なかや一博 ブログ

久し振りの上京

嬉しやと 二度さめて一眠り 
      浮世の夢は 暁の空  家康辞世の句

12月11日{水}全弓連理事会で上京した。当日の朝、雨模様のため玄関を出る時、自然とブーツに手が伸びた。待て、今日の天気予報は東京は晴れである。思わず革靴に切り替えた。

案の定東京は快晴であった。西高東低の気圧配置の通り、日本海側は荒れ模様、太平洋側は好天である。東京駅に着くなり、皇居三の丸尚蔵館へ直行した。尚蔵館に関しては、以前詳細に記していますので略しますが、今回の企画展は「公家の書―古筆・絵巻・古文書」「皇室の美術振興・日本近代の絵画・彫刻・工芸」と題し,書の優品と御買上の近代美術の競演であった。

特に、今回出展してあった国宝「金沢本万葉集」は1910年{明治43年}明治天皇が東京本郷の前田邸を行幸した際、16代当主利為{としなり}によって献上された金沢本と呼ばれるものである。
巻2の大半と巻4の一部を合作した粘葉紙の冊子で料紙は和製の唐紙といわれ筆勢の強い変幻自在の筆跡と解説してありました。11世紀中頃の藤原定信筆と伝えられる作品ですが、私には全く読める訳もなく、暫し立ち止まって眺めるだけでした。

それにしても、近代の皇室は同時代の美術に対する保護奨励に大きな役割を果たしたと思う。
例えば、国内の博覧会や展覧会への行幸啓の折は、新聞や雑誌を通して広く報じられたりしました。また、出品作品の購入は侍従を差し遣すなど宮内省を通じて行われたため「宮内省買上」と呼ばれ、作家たちにとって名誉なことであり、今回の企画展にも、明治時代から昭和時代にかけて国内の博覧会や展覧会に出品され、皇室の御買上となった日本画・洋画・彫刻・工芸などであり、その中には、その作家の出世作となったものや、後世の代表作になった作品も多くあるという。美術には無知な私ですが、心癒されるしばしの時間でした。

それにしても、12月半ばと言うのに、皇居内のイチヨウは盛りを過ぎたとはいえ、まだ眺められました。今年の紅葉時期は、やはり温暖化の影響で昨年より10日から2週間ほど遅いそうです。しかし神宮外苑のイチヨウ並木は完全に落葉していました。同じ都内でも随分違うものです。

さて、江戸城の中心は本丸です。この本丸に江戸時代初期、約50年の間に、慶長12年{1607}慶長の天守完成。元和9年{1623}元和の天守完成。寛永15年{1638}寛永の天守完成。三度建て替えられた。しかし、明暦3年{1657}の大火で江戸の大部分が焼失。この時,天守も本丸御殿など江戸城の大半が焼失した。

だが大火の翌年万治元年{1658}4度目の再建計画が建てられ、加賀藩が担当して天守台まで再建されたが、軍事上無用な天守より、町の復興を優先させたといわれ、以後、天守は再建されることなく、同じ本丸の南にある富士見櫓{現存}が天守の役割を果たし江戸時代を終え、今日に至っている。

午後、全弓連理事会に出席し夜帰宅した。日帰りの強行日程であったが久し振りの上京で、歩いた歩数も約1万7千歩と日頃の運動不足解消に繋がったかも・・・・

CIMG5877

CIMG5884

CIMG5880

CIMG5881



なかや一博 オフィシャルブログ

ブログ 最新の投稿(5件)

12月 2024
« 11月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  
なかや一博 フェイスブック

リンク

トップへ戻る