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第13回 (74回)日本海開き

海・・・海は広いな大きいな 行ってみたいなよその国
    海は大波青い波 揺れてどこまで 続くやら・・・昭和16年童謡「海」

清少納言は「春はあけのぼ」と書きました。夜明けの空を赤々と染め上げるように、春は冬の名残を追い払い、曙 {あけぼの}朧{おぼろ} 霞 {かすみ}、そして桜花爛漫と続いた風景も百花繚乱へと季節が移り行く中、5月1日午後1時より恒例の滑川高校海洋科による「日本海開き」が上市川河口、高月海岸で行われた。

これは、かって水産高校時代の1951年{昭和26年}から始まり、海洋高校から滑川高校へと引き継がれている伝統行事の一つで高校再編から数えて今回は13回目ですが、通算74回目です。県内では水産関係の単独校として、滑川市の海洋高校と氷見市の有磯高校の2校がありましたが、海洋高校は滑川高校と有磯高校は氷見高校と再編統合になりました。

しかし、旧校の精神を引き継ぐ形で各校に学科として存続し今日に至っています。
目的は「海洋高校の伝統を継承し、滑川高校海洋科の生徒の溌剌とした若さと旺盛なる心意気で、海に挑む海洋精神と粘り強い意気の高揚を図る」とあります。この様な目的から、あえて「富山湾開き」と言わず、志を高く持つようにとの思いで「日本海開き」となったような気がします。尚、この名称は第一回からだそうです。

この日は、五月晴の青空が広がり、気温20℃、海水温は少々低く12℃でしたがまずまずの日和でした。参加者海洋科1-3学年計103名の生徒が、突堤や消波ブロックに囲まれた場所で、波打ち際から沖の約25m先の「浮き」を目指し、3年生がピストルの号砲と大門県議の打ち鳴らす太鼓を合図に一斉に飛び込み、岸に戻ると嶋谷校長の太鼓で2年生、次いで私の太鼓で1年生、これが終わると全員が水野市長の太鼓を合図に飛び込みました。

私の見たところでは、25mを完泳したのは数人。途中Uターン組に女子は殆ど波打ち際で戯れる生徒が多かったようでした。しかし最後に何処からともなくアンコールの声が上がり数名の男子生徒が再び飛び込む姿には、現代の高校生気質を見た思いでした。

つい1か月前に入学した新入生にとっては、新鮮な驚きであっただろうし、これも海洋科の生徒しか経験することの出来ない思い出の一つと思います。それにしても、元気溢れる姿から私も元気を貰いました。
また、県内でこの様な行事があるのは多分本校だけであり、今後ともよき伝統行事として引き継がれてほしいものです。

写真は、太鼓を打ち鳴らす私、嶋谷校長

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