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水橋薬業会講演

1月8日午後2時より、富山市水橋会館で水橋薬業会{会長・菊地徳男}と富山市北商工会薬業部会{会長・森田清秋}の合同役員会が開催された。そして、3時から私に講演依頼があり出席した。

2時開会。最初に出席者全員が会場に設営された祭壇の前に整列し、祭壇に掲げられた神農像の掛け軸に向かって、2礼2拍手1礼で商売繫盛を祈願しました。
次いで、全員の記念写真を撮影したあと、菊池会長が神農像の掛け軸の由来や水橋の先人が樺太売薬を開拓した事などを含め挨拶。
次いで、来賓の押田富山市議が挨拶に立ち、父が売薬をしていた当時の思い出話や、現在自宅には常備薬を含め薬がないことの不便さから、置き薬の必要性を話されました。

また、この機会を通し市政報告会を行い、水橋出身の唯一の議員として薬業はもとより水橋発展の為尽力する旨を話し、今年4月の市議選への支援をお願いされました。これを受け,菊地会長からも出席者に対し支援の要請がありました。
次いで、私にも指名がありましたが、後程講演があるので、簡単にしましたが、押田市議には滑川高校同窓会副会長を努めて頂いていることから私からも支援をお願いしました。

その後、菊地会長から業界の現状などと合わせ、当日の議事が2時間50分終了し、3時から私の話しに入りました。
実は、講演依頼を受けた時、テーマと講演時間をお聞きしましたが、何んでもいい。これ程やりずらいことはない。そこで、当日講演内容を、「政治」「薬業」「雑感」の3っと時間を40分、50分、60分の3通りのくじを代表に引いてもらい、その結果、「雑感アラカルト」と50分となりました。

雑感ですから、最初に地震の歴史や異常気象、高齢社会。衆議院選挙後の政治状況。これに薬業界の諸問題等を話しました。
特に力説したのが、富士フイルムホールディングスkkについてです。実はこの会社の代表取締役社長CEOは富山市出身で1959年生まれの後藤禎一氏です。2021年から現職です。富士フイルムは2000年以降、カメラのデジタル化に伴い、本業だった写真フイルム事業は急速に縮小したが培ってきた技術を発展させ、事業構造の転換に成功。

現在は「ヘルスケア」「エレクトロニクス」「ビジネスイノベーション」「イメージング」の四っの事業領域でグローバル展開し、世界272社、従業員7万2千を擁している。2008年この傘下に入ったのが富山化学である。

このヘルスケア領域の中核企業となり、新薬メーカーとして長年感染症治療薬の研究と取り組んできたその知見と品質管理のノウハウを生かし、力を注いでいるのが、バイオ医薬品開発・製造受託事業だ。現在、富山第二工場では、600億円をかけ拠点整備事業を進めている。国内での大規模製造拠点は初めてである。後藤社長は「プロジェクトを成功させねばならない。パンデミック時には、ワクチン製造を優先的に行う施設となる。

日本を含むアジアの人々の健康に貢献していきたい」と語っておられる。この方が富山市出身である。社会の変化を敏感に捉え、先を見据え対応する。本業のフイルム事業からフイルムで培ってきた技術を発展させ構造転換に成功した好例であり、これと対照的なのはコダック社である。私はこの様な話をして、配置業界も300年の歴史と伝統、先用後利の精神だけではこの先発展を続けることは困難でなかろうか。

薬業界も一度後藤社長を招き、講演会を開催してはどうか。学ぶべき点が数多くあると思うが・・・・こんな話をしました。話し終えて感じたことは、やはり1時間程度であったらテーマを一つに絞って話したほうが良かったと思う。
1時間程度の中で、あれもこれもと欲張って話すと、どれも中途半端になるように思った。これが反省点であり、多少迷惑をお掛けしたような気がした。

それにしても、神農祭や歳旦祭も地域によってお供え物も違うことも分かった。
かって売薬さんの家では、1月8日には床の間に神農像の掛け軸を掲げ、その下に懸場帳を置き、お鏡を添え商売繫盛を祈願したものです。我が家ではまだ続いていますが、そんな風景も消えつつあることは淋しい限りです。

写真は、会場に設けられた祭壇。記念写真.講演風景。

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