なかや一博 ブログ

日別アーカイブ: 2024年3月2日

第76回滑川高校卒業式

龍宮の 庭から散りて ほたるいか   坪谷水哉

陽光燦燦として大地を覆い 野が山が海が躍動の季節を迎える中、富山湾に春を告げる風物詩 ホタルイカ漁が3月1日解禁となった。
能登半島地震で富山湾では海底地滑りが発生し、水橋漁港ではホタルイカの定置網が流失し大きな被害が出た。幸い滑川漁港では、ホタルイカの定置網には余り被害がなかったが、昨年の解禁日の漁獲量は僅か59匹{1㎏未満}であったから、関係者は随分心配していた。

しかし、今年の解禁日は106㎏とまずまずの水揚げで関係者はホッとしていた。そして、県水産研究所は、1日今年の湾内でのホタルイカ状況予報を発表し、今年の総漁獲量は2238トンで平年{過去10年の平均}の1261トンを上回るとした。今後に期待したいと思う。

さて、その3月1日滑川高校{校長・金田幸徳}の卒業式が挙行された。昨年は、まだ新型コロナ感染防止対策の為、式場では、保護者にも人数制限やマスク着用が求められた。しかし、今年は久しぶりに制限なしで、開式の辞に続き、全員で国歌「君が代」を斉唱し、次いで金田校長より卒業証書が181名の卒業生に授与された。

校長は式辞の中で
①「熱意をもって物事にあたってほしい」
②「心の回復力{レジリエンス}を高めてほしい」
③「感謝の気持ちを持ち、人を支える側になってほしい」

の3点を中心に話し、激励とお祝いの言葉が述べられました。
祝電披露の後、「蛍の光」がテープで流れる中、在校生代表が進み出て、卒業生に送辞。次いで「仰げば尊し」が、やはりテープで流れる中、卒業生代表が進み出てステージ上の金田校長に向い答辞を述べ、3年間の思い出を語り、特に1-2年生の時コロナ禍で学校行事や部活動の殆どが中止や延期になった時の淋しさ、それを励まし支えてくれた教職員や家族への感謝の言葉。3年生の一年間は、学園祭や大運動会など学校行事や部活動などほぼ消化出来たのも在校生の協力のお陰と語り、時として涙ぐむ姿には私も胸を打たれました。

そして滑川高校での3年間の思い出を胸に、明日から力一杯生きてゆく決意を述べられました。。送辞も答辞も純粋だから感動を覚えるのだろう。次いで、校歌を全員で斉唱したのち、卒業生が選んだ「RADWIMPS」の「正解」のメロディーと拍手に送られて退場し厳粛な中にも滞りなく終えました。

それにしても「RADWIMPS」も「正解」の曲も正直私は知りませんでした。つくづく年齢差を感じるとともに、181名の卒業生の内、女子生徒90名で内、名前に子が付いているのは1名だけであった。やはり時の流れを感じざるを得ない。

ただ、残念だったのは、国歌「君が代」と「校歌」はピアノ伴奏のもと全員で斉唱したが、「蛍の光」と「仰げば尊し」はテープで流れるだけである。私の記憶ではコロナ禍以前は、「蛍の光」は在校生が「仰げば尊し」は卒業生が唱和していた。
校歌二題目に「思え車胤を 青春の」とある。これは「蛍の光」の歌詞と通ずるものである。いづれにしてもこの2曲の歌詞には、今の世に失われてゆく大切なことを教えている。誠に残念である。

極端なことを言えば、この2曲が卒業式の雰囲気を作り出していると言っても過言でない。現在県内に県立高校39校。私立高校10校ある。
この中で、「蛍の光」を歌っている学校は本校を含め僅か6校である。「仰げば尊し」は県立では本校だけ。私立で1校。これを聞いて正直驚いた。多分教えないからだろう。

以前歌っていたものが、コロナ禍で教えなくなった。このままでは数年後にはこの2曲も消えてゆくのではないだろうか。私はそれを危惧する。高校は教え育てる教育の場である。学び習う学習の場ではない。「伝承無きところ モラルなし」との言葉がある。

良き伝統や良き事はきっちりと、伝え教えていくべきである。校長の話も巣立ちゆく卒業生に、教え、諭し、前途に幸多きことを願う教育者としての言葉であり良かったと思う。
そして、校長と教頭には私の個人的見解として、来年は「蛍の光」は在校生、「仰げば尊し」は卒業生が唱和すべきと申し上げた。滑川高校の良き伝統の一つとして県下でただ一校になっても、「蛍の光」と「仰げば尊し」の2曲が歌われている学校として続けてもらいたいと思う。いづれにしても、過ぎし日の学生時代を懐かしみながら校舎を後にした。

参考まで、「蛍の光」と「仰げば尊し」を解説しておきます。
「蛍の光」・・・以前も少し説明しましたが、「蛍の光 窓の雪・・・」の歌詞は、古代中国「晋」の学者・車胤が「貧しくて油が買えないため蛍を集めて、その光で書を読み、同じく孫康が雪明かりで勉強した」という故事からとったもので、一生懸命勉強することを、「蛍雪の功」といった。これを参考に作詞されたのが前述した滑川高校校歌であると思う。

実に素晴らしい歌詞である。原曲はスコットランド民謡で、久方ぶりに出逢った幼なじみ同士が祝杯をあげる歌という。明治14年刊行の「小学校歌集」に「蛍」の題名で発表されたが作者不詳である。スコットランド民謡を敢えて翻訳しないで{徳性涵養}の教育方針から道徳的な詩がはめ込まれたという。

「仰げば尊し」・・・明治17年に日本で初めての音楽教材集「小学唱歌集」に載っている。
ところがこの歌の作者については、編集に関係した人たちの誰かだろうと言われているが、今のところ判っていない。外国の民謡らしいという説にも根拠がなく、もし日本人の曲であるとしたら当時としては非常に珍しい西洋風の長音階である。
戦後の一時期、卒業式にこの歌が歌われることに教師側が抵抗を感じたことがあったが、PTA側が卒業式はこの歌でなければ承知しなかったと言う。映画「二十四の瞳」でこの歌をテーマ曲に使い、多くの人々を感動させたのも、この歌に対する感傷性が大きかったせいだと言われている。

「心のうた、日本のうた」より一部引用。