5月24日{金}午後7時、東京富山県赤坂会館で開催されました。
これは、文科省から滑川市に約3週間程研修生として来ていた人々が本省へ帰任後、縁あって文科省ナカヤ会を結成し、私が上京の折、懇親会を開催してきました。
第1期生を受け入れたのが平成15年度からで今日まで続いています。勿論、私の時代以降の方々もその趣旨に賛同し参加されています。受け入れ時の年齢は25-26歳ですが、その後、彼らは32歳前後で都道府県の社会教育課長や国立大学の総務課長などに出向したり、或いは40歳前後である県の教育庁次長を2年間務め去る3月末本省へ戻りそれなりの立場になっているなど多士多才な方々ばかりです。
その彼らが研修生として本市に来ていた時、我が家で歓迎会を開催したり、居酒屋や朝キス釣りに連れて行ったり、本省へ戻った後も、ほたるいかマラソン参加に6名もが来滑し、我が家で痛飲したことなど思い出を語り、その時のご恩は忘れていないとして、今回、昨年秋の私の叙勲のお祝いとして、13名の心のこもったお祝いの寄せ書きと素敵なネクタイをプレゼントされました。
私でさえ、忘れている思い出を語りビックリしました。贈り物は金額の多寡でなく、彼らの誠意に感激しました。21世紀の文部行政の一翼は間違いなく彼らが担っていくであろうし大いに期待したいと思います。
しかし、昨今、官僚の不祥事が相次いでいます。私は、彼らに、かって遣隋使或いは遣唐使として身命を賭して数ヶ月に渡り荒海を乗り越えて大陸を目指した。そして、大陸に上陸しても数ヶ月を要しやっと西安にたどり着いた。何故、彼らはそこまでして大陸を目指したのか?荒海で遭難する者。志半ばで異国の地で亡くなった者など、祖国日本に戻れたのは僅かであったという。唐の学僧、鑑真和上は逆に、戒律や天台数学等をもたらす為、何度も遭難を繰り返し、暴風、失明などの苦難を乗り越えて日本に来たことを思うといかに大変なことであったかがわかると思います。
遣隋使や遣唐使はその危険を顧みず、日本発展のために、新たな知識、宗教、文化などを吸収し持ち帰りました。これが、官僚の矜持であることを、釈迦に説法と思いつつ、人生のささやかな先輩として話しました。いづれにしても、彼らの今後の活躍に期待したいと思います。
写真は、記念品を持って当日の出席者の皆さんと一緒に。