5月1日観光客でごった返す京都へ行きました。さすが、京都です。あふれんばかりの外国人観光客。
コインロッカーは空を探すのに苦労。名所、旧蹟やレストランに入るのに待ち時間が2時間位は当たり前。普段でも観光客で賑わう京都であることを考えると、ゴールデンウイークの真っ只中を思うとやむを得ないのかもしれませんがこの時期には2度と行くべきでないと思いました。しかし、意外にも観光客が少なかったのは、新撰組壬生屯所遺蹟でした。
①八木邸 ②前川邸 ③壬生寺
①八木邸は新撰組が結成された家です。
八木家{写真}は壬生村きっての旧家で長屋門は今から約200年程前の文化元年{1804}、主屋は文化6年の造営です。八木家奥座敷は新撰組三大内部抗争の一つ、芹沢鴨暗殺の場で時は文久3年9月18日どしゃ降りの深夜、泥酔した芹沢鴨、平山五郎ら4人が惨殺されました。
現存する刀傷の一部{写真}がその凄惨さを物語っています。また、深手を負いながらも隣の部屋に逃げようとした芹沢鴨が「文机」につまずき、ここで、とどめを刺された「文机」が当時のまま置かれていました。
隊の規律違反を度々お越した厄介者だったとは言え、隊士によって暗殺され、しかも、その場所が屯所であり、奉行所へは犯人は長州藩士だと届け、葬儀は盛大に行い、近藤勇が弔辞を読んだという。
ガイドの話では、新選組の手によって殺された隊士の数が、暗殺された勤王の志士達の数を上回っていたというから驚きです。
夫婦で写したのは八木邸前です。
②前川邸{写真}は、八木邸だけでは手狭になった為、新たに屯所に使われた家です。
この家で芹沢派といわれた隊士・野口健司が切腹したり、総長・山南敬助が脱走の罪で同じく切腹した所でもあります。
また、新撰組に捕縛された古高俊太郎が土方歳三に取り調べられ、尋問、拷問の末ついに自白し「池田屋事件」が起きた。それが前川邸であった。現在は、玄関入口付近で新撰組に関するお土産が販売されています。
尚、内部は住居として使用されており非公開でした。
いづれにしても、壬生から西本願寺、不動堂村、更には伏見へと隊の膨張と時勢の変転につれて屯所は移ってゆきました。
③壬生寺 壬生狂言でも有名なこの寺も新撰組と縁のある所です。境内には新撰組局長・近藤勇の胸像と遺髪塔があり、暗殺された芹沢鴨と平山五郎の墓や「池田屋事件」で亡くなった隊士三名を含む七名の合祀墓などがあります。毎年7月16日の「池田屋事件」の日に新撰組隊士等慰霊供養祭が行われている。
いづれにしても、「池田屋事件」など新撰組の最盛期を迎えましたが、壬生に生まれ、足かけ3年の新撰組と幕末動乱の京に思いをはせました。