武道大会{主催・滑川市・滑川市教育委員会・滑川市体育協会・主管・滑川弓道会}が市総合体育センター内、弓道場・澄心館で多数の参加を得て盛大に開催されました。

柔道・剣道も開催されましたが、弓道競技は県内の弓人を対象に今年で56回の歴史を誇る大会です。
特に、今年は、姉妹都市長野県小諸市弓道会より6名の参加があり、大会に花を添えて頂きました。久しぶりの再会に平成20年11月9日小諸懐古園内、懐古射院弓道場竣工式に私と妻が招待され、二人で一つ的礼射を行ったことに話題が及びました。

午前9時、弓道競技の開会式が道場で行われ、山岸光隆会長が挨拶、4年ぶりの開催を喜び、日頃の練習の成果を遺憾なく発揮されるように述べ、次いで私が激励の言葉を述べました。
次に教士6段山岸光隆、介添え・4段石坂孝文・介添え3段石尾遼太郎の3氏で矢渡しが行われました。この時は会場は静寂に包まれました。

以後、午前中は高校の部・団体戦と個人戦・いづれも四ッ矢2回8射の的中数で順位を決定。
団体戦は1チーム3人で高校生30人参加。午後は一般の部・団体戦・個人戦で的の直経36㎝は高校生と一緒であるが、順位は点数である。的は赤や黄・青などの色的で、真ん中が10点以下7点、5点、3点、1点で四ッ矢2回、8射の的中の合計点で順位を決定する。

このような形の競技は国体の遠的競技だけであり、県内の大会では滑川だけである。しかし、射撃やアーチュリーにしても点数制である。
いかに目標に正確に当てるか。これが醍醐味の一つであるから、和弓にも点数制は必要と思うが、36㎝の小さな的では、点数の確認などは煩雑で、しかも時間を要することなど問題点があることは理解しているつもりである。

一般の部では38チーム110人を越える参加者であり、この点数制を楽しみに参加している方々も多数おられた。
いづれにしても4年ぶりの開催であり、心地よい弦音の響きに酔いしれた1日でした。

成績は以下のとおり。
<高校生>
 個人男子 1位:富山第一B 山下皇冴 2位:滑川A・坂本琥太郎
 個人女子 1位:富山いずみA・山崎結愛 2位:富山第一・河上心優

<一般の部>
 個人男子 1位:射水A・水口辰郎 2位:富山H・飯田一夫
 個人女子 1位:小諸・小山田理恵 2位:高岡川口幸子
 *団体の部は割愛

特に、一般の部、個人女子で1位になられた小山田さんは、遠路小諸から参加されての1位でしたから良かったと思いました。
大会終了後、久しぶりに懇親会が開催されましたが、私の知らない人も数人出席し、確実に組織は若返りつつあり、山岸会長のもと、滑川弓道会の更なる発展を願い散会となりました。

写真は、矢渡しする山岸会長。表彰式で一般女子個人の部1位の小諸の小山田さん。

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地域の想いに出会う 富山県滑川市・上市町の調査記録 地域社会の文化人類学的調査について32

8月19日{土}午後1時ー4時まで市内ショッピングセンター会議室で、富山大学文化人類学研究室が、1979年研究室創設以来、教育の一環として、学生たちが、北陸の一地域を選び調査実習を行い、その成果を報告書に纏めてその発刊を機に学生たちの報告が標記のテーマで発表されました。調査報告書の作成は今回で32回目だそうです。

報告書は2年間{4半期}にわたる授業の集大成で学生たちは、2年次前期にあたる2021年の春から初夏にかけて県内の複数の土地を訪れ、秋に調査地を滑川市と上市町に決定。
以後、授業時間を利用した日帰り調査を重ね、いわゆるフィールドワークとして足をかけ、耳を傾けての活動は、地域の人々の真剣な眼差しや生き生きとした語りに出会い、これまで誰も文字にしてこなかった情報も報告書には多く盛り込まれている。

報告書は
第一部 つくる・つなぐ
第1章 「にぎわい」はどこからやってくるのか 滑川市街地の事例――窪田歩実
第2章 ネブタ流しの今昔と子供の参加からみる可能性――――――大井萌莉
第3章 上市町におけるさまざまな農業 問題解決に向けた取り組みを中心に―富岡雪乃
第4章 滑川市及び上市町で活躍する作家たちと彼らの作品――中国留学生・丑

第二部 おもう・かたる
第5章 宿場町の過去と現在 滑川市瀬羽町の事例を中心に―――――浦上結衣
第6章 上市市街地の歴史を紡ぐ 街と人々の記憶――――――――松井成弥
第7章 上市町における歓楽街の昔と今―――――――――――――上野由愛
第8章 自然を求める人々 山岳と緑に恵まれた上市町において――渡辺聖菜

