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5カ所巡り 其の一

こおろぎや あかつき近き 声の張り  内田百間

9月27日{火}ー28日{水}友人・知人5人で一泊2日の研修旅行と銘打って、バラエティーに富んだ5ヶ所を巡った。

9月27日
①県立水墨美術館 山本春挙展
京都画壇を代表する画家・山本春挙{1872ー1933、滋賀県出身}は,,円山四条派を学び、その影響を受けながら雄大な風景に代表される独自の画風を確立し、円山派の写生をふまえた華麗で壮大な風景画を数多く生み出しました。文展や帝展、国内外の博覧会などで活躍し、その多くが宮内庁御用画となり、明治天皇もファンであったといいます。
明治から昭和にかけて、竹内栖鳳とともに京都画壇の二大勢力となり、近代化に貢献しました。今回の企画展は、生誕150年を記念し、伝統的な写生画の流れをくみながらも洋画の写実主義に心を寄せ、日本画の近代化と真正面から向き合った一人の画家の表現世界とその画業を見つめ直す。とありました。特に、数多くの屏風が展示されていましたが、「雪松図」の六曲二双は圧巻でした。又、黒部川の猿飛峡を描いた「黒部写生」見事でした。

②埴生護国八幡宮 主神 八幡大神
社名 「護国」とは、江戸時代の初め慶長年間に当地方に凶作が続き、庶民の生活が苦しかったので、前田利長公が当社に豊作を祈願されたところ,霊験いちじるしく、この尊号を奉ったことによる。
由緒 木曽義仲の祈願社として知られる古社である。宮縁起によれば、奈良時代養老年間に宇佐八幡宮の御分霊を勧請{お迎え}したのに始まり、天平時代に越中の国守大伴家持が祈願したと伝えられる。平安時代後期に、埴生の地は石清水八幡宮の荘園であった。
平安時代の末、寿永二年{1183}5月、木曽義仲は埴生に陣をとり、倶利伽羅山に二倍の軍勢を布く平維盛の大軍と決戦するに当り、当社に祈願をこめ、いちじるしい霊験あった。
このことは、平家物語、源平盛衰記、謡曲木曽など、多くの古典文学の中に語られている。戦国時代には、武門、武将が篤い信仰を寄せ、武田信玄、佐々成政、遊佐慶親などの祈願や社領の寄進が続いた。

「本殿」は慶長5年{1600}前田利長公が大聖寺へ出陣の際、祈願あり、御帰陣の後、寄進。
「釣殿」は慶長16年{1611}前田利長公が高岡在城の折、病気平癒を祈願して寄進。
「拝殿」「幣殿」は元和8年{1622}に前田利常公夫人天徳院の産後平癒祈願のため改造寄進を約し、正保3年{1646}完成。いづれも国指定重要文化財。パンフレットより抜粋。
尚、宮司の埴生さんとは知人の関係で社務所の中で詳細に説明を頂いた。

③高野山真言宗 別格本山 倶利伽羅山 不動寺
倶利伽羅峠を越えた山頂付近に山頂本堂がある。ここからが石川県である。
縁起 今から約1300年前、インドの高僧善無畏三蔵法師によって開かれた全国でも珍しいお姿の倶利伽羅不動明王を御本尊とする古刹寺院で日本三不動の一つに数えられています。源平倶利伽羅峠の合戦場になったことから、歴史と文化を感じながら古くからの信仰に豊かな自然の中で触れていくことができ、しかも、石川・富山の県境に位置し、倶利伽羅山から望む立山連峰と砺波平野の景観がとても素晴らしい。パンフレットより抜粋。
この日は、かほく市の魚料理民宿に宿泊し食べきれない魚料理に大満足し英気を養う。

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