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乃木希典旧邸宅と乃木神社

2月19日午前中時間があったので、地下鉄千代田線乃木坂駅横の乃木旧邸宅と乃木神社を参拝しました。
旧乃木邸は、フランス軍隊の建物を模して自ら設計したものと言われ、明治35{1902}年に新築されたものです。乃木夫妻が大正元年{1912}9月13日、明治天皇御大葬の日、明治天皇に従って、日本人最後と言われる殉死するまでここに住んでいた。

邸宅は、軍人の家らしく、飾り気がなく簡素で合理的に作られているという。
旧邸宅と馬小屋は、乃木夫妻殉死後、遺言で東京市に寄付され、現在港区が管理している。尚、馬小屋は旅順陥落後、敵将ステッセル将軍から贈られた名馬壽号の厩舎であったという。また、邸宅前には、水師営にあったナツメの木の孫が植樹されていた。

乃木神社はその名の通り、乃木将軍と静子夫人を祭神として祀っている。また入場無料の小さな資料館があり、しばし見学した。昨年9月下関の乃木神社や資料館, 夫妻や名馬壽号の銅像、ナツメの木などは9月のブログで書いたが、それを思い出し、日露戦争と太平洋戦争とを比較しながら戦争の引き際、日露戦争で得た教訓と財産。それを太平洋戦争ですべて失った。

時あたかも今年は日露戦争から120年、昭和になって100年、戦後80年の節目の年である。ロシアとウクライナ、イスラエルとハマスの戦闘を見ても、戦争は権力者によって始められ、その被害は子供や何の罪もない庶民である。やっぱり戦争はやるべきでない。万物の霊長たる人類の最も愚かな行為が戦争である。そう思い乃木神社を後にした。
午後、全弓連理事会に出席し、19時過ぎ無事帰宅した。18日は1万8千歩余り、19日1万2千歩余り、我ながら良く歩いたと思う。

写真は、旧乃木邸と左手ナツメの木。乃木神社。

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