富山県配置薬業青年連合会{中屋如貴会長}創立50周年記念式典及び交流会が5月7日富山市千歳町パレブラン高志会館2階嘉月で開催されました。(以下、県青連と略す。)
最初に中屋会長の挨拶のあと、50年の歩みをパワーポイントで紹介されました。
創立は昭和42年8月です。この前後、県下各地で相次いで青年部が発足し、滑川市薬業青年部も同時期、県青連と歩調を合わせ発足しました。私は当時20歳、先輩に誘われ設立総会に参加し、その後、県青連にも一会員として参加しました。
当時の県青連は各地区の青年部同様部員の年齢は35歳以下で、地区青年部は、富山ニッケの会、呉羽アシの会、水橋、浜黒崎、上市、滑川、中部{滑川中加積}射北、中田、高岡の10地区会員数1641名でスタートしました。
この内、滑川は189名、中部146名滑川市内で35歳以下が実に335名もいたことを思うと今昔の感ひとしおのものがあります。
そして、50年。この間、私は滑川市薬業青年部第6代部長{昭和54年ー58年}また県青連では第4代会長{昭和54年ー58年}として、また、全国の第14代会長{昭和55年ー56年}を務め、全国大会へは何度も出席するなど、私にとって人生を語る時、青年部活動を抜きにしてはあり得ません。それ故に、映像で50年の歩みを感慨深く見ました。
さて、映像のあと40周年から50周年までの会長経験者に感謝状の贈呈があり、次いで、来賓祝辞に移りました。最初に、塩川知規県厚生部くすり政策課課長、中井敏郎富山県薬業連合会会長より、それぞれの立場でお祝いと激励の言葉がありました。
次いで、パネルディスカッションが行われました。
テーマは「県青連のこれまでと、今後」
パネリスト・県青連第11代会長・折田・忠氏。 同12代会長・井藤潤一氏。 同15代会長・大間知政憲氏
コーディネーター {一社}全国配置薬協会・事務局長・清水・剛氏
によって活発な討議が行われました。また、会場を埋めた歴代会長などにも意見が求められる中、私は地場産業や伝統産業など多くの業種も問題を抱えていることを指摘する中、この業の素晴らしさを述べ、今年は明治維新から150年。
明治という新しい時代の扉を開いたのは、志を持った青年たちの勇気ある行動だったことを話し、高杉晋作の辞世の句と言われる「面白き こともなき世を面白く 棲みなすものは 心なりけり。」を引用し青年部の今後に期待する言葉としました。
いずれにしても、交流会も含め久しぶりに懐かしいメンバーにもお会いでき、有意義な機会でした。ここで、会長の挨拶を掲載します。
(写真は挨拶する中屋会長)
<挨拶>
昭和40年代初頭、貿易・資本の自由化の波が日本経済を襲い、国内外からの経済攻勢が激しさの一途を増し、富山県の配置薬業界も新時代に対応するため、体質改善が叫ばれていました。
こうした背景の中で、配置薬業に若者の新しい感覚を取り入れようと県内の35歳以下の青年配置従事者1650名が大同団結し、昭和42年8月に現在の富山県配置薬業青年連合会の前身にあたる富山県医薬品配置員青年部連絡協議会が設立されました。
昭和48年には、現在の富山県配置薬業青年連合会に名称を変更し、研修会、配置薬のPR活動、共同事業等を通じて業界発展に努めて参りました。その後、配置業界は個人業者の高齢化や後継者不足、法人販社における雇用難による人手不足、外的な要因として、ドリンク剤等の新指定医薬部外品移行によるコンビニ販売自由化、一般医薬品販売制度の改正、登録販売者試験制度の創設、インターネット販売の解禁など、取り巻く環境は、大きく変化し厳しいものとなっておりますが、一方で平成29年1月にセルフメディケーション税制{医療費控除の特例}が創設される等、追い風となる明るい話題もございました。
現在は、各地区の部員の減少があるものの、活動内容は時代の流れを見据え、より充実したものになり、先輩各位の雅量によって50歳の新たなる旅たちのときを迎えることができました。青年部を卒業された先輩方も今や業界の指導的立場となっておられ、正に喜びに堪えません。創立50周年を迎えたことを機に、今一度、初心に戻り青年部の柔軟な思考力や卓越した行動力で、各種事業の遂行、問題解決に積極的に取り組んでいくよう決意を新たにしている次第であります。
今後とも、富山県配置薬業青年連合会に温かいご指導・ご支援を賜りますよう、会員の皆様はじめ、関係各位にお願い申し上げ、ご挨拶といたします。
平成30年5月7日
富山県配置薬業青年連合会
19代会長・中 屋 如 貴