平成15年より文科省から滑川市へ研修生として約3週間派遣されていた事業が20年を迎えた機会に、久しぶりにかっての研修生と2月14日再会した。
事業は東日本大震災とコロナで2回計3回派遣が中止になり、研修生は17名である。彼等が十数年前、文科省なかや会を結成し私が上京の折、時々懇談の機会を持っていた。
平成30年秋の叙勲の際も上京の折、色紙に全員がサインをして記念品を頂いた。感激の極みである。彼等は30歳前後から都道府県等に文科省から出向する。その為、現在本省にいるのは10人位であるが、出向中のメンバーで、例えば現在ある県の教育長やユネスコ日本政府代表部一等書記官としてパリに赴任している人,或は、都道府県の教育委員会に出向中の人などいることから、当日出席したのは私を含め8人であった。メンバーで滑川市へ研修生で来たときは25歳であったのが今や45歳で既に本省の課長の人もいる。
最年少は昨年滑川市に来た25歳の人である。彼等は文科省関係の様々な分野で頑張っており、そんな人々と接する機会があることは私自身も刺激になるし嬉しくも思う。彼等の近況を聞きながら、私はささやかな人生の先輩として話すことは「国家公務員の矜持とは」を問いかける。
かって遣隋使や遣唐使として身命を賭して荒海を渡り、大陸に上陸しても、そこから長安まで数か月かけ、律令制度を含め様々なことを学び、日本に持ち帰る。無事帰国できたのは、渡航した人数の約3分の一との数字もある。
危険を冒してまで渡航に駆り立てるのは何か。この心意気、志が今の国家公務員に欠けている。と、やんわりと指摘する。余り偉そうなことを言うと、場がしらけるのでほどほどで止めるが、彼等がこれからの文部行政を荷っていくことを思うと、やはりエールを送り激励した。
10周年と同様今回は、20年ということもあり,主催・文科省なかや会と書いた横断幕を掲げての懇談会であった。また、当日は欠席でしたが、出向先から会場にワインを差し入れてくれるメンバーもいるなど、有難いことである。6時30分から9時30分まで3時間あっという間であった。
途中ハプニングで別室で会議に出席していた県内選出国会議員が私の姿を見て挨拶に近寄ってきてどんなメンバーかと尋ねるので、事情を説明すると慌てて名刺を取り出すので、文科省のメンバーも全員起立し名刺交換を行った。
5分位のち別の国会議員がくる。また5分位後に別の国会議員がき来て同様の風景が3回展開され、その都度私は彼等を紹介する役であった。3人の国会議員は選挙区の人との懇談会であったと言う。
いづれにしても,彼等とは、和やかな雰囲気での懇談会であったが、今後の活躍を祈り、再会を約し散会した。