降りつもる 深雪に耐えて色あせぬ
松ぞ雄々しき 人もかくあれ (昭和天皇・昭和21年歌会始め)
2月18日、今冬2度目の寒波襲来の天気予報が出ている朝、一面銀世界の滑川を後にし、全弓連理事会出席のため上京した。さすが日本は狭いといっても広い。東京は快晴である。
さて、今回も皇居三の丸尚蔵館の企画展「吉祥のかたち」を鑑賞した。
尚蔵館には約2万点の作品が収蔵されており、その殆どが名品ばかりで、年数回企画展として公開されている。今回は1月4日―3月2日まで表題の企画展で、「新しい年の到来を喜び、人生の節目に幸福を願う気持ちは、古くからさまざまな造形に残されてきました。
中でも古代中国において不老不死の仙人が住むと考えられた蓬莱山は日本でも吉祥図として描かれ、長寿を象徴する鶴と亀が添えられた縁起物としても表されました。
やがて理想郷としての蓬莱山への憧れは、霊峰富士の姿に重ねられました。又、鳳凰は、優れた天子が世に現れる兆しとして古代中国で尊ばれた伝説の鳥です。
古くより鳳凰は高貴さの象徴として絵画や工芸に取り込まれ、皇室ゆかりの品々には数多く登場します。{瑞祥のかたち・図録より抜粋}
今回46点展示してありましたが、3点ご紹介します。
①日出処・日本 {234,3×448、6} 横山大観 {1868–1958}作
昭和15年に開催された「紀元二千六百年奉祝芸術展覧会」の出品作品です。
初代神武天皇の即位から2600年を記念する一大事業として企画された同展に出品するため、渾身の力をこめて製作したものです。生涯に二千点近い富士山の絵を描いたとされる大観ですが、その中でも最大級の作品で、出品後,大観本人の希望により昭和天皇へ献上されたものです。
本作は朝陽輝く霊峰の堂々たる姿を描いたものです。大観には富士山を描く際のこだわりがあり、江戸時代の大噴火でできた宝永山は決して描きませんでした。大観にとって日本の国土を象徴する富士山は、最も理想化された姿・形でこそ描かれる必要があったからです。
②国宝・動植綵絵・老松白鳳図 {141,8×79,7} 若冲{1716–1800}
松にとまった一羽の真っ白な鳳凰を描き、片足をあげて翼を広げたポーズで、うねるように流動する飾り羽などが、画面にダイナミックな動きを与え、細かく重ねられた羽毛の白い線が、神々しさを加えています。明治22年相国寺から献上。
③宝船「長崎丸」高さ・90・幅・100 奥行・59 台・木・蒔絵一点 江崎栄造 {1878ー-1965}
大正5年11月に大正天皇が福岡県下を行幸の折、長崎県から献上された鼈甲細工の宝船「長崎丸」。日輪に鶴が描かれた帆に風をはらみ、大海原を進むこの宝船には、農産物や水産加工物など、長崎県の重要な物産27種が積載されています。
作者の江崎栄造{1887–1965}は宝永6年から続いた鼈甲細工の製造販売業の老舗の6代目で皇室への献上品も複数手がけました。
①②③の解説はいづれも図録より抜粋
いづれにしても、二万点にも及ぶ名品が東京大空襲の難からも逃れ、今日まで保管されて来たことに驚きます。