2月13日から3月24日まで滑川市立博物館で開催されていた大平山濤先生作品展を鑑賞してきました。会場入口のパネルには次のように記してありました。
ごあいさつ
故・大平山濤先生は、書一筋に生涯をかけられ、日本の書壇において「近代史文書」の分野を隆盛に導くなど多大な足跡を残されました。平成14年には文化功労者として顕彰を受けられ、平成19年9月に91歳で他界されました。
先生は、師金子鷗亭先生とともに、漢字とひらがなを組み合わせた近現代の文体を、美術としての書道にまで高める表現を続けて来られました。また、長年にわたって多くの展覧会において受賞されるとともに、書道団体において数々の要職を務められ、多くの書家の育成に尽力されました。
滑川市においても、先生が主宰された抱山社をはじめ、創玄書道会、毎日書道会などを通して、直接、間接に指導され、多くの書家を輩出されました。このような関わりから、本市へ41点の作品が寄贈されています。本展では、本市への寄贈作品の中から一部を展示します。古典研究等の基礎の上に立ちながらも、内面からあふれ出すような表現力豊かな作品を制作されましたが、特に故郷富山の峻厳かつ美しい大自然を高らかに詠いあげた作品など、大平山濤先生の書道芸術の世界をごゆっくりご鑑賞ください。
(滑川市立博物館)
実は、私自身幼稚園時代と小学2年生まで計4年間僅かな期間ですが滑川市田中町西光寺で私の姉と一緒に直接習っていました。姉は社会人になっても指導を受けていましたが、残念ながら私はその後疎遠になっていました。その後ご縁があって、文化功労者顕彰祝賀会に出席させて頂だいたり、市制50周年記念事業の一環として開催した先生の師・金子鷗亭展の開会式にご出席頂いたことや、生前、東京中野の私邸を訪問するなど公私にわたりご指導を賜りました。
また、朝日町で執り行われた葬儀や東京でのお別れの会にも参列しました。そんなことから、平成20年、先生の作品が41点滑川市に寄贈を受けた時も、これに、深く関わった一人として先生への思いが強いものがあります。温和で物静かな語り口で、いつも優しく接して頂いたことが今でも脳裏に焼き付いています。
平成19年91歳で亡くなられましたが、もう少し長生きしておられたら、金子先生同様文化勲章受章の栄によくされていたと思うと誠に残念なことです。
いづれにしても、久しぶりに先生の大作16点を鑑賞しながら、在りし日の先生を偲びました。
写真は、作品展会場と東京中野先生自宅で息子匡昭さんと共に(平成16年6月9日)