大晦日 定めなき世の 定めかな 井原西鶴
12月20日{水}全弓連定時評議員会出席のため上京した。当日、朝、家を出る時は寒風が吹きみぞれ混じりのお天気で、思わずブーツか長靴に手がゆきそうになったが、待てよ、天気予報は東京は晴れである。慌てて革靴を履いたが、案の定東京は快晴である。
新幹線の車窓から眺めた浅間山も、青空にくっきりと浮かび、21日の朝、宿泊ホテルの全国町村会館13階の部屋から眺めた富士山も雲一つない青空に白銀が輝いていた。まさに、冬の日本海側と太平洋側のお天気ではこんなに違うものかと、改めて実感した。
さて、上京の折、博物館や美術館での鑑賞や知人・友人との再会も楽しみの一つである。
今回の定時評議員会は、6月の役員改選後初の理事・評議員など役員全員が顔を合わせる機会でもあり、従来会議は事務局のある「JAPAN、SPORT、OLYMPIC、SQUARE」から、明治記念館に場所を変更して、会議と懇談会が開催された。
この場所は、私にとっても思い出の所で、以前綿貫民輔元衆議院議長が国会議員在職25年記念祝賀会が開催され、来賓の竹下登元総理が、祝辞で、「綿貫さんは、昭和2年生まれで、昭和一桁生まれの国会議員は稀有壮大、中でも、民チャンはぴか一である」との言葉が忘れられない。またこの時、小矢部出身の瀬島龍三氏との写真も残っている。
また、関東滑川高校同窓会総会もこの会場で、その時、福田富昭日本レスリング協会会長{氏も滑川高校同窓生}がオリンピック金メダリストの伊調馨さんや吉田沙里さんを同行してこられ、会を盛り上げられ、懇親会では私の横に伊調さんが座り親しく話をしたのも明治記念館であった。
尚、評議員会終了後の懇談会で、私の横にいた弁護士のN理事と懇談していたところ、彼は元厚労省に入省したが、弁護士になりたくて退官し、勉強し司法試験に合格し、現在弁護士だと言う。実はこの夜、私は厚労省の職員と懇談会を予定しているので、彼と同じ位のメンバーの名前を言ったところ、同じ課で仕事をしていてよく知っていると言う。縁とは本当に不思議なものである。
評議員会の懇談会は5時過ぎに終え、宿泊ホテルに直行した。
6時30分より前述の厚労省のメンバーと懇談会に入った。やはり弁護士N氏の事を出席者のU君に話したところ同じ課で仕事をしたことや、優秀な人物で弁護士への夢を語り、それを実行した事を褒め称えていました。
その時、出席者のM君が富山県の現在の厚生部長は自分と同期であるなど厚労行政の話より、別の話題で盛り上がった。9時過ぎまで2時間30分あっという間で、別れを惜しみつつ再会を約し解散した。
翌日21日9時30分岩元達弘氏と再会した。氏は本年7月1日付けで、財務省近畿財務局長から、日本政策金融公庫専務取締役に就任したので公庫を訪ねた。氏とは1年半ぶりであったが財務省出身だけあって財政や金融に関してはやはりプロである。数字にも強く到底私には太刀打ちできない。しばし、懇談し更なる活躍を期待し別れた。
次いで大宮で、かって昭和63年「世界青少年交流協会」のヨーロッパ視察に参加したメンバー5人と再会し、昼食会をともにした。もう35年も前であるが、そのメンバーが、私が上京した折、時々昼食会と称し再会するが、会う度によくもこんなに長く続くと感心する事から始まる。
最高齢者は91歳。会うたびに、一期一会と言い、できるだけ長く続けようと話し、大宮発15時49分で帰宅した。
東京は快晴。富山は一面白銀の世界。狭い日本といえども、やはり日本は広い。
写真は、20日新幹線車窓よりの「浅間山」。21日朝ホテル13階より「富士山」を望む。
20日、夜厚労省のメンバーと。21日、日本政策金融公庫専務取締役室にて岩元達弘氏と。