珍しき 高麗{こま} 唐土{もろこし}の花よりも
あかぬ色香は 桜なりけり 本居宣長
4月8日{火}午後2時・県立滑川高校{嶋谷克司校長}入学式が体育館で挙行された。それにしても、桜と入学式は何となく絵になる風景である。
校舎敷地内の桜も入学式を祝うかのように満開であった。
さて、希望に胸膨らませ、校門をくぐった生徒数は183名である。
本来、普通科2クラス80名.薬業科1クラス40名。商業科1クラス40名。海洋科1クラス40名。計200名が定数である。しかし、183名つまり定数割れである。県内の県立高校数39校の内、多数の高校が少子化問題に直面し本校同様である。それ故、高校再編が大きな問題として議論されている。
そんな中、入学式は、教員、保護者、来賓等関係者が着席している中、吹奏楽部が演奏する、スカイ・ブルー・ドリームの曲が流れ新入生が入場した。
入学式に相応しい曲である。その後、全員で国歌斉唱。残念ながら新入生は殆ど歌っていなかった。多少の緊張と、中学時代にも余り歌う機会がなかったからであろう。
次いで、校長より183名に入学許可を与え、続いて式辞である。内容は、9年の義務教育を終え、高校入試を乗り越え、滑高生の一員になったことへの歓迎と、今日まで支えてくれた人々への感謝の気持ちを忘れないこと、次いで本校の歴史と生徒目標「高きを求める情熱」生活信条「文武両道」に触れ、どんなことがあっても学校はサポートする。
そして、2点力説されました。
①自分を知り、可能性を信じ前へ進む。秘めた能力を発揮させるため、多角的に物事を考え、一歩踏み出す。行動する力。夢や目標をどこまでも高く。変化を恐れぬ。
②思いやり,優しさを持つことの大切さ。女優有村架純さんの言葉を引用し、「ありがとう」と言ったら、その数だけ人は優しくなれる。
「ごめんね」と言ったら、その数だけ人は賢くなれる。「さよなら」と言ったら その数だけ人は愛を知る。
など話、お祝いと激励の式辞でした。嶋谷校長は校長として初めて赴任されたのが本校で、それ故、式辞も初めてで、多少緊張もあったと思いますが、内容の良い式辞だったと思います。
祝電披露の後、新入生宣誓。
新入生代表は、伝統ある滑川高校に入り、誇りを感じる。学業と部活に励むこと。そして、両親や先生に対し、未熟な私たちだが、仲間たちと頑張ると力強く宣誓。
歓迎のことば 在校生代表
期待や不安があるかもしれないが、2-3年生、そして先生を頼って下さい。より良い学校生活を送れるよう、サポートし盛り上げてゆきます。
と先輩らしい、温かい言葉を新入生に語りかけていました。
次に、川上教頭から校歌の紹介がありました。昨年も記しましたが、
1題目は、朝日に美しく輝く立山連峰に抱かれて、百年の歴史と伝統を誇るこの滑川高校で熱き夢を語り合おう。
2題目は、蛍を袋に集めて、その光で書を読み勉強をしたと言われる中国の学者、「車胤」の若き日の苦難を思い、かけがえのない青春の一日一日を大切に過ごしてほしいという願いが込められている。
滑川高校校歌 作詞・北園克衛 作曲・岡部昌 昭和25年制定。
一 朝日に匂う 太刀の峰 二 有磯の海に 風荒れて
雲井遥かに 青春の 思え車胤の 青春の
赤き血に沸{たぎる}我等の日 波のごと迅{はやし}我等の日
加積の郷{さと}の 学び舎に 雄々しく潔{きよ}く 血と愛に
栄えある歴史 うけ継ぎて 鍛えん時を 惜しみつつ
祖国をにない 集える我等 理想に燃えて 集える我等
これが、私も好きな滑川高校の校歌である。特に2題目の「車胤」云々は卒業式に欠かせない名歌、「蛍の光」つまり蛍雪の功を短い歌詞にして校歌にしたことである。
作詞の北園克衛氏は{1902-1978}三重県出身で当時有名な詩人であった。この方と滑川高校教諭で同じ詩人仲間であった高島順吾氏の紹介で作詞された。
嶋谷校長始め転入教職員には、初めて聞く校歌であるが、その意味することを考える機会であったし、一日も早くこの校歌に親しんで貰いたいと思う。
閉式の辞。学級担任紹介で生徒は退場しましたが、その時の演奏曲目は「渡り鳥」でしたが、ちょっと違和感があった。入退場の2曲の曲名は私は分からず、式後お聞きしました。
新入生の希望に胸を膨らませ、輝くような瞳を見ると矢張り若いことは素晴らしいと思う。青春とは単に年齢だけで判断すべきでない。当然である。
しかし、後期高齢者となった私からすれば矢張り羨ましい限りである。いづれにしても、彼らが滑川高校生として、多くの素晴らしい思い出を作り、楽しい学校生活を送って貰いたいと念じ学校を後にした。
写真は、学校正面玄関。式辞を述べる嶋谷校長。