第三部 まつる・いのる
第9章 滑川市加島町における獅子舞 次世代へと継承される伝統――小林滉
第10章 道端の石仏と地域の人々との関わり 上市町の地蔵を中心に―森由希子
第11章 「霊水」に魅せられる人々 上市町黒川地区の穴の谷霊場の事例―星野正樹

調査には11名が参加しているが、今回は滑川市に関する発表で5名であった。
この内、第9章加島町の獅子舞は2区と3区の2ヶ所があり、長野県出身の小林君が調査に来宅した。私の住んでいる2区では数人が調査に協力したが私もその中の一人であったことから今回の発表会に出席した。

私は2区に生まれ、育ったことから、当然幼稚園児の時から踊り子として参加し、社会人になっても獅子の中に入ったり,口上を述べるなど70歳くらいまで現役で参加しているから多少の知識があり、知りうる限り彼に説明をした。
しかし、数回にわたり来宅するものだから、その情熱にほだされて、滑川駅まで送ってあげたり、昼食を出したりした。
しかし、この報告書を読むと、実に素晴らしい。

他の方の報告も同様だが、紙面の関係で、小林君の報告の大要を記します。
はじめにー始まり
1ー加島町概要
 ①ー①加島町について
 ①ー②加島町の歴史
 ①ー③加積雪島神社
2ー加島町獅子舞概要
 ②ー①概要
 ②ー②獅子舞の流れ
 ②ー③演目
 ②ー④道具・衣装
 ②ー⑤鯛灯行{やさこ}
3ー獅子舞を支える組織および役割について
 ③ー①睦会{2区}と3区獅子舞保存会
 ③ー②獅子舞を支える女性たち
4ー住民の語り
 ④ー①獅子舞を支える男性たちの語り
 ④ー②獅子舞に携わっている女性の語り
 ④ー③主役となる子どもたち
5ーまとめ・謝辞とそして参考文献

加えて写真も11枚。加島町の略図を添付するなど実に詳細に報告され、A4版230ページに及ぶ分厚い報告書には、正直感心した。
どこに出しても恥ずかしくないと思う。

勿論、彼以外の報告も素晴らしいものであった。
私はかねがね、滑川というコップの中の水は、滑川以外の水も入れ、かき混ぜることによって、より活性化すると思っている。幸い、当日水野市長に柿沢副市長も出席でした。

市では現在、ランタン祭や街Ing滑川など色々アイデアを凝らし、活性化に努めておられますが、彼らの提言も参考にされ頑張って頂きたいと思います。
それにしても、彼らの真摯な発表の姿や何の関係もない滑川を調査しようとするエネルギーに改めて感心した。こんな大学生がいたことに驚いたし、日本もまだまだ捨てたものでないとも思った。

写真は、発表する小林君。前列5人の発表者と富大野澤準教授、水野市長、柿沢副市長。

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薬業人バーベキュー

お盆に迎えた先祖の霊を送り出す8月16日、午後3時より、我が家の小さな中庭で、「夏バテを吹き飛ばし、商売繁盛」を掲げ、4年ぶりにバーベキューを開いた。

参加者22名は全員配置薬業関係者、いわゆる売薬さんである。ただ一人途中から突然参加された水野市長を含めると23名で実に賑やかであった。
当日は台風7号が近畿、東海、中国地方で猛威を振るい随分やきもきしたが幸いにも、台風の強風域が県内を霞めるように日本海に抜けそのまま北上したので風の影響は全くなかった。
ただ雨である。朝から時々通り雨のようにパラパラと降っていた。しかし、もし雨なら屋内で行う。その時は、焼き肉や焼きソバはなくバーベキューとは名ばかりの懇親会である。

晴れれば当然屋外である。判断に迷うところであるが、1時30分頃から会場設営に集まったメンバーがスマホを片手にウエザー情報を私に教えてくれる。最終的に2時現在、雨雲レーダーでは、滑川上空の雨雲は25分後には消え、その後は晴れるとの情報を最終判断として屋外での開催を決定し設営に入った。
それにしてもスマホの威力には改めて驚いた。

さて、22名も集まれば、回商地が北海道から九州まで、しかも一人で複数県回商するから話題も豊富であり、話に花が咲くのも当然である。
そんな中、水野市長がどこで情報を入手のか、突然参加した。氏の父親も売薬さんであり、親の背を見て育ち、現在氏の弟さんがその後を継いでいることなどから売薬には理解のある市長の一人である。
そんな市長が、富山市に次いで滑川市も物価高騰の折、売薬さんに対し、燃料代等の助成を決定し、すでに市内の売薬さん宛へ郵送済であり、大いに活用して貰いたい。と話された後、業界の発展を祈念し乾杯の盃をあげ再び懇談に入った。

