新年は まず我が身の意気を 新たにす 安岡正篤
令和6年は既に地平線下に沈み、ここに新しい年令和7年の幕が上がりました。
干支も「甲辰」から「乙巳」に引き継がれ、月日の流れは休むことなく、新しい時を刻み始めました。昨年のお正月三が日は、元旦、能登半島地震、2日羽田空港滑走路での航空機衝突炎上事故、3日北九州市小倉北地区での大規模火災事故。まさに記憶にも、記録にも残る出来事から始まり、パリ5輪・パラリンピックのメダルラッシュ、秋の衆議院議員選挙での自民、公明連立与党の過半数割れ、そして年末恒例の漢字一字は「金」でした。
理由はオリンピックでのメダル獲得の「光の金」と政治の裏金問題や金目当ての闇バイト強盗事件などの「影の金」そして「佐渡島の金山」の世界遺産登録などが理由に挙げられた。
それでは今年はどんな年になるだろうか。そこで「干支」について少し述べる。
「干支」とはご存知の通り「十干十二支」を略した呼び名で、「十干」と「十二支」を組み合わせて60通りの年号を作り出す古代中国で生まれた歴法です。それ故、同じ「干支」は60年に一度回ってくることから、還暦、本卦帰り、或は華甲とも言われる。
十干は「甲、乙 ,丙、丁、戊、己、庚, 辛, 壬、癸」の10種類、十二支は「子、丑、寅, 卯、辰、巳、午、未、申、酉、戊、亥、」の12種類があり、順番に組合せ令和7年は「乙巳」{きのとのみ}で上位60通りの42番目で、次の「乙巳」は60年後の2085年です。
「十干」は、古代中国殷の時代に10日を一旬として構成するそれぞれの日に名前を付けたことで始まったといわれ、その後、万物はすべて「陰」と「陽」の二つの要素に分けられる「陰陽説」と、すべての物事は「火」「水」「木」「金」「土」の5つの要素からとする「五行説」が結び付き、それぞれの意味を表すようになった。
「十干」は前述の通りの総称で、元は1から10までを数える為の言葉だった。
「十二支」には、よく動物の名が充てられるが、これは中国の王允{おういん}という人が、十二支を民衆に浸透させるために動物にして文献に書いたという。つまり動物の意味は後から付け足された。
例えば、子を鼠にしたのは繫殖力の高い子宝の象徴、子孫繫栄。丑を牛にしたのは、生活のパートナーであり、畑を耕したり, 重い荷物を運んだりする。寅を虎にしたのは、勇猛果敢な動物でありその勇ましさから虎が充てられたなどである。
日本には、6世紀半ば欽明天皇の頃伝わったと言われている。
幕末維新の戦いを「戊辰戦争」慶応4年{1868}と言う。つまり「戊」つちのえ「辰」の干支の年であり、甲子園球場の名前も「甲」きのえ「子」ね、の干支の年で大正13年{1924}完成したことによる。また、現在でも我々は契約書などに「甲は乙に対して」などの表現に、何の抵抗もなく使用しているし、12時を正午と言い、その前を午前、その後を午後というなど我々の生活の中に溶け込んでいる例はいくらでもある。
さて、今年の干支「乙巳」{きのとのみ}の「乙」は十干の2番目「軋{きしむ}]を意味します。陰陽五行説では木の影のエネルギーを表し、植物が成長し広がっていくような意味合いです。柔軟性や協調性を象徴し、周囲との調和を保ちながら自身の目標に向かって進んでいく力を表しているという。
「巳」は十二支の6番目で、蛇を表します。蛇には一般的にネガティブなイメージもありますが、古来より豊穣や金運を司る神様として祀られることもあり、神聖な生き物として認識されてきました。逞しい生命力があり、脱皮をするたびに表面の傷が治癒していくことから、医療、治療、再生のシンボルともされています。また、運気を上げる縁起物としては定番となっており、蛇の登場する夢を見ると吉兆とされていたり、蛇皮の財布や、蛇の抜け殻を財布に入れて持ち歩くと金運が上がるとも言われています。
巳年生まれの人は蛇のように辛抱強く、粘り強い性格を持つとされています。また、知恵や洞察力に優れているとも言われています。
また、この年は、多くの人にとって成長と結実の時期となる可能性が高いです。「乙」は未だ発展途上の状態を表し、「巳」は植物が最大限まで成長した状態を意味します。この組み合わせはこれまでの努力や準備が実を結び始める時期を示唆しています。
年内には、早い人では具体的な成果が現れ始め、中には大きな成果を手にする人もいるでしょう。しかし、すべての人が同じペースで結果を得られるわけではありません。成長の速度は人それぞれであり、中には時間がかかる人もいます。そのため、令和7年は辛抱強さが試される年にもなります。焦らず粘り強く取り組む姿勢が重要です。自分のペースを保ちながら着実に前進することで、最終的には望む結果に近づくことができる。
参考まで。
60年前、昭和40年{1965}は、前年に開催された東京オリンピックの余韻が残る中、経済発展が加速しました。
120年前、明治38年{1905}は、日本とロシアの間で日露戦争終結のポーツマス条約が結ばれ、日本の勝利が確定した。
1380年前、大化元年{645}は、乙巳の変 大化の改新。中大兄皇子、藤原鎌足が中心になって蘇我入鹿暗殺に始まる一連の政治改革。
さて、当たるも八卦、当たらぬも八卦である。しかし、干支や八卦を信じない人でも、年賀状は殆ど干支を使用するから不思議なことである。
願わくは、昨年より今年は、より良き年になりますように。
写真は、我が家の小さな門松。昨年末清水寺・森清範貫主から届いた干支「蛇珠」の色紙。我が家の正月の床の間、右寄り、薬神農、松鶴蝦齢、天神様。