またメンバーの中には、本職と間違う位の調理人がいて、焼き肉や、焼きそばなど実に美味しく頂いた。
それにしても、現代のように情報が簡単に入らない時代には、売薬さんがもたらす全国各地情報は、富山県民の生活や文化の向上、産業の発展に大きな貢献をしたことを忘れてはならないと思う。そして、参加者から、自家栽培の野菜や、県外の銘酒などの差し入れもあり、和気あいあい、かつ中身の濃いバーベキューだった。

それにしても、天気予報は随分進歩したものである。台風にしても発生場所、進路、規模,或は雷の発生場所,各前線や高気圧、低気圧の位置、各地の最高気温や最低気温などの予報はほぼ正確である。これも科学技術の進歩によリ、昭和50年代前半から打ち上げられている気象衛星のお陰であろう。
しかしながら、地震と火山噴火予知は難しい。大規模地震の場合は、直前に地震警報が発せられるが余りにも時間的に余裕がない。火山噴火にしても、段階的に注意や警報が発せられるが、御岳山の噴火を見ても、中々予知は難しい。しかし、科学技術の進歩によっていづれ解決される時代が来ると思う。

一方で、火事の場合は人災が多い。ハワイ・マウイ島の大規模山火事は「強風によって切断された電線が枯草に引火した」との説がある。これも、ある程度の強風になると、停電のマイナスがあるが、送電を中止するとかを考えねばならないと思う。
かって「地震、雷、火事,親父」の言葉も親父の権威も低下し、男女平等が声高らかに叫ばれる今日ではこの言葉は死語になりつつあるように思う。

参考まで、日本で始めて天気予報が出されたのは、明治17年{1884}6月1日東京市内の交番に「全国一般 風の向きは定りなし。天気変りやすし。但、雨天勝手」として貼り出された。
139年前のことであり、隔世の感である。

写真は水野市長を囲み。

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令和5年滑川高校同窓会総会

「越中おわら」の八尾で39℃。石川県小松で40℃。しかも県内では19日間連続猛暑日かつ今年に入り23日猛暑日と富山気象台観測史上最多を記録し、加えて熱中症警戒アラートが連日発令されるなど、正に「地球温暖化」から「地球沸騰化」を実感するような猛暑日の8月10日市内、西地区コミュニティーセンターで滑川高校同窓会{会長・中屋一博}総会・懇親会が午後6時から約60名の参加を得て盛会裏に開催されました。

当日は4年ぶりの飲食を伴う懇親会もあり、出席者はどことなく生気があるように思いました。

総会は毎年曜日に関係なく、8月10日と定められ、会員は
①戦前の水産高校
②滑川高等女学校
③滑川商業学校
④滑川薬学校
⑤水橋商業学校
⑥県立滑川中学校
⑦昭和23年以降の新制滑川高等学校
⑧定時制高校県立水産高校
⑨県立海洋高校

などの卒業生です。

これ程、多様で多くの学校が集まり現在の滑川高校になっています。
同窓生も3万7千人と県下最大規模を誇る同窓会として発展し、各界、各層に有意な人材を輩出し、各分野で活躍しておられることは、私たちの誇りとするものです。

その滑川高校が今年創立110年周年の記念すべき節目を迎えます。大正2年{1913}4月、町立滑川実科高等女学校として開校したのが歴史の第一歩ですが、大正2年と言えば、男女平等や男女共同参画などの意識が極めて低い時代に「女子にも中等教育の機会を」のスローガンのもと、町立で女学校を設立した先人の教育に寄せる熱き思いや、その後、やはり町立で創立する滑川商業学校の2校を相次いで県立に移管するのである。

その後、昭和10年町立薬学校を創立する。つまり戦前には、中新川郡滑川町という人口2万人にも満たない小さな町になんと、県立高校が女学校、商業学校、水産高校と3校もあり、加えて町立薬業校もあったのである。百年の大計は、教育である。つまり「人づくり」の言葉がある。
私たちの先人は、そんな思いで相次いで教育機関を立ち上げたのだろうと思うと、その情熱とエネルギーには頭が下がる。そんな話を私の挨拶でする中、なぜ戦後一時期といえ県立滑川中学校が存在したか。この事実さえも知る人が少なくなってきていることは、私とすれば残念なことであるとも申し上げました。

いづれにしても、年齢も考えも学んだ学科も違うものが、「同窓」の二文字で心が通じ合う。
不思議なことだが、それが同窓会だと思う。誰にも生まれ育った「ふるさと」があるように、青春のひと時を数々の想い出と共に過ごした「学び舎」、それが母校であります。何歳になっても、人それぞれの心の拠り所として、生きる続けているものと思います。

懇親会では、久しぶりの再会を喜び合う姿が見られました。また東京滑川会会長・土肥正明氏も同窓生の一人として、参加して頂きました。最後に、全員で校歌を合唱し母校の更なる発展を祈り,再会を約し散会となりました。

110周年記念事業をご案内いたします。{8月10日現在}
1記念式典 令和5年11月10日{金}13時30分{約1時間}
      場所 滑川高校 第一体育館
2記念公演 令和5年11月10日{金} 14時30分{約1時間30分}
      場所 滑川高校 第一体育館
      内容 音楽鑑賞 東京サロンシンフォニー キャラバン隊
記念祝賀会 令和5年11月10日{金} 18時{約1時間30分}
場所 パノラマレストラン 光彩 会費 8000円

参加は自由ですが人数等把握の為、希望者は学校事務局まで、事前に申し込み下さい。
滑川高校事務局、電話076ー475-0164まで。

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「温暖化」から「沸騰化」

言うまいと 思えど今日の 暑さかな

国連のグレーテス事務総長が「地球温暖化」は終わり、「地球沸騰化」時代に入り、各国が対策を講じるよう発言した。
それを裏付けるように、世界各地で40℃を超す猛暑を観測し、中でも米国・カルフォルニア・デスバレーで55℃、中国・新疆ウイルグル自治区で52℃。また世界各地で多発する山火事。北極海の氷の面積が年々減少、ロシアのツンドラ地帯や、南極大陸そしてアルプス山脈やヒマラヤ山脈の氷河が、かってないスピードで溶け始めている。

こんな二ユースを耳にしても多くの日本人はピンとこない。
先日、7月27日世界気象機関{WMO}は「7月の世界の平均気温は観測史上最も高くなる。7月の世界の平均記録で最も暑かったのは、2019年7月の16,63℃だが7月23日までの平均が既に、16,95℃に上がっており、過去最高記録を大きく更新すると発表し、WMOのターラス事務局長は「温室効果ガスの排出を減らす必要性は、今までにないほど急を要している」と警告している。
国内でも同様である。7月に入って全国各地で40℃に迫る連日の猛暑である。

片や、線状降水帯なる新たな気象用語も日常化し、秋田を始め各地で水害被害が発生している。富山県内でも7月12-13日の県西部を中心に被害が出た豪雨では線状降水帯が始めて観測され、南砺市や小矢部市では土砂災害が発生。
また、6月28日に立山、上市など、県東部を襲った豪雨は「バックビルディング」現象と富山気象台が発表したが、これも耳にしたことのない気象用語である。

県内の猛暑日も8月2日現在11日連続35℃を超し、熱中症警戒アラート連日のように発令されている。
こんな現状でも日本人は他人事のように受け止めているのではないだろうか。確かにこの問題は日本だけで解決出来るものではない。
故に政府はもっと国民にことの重要性を訴え、世界の中で日本の果たせる役割を通して、国際世論をリードすべきでないだろうか。

参考まで記録の一部 国内での最高気温
山形市・40.8℃{1933年7月25日}
熊谷市・多治見市・40.9℃{2007年8月16日}
四万十市・41℃{2013年8月12日}
熊谷市・41.1℃{2018年7月23日}
浜松市・41.1℃{2020年8月17日}
国内での最高気温 熊谷と浜松の41.1℃であるが山形の40.8℃から熊谷・多治見の40.9℃へ0.1℃上がるのに実に74年を要した。
しかし四万十市の41℃まで0.1℃上がるのに僅か6年。次の0.1℃上がる熊谷まで5年、やはり異常である。

富山での最高気温は、1994年8月14日、富山市39.5℃、伏木39.7℃
世界の最高気温 1913年7月10日 米国カルフォルニア、デスバレー 56.7℃
世界の最低気温 2010年8月10日 NASA南極東部 -93℃ 
日本の最低気温 1902年1月25日 旭川-41℃

日本の寒暖の差は82℃である。世界的にも珍しいと思う。
また2013年10月9日 糸魚川市で35.1℃。10月では最高気温。
2019年5月26日 北海道佐呂間町39.5℃ 5月では最高気温。

写真は、米国・カルフォルニア・デスバレー。写真家髙橋明旺氏撮影。1981年10月